ハイコンテクスト・ローコンテクスト、大事な顔のパーツなどなど

今回はまた、以前の記事に対していただいていたコメントに触れて、話を広げさせていただく回といたしましょう。

コメントもかなり溜まっていますが、とりあえず新しい方から、アメリカ人が見た日本人像ネタの、前半=前々回の記事にいただいたものを取り上げさせていただきます。

コメントは、毎度おなじみアンさんよりですね。

毎回とても面白い視点からの丁寧なコメント、いつも本当にありがとうございます。

 

今回の記事、、アメリカ人から見た日本人?…面白かったっちゃねぇ。


「意見の相違が仲違いの原因となる…」は、自分が意見する立場だったら、相手との関係性によるかなって気はするべや。

大人になってからは特に(相手がよく知らない人であれば尚更)、思ったことをすぐ伝えることはせずに、ひとまず様子を見るかもしれへんね。

意見される方の立場だったら、、反対意見は全然OKやけど、批判となるとちょっと避けたいかなって感じかもじゃの。まぁ、よく知らない人からのそーゆうシチュエーションが個人的に思い浮かばないのでなんとも言えないけど…


「NOと言えない日本人」もそうだわね。「イエス」「ノー」をはっきりいわないっていう英語力が低くて起こる現象とはまた違って、完全否定をすると気分を害されるんじゃないかってうやむやにするとかはやっぱり一般的にあるように思えるぴょん。


日本語は、自分ではそんなに思ってなかったばってん、周りの外国人から「難しい」ってよく言われるので、難しいんだろうなって思えるかもしれへんね。特に、カタカナ要る?って気はしてまうがや笑


レディファーストに関しては、もちろん自分でやるし、やってくれない人に対して「なんで?」とも全く思わないけんど、、

やってもらうことが鬱陶しいとも思わなくって…例えばカナダの友達(小学生の頃、近所に親の都合で一時的に日本にいた子がおって、その時の友達)が、大人になってからは日本でも完全レディファーストなんよな。そーゆう経験を日本ですることがあったら、ありがたくやってもらうし、そこはやっぱり“ジェントルマンだな”って思えるとよ。

男女立場の違いやっぴかね?


マスクは、、今の状況ではアレじゃけど、今後マスク解禁になっても、日本人はきっと外さない人が多いっていうか、外さなくても平気だと思うっちねぇ。個人的にはマスク反対派(ただ嫌い)なので、解禁を待ち望んどぉけど。


鼻は、しょうみどーでもえぇわ笑


いや、でも最近の若い子は歌が上手いってめっちゃ思えるでよ。音痴の人って、なかなかおらんぐねか?自分はカラオケの影響だと思っとるんだべど…

ただ、外国人が歌ってるのをそれほど聴いたことがないので、日本人に限って音痴が少ないのかどうかはわからんかもじゃがの。

絵とピアノは、まぁなんとも言えないかな笑

 

意見の相違うんぬんは、むしろ僕はとにかく否定的な意見の方が本当に嬉しいタイプかもしれませんねぇ。

もちろん理に適っていない単なる罵詈雑言とかだったらまぁ嬉しいってこたぁないですけど、基本的には反対意見・批判とかの方が間違いなく得るものが圧倒的に多いと思っているので、どちらかといえば褒められたり肯定されるより、圧倒的にダメだしされたり批判・否定されたりすることを好むという、その辺ちょっとマゾなのかもしれません(笑)。

…あぁマゾというか、まぁこれもまた何か上から目線で何やコイツ…って話になるのであんまりイケシャアシャアとそういうの書くのも感じ悪いかもしれないんですけど、僕は割と優等生だったので割と褒められ慣れているということもあり、褒められることで満足感を覚えたり承認欲求みたいなのが満たされるステージは卒業済みである、ってことと、それに付随して、他人から褒められるようなことは正直自分自身でも「良い」と納得してるというか既に他でもない自分自身が自ら肯定・満足していることが多いので、仮に何か賞賛されることがあっても「あ、どうも。でもまぁそれはもう今さらだから、何か改善すべき点があったらそっちを指摘してちょんまげ」とでも思うといいますか、とにかく過去の肯定なんぞより現状の問題点と未来への課題解決の方に重きを置くタイプ…とでもいう感じでしょうかね。

…って、我ながら、他人のことを添削マシーンとしか考えてない、クソ野郎やないけ!(笑)

もちろん、そんな「いわれんでも分かっとるわ!」みたいな鼻持ちならないゴミカスみたいなことを思ってるわけでは一切なく、肯定的な意見も本当にありがたい以外の何物でもないんですけど、「あえて比較するなら」ってやつですね。

あえて比べるなら、肯定意見より、間違いの指摘や否定的な観点からの批判などの方が、もらった場合、より一層ありがたいし嬉しくなる、って話でした。

…う~ん、何か、書かんでもいい余計な話だった気もしますが、「否定的な意見をより好む」ってのはカッコつけとか誇張ではなくマジなので、あえてグダグダ書いてみた感じです。


コメント続き、そう、「ノーといえない日本人」ってのもよくいわれて我々自身明らかに否応なく意識させられている気もする話ですけど、実際国民性として肯定を好むというのは間違いなくあると思いますし、僕は、それはやっぱり優しさの裏返しだとも思うんで、嫌いではない性質・むしろ誇ってもいい特質に思えちゃう部分でもありますかねぇ。
(ついさっき「否定を好む」とか書きましたが、繰り返しですが「肯定を嫌う」などとは決していっておらず、むしろ日本人的な「否定するぐらいならぼんやり肯定する」みたいな曖昧さはとても好きなのです。
 あぁ、否定されることは日本ではレアなことだからこそ、レア好きな僕はそっちをより好む、ってことがあるのかもしれませんね。)


実際何でもかんでも「Yes/Noをはっきりするようにしなさい」みたいなスタンスって、もちろんビジネスの場ではそれが重要なこともあるのかもしれませんが、現実世界では白黒はっきりつけられないシーンだっていくらでもあるじゃろうて、って思えてしまいますしね。

まぁもちろん僕が日本文化で育った日本人だから、身内贔屓でそう感じるのかもしれませんけど、人生はビジネスじゃねぇんだ、白黒はっきりしないものははっきりしないままでも全然いいと思うし、何でもかんでも自分の意見や立場をはっきりさせることが絶対にいいことだとは必ずしも限らねんじゃねぇかな、と感じる…って具合ですね。

 

あぁ、カタカナ、もし日本語を学習する立場であったら、確実に、「全部平仮名でいいやんけ!!」と思えるでしょうねぇ~。

しかし、実際カタカナがあることで日本語の表現の幅が2倍以上に広がっているのも事実といえますから、カタカナは偉大といえましょう。

(こんなもんあえて書くまでもないですが、例えば「片仮名は偉大。」という文ひとつとっても、「カタカナハ、イダイ―」とすればロボットが喋っているような無機質な印象を与えられるし、「かたかなはいだい!」と全部平仮名にするだけで、小さな子供が一生懸命喋っているかのような印象を与えられるという感じで、そういう微妙な差異で驚くほどの言外意図を込めることができる日本語は、本当に繊細で素晴らしい言語に感じます。)


…ってそうそう、さっきの「Yes/Noをはっきりさせない」うんぬんでも書こうと思ったんですけど、これは日本の国民性に加え、そもそも日本語という言語がハイコンテクストなものであることに大きく起因するんじゃないかな、とも思うのです。

まぁ「ハイコンテクスト/ローコンテクスト」というのは、言語ではなく文化に対して使われるものですが…

blogs.itmedia.co.jp

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上記記事より、とても分かりやすい画像を抜粋)

↑の記事なんかが非常によくまとめて下さっていますが、単一民族・単一言語である日本は、コミュニケーションで前提となる背景的なものがコミュニティ全体で極めて統一されており、言外の意図で何となく以心伝心全てが伝わってしまうような文化を指すのがこの「ハイコンテクスト」という語かと思うんですけど、個人的にはそれと同じく、日本語という言語自体が言外に色々なものを包含することのできるハイコンテクストな言葉になっているように感じるわけです。
(ひらがな・カタカナに限らず、ちょっとした語尾とか、微妙~な言い方書き方の違いとかに、心情を込めることが可能、みたいな点ですね。)

日本は文化や地政学的状況や言語などほとんど全てが恐らく世界一ハイコンテクストな仕様になっているので、だからこそ実際のコミュニケーションでは物事をはっきりさせることが不要とまでいえるぐらいになっており、いわゆる「空気を読む文化」「察する文化」が発達したという形なのでしょう。


一方欧米圏のローコンテクストな文化は、26字のアルファベットでは言外の意図を表すことなどおよそ不可能な難業であるため(もちろん、多民族国家が多く、共通見解が少ない、ってのもあるでしょう)、「自分の考えは、はっきりと言葉にして表さないと絶対に伝わらない!」ということが間違いなくありますから、本当にそういう文化の差が、国民性の差になってるだけに思えるんですよね。

やっぱり、個人的には、どっちがいい悪いではない(単なる文化の差)ように思います。


当然、ビジネスの場でははっきり意思や条件を伝える必要はあるわけですけど、上述の通り人生にはビジネス以外にもっと大切なことがいくらでもあるわけで、そういう部分では、我々他人の気持ちや考えを驚くほど察知できるタイプの方が優れているといえる面も多分にあるのではないかなぁ、という感じですね。


もちろん、日本にも「察する文化」が嫌いというか合わない人も大勢いらっしゃって(悪くいうわけではないんですが、やっぱり一番顕著なのは、こないだの記事でも触れていた自閉スペクトラムの方とかが代表的でしょうか)、そういう方は、欧米的なローコンテクスト文化の方が確実に肌に合っている、ってのはあるかもしれませんね。

そう、良い悪い・優れている劣っているではなく、合う・合わないということに尽きるんじゃないかな、と思えますね、この辺の話は。

 

…と、国民性・文化の浅い話でかなり長くなりましたが、コメント進めてレディファについて……

へぇ~、やっぱり、「基本的には何でも自分でやる」という立場の方であっても、徹底して(かつ自然な?)レディーファーストがなされれば、受ける立場としては悪い気にはならないものって感じなんですねぇ~。

とにかく、やる側としたらやっぱり押し付けがましくなるのが怖いってのもあるので、その辺自然にできるようになりたいものです。

 

続いてはマスク、冬はともかく、夏はやっぱり日本の気候だと命に関わるので、永久常時マスクは流石にならないんじゃないかなぁ、って気がしますが、どうなるでしょうかねぇ。

もしかしたら、マスクが下着同然になり、口を見るとドキドキするように人類が進化するのでは…?なんてこともまことしやかにいわれていますが、僕は絶対にならないと思いますね(笑)。

でもまぁ、そうなる人もいるのかな、って気はするので、まさに時代の転換点になっているのかもしれません。

 

一方、鼻について一つ浮かんだネタがあったので紹介してみますと、僕は個人的にはやっぱり最も印象を与えるパーツは目でしょ、って思うクチなんですけど、しかし、以前ネットで話題になってたこの画像(↓)とかを見ると、「あ、結構そうでもないんだね」と思わず納得してしまったものでした。

まぁ、ルッキズムの極致ともいえる話ですし、ちょっとアレなネタかもですが、せっかくなので画像だけ紹介してみると……

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https://highfashionmens.com/archives/16008994.htmlより

まぁどちらがいいとかそういう良し悪しは論じませんけど、少なくとも、「あっ、本当に下半分を変えるだけで(むしろその方が)ガラッと印象が変わるんだね!」というのはとても意外な驚きでした。

それでもやっぱり鼻というより輪郭なのかな、って気がしますが、これまたネットネタで「マスクしてると全員美人に/カッコよく見える」って意見もよく目にしますし、案外僕が思うよりも顔の下半分というのは周りに与える印象に寄与している、って感じなのかもしれませんね。

 

最後、歌は、例の「エントロピー下げちゃっていいかな?」の、1つ上のめちゃんこ優秀な先輩と、歓迎会的なものの後で大勢でカラオケとかいったこともあったんですけど、その先輩の歌がビックリするぐらいめっちゃ下手で、あぁ、あんな面白くて優秀で完璧そうな人なのに、ダメな点もあるんだぁ、と思った記憶もあるなど(同じ学年の友達に、「エントロさんの歌、めっちゃ下手で意外だったね」と帰り道コソッといったら、その友人は人のことを悪くいわないめちゃんこいい人なんですけど「そりゃ誰でも苦手なことの1つや2つあるだろ」と、「下手だ」という事実は決して否定しなかったので(笑)、確かに誰が聞いても納得の下手さはあったように思われます(笑))、割と下手な人も、やっぱ案外いる気がしちゃいますねぇ。

かくいう僕も、プロ歌手みたいな高音は出せませんし、聞くに堪えないレベルではない(と思いたい)ですが、まぁ「上手い!」ってこたぁない感じですしねぇ。

ま、普通のアメリカ人が歌うところなんてそもそもそんな聞いたことないですし、やっぱりカラオケが身近な分、日本人の平均歌唱力が高いのは間違いないのかもしれませんね…!

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