ここが変だよ日本人→それは偏見だよアメリカ人…?

前回の記事では、「ものの本によると『大人になってもキャラクターグッズを愛でる日本人は幼稚。アメリカ人なら小学校で卒業済みさHAHAHA』という日本人像があるようだ…」的な話を紹介していましたが、今回はその本からもうちょい他にも面白いアメリカ人の意見・偏見・提言を引用して、適宜ツッコミを入れてみようかなと思います。


なお、その本についてですが、記憶を辿ることでズバリ思い出しました、こちら河合塾の英語講師をされていた里中哲彦さんの「英会話どうする?」という英語学習案内的な書籍ですね。

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https://www.amazon.co.jp/dp/4768468608より

こちらの本は、そこらによくある甘い言葉で読者に夢を見させるような生っちょろいものではなく、「『英語を学ぶ目的は何か?』を明確にしよう」ということを極めて現実的に提示してくれています。

例えば一番最初に、著者が実際に会った「この国際化時代、外国人の方にいつ道を尋ねられるか分かりませんし、そのときに手助けができるように、英語ぐらいはしゃべれるようになろうかと思いまして」というご婦人の例を紹介し、

なんとまぁお人好しの方なのでしょうか。世界のどこに、道を尋ねられたときのために、外国語を学ぶ主婦がいるというのでしょう。そのときのために何年も英語を勉強したにも関わらず、たまたま道を尋ねられた場所を知らなかった場合は、いったいどうするのでしょうか??

……

何も冷やかしているわけではありません。英語を習得することによって得られるメリット(将来性・収入・快楽)と、その習得にかかるコスト(時間・費用・労力)を考えた場合、コストがメリットを上回ると予想されたら、それには手を出さないのが、誰にでも分かる経営学および生き方の基本です。

…的な前置きとともに、「マジで英語学習は甘くないから、よっぽどの目的がある人以外、特に先ほどのご婦人のようなぼんやりしたモチベーションしかないような方は、考え直した方がトータルでプラスと思われる」ということを口を酸っぱく、非常にシビアな視点で声高に主張されているのですが、これはやっぱり一面の真理をついているのかな、って気がしますね。


全体を通して、「英語学習に裏技的な近道はなし。接する量・練習量が何よりもモノをいう」的な真摯なアドバイスになっていたはずですが(もちろん、具体的なアドバイスも散りばめられていたように記憶していますが)、そんな硬派なこの本の最終章が、「アメリカ人から見た日本人像を改めて今一度確認しておこう」的な話で、著者の周りのアメリカ人(主に、日本在住のアメリカ人なのでしょうか?)からの意見・偏見が取り上げられていた、という感じですね。

今回は、その中から適宜またいくつか面白い部分を垣間見させていただこうと思います。

 

しかし、先程さっそく「はじめに」の部分を一部引用しましたが、引用・転載ってどの程度まで許されるんですかね…?

こちら弁護士法人の参考記事によると…

www.ishioroshi.com
…どうも、具体的に「書籍は全体の何ページまで」みたいな明確な基準はないようですが、引用元をちゃんと明記している&商用利用しているわけではない(今更ですが、たまに貼るAmazonのリンクにはアフィリエイト等はついていませんし、このブログはアドセンス広告等も一切貼っていない(はてなブログ無料版を使っているので、広告は表示されているかもしれませんが、そちらははてなブログ運営が挿入しているものなので、収益ははてなブログに入るものになります。はてなを応援する方(そんな人いるのか?)はぜひクリックしていただければと思います)…ので、僕には1円も入らないのでどうかご安心(?)ください(笑))ため、まぁむしろ本の宣伝になっているのではなかろうかとすら思える気もしますから、一部の転載は著作権法の定める引用の範囲内でOKでしょうと、相変わらず自分に甘くいこうと思います。


改めて本を紐解いてみたら、まぁ十数ページにわたってアメリカ人による日本人観が色々と挙げられていました。

今回は改めて、特に面白かったものをごく一部取り上げさせていただきましょう。

以下、引用部は全て「英会話どうする?」の第三章・アメリカの、さらに最終セクション「日本人はこんなふうに思われている」からになります。

日本人は「みんながもっているから、自分も欲しい」という所有思考が強いが、アメリカ人は「みんながもっているものと同じものをもつなんてつまらない」という意識が強い。

→これはまぁ、あるかもしれませんね。僕なんぞは天邪鬼なので、この点に関してはややアメ公さんのタイプに近いかもしれませんが、国民性としては、古くからいわれている通り、日本人は「右に倣え」という習性が一般的には強いというのはまぁそうなのかな、とは思えてしまいます。

意見の相違が仲違いの原因となる。相手の意見に異議を唱えることがすなわち、気持ちを傷つけることになり、不和の原因となってしまう。

→なんだよ、偏見まみれのしょうもない意見かと思いきや、結構核心を突いてくるじゃあないですか。

 まぁ連続で「自分は違うけどな」と鼻持ちならない感じで恐縮ですが、僕自身はこれは一切ありませんけど、違う意見を述べると人格を否定されたと曲解する人、これは実際ネットとかを見ていても、本当に結構いる気がしてしまいますね…。

 とにかく同意して欲しい・反対意見や批判をしてくるのはアンチだから無視してOK…みたいな態度は、やっぱりむしろ得られるものが少なくなるもったいない考え方と思えてならないですし、ディスカッションが上手くないとされる日本人では、実際目立つ姿勢になってるのかな、って気がします。

 もちろん似たような、自分の好きな意見にしか聞く耳もたないアメリカ人だって普通にいますけど、やはり割合としては、ここは日本の国民性的に弱い所かな、って思えちゃうかもしれませんね。

日本人はなぜか日本語が特殊で、非常に難しい言語だと思い込んでおり、外国人には習得不可能な言語だと考えている。

→いやこれは僕も若干そう思えるかもしれない点でしたが、でも実際さあ、50の平仮名+カタカナと、とんでもない数の漢字、ぶっちゃけこんなのどう考えても0から学ぶのなんてクソ難しいでしょ?!

 一方、音については、日本語は本当に抑揚のないフラットな発音なので、喋りに関しては簡単な方だと思えますけどね。

 幼少期に日本語に一切触れていないのに読み書きを完璧にできる外国の方がいたら、それは心から素晴らしいと思えるぐらいには、やっぱり難しい言語になるように思えます(というか、それはひとえに、アルファベット圏と文字から文法から全てが違いすぎるという点に尽きる気もしますが)。

「イエス」「ノー」をはっきりいわない。ひどい人になると、あらゆる質問に対してまず「イエス」という人がいる。クリントン大統領はエリツィン大統領に対して「日本人がイエスというときの多くはノーだ」(When the Japanese say yest to us, they often mean no.) と忠告したことがある。

→面目ねぇ(笑)。これはマジそうかもですね。とりあえず「イエス」っていって笑っときゃなんとかなるだろ…的な甘えは、僕自身普通にありそうです(笑)。

 「いやそんなこたぁねえだろ。適当いうなよ」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、実際英語でまくし立てられると、とりあえず場をつながねばアカンと焦る気持ちもあるので、ついつい「アー…イエ~(笑)」とかいってしまうものなのです。

 結局は、英語力の低さに帰着するポイントなのかもしれませんね。

アメリカでは日本人の評判はあまりよくないのに、日本人がなぜこうもアメリカのことが好きなのか分からない。

→そうなん?別にアメリカで日本人の評判があまりよくないとは感じないし(逆に、そもそもいわれるほど知らない(興味がない)、って方が強い気がする……我々が中東の国をよく知らないように、一般のアメリカ人は日本のことをそもそもよぉ知らん、みたいな)、お宅がいうほど日本人は『こうもアメリカのことが好き』でもないと思うぜ、自惚れちゃいます?(笑)…とも思える(実際アメリカ人が目にする情報なんて、アメリカ人にとって良いことが多いものですからね。もちろん、それはアメリカに限らず、あらゆる国でそうな点ですが)、まぁこれは個人の感想に感じてしまう点でしょうか。

ペコペコとお辞儀をしているのを見ると、なんとなく卑屈に見える(お辞儀は、悪手やキスよりも衛生的であり、また日本人の丁寧さをあらわす象徴だと考える人もいる)。

→これは文化の違いでしょうねぇ~。個人的には、ハグとかキスとか「キモ」(とまでは思いませんけど(笑)、自分はあんまりやりたくない)という気がしますし、完全に「♪育ってきた環境が違うから~」といえましょう。

 しかし、パンデミックとなり、世界的にもむしろ接触のないお辞儀文化が見直される日がそのうち来るかもしれませんね(まぁ、絶対来ないでしょうけど(笑))。

女性のためにドアを開けたり、イスを引いてあげる日本人男性がいない。

→面目ねぇ(笑)(2回目)。いやでもこれさぁ、ぶっちゃけ、自分が女性だったら、「いやそんなもん自分でやるから、勝手にそんなことされる方が正直鬱陶しいし邪魔臭いんですけど」って感じると思うんですよね。

 それは僕が女性ではないからかもしれませんが、改めて自分が女性なら、「マジでやめて。お礼いったりする方が面倒だし、自分のことは自分でやりますから」としか思えない気がするんですよねぇ。

 でもまぁ世界的にレディーファーストの文化は正しいものとされていますし、これは反省すべき点かもですね(もちろん、一切絶対に手を出さないではなく、自然な状況ならドアを開けて待つとかぐらいはしますけど、進んでしゃしゃり出てまでそういうことをする気にはどうしてもならないので、そこの意識改革はした方がいいのかもしれませんね)。

冬、マスクをして歩いている人が多い。かなり異様な光景である。

→これはもう、今となってはいわずもがなですね。この本が出版された2003年から世界は大きく変わりましたが、欧米人のマスク嫌いは筋金入りといえましょう。

 「口で表情を見る欧米・目で表情を見るアジア」がその理由、という考察ももっともかと思いましたが、しかし僕の周りでは(まぁ病院棟併設の大学研究棟だからかもしれませんが)、マスクを付けてない人は全くいないので、まぁ場所によってはアメリカでも変わりつつあるのかもしれませんね。

鼻が低いといって嘆く。西洋ではむしろ高い鼻は尊ばれず、高い鼻を気にして整形手術をする人もいるくらい。

→これはマジで僕も思います(そう思うということではなく、高い鼻っていいかぁ?という点について)。

 まぁそもそも鼻の形なんてどうでもいいですけど、僕はどちらかといえば丸くて可愛らしい鼻の方が好きかなぁ、って気がします。

音痴の人が少ない。カラオケの影響だろうか。これほど音痴の人が少ない国民は珍しいのではないか。

絵がうまい。特に女の子の場合はピアノもうまい。

→いやそれは流石に周りの人がたまたまそうだっただけでしょ(笑)。普通に歌が下手な人も絵が下手な人もいるっての(笑)。

 ちょうどその後に…

黒人は皆、歌がうまく、運動能力があるという“偏見”がある。

…ってあるけど、まさに完全にブーメランじゃないっすか(笑)。

 まぁ、ポジティブな偏見ではありますが、実際これはそんなこともないような気がしちゃいますね。

血液型を尋ねる。欧米では自分の血液型を知っている人はほとんどいない。血液型を尋ねるのはプライバシーに関わる問題でもある。What is your blood type?という質問には、It's red, I think.(赤だと思うよ)と答えることにしている。

→まま、これは、そうかもしれませんね。

 血液型占いというか、「血液型の特徴」がここまで多くの人に共通見解として浸透しているのも珍しいのではないでしょうか。

「…いや、自分の血液型を知ってれば、輸血のときに困んねーし…」と強がりをいいたくなる気がするも、輸血の際は必ずその人の血液型を確認するので、そこは何のメリットにもならないのが残念ですね。

 かくいう僕は、まぁ自己紹介ブログですし、しょうもないネタが続いているのでせっかくだから明示しておくと、ズバリ、O型です。

 なので、僕の子供は、絶対にAB型にはなれない運命なわけですが、まぁその辺はまさに上記アメ公さんの仰るとおり、血液型なんてどうでもいい、「みんな赤だよ」みたく意識しない感じでいくのが良さそうですね(ってまぁそもそも「子供はAB型になってほしい!」って希望も別にないので、何のこっちゃ、って話ですが(笑))。

 

…と、何気にまだまだいくつもネタは続いているのですが(これでも、既に7-8割ぐらいは飛ばしている)、割といい長さになったので、記事水増し的な感じで、次回ももう1記事だけこの章のネタの残りをいくつか適当に取り上げさせていただくといたしましょう。

ってことで、中途半端ですが、次回へ続く…!

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