青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その19:大人の悩み・そんな感じの…

今回で英語版2巻=日本語版4巻までの考察を終える感じで、物語的には半分の折り返し地点ですね。

今回触れるセクションのサブタイトルは、特にFrankさんからの補足はなかったんですけど、やや曖昧な感じでどんな訳がいいか迷ったものの(作中にも登場しないようですし、そもそもタイトルの意味そのもの自体も曖昧)、漠然とそれっぽくしておきましょう。


画像は、日本語版のAmazon無料お試し読みの範囲から(英語版の場合、日本語版偶数巻冒頭にあるカラーページは途中部分にあたるため、お試し読みにないのが残念です)、前回登場・みんな大好き大野の春ちゃんによるキャラ紹介の箇所を拝借させていただきましょう。

今回の考察前半の主役もしっかり触れられていますね!

日本語版4巻・人物紹介ページ、https://www.amazon.co.jp/dp/B00GBLFSC2/より

 

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第19回:109ページから113ページまで)

大人の悩み

先ほど、志村は「個人主義と平等性に基づく新しい百合のモデル」を提唱していると推測し、『青い花』の世界ではふみだけが唯一の例ではない、どころか最初の例ですらないと述べていた。私が考えていたのは、具体的には山科日向子と大野織江のことであったのだ。

 織江と日向子は、(当初紹介していたように)英語版第一巻の最後の方に、杉本姿子の後輩として登場し、やがて恋に落ちる(『青い花』(2) pp. 183-5/SBF, 1:379-81 )。以前の節で私は、「織江と日向子のそれは、対等な関係であると思われる」と書き、従来のエスや百合のパターンで課されがちな「拘束衣を脱ぎ捨てる」のではないかと推察した。

 その推察は英語版第二巻の後半で裏付けられ、織江と日向子は一人前の大人として(おまけに、苗字つきで)物語に再登場する。山科日向子はあきらの2年生のクラスの担任教師、そして大野織江は1年生(そしてあきらやふみの友人でもある)大野春花の姉である。この二人の(再)登場は、いくつかの点で非常に重要である:

 まず第一に、織江と日向子は、従来の女子学生百合物語では存在しないはずのグループ、つまり、卒業後も大人の女性同士の関係を持ち続けている大人の女性として描かれているという点だ。この二人の存在は、「その関係は一時的なものだ」という考えや、少女から女性になった者は皆、最終的に一般的な異性愛者の理想に従わなければならないという考えを覆すものである。

 第二に、日向子は、女の子に惹かれる他の学生にとって、自分たちが孤独でも異常でもないことを再確認させてくれるロールモデルになっている点がある。英語版第二巻の中盤にあるサイドストーリー「織江さんと日向子さん」では、河久保(苗字のみの言及)が日向子と話し、女の子が好きな自分を「病気」だと親が思っていることを訴える。その話を聞いた日向子は、自分も「女の人を好きになった」ことがあるかの問いかけに対し、肯定する(今も好きであることは伏せているが)(『青い花』(3) pp. 165-70/SBF, 2:165-70)。

 ここで少し立ち止まって、『青い花』について以前述べたことを再確認しておきたい。河久保は日向子が自分の気持ちに応えてくれるよう頑張るが、日向子は冷静に突き放す:「私は生徒と恋人になる気はないわよ」と。この反応は、以前、各務先生が恭己の誘いを断ったことと共鳴するものがある。この行為は、単に日向子や各務先生側の警戒心とか、生徒と教師の関係が不健全であるとかいった教師側からの気持ちによるものではなく、それ以上のものを反映しているのではないかと、私は思う。

 私の考えでは、それは、『青い花』で繰り返し描かれる、年齢や地位、権力の差によって特徴付けられる関係より、対等な関係の方が優れているという構図と一致しているように思えるのだ―吉屋信子や『マリア様がみてる』の両者によって推奨されている、年上の女性(または吉屋の場合、教師も含む)との関係が、少女の正しい社会性や感情の発達に不可欠だという考え方を、明らかに否定しているのである。

 最後に、日向子と織江が大人であり、大人の悩みを抱えているという事実は、ふわっとしたファンタジーが多いこのジャンルに、現実味を与えている。あきらは、クラスメイトの話を聞きながら、ふみの気持ちに報いることがもたらす結果について心配していることが分かる(『青い花』(4) pp. 24-8/SBF, 2:204-8)。しかし、織江と日向子にとっては、もっと大きな賭けのようなものなのだ。

 結婚を望まない織江は、両親との確執を生み、母親は心を痛めている(『青い花』(4) p. 149/SBF, 2:329)。日向子は、生徒の間で流れた噂が学校管理者の知る所となり、それが立証された場合、職を失う危険性があると推測される。その意味で、日向子が河久保に認めたことは、たとえ過去形であったとしても、とりわけ危険なことといえよう。拒絶された河久保が、日向子に反旗を翻し、復讐を追い求めたとしたら、一体どうなるであろうか?

 日向子と織江の存在によって、『青い花』が大人の百合作品になるわけではない。あくまで主題は、ふみとあきらの関係の芽生えである。しかし、『青い花』は依然として「女子学生百合」の一例ではあるが、大人としか言いようのない問題を抱えつつある女子学生百合と表現しても、過言ではないのではなかろうか。

 

そんな感じのもの

第二巻の終わりまで来て、まだふみとあきらの進展についてあまり語っていない。善後策として、この巻をまとめるにあたり、最後のコメントとして触れるとしよう。

 多くの女子学生百合の関係がそうであるように、ふみとあきらの関係も比較的ゆっくりと進行するものであり、全巻を通して重要な発展は三つだけである。

 一つ目は、ふみによる恭己の拒絶だ。恭己との関係は、ふみのレズビアンとしてのアイデンティティを確固たるものにした(読者にとってだけでなく、ふみ自身にとってもそう思う)。同時に、この関係の終わりとその後の気持ちの回復によって、彼女はあきらに対する感情を(再び)燃え上がらせることになる(『青い花』(1) pp. 88-92、135-40、(2) pp. 137-9/SBF, 1:88-92, 1:135-40, 1:333-35)。

 このことが次の重要な展開、ふみがあきらに、「初恋の人」はあきらだったと告げた所に直結する(『青い花』(3) pp. 138-41/SBF, 2:138-41)。この告白がはっきりしたものではなかったため、あきらとふみの双方に釈然としないものを残す:あきらは、現在のふみが自分に対してどのような感情を抱いているのか、正確に把握することができない。また、ふみに対する自分の気持ち(あるいは自分の気持ちの欠如)、そして少女同士の関係に対するより一般的な気持ちの両方を疑っているのだ。

 一方その間、ふみはあきらの気持ちについて悩み苦しみ、あきらと澤乃井康との間に何かがあるのではないか、と邪推して迷い込んでしまうほどである。恭己を拒絶したときに表したような自信を取り戻そうと、もがいているわけだ。

 このことは、ふみが藤が谷演劇部の『鹿鳴館』のキャストとして参加しようとして、結局上手くいかなかった場面からも見て取れる(『青い花』(4) pp. 99-106、128-30/SBF, 2:279-86, 2:308-10)。ふみが、自分の不甲斐なさや適性のなさを自覚しながらも、なぜ積極的にこのような行動に出ているのかは不明である。また、大野春花には、「たぶん 見返したかったんだと思うの」(「彼女」とは恭己のこと。※訳注:英語版の台詞では「『彼女を』見返したかった」と言及されている)と言うが、ここでのふみの発言は一体何を意味していたのだろうか?((4) p. 136/2:316)

 恐らくふみは、恭己の自然と溢れ出る自信、つまりふみを最初に振り向かせた態度を真似たかったのであろう。劇内で清原という役(脇役でありながら大役)を務めることで、『嵐が丘』の恭己と同じような立場に身を置けるといえる。あきらも出演しているのだから、恭己が前年に藤が谷の少女たちに感銘を与えたように、彼女を感化する機会はいくらでもあるはずだ。

 しかし、最終的にふみが出した結論は、自分には恭己のような役割を演じる能力はないし、ましてや「恭己を見返す」なんてことはできない、というものだった。「杉本先輩みたいな人ならわかるんですが……私 あの まあ あんなんですし…」(『青い花』(4) p. 128/SBF, 2:308)。ふみは劇から離れることで、その重荷から解放される。そして、春花に伝えた答への不満と相まって、三番目、そして最後の重要な展開へとつながっていくのである:それこそがふみのあきらへの告白であり、基本的にこれでこの巻は完結する((4) p. 155/2:335)。(鎌倉駅でのラストシーンはまだ結論が出ていない。)

 という所で、英語版第二巻も終わりを迎えた今、事態はどうなっているのであろうか?読者は既にキス(恭己とふみ)を見たし、告白もあった。典型的な女子学生百合作品であれば、告白とキスとでクライマックスを迎え、読者はもう成功と判断して次のものへ取り掛かる準備はバッチリだともいえるだろう。しかし、本作はまだ二巻も残っているのだ。

 ふみの立場からすれば、比較的分かりやすい展開になっている:自分が何者か(女性が好きな女性)を理解しているし、何が欲しいか(あきらとの精神的・肉体的関係の両方)も分かっているし、そして、あきらにそれを求めることをやってのけたのだ。続く巻では、ふみが自分の望みを叶えられるかどうかが大きなサスペンスとなることであろう。

 あきらについては、まだアセクシャルであり、(ほとんど)アロマンチックであると読めるため、ふみとそういう関係になれるかどうか、ましてやその気があるのかどうかさえ、今なお疑問である。しかし、考慮し得る点はいくつかある。

 まず第一に、あきらは少女同士が関係を持つことに対し嫌悪感を抱いているわけではないということ。あきらは、ふみに自分のことを質問してみて、それが自分の勘違いであって、ふみは特に自分には興味がないことが判明してしまったら恥ずかしい、という点を恐れているようだ(『青い花』(4) p. 41/SBF, 2:221)。概ねやや混乱してしまい、どう考えればいいかが不確かになってしまっているようである((4) pp. 39-40/2:219-20)。

 第二に、あきらが男の子や男性に興味がないことも明白であろう。澤乃井康があきらにどの程度の興味を持っていたのであれ、あきらは彼への気持ちが一切存在しなかったのは明らかだ―仮に嫉妬でふみのこめかみが痛くなることがあったとしても、あきらと康の関係に対するふみの不安は、やや非現実的なものになるといえる(『青い花』(3) p. 156/SBF, 2:156)。

 最後に、あきらは、一部の女子に対し、何らかの反応が掻き立たせられることもある、ということが仄めかされている。最初の例は、英語版第一巻の恭己であった(「ふみちゃんじゃなくてもけっこーヤバイわ……危険な先輩だ」)(『青い花』(2) p. 38/SBF, 1:234)。二例目としては、議論の余地はあるものの恐らく、英語版第二巻でふみと良子が隣同士で立っているのを見たとき(「なんでか 上田さんとふみちゃんの並びにどきっとした」)、および良子の「キーホルダー」発言への反応であろう(『青い花』(4) pp. 96、32-3/2:276、2:212-13)。三人とも背が高く、ふみと良子は長い髪であることを鑑みると、あきらには「タイプ」があるのではないかと考えても無理からぬ話ではなかろうか。もしそうだとしたら、ふみはそれにぴったりと当てはまる。

 あきらとふみはこれからどうなっていくのだろうか?それが、最後の二巻で解かれていく、最大の問題である。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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ついにヒナちゃん先生にも苗字が付き(というか本編にも登場してきて)、更には淡島百景にも登場する上田良子さんも出てきて、これで登場人物はほぼ全員出揃った……というのもネタバレかもしれませんが、まぁ青い花を全く読んだことが無いのにこの記事を読んでいる人もまずいらっしゃらないと思うので、まぁネタバレうんぬんはさほど問題ないでしょうか(笑)。


いやぁ~、織江さんと日向子さんも、いい関係なんですよねぇ~。

お二人の生活風景もたまに出てくるわけですが、僕の場合、「俺も混ぜてよ(笑)」ムーブをかましたくなるゴミカス百合作品読者なので、多くは語らないようにいたしましょう(笑)。


実際言われてみれば、この物語を考察する上で、彼女らの存在は非常に大きいといえそうですね。


ついに次回からは日本語版の5巻から以降ということで、ますます物語も佳境に入り、考察も熱を帯びていきそうです。

続きも楽しみに読ませていただきたく存じます。


あ、最初に画像にも貼った人物紹介で触れられていた上田良子さんの名前について……英語版の方にも「私の名前でググってみてね」などと書いてありましたが、流石に漢字がないと厳しいのではないか…と思えたので、そちらの意味に触れておくとしましょう。

こちら「上田良子」さんのお名前は、漢字でこう書くわけですが、岐阜県恵那市に、全く同じ名前のバス停があるそうです。

nakatsuena.seesaa.net
ただしこちらは「うえだりょうこさん邸前」ということではなく、地名である「田良子(たらこ)」地区の上部にあるということで「上・田良子」という大変に面白いネタだったということですね。

(リンク先にもある通り、「下田良子」というバス停もあるようです。)


複数作品にまたがって登場する上田さん、恐らく志村さんも結構気に入ってらっしゃるキャラなのではないかと勝手に推測しますが、名前も中々に奥が深かった、という話でした…!

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