前回は前々々回の記事でいただいたコメントに触れていましたが、今回は前々回(ややこしい)、「ここが変だよ(凄いよ)日本人」ネタの後半の記事でいただいていたコメントに触れていきましょう。
コメントは例によってアンさんより送られてきたもの(一部、適宜適当改変)です。
毎回、大変に心のこもった温かいメッセージをいただけて、改めて格別の深謝の念を表さずにはおれません。本当にどうもありがとうございます。
耳かきは、日本人はカサカサタイプの人が多いからとかちゃうやろかね??
人前ではもちろんせぇへんけど、そもそも湿ってるタイプの人ってやらなくても平気とか??綿棒とかでやっちゃうとかなんかな??
自分はカサカサタイプなので逆に耳掃除に綿棒とか使ったことないし、ハッキリはわからんちんやが…そんな気がしたとばい。
チップは絶対要らねえっぺな!!マジであいつの意味はわからんまるじゃけぇ。支払うのが嫌とかじゃなく、サービス料として最初からプラスしときゃいいじゃん!って思えるべや。
っていうか、最早サービス料込みプライス表示でも問題ないっしょやね。
アメリカのCMは、最後まで何のCMかわからないみたいなのが多い気がするがや。日本だと、わりと商品ドーン!って感じじゃなかと?私もテレビは見ないので、最近のはほとんど知らんけんど。
マックのCMはなかなかセンスえぇやねぇ。バーキンも一応宣伝されとるわけやしな笑
癌の告知は、私も経験はないけれども、日本では本人には知らせない傾向だよね。映画やドラマで見ても。逆に、アメリカでは必ず本人に知らせる感じなのか。
だとすると、よくあるチューブにつながれた状態になって本人が苦しそうにしているのに延命し続けるかどうかみたいなんも、本人が意識があるうちに決断したりできるのかな??
これは自分の話なんだけど、私の祖父も祖母ももう亡くなっていて、祖母は70代だったかでガンで、病気がわかってからはあっという間やって、最期に会った時は病院でゲッソリ痩せてて、短期間でもう別人のようになっててんね。祖父も最期は胃ろうで生かされて、食べることも話すことも出来ず、ただ「生かされてる」っていう感じがもう見てるのも辛くて、でも延命をしないっていう選択は周りの人にはできなくって(死に追いやるっていう意味で)、元気だった頃の思い出よりも最期の弱って寝たきりになってた祖父のイメージが残ってるのは、本人もやるせないんじゃないかなって、それは私だけじゃなく母も周りの親族もみんな思ってたと思うんだけどね。
母とはその話をしたことがあって、自分がもしそうなった時は、娘であるあなたが延命は断ってくれ、それはあなたにしか出来ないから、お願いだから祖父のように生かさないでくれ、って言われとるんよ。
きっと私はそれは出来んから、死ぬ時はコロッと逝って、って言ってるけど笑
(一応、母はまだ全然元気だよ。)
実際、自分のことを考えてみたら、病気で弱って寝たきりになったりした悲しいイメージを遺したくないんはわかるしね。美しいとは言わんけど笑、元気な時のイメージのままであり続けてもらった方がいいのは間違いないから…
そして自分も死ぬ時は、必要以上に長生きしなくていいから、出来るだけ幸せな時代にコロッと逝きたいと思ってる笑
他に、尊厳死とかもそうだけど、国によっていろいろありそうなポイントだわね。
掛け算の九九は、何の意識もなかったばってん、考えてみたら凄いことやね。そう言えば、インドでは更に凄い19×19まで暗記するってのを聞いたことがあるがや!
こうゆう感じの、覚え方の本を読んだこともあるねんけど、呆気なく挫折したっちゃ笑
子供のうちに強制的に覚えさせておいてくれたら、九九のように何の意識もなく知識となっていたのかもしれへんよね。残念。
若い男の子が所構わず唾を吐く…は、最近はそんなことないと思えるわねぇ。全く見かけねっべ。その辺は、日本よりも、韓国では男女問わずどこにでも痰を吐くイメージやな。
韓国の街は、ホントに汚いんよ。若い女の子が普通に道端に痰を吐くって、見てて気持ちいいもんではないわぁね。
音を立てて麺をすするの、、めっちゃわかるぞなもし〜!!私も日本人じゃなかったようで…マジで無理やねん!!今まで一度もすすったことないってくらいだぎゃあ。同じく、行儀が悪いともマナーだとも何とも思わないねんけど、ただ単に、技術的にすすれんのよね笑
いや、やったことないんでわからへんけど、、すするってことは、吸いながら食べるわけで、それだと空気も入っちゃうじゃんね?想像しただけでオエッてなりそうで笑
それに、想像しただけで、汁が飛び散るだろうし、口のまわりにも…?
幸い、「麺は音を立ててすすらなくてはいけない」空気を感じたことも一度もないので、すすって食べようとしたことも、すすらない食べ方に疑問を持ったことも、ほぼないっちゃね。あ、わりと同じ感覚やっちかね笑
お箸は、私も多分言っちゃうと思うでよ。っていうか、言ったことあるかもしらんねぇ。(「上手ですね!」くらいの感じだったかな?)ただ、その外国の人は、とても嬉しそうだった気もすっけど…?人によるんかね?
おしぼりはえぇよね。たまに出ないところもあるので…やっぱり出てきたら嬉しいばい。
おっさんが顔を拭いても、、まぁ自分に割り当てられたおしぼりをどう使っても自由だと思うっぴ笑
耳かき、あぁなるほど、粉耳・飴耳の違いはありそうですが、逆に、湿り気のあるベチョッとした飴耳の人の方が掃除は重要そうに思えちゃいますけどねぇ~。
でもまぁ、耳垢の性質とアポクリン腺の過剰分泌・いわゆるワキガとは密接な関係があって、白人黒人の方々はほぼ例外なく体臭が強いことからも分かる通り、一部のアジア人(下の参考サイトの情報からも、日中韓ぐらいですかね?)を除き、人類というのは圧倒的大多数が飴耳なので、海外で耳かきがあんまりされない(普及していない)こととの関係は確かにありそうですね。
(参考:なぜかリンクカードだとタイトルやヘッダーが英語になってますが、普通に日本語サイトです↓)
(ちなみに以前、もうずーっと前ですが、このブログでも遺伝の話でアメ耳・粉耳とか触れましたけど、そこでは体臭うんぬんについては触れていませんでしたが、何気に、「右耳を耳かきしたらセキがゴホンゴホン」ネタ、あれ、こないだ年明けぐらいの記事(ちょうど年末大晦日でしたか→人体の不思議)で初出しだと思ってたら、5月の頃の遺伝記事で書いたことがあったんですね。
割とブログで何を書いたかは覚えているつもりでしたが、もう既に書いたことがあったネタだったとは、こいつぁ全く覚えていませんでした(笑))
いずれにせよ、掃除は必要だけど、飴耳の人が自分で掃除すると色々悲惨なことになりそうですから、自分でやる人はあんまりいない、って感じなのかもですね。
大変面白い、ナイスなご視点でした。
(ちなみに、耳掃除動画はYoutubeの大人気コンテンツの一つですが(笑)、一番人気なのはどんなのかな…?と「Ear wax removal」で検索してみたら…
www.youtube.com
再生回数トップの動画、耳垢ちゃうやんけ!
微妙にサムネイルにも映っちゃってますが、なんとまさかの耳から虫が出てくる動画ですけど、ぶっちゃけ言う程のインパクトや驚きもない感じですね(閲覧注意ってほどでもなかったです)。
こんな気持ちよさの欠片もないやつが1億2800万回再生でトップでしたが、2番目も全く同じEarwax Specialistさんのアップされた動画で、ほぼ同じぐらいの1億2500万回再生……こちらは若い女性の耳垢除去ですね。
www.youtube.com
割と恥ずかしい動画ではあると思うのに、普通に公開を許可するこの方の寛大な心も素晴らしいですけど(これだけの再生数になったものですし、ちゃんと対価を受け取っていたら良いですが…)、まぁ、耳掃除動画は、特に最近はもうちょい解像度のいい内視カメラを駆使した、もっと気持ちよさそうなのがいくらでもある気がしますね。
(まぁ、別にそんな動画を普段好んで見てるわけじゃないですけど(笑)、例によってまとめサイトでたまに取り上げられているので、もっと気持ちよさもインパクトも大きい動画はいくらでもあった気がする…って感じです(笑)。)
コメント続き、そう、お金どうこうより、チップの額を自分で決めなきゃいけないという、クッソしょうもない選択・決定を委ねられることそれ自体がとにかくめんどっちぃ以外の何物でもないんですよね~。
チップがないと従業員のやる気がなくなるぞ、とかもよくいわれますが、この辺も、チップがなくてもしっかり働く勤勉な国民性があってこそという、日本の良さの表れともいえるのかもしれませんね。
僕は外食はしないので実際チップを払う場面もないわけですが……あぁ、髪を切るときぐらいですかね、チップを払うの。
ま、チップというと小銭っぽいイメージかもですが、クレカ払いで、普通にチップ分を上乗せするだけ(キーパッドでいくら払うか入力)なので、そこまで面倒でもないものの、上述の通りそれ自体心的労働にあたるので、一刻も早くチップとかいう前時代的・非人道的な愚行は、この地球上から絶滅していただきたいものです。
続いてCMは、まぁ本当に最近のは全然分からないですけど、個人的にはとても好きです。
CMこそクリエイターが必死に考えて作る作品なわけで、CM飛ばすのとかもむしろもったいない気がしちゃうぐらいですね。
まぁ、YoutubeのCMとかは普通に飛ばせるようになったら即飛ばしますけど(笑)、コマーシャルというのも本当に面白い文化だと思います。
何度かブログ記事でCMに触れたこともありましたが(ドリンクの記事で、燃焼系とかファイブミニとか色々、あぁ他にもとても印象的な交通事故の海外CMとかもありましたね)、幼稚園児ぐらいの頃に見たACのCMとかにも胸を打たれるものがありましたし、短い時間で目を引かせるものだけに、宣伝というのも奥深いです。
本当に思い出深いCMはいくつもありますが、あえて1つ挙げるのも難しいですし、もう大分前に見て割と印象的だった(これまたネットで話題になっていただけですが)、タイのCM(中編CM3本セット)でもせっかくなので貼っておきましょうか。
www.youtube.com
割と単純な作りの内容とはいえますけど、やはりこういうのはいいもんですね。
素晴らしいCMに思えてなりません。
助けてあげることの尊さ・見返りを求めない親切の気持ちよさ・真の愛のかけがえのなさ……この辺のことを決して蔑ろにしない人でありたいと、そういう気持ちを人々の心に一瞬でも呼び起こしてくれるだけでも成功だと思いますし、何のCMなのかは正直よく分かりませんでしたけど(笑)(まぁ、保険会社かな?でも、最初のやつは、タイの携帯電話会社??)、企業メッセージはよく伝わる、本当にとても良いものに感じました。
コメント続き……癌告知とかは、改めて非常に難しいトピックですね。
植物状態の人の延命措置や安楽死も、軽々しく浅い意見を書けないぐらいの重いテーマといえましょう。
アンさんのお話も、本当に大変な経験をされたようで(もう昔の話だとは思いますが)、本当にお疲れ様でした(お亡くなりになられたご祖父母も)という言葉しかかけられないぐらいに重たい話ではありますけど、同時にしっかり身近な人としておいた方がいい、本当に大切な話にも思えます。
延命中止については、仮にお互いが納得していても現実的にそれは難しいという話もあるでしょうし(安楽死法案とかも永久に議論されてるわけですしね)、こればっかりは、やっぱり、まずはそうならないことを祈る他ないといえそうですね。
僕自身の経験としては、あんまり(というか姉は十分記憶があったはずですが、自分自身はそうなるまで一度も)会ったことのない父方の祖父がそうだった……という程長く苦しんだわけでもなく、見た時は呼吸器につながれてもう恐らく意識もないぐらいでそのまますぐ峠を越えた、ってのが唯一なので、経験ないから軽々しくはいえないんですけれども、実際そうなったら「もしかしたら助かる治療法が明日にでも出てくるのでは…?」って可能性がなくもなく……って、状況によってはまぁ残念ながら絶対あり得ないパターンもありますかね。
一方で、苦しんでるのにただホンの少し生き長らえさせるためだけに延命をするのはおかしいというのも間違いなくあり、かといって残った側の意思でそこを絶っちゃうと、(アンさんも書かれていた通り)もしかしたら「本当に最善を尽くしたのか?自分が殺したのでは…?」という意識が万が一ひょっとすると生まれるかもしれませんし、いやこれは本当に難しい話ですね…。
その辺も、技術が発達して、せめて苦しみがない延命処置が出てくれることを願いたい限りです。
実際本当に自分がその決定をしなければいけない場面になったら、仮に事前に「延命不要」的な同意を取っていたとしても、もしかしたら「本人は苦しそうだけど、やっぱり気が変わって、苦しくても生きたいと思ったりしないだろうか…」って気持ちが生じる隙は絶対にありますから(そんなのまずないぐらいもう意識もない感じで苦しんでいても、それは絶対に他人が否定することはできない話なので)、やっぱり残された側のその決定は本当に難しい気がしちゃいますねぇ。
そう考えると、親の立場で子供に「絶っっ対にそれでいいから、頼むぜ、サクッとな」とお願いするのも、もしかしたらちょっと子供のことを考えていない自分中心の考え方なのかも…といえてしまう点も、なくはないのかもしれませんね。
(もちろん、人間には誰しも基本的人権があるといいますか、その人の意思が何よりも大事なので、「それはおかしい、勝手すぎる」などとは決して思わないんですけどね。
あくまで、自分が親(見送られる側)の立場になったとしたら、そういうことも考える必要があるなぁとも思える、という感じです。)
まぁ、絶対的な結論はないし、とにかくやっぱりそうならないことを願いたい限りとしか、今はいえない話でしょうか。
せっかくなので僕の個人的なスタンスだけ紹介しておくと…
・告知はしてほしい。
・臓器提供は、使えるものが残っているならぜひ何でも、喜んで誰かのために使っていただければ、と思う。
・自分がチューブ状態になったときに生かして欲しいかは、これはマジで難しいですけど、「サクッと殺してくれ」ってのも、残された人の心に影を落とす可能性があるから、苦しそうにしている姿を見せるのも申し訳ないけれど、ギリギリまで生かして欲しいって感じかな、って所…?
・安楽死の是非は、僕はどんな状況であっても間違いなく生きることに執着するタイプなので、自分が安楽死を望むことは絶対にないから何ともいえないけれど、様々な都合により望んでいる人にそれを認めることは、決して間違ってはいないのではないだろうか、と思える…(無論、それを認めた場合の様々な影の部分は詰めないといけない点なのも間違いないですが…)。
…って感じでしょうか。
改めて、この辺の話に絶対的な結論はなく、一人一人考えが異なるものでしかないので、本当に難しいテーマですね。
その辺を家族と話しておくのもとても大切そうです。
あぁ、この内特に臓器提供については、こんな所で宣言するのではなく、公的に意思表明をしておくべき話題ですね。
その辺も僕はこれまで全く深く考えたことがなく、知識皆無のパープリンなんですけど、せっかくなので、ドナーカード的なものがどないなってるのかも、この機会にチェックしておくとしましょう。
こちら、最も公的な機関と思われる、公益社団法人・日本臓器移植ネットワークによると…
色んな方法があるんですね。
僕はマイナンバーが始まる前には日本を発っていたので、マイナンバーカードもないし、保険証もないし…と思ったら、免許!
えっ、免許にそんな欄あったっけ…?ホンマか?!…と思ってチェックしたら、緑の枠はこの画像で足されたものでしたけど、普通に、マジで裏面にありましたね。
意識していないと、こんなバッチリあるものですら、目に付かないものなんですねぇ~。
まぁ僕はいうまでもなく、1番でしょう。
「生きることに執着」と書きましたが、脳死あるいは心停止したらそれはもう現在の医療技術では死が確定したと同義なので、そうなったらむしろ、「僕の内臓、多分めっちゃ優秀だから、必要な人に全部与えてあげてくれ!必ず役に立つよ!!」という気分が確実に先行します。
ま、他の人の役に立つことが何よりも嬉しいという自己犠牲的な精神ももちろんあるんですけど、臓器の一部・誰かの体の一部になってもいいから、この世に生きていられたら素敵じゃないの……という、そこまでして生に固執するみみっちさも、ちょっとはあるかもしれませんね(笑)。
いずれにせよ、僕は全部あげたい、何なら二個ある腎臓とか、本当にどうしても自分のものが必要な人がいたら、生きてる内にあげてもいいわ、と思えるぐらいには(自分でいうのもなんですが)寛大なタイプかな、と思います。
…と、それはよく考えたら日本のシステムなので、アメリカはどうなっとるんじゃらほい?と気になったので調べてみたら…
まず、アメリカは世界最大級の臓器提供大国みたいですが、「提供の意思を表示した人からのみ移植可能」というOPTING-INであり(日本と同じですね)、最大の臓器提供国スペインのように「提供に反対する意思を表示した人からのみ、移植は行わない」というOPTING-OUT制度ではないようで、アメリカでもやはり臓器提供の意思を表示しておく必要があるみたいですね。
ただ、アメリカの場合、家族の同意のみでも提供が可能ということで、生前に家族と話していれば、それだけでOKという若干の緩さがあるようです(↓)。
僕も、普通に全然提供して構わない意思があるので、まぁ今は年上の家族しかいないので、親にそんなこと伝えるのも何ちゅーか小っ恥ずかしいのでいちいち伝えませんけど、改めて、まずは自分で登録しておくのも大事そうですね。
アメリカの場合、この辺が公的機関でしょうか(↓)。
www.organdonor.gov
正直、こういうのを意識しちゃうと、もしかしたら近い内に死ぬのでは…?という気も何とな~くしてしまうので、そういうこともあって普段はあえて考えないようにしていた節もある気がしますが、やっぱり本当に大事なことなので、時間を見つけてちゃんとしておきたい限りです。
シリアスな話題が続きましたが、続いて全く別の次のコメントに移りますと、そうそう、インドのそれ(九九ならぬ、「十九十九!」)も触れようかと思ったぐらいに有名ですが、正直9x9までで、後はそれを組み立てれば(まさに掛け算の筆算)普通に全ての計算は導けるわけで、それは単なるメモリーの無駄使いでは…??と思えるものの、そんなこといったら何百何千字の漢字を覚えるのとかこそメモリーの無駄使い過ぎるともいえますから、やはり400個近くの掛け算で即答が出せるというのは強いのかもしれませんね。
唾吐きはでも、昭和の頃とかは日本でも何となく多そうなイメージもありますし(実際に記憶があるわけではないですが、吸殻がどこでも落ちていたように、ガムが吐き捨てられて黒くなった部分とか、痰壺とか(吸殻もこれも実際僕の記憶には全くないですが、話ではよく聞きますもんね)、「『日本が清潔な国』って、かなり最近のことだぜ?昭和の頃はマジで結構不潔だったよ」って声もよく聞きます。
そう考えると、韓国のその話も、一昔前の日本みたいなもので、経済が明らかに発展し尽くしたら、また少しずつ意識が変わっていく話なのかもしれませんね(まぁ、アンさんのいってるのは別にそんなに昔でもないかもしれませんし、いうほど最早経済規模に差がなくなりつつあるのかもしれませんが…)。
音麺、やっぱり女性の方はやらない、って人も多いですよねぇ~。
まぁ実際、そりゃ全く無音ってわけでもないわけですけど、あえてわざと大きな音を立てるのは僕は絶対やらないしやりたくもないという感じです。
でも、例えば女性芸能人が麺をすするようなシーンで、音を立てていると「音立ててすすってるね!好感度◎!!」、逆に、音を立てないようにしていると「不自然」「可愛い子ぶってる?」「違和感ある」「マナーがなってない」などなどネガティブなことをいわれがちなのは間違いなくそうかな、と思うので、「ヌードルは音を立てて食べないとダメ」な空気は、現代日本にもまだ確実にあると思えますねぇ。
その空気に出会ったことがなかったのはラッキーではないかと思います。
でもまぁ、そんな空気は間違ってますから、仮に出会っても無視でOKでしょう(笑)。
箸も、普通に嫌味っぽくなく、純粋に「凄い!」って気持ちがあれば、それを伝えるのは別に問題ないですよねぇ~。
これは、あのコメントの人が天邪鬼すぎた、ってことにしておきましょう(笑)。
最後おしぼり、そういえば僕は家庭の布巾には反対派ですが(以前にもそんなネタに触れていました→いや適当すぎでしょ(笑))、おしぼりはあったら断然うれしいですね。
まぁ飲食店のおしぼりは滅菌洗浄が完璧ですからね、家にあるような、雑巾みたいなボロキレとは全然違う感じといえましょう(笑)。
…という所で、まだまだ最近の記事でいただいたコメントは溜まっているのですが、ここで突然!
前々からいっていた、「ブログ以外にもちょっと手を伸ばしてみよう」という点の準備ができた感じなので、次回、ちょうど3月という区切りもいいタイミングですが、ちょっといきなり新しいことも始めてみようかな、と思っています。
そんなわけで、次回はその新しい試みの報告をしてみる予定です。
大した話でもない上どうなっていくかは全く分かりませんが、お楽しみに~。