青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その13:井汲京子の憂鬱・宝塚タイム

内容の区切り的に、今回2セクション、次回3セクションで、英語版第一巻パートを終えるといたしましょう。

今回もタイトルに関する補足をいただいていました。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"The melancholy of Kyoko Ikumi":これは(言うまでもなく、当然)ライトノベルシリーズ『涼宮ハルヒの憂鬱』のタイトルをベースとしている。邦題をそのまま、京子の名前に置き換えてもらえればよいだろう。


"Takarazuka Time":これは単に、「宝塚歌劇を思い出させるような時間だ」という意味合いである。

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今回のタイトルは大変分かりやすいですね。

ただ、メランコリー/メランコリックという単語は、日本語だと「憂鬱」より「物思いにふけている」という意味合いの方が強い気がします。

とはいえ今回のはハルヒに則っているということですし、実際井汲さんの場合「憂鬱」というよりやっぱり「物悲しげ」「憂いがある」の方が合ってる気もしますけど、でもやっぱよぉ考えたら「憂鬱」も、案外、オレの京子にはふさわしい感じといえるかもしれません。


第一巻の残り2回のトップ絵は、お試し読み内にあるカラーページを抜粋させていただきましょう。

英語版1巻・内カバー、https://www.amazon.com/dp/1421592983/より

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第13回:73ページから77ページまで)

井汲京子の憂鬱

別の物語であれば、井汲京子が主人公となるだろう。彼女のこれまでの人生は、エスや初期の百合作品に多く見られるような軌跡を辿っている:年上の男性とのお見合い結婚が決まっているようだがその男性にはほとんど気持ちがなく、年上の少女に片思いをし、その相手からはっきりとした拒絶を受ける。もしこれが伝統的なストーリーであれば、彼女の余生が短く不幸か、長く不幸かということだけがサスペンスになるだろう。

 しかし、『青い花』の主人公は京子ではない。このことが、本作がどのようなお話であるかを物語っている:エリカ・フリードマンが評したように、「新しい世代のためのエス」なのだ*1。その新しい世代というのは恐らく、フリードマンが別の文脈で、1989年に天皇陛下裕仁崩御し、昭和が終わった後に生まれた「平成ガール」と呼んでいる、あきらや(特に)ふみをよりピンポイントで指しているのであろう*2

 では、『青い花』ではなぜ、京子が(この第一巻では杉本恭己と同じくらい)大きく取り上げられているのだろうか?一つには、彼女があきらの友人であり、クラスメートであり、藤が谷女学院という新しい世界で生きていく上での道しるべとなる存在だからという点がある。京子があきらに語ったように、京子の家系は小学校からずっと藤が谷に通っているのである(青い花 (2) p. 91/SBF, 1:287)。

 また、京子は、恭己の愛情をめぐってふみのライバル(となるべき)的な存在であると同時に、最終的には苦楽を共にする存在でもある(青い花 (2) pp. 179-80/SBF, 1:375-76)。恭己については後で詳しく述べるが、明らかに京子の見え透いた「かまってちゃん」の性格と恭己自身の問題が、二人の間に真の関係が生まれる可能性を失わせたのである。

 京子はこれからどこへ向かうのだろうか?テーマ的には、ふみが未来を象徴するように、京子は過去を象徴する運命にあると思われる。個人的には、彼女にはまだ澤乃井康が控えているし、おそらく彼らの関係は(現状、張り詰めた状態にはあるが)、多くのエス主人公に訪れる不幸な運命から逃れるための、彼女自身の最良の希望なのかもしれない。

 

宝塚タイム

高校を舞台にした漫画やアニメの定番、文化祭の季節がやってきた。しかし、この文化祭のポイントは、文化祭そのものではなく、藤が谷演劇部が行う演劇にある(※訳注:実際に、藤が谷で開かれるのは、文化祭ではなく演劇祭だと思われる)。

 志村貴子の作品に頻繁に登場する要素に「学祭劇」がある。演劇は、いうなればドラマの源泉であると同時に、それ以上に、登場人物たちが自分のありたい姿になりきったり、他人に自分がどう認識されのるかを示したりするために使われる。例えば、『放浪息子』の「ロミオとジュリエット」では、修一がジュリエット役になりきっている(実際はなれなかったが)姿が描かれていることを思い起こしてほしい*3

 松岡の演劇部とは違い(ふみの友人三人しか所属していない)、藤が谷の演劇部は長い歴史を持つクラブで、少なくとも数十人の生徒が所属している(「うちの学校 マジですごいよ」とあきらはふみに言う)。藤が谷では三つの年代課程がそれぞれ作品を発表している:『星の王子さま(Little Prince)』(初等部)、『若草物語(Little Women)』(中等部)、そして『嵐が丘』(高等部)だ。前二者はタイトルだけでも面白いのだが(後述するように、ここでは「王子」と「小女」がテーマになっている)、メインは『嵐が丘』である(青い花 (1) p. 74/SBF, 1:74)。

 この劇と、ヒースクリフの男役に杉本恭己を起用したことは、20世紀初頭(エスジャンルが誕生・普及したのと同じ時期)に結成された女性だけの音楽劇団である宝塚歌劇団を想起させるものである。志村は、読者がこの関係を確実に理解できるように、登場人物に二度にわたって明確に歌劇団について言及させている(青い花 (1) p. 55、(2) p. 45/SBF, 1:55, 1:241)*4

 日本の大衆文化における宝塚歌劇のイメージは多面的で曖昧さが入り乱れており、歌劇をして「ジェンダーの構築とパフォーマンスに関する激しい議論の焦点」せしめている*5宝塚歌劇は、女性が娯楽や教育のために男性の役割を演じるという考え方と、女性が自分の芯となるアイデンティティの一部としてステレオタイプな男性的行動(女性を恋愛や性的パートナーとして持つことを含む)を取るという考え方の間の、張り詰めた緊張状態を体現しているのである。

 宝塚歌劇団は新規事業として設立され(観光振興と鉄道旅券の販売。※訳注:宝塚は阪急電鉄の一部門である)、現在もそうである。宝塚は大衆の理想と、社会における男女の適切な役割を規定する政府の政策の両方に適合するように動機づけられたものであり、今なおその理念を持つ。その理論とは、「男性を演じることによって、女性は男性と男性心理を理解することを学び、(そうして)やがて舞台を退いて結婚したとき…(中略)…夫が自分に何を期待しているかを知り、『良妻賢母』の役をより良く全うすることができるようになる」というものであった*6

 しかし、同時に、主に女性から成る観客にとっての宝塚の魅力は、女性が社会的にも性的にも非女性的な振る舞いをするのを見ることにある:「年齢、階級、教育レベルを問わず、女性ファンは舞台上の男性を見るのではなく、授かった女性らしさの枠を超越した女性の肉体を賛美するのである」*7

 このような緊張と矛盾に満ちた女性の居場所の歴史は、『青い花』でも再現されている。伝統的な教育機関である藤が谷の使命は、日本社会における女性の「正しい」居場所を用意することにある。『嵐が丘』をはじめとするその他の演劇は、社会的に認められた娯楽であり、生徒とその親に適した教育効果をもたらすことを目的としている。そのため、上述した超越さを仄めかす内容は最小限に抑えるように設計されているのだ。

 その戦略の大部分は、現代日本から時間と場所を隔離し、それゆえ現代日本社会への直接的批判を避けた作品によって実現される:18世紀末から19世紀初頭のイギリスを舞台にした『嵐が丘』、19世紀半ばのアメリカを舞台にした『若草物語』、フランスの影響を受けたSF的設定の『星の王子さま』などだ。(18世紀末のフランスを舞台にした『ベルサイユのばら』で最も顕著なように、外国の歴史的背景を持つ宝塚作品はよくある。)

 しかし、藤が谷の「公式」な意図とは裏腹に、この女子劇は非公式に宝塚と同様の反応を引き起こす:ヒースクリフに扮した恭己の華やかなポーズのポスターに生徒たちはキャーキャーと声を上げ、「ヒースクリフ」と「キャサリン」のロマンチックなポーズの写真を撮って交換したり、二人がキスするのかどうかを推測して盛り上がったりするのだ(青い花 (2) pp. 14-15/SBF, 1:210-11)。

 前章で取り上げたエス関係と同様に、藤が谷演劇のこの側面は、学内では普遍的に知られ、議論されているが、公式に認められることはなく、ましてや、受け入れられたり、支持されたりすることはない。志村は、物語のプロットを推進し、テーマを強調するための装置として劇を愛用しているので、『青い花』の今後の巻でも、間違いなく劇を目にすることになるであろう。これらの学校演劇が、宝塚の標準テンプレートにとらわれずにいくのか、またどのような演出がなされていくのか、実に興味深い。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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は~~ オレの京子……。

(…というのは、作中の、見事京子と一緒に写真を撮ることに成功した後輩女生徒が写真を眺めながら放った台詞ですけどね(笑)。友人からの「おまえのじゃねー」という手書きの突っ込み含め、めっちゃ好きなシーンです(笑))

前回のキャラ人気投票では堂々の第10位にランクイン(憧れの杉本先輩が第9位)と、オレの京子がみんなに人気で、俺、嬉しいよ…。


まぁ(作中でも本人が何度か直接いわれていた通り)「妖艶」という形容詞があまりにも似合う京子ちゃんですけど、この先どうなっていくのか(Frankさんがどのように捉えていくのか)、大変楽しみですね。

 

一方宝塚は、僕自身は宝塚歌劇団自体にはまだ手を出せていないんですけど、志村さんの触れられる宝塚ネタや、その他宝塚ファンをテーマにした別作者の方の漫画なんかにもめっちゃ好きなのがあるので、またいつか漫画紹介ネタで触れさせていただこうかと思います。

そして本文中の脚注でも触れられていましたが、現在連載中の『淡島百景』…こ~れもマジで心の底から素晴らしいですよ。

1話ごとに特定の歌劇学校生徒(たまに関係者)がフィーチャーされていく形式のお話ですけど、永久に色んな生徒の話を読み続けてぇ~!


ちょうど、つい先日最新話が公開されたばかりですね!

webcomic.ohtabooks.com
まぁ僕は単行本派なので、グッと我慢してまだ読んでいませんが、志村さんのツイートによると、『青い花』のキャラがまた登場してくるみたいですよ…!


最近は毎月のように掲載されているようなので、4巻発売も目と鼻の先かと思います。

単行本を楽しみに心待ちさせていただきたい限りですね!


(なお、Frankさんの脚注では、「AwashimaはAwajimaと表記されることもある」とありましたが、上記ウェブコミック公式サイトのURLは、awazimaとなっていますね。
…と思いきや、↓の太田出版の作品特設サイトのURLは、awajimaでした。

www.ohtabooks.com

 いずれにせよ、振り仮名は「あわじま」なので、Awashima Hyakkeiは実際のタイトルからは一番遠い表記なのかもしれません。

…とはいっても、この「淡島百景」は、何気に淡島千景さんという、宝塚往年の大スターの名前をもじったものでもあり…

ja.wikipedia.org
淡島さんは「あわしま」なので、Awashima表記もそこまで間違ってはいないのかもしれないですね(ただし、タイトルの公式かな表記としては、やっぱり「あわじま」だと思いますが)。

(確か志村さんご本人が「淡島千景さんの名前をもじって…」とおっしゃられていたのをどこかで見た記憶がありますが、少なくともあとがきにはその旨見当たりませんでしたね…。
 でもまぁ、別にこれはご本人の言がなくとも、淡島千景さんと富嶽百景の合わせ技なのは誰の目にも明らかといえましょう。
 タイトルからしてもう素晴らしすぎるの一言です。)


あと最後、こちらは単なる翻訳版のフォーマットの話で、内容に関する話ではないんですけど、前々回あたりで話に出していた本文内の漫画ページ引用表記、「"SBF"というオリジナルの表記のままにしておく」と(再)変更していたんですが、Frankさんとも話し合った結果、やっぱり翻訳版には日本語版のページがあった方が親切であろうということで、日本語版のページ表記も並列して載せる形式に(再々)変更してみました。

以前の記事も、追って修正しておこうと思います。

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*1:Erica Friedman, review of Sweet Blue Flowers, vol. 1, by Takako Shimura, Okazu (blog), October 4, 2017, http://okazu.yuricon.com/2017/10/04/yuri-manga-sweet-blue-flowers-volume-1-english

*2:Erica Friedman, review of Sweet Blue Flowers, disc 1, Okazu (blog), May 6, 2013, https://okazu.yuricon.com/2013/05/06/yuri-anime-sweet-blue-flowers-aoi-hana-disk-1-english

*3:Shimura,Wandering Son, 6:20–24, 6:99–100.

*4:志村はまた、宝塚歌劇団の養成所に似た女学校を舞台にした漫画『淡島百景』(AwashimaではなくAwajimaとローマ字表記されることもある)を現在連載中である。(このタイトルは、北斎の有名な錦絵シリーズ「富嶽百景」―欧米では、『One Hundered Views of Mount Fuji.』としてよく知られる―にちなんでいる。) 残念ながら、『淡島百景』は英語での公式リリースはまだない。Takako Shimura, Awashima hyakkei, 3 vols. (Tokyo: Ōta Shuppan, 2015–).

*5:Jennifer Robertson, “The Politics of Androgyny in Japan: Sexuality and Subversion in the Theater and Beyond,” American Ethnologist 19, no. 3 (August 1992), 422,  https://doi.org/10.1525/ae.1992.19.3.02a00010

*6:Robertson, “The Politics of Androgyny in Japan,” 427.

*7:Robertson, “The Politics of Androgyny in Japan,” 433. 太字強調は原文より。