青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その20:全て和モノ!

ついに作品も後半戦に突入です。

とは言ってももちろん連載中はこの時点でちょうど半分を消化したなんて分かりませんでしたし、リアルタイムで連載に触れていた立場としては、まさに新刊が大変楽しみだったことを思い出します。

 

今回のセクションは、杉本家姉・和佐さんの(ほんの少しの登場ですが)台詞からのタイトルですね。

英語版3巻の表紙は既に以前、一番最初に画像を使わせてもらっていたので(かしまし三人娘の、あのナイス表紙です)、今回は幸いお試し読みの範囲に含まれていた、その和佐ちゃんによる件の台詞のコマのページを抜粋させていただきましょう。

英語版3巻10ページ1コマ目「今年は和モノなのね」、https://www.amazon.com/dp/1421593009/より

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第20回:115ページから119ページまで)

第三巻への覚え書き

全て和モノ

本題(要するに『鹿鳴館』)に入る前に、藤が谷演劇祭で上演される他の題目について少しばかり考える時間を取らせていただきたい。まず第一に注目すべきは(和佐もチラシを読みながら語っているように)、全ての演目が日本の題材を扱った和モノであることであろう(『青い花』(5) p. 8/SBF, 3:10)。

 これは、(以前の節で触れていたように)「(舞台解釈の)超越さを仄めかす内容は最小限に抑えるように設計されている…(中略)…現代日本から時間と場所を隔離し、それゆえ現代日本社会への直接的批判を避けた作品」であると思われた前年度の演目とは対照的なものである。この年の作品はどれも、現代の日本を舞台にしてるわけではないが、『鹿鳴館』のような演目は『嵐が丘』よりも現代日本社会に関連していることは間違いない。

 他の二作品はどうだろうか?『竹取物語』(The Bamboo Cutter) は、『かぐや姫の物語』(The Tale of Princess Kaguya) としても知られる、千年以上前の日本の昔話が原作となる、子供のいない老夫婦が竹の茎の中に赤ん坊を発見し、自分たちの子供として育てる物語である。かぐや姫は成長するにつれ、皇子をはじめとする求婚者に悩まされるが、全て断り、やがて月の民が迎えに来て、生まれ故郷へと戻る。

 『竹取物語』は、一見、小学生にふさわしい可愛らしい物語に見える。しかし、キャロライン・ツァオが指摘するように、この物語は、娘の結婚を通して自分の社会的地位を追い求める「家父長的強迫観念」に駆られた父親を暗に批判しているとも解釈することができる。「もし、かぐや姫の父親が、かぐや姫の明らかに分かる心痛を見過ごしたりせず、あるいはかぐや姫の幸福に対し出しゃばった真似をしたりしなければ、きっとかぐや姫はこの地球上で幸せに暮らしていただろう…(中略)…妻にしようとかぐや姫を追い求める男たちの欲から逃れて。」*1

 『伊豆の踊子』(The Izu Dancer) は、日本の有名な作家、川端康成が1926年に発表した短編小説を原作とする、より現代的な物語である。欧米では『The Dancing Girl of Izu』としてより知られているこの物語は、1968年のノーベル文学賞受賞につながった、川端康成初期の傑作である。

 『伊豆の踊子』は、エドワード・サイデンステッカー*2、後にJ・マーティン・ホルマンによって英訳されている*3。(ホルマン訳の方が日本語に忠実だと言われているが、英語としてはサイデンステッカー訳の方が読みやすいと思う)。Wikipedia記事では、この物語は「若かりし頃の恋愛を叙情的に、かつ哀愁的に描いた作品」と評されているが、西洋人である私の目には、少しばかり不気味に映る。

 なぜそう思うのだろうか?要約された筋書きを見てみよう(Answers.comの匿名投稿者より):「語り手である19歳の青年は、東京の上流階級の学校から休暇でやってきた内省的な学生であり、…(中略)…旅芸人一座の若い踊り子に出会い、夢中になる。最初は漠然としたエロティックな魅力を感じていた。しかし、公衆浴場で彼女の裸を見たとき、彼女がまだ(13歳の)子供であり、純粋無垢であることに気が付く。このことで、彼女に対する感情が、兄のような愛すべき保護者的なものに変わる。彼は一家に受け入れられ、親しくなる。…(中略)…最終的に、青年と小さな踊り子は、また会うという約束を交わして別れる。しかし、我々読者は、この青年が悟っているように、それが決して起こらないことを理解している;人生における甘く優しい瞬間は過ぎ去り、彼らの感じている愛は成就不可能なものなのだ。」*4

 (サイデンステッカー版では青年の年齢が19歳、少女の年齢が13歳だが、ホルマン版では20歳、14歳とされている。これは、生まれたときから1歳で、正月に1歳ずつ年齢が上がるという日本の古い制度に従って書かれた年齢を、ホルマンが文字通りに翻訳しているからだと思われる。)

 一方、評論家マーク・モリスによる、この物語は「浄化、純化に関するものであり、…(中略)…大人の女性の性欲を消し去り、処女性という存在し得ない白い空洞でそれを置き換えることによって、解放、いわば歓喜にも近い衝動を生み出す叙事的なビジョン」を有するものだという意見に同意することもできなくはなく、価値ある文学作品とみなすこともできる*5。一方、純粋無垢であることが崇拝される、思春期前のいわゆる「俺の嫁」(waifu) が登場する多くのアニメや漫画に親しんでいる人たちにとっては、この物語は少し受け入れがたいかもしれない。

 では、なぜ『伊豆の踊子』は、少なくとも六本の映画、三本のテレビドラマが制作され、そして(『青い花』では)堅苦しい女子校の中学生が演じるにふさわしいとみなされるような舞台化作品にまでなることができたのだろうか?中には、踊り子の少女の年齢を吊り上げることで、筋書きの暗示する所をすり替えているような脚色もある。例えば、1933年のサイレント映画版では、少女の年齢は語られないが、24歳の主演女優である田中絹代が未成年と見間違われることはまずないであろう*6

 藤が谷での演劇が恐らくそうであるように、他の脚色では青年の年齢を引き下げている。アニメ版セーラームーンを見ている多くの人が、13歳の月野うさぎに大学生の彼氏がいることを気にしていないように、これは、気にしない人もいるかもしれない。

 それよりも興味深い質問としては、志村貴子は気にしているのだろうか、という点があろう。これは、私には知る由もない。がしかし、これまで何度も書いてきたように、『青い花』は、年齢やその他の面で不平等な者同士の関係(千津とふみ、恭己とふみ、康と京子)よりも、対等な者同士の関係(あきらとふみ、織江と日向子)を暗黙的に支持しているように思われるのである。そういう視点から、志村が『伊豆の踊子』を引用したのは、若い少女と年上の男性に関して、現代の日本社会が今なおいくつかの問題を抱え続けていることを微かに仄めかしているのではないか、という私の解釈に、ご理解の程を示していただければ幸いに思う。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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今回は藤が谷の演劇題目についての話でしたか。

そもそも和佐ちゃんの台詞の「和モノ」ですが、「洋モノ・和モノ」と特にカタカナで書いてしまいますと、これはやはり若干そっち系の意味になる気もしちゃうな…と僕なんぞは思えてしまったわけでございますけど、それは変態紳士の勘違いではなく、何と、辞書にもその旨が記載されている話で、笑っちゃいました。

www.weblio.jp

特に「洋モノ」と書くときは西洋人が出演しているアダルトビデオなどを指すことが多い。対義語としては「和モノ」がある。


まぁだからどうしたという話ではないんですけど(笑)、今回は竹取と伊豆ですね。

僕は演劇部にも詳しくないですけど、まぁこの辺の作品は定番っちゃ定番だと思うので、志村さんもぶっちゃけ正直そこまで何か言外の意図をもって選んだわけでもないんちゃうかな、って気もするものの、こういった名作に対する海外の方の視点を通した意見(Frankさんの、青い花の作品自体への関連性における考察含め)というのはやはり大変面白い限りです。


竹取物語の方は、中学の国語で「竹取の翁(おきな)」という言葉が実に印象的な感じな、古文の入門として触れたのを覚えてますし、それがなくても流石にかぐや姫ぐらいはあらすじなら日本人全員が知ってる話だと思いますけど、国語の教科書なんて結構ハショってますし、そういえばちゃんと読んだことはなかったなぁ、って気がしてきました。

ジブリかぐや姫も見たことがなく、アゴが話題になっていたことぐらいしか知らない体たらくですからね…(笑)。

ghibli.jpn.org
でもまぁ話の流れは誰でも知ってますし、小学生がお遊戯会で演じるのとかは、微笑ましくて大変よろしいのではないかと思います。

 

一方、伊豆の踊子の方は、これも三島作品同様、僕は全くもって中身には「伊豆の踊り子と出会った」以上のものを存じ上げなかった次第です。

軽く調べてみたら、記事内にあった海外サイトのあらすじ要約にもありましたけど、踊り子の薫ちゃんが、川向いの露天風呂で主人公の水原青年の姿を見つけて、素っ裸のまま無邪気に手を振ってくるというのが極めて印象的なシーンかつ物議を醸しかねない場面として取り上げられていましたけれども、流石に映像作品ではそういう場面はカットせざるを得ない感じでしょうか…。


おっ、しかし、1933年のサイレント映画版、脚注で、Youtube動画が引用されているではありませんか!

「未成年にはまず見えない」と評されていた田中絹代さんがどんな具合なのかをチェックすべく、我々一向はYoutube動画へと旅立ったのであった……

www.youtube.com
…まま、ほぼほぼ白黒映画で、でも1933年にしては画質も驚くほど良い気もしますけど、え、絹代さん、結構若々しく見える気もしちゃうものの、どうでしょうね?

Wikipediaにも画像がありましたが…

ja.wikipedia.org

普通に今でも通用しそうな、かつ十代といわれても十分納得できそうな、大層麗しいお姿じゃあありませんか。


別にそんなに気になるわけではないんですけど(笑)、例の手を振るシーン、映像の中にないのかな…と思ってYoutubeを2倍速で5秒早送り(2倍なので10秒スキップ)連打してバァーッと見させていただきましたが、苦労の甲斐もむなしく、残念ながら該当シーンは見当たりませんでした(笑)。

まぁそれっぽいのは32分頃にありましたけど、やはり当時の映画でそんなのを映すのはご法度だったということでしょうか、着物を籠に投げるぐらいのシーンのみでしたね。

いやぁ~、Youtubeでも芸術として認められるであろう、歴史的資料をこの目で見てみたかったのに、これは残念…!もし収められていれば、芸術・歴史的資料だったのになぁ~。


…と、和モノという言い回しがどうだの、芸術と称して裸を血眼になって追い求めるだの、今回はいつも以上に男子中学生みたいなクソムーブに終始してしまいましたが(笑)、真面目な話として、自国を代表するノーベル賞作家の代表作は、やはりぜひ原版の小説をいつか読んでおきたい限りですね。

(川端さんも、もう歴史上の人物という印象でしたが、逝去されたのは1972年のことであり、何と吉屋さんの3つ年下(鬼籍入りは1年前)ということで、青空文庫などではまだまだお目にかかることはできない形のようです。
 しっかり製本されたものを手に取り、いつかきちんと蔵書に収めておきたい次第です(…って、普通に実家とかにあった気もしますが…)。)

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*1:Caroline Cao, “The Patriarchal Pains ofWomanhood in the Films of Studio Ghibli’s Isao Takahata,” Anime Feminist, January 25, 2019, https://www.animefeminist.com/feature-the-patriarchal-pains-of-womanhood-in-the-films-of-studio-ghiblis-isao-takahata

*2:Yasunari Kawabata, “The Izu Dancer,” trans. Edward Seidensticker, in The Izu Dancer, and Other Stories, Yasunari Kawabata and Yasushi Inoue, trans. Edward Seidensticker and Leon Picon (Tokyo: Tuttle, 2011). Kindle.

*3:Yasunari Kawabata, “The Dancing Girl of Izu,” in The Dancing Girl of Izu, and Other Stories, 3–33, trans. J. Martin Holman (Washington, DC: Counterpoint, 1998).

*4:“What Is a Plot Summary of The Izu dancer’?,” Answers.com, accessed November 28, 2019, https://www.answers.com/Q/What_is_a_plot_summary_of_The_Izu_dancer

*5:Mark Morris, “Orphans,” review of The Dancing Girl of Izu, and Other Stories, by Yasunari Kawabata, trans. J. Martin Holman, New York Times, October 12, 1997, https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/books/97/10/12/reviews/971012.12morrist.html

*6:The Dancing Girl of Izu, directed by Heinosuke Gosho (Shochiku, 1933), 1 hr., 32 min., https://www.youtube.com/watch?v=yd36RJ0nzdM