青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その1:序文

志村貴子さんの傑作漫画『青い花』の骨太同人誌『That Type of Girl』の本編に早速参りたいところですが、イントロ的な内容の前回の記事に対し、なんとまさか、著者であるFrank Heckerさんからの反応をいただけました。

(まぁ、自分でFrankさんご本人にリプを投げていたので、「なんとまさか」も何もないんですけどね(笑)。
 なお、志村さんご本人からも、「やります」って言っただけでまだ何もしてない状況なのに、記事リンクツイートを畏れ多くもRTしていただけました。本当に、感謝感激雨霰にございます…!)


以下、Frankさんからのメッセージの一部ですが……

わざわざご自身でGoogle翻訳に投げて、英語化された前回の記事に目を通していただけたようで、そこで書いていた疑問点、「タイトルの『That Type of Girl』の意味は何なんだろうね?」という部分に、公式な回答をいただけました!

僕は、日本語版5巻133ページの「ふみちゃんは そっち側のひとに なっちゃったか」かなと推察していたのですが、どうやら厳密には違ったようで、英語版3巻の309ページ・日本語版だと6巻129ページ……確認しました所、日本語版元セリフは「わたし そっち系のひとなの」で、これが正真正銘のネタ元だったということですね…!


ということで僕の推察はやはり外れてしまっていたわけですけど、まま、似たようなもんじゃん、って気もしますし(笑)、いずれにせよこちらはまさにふみちゃん自身のセリフということで、重みも違ってくるってもんです。


…っちゅうか、Amazonで確認した英語版3巻は、目次を見る限り日本語版5巻相当が収録されてるのかな、って思ってたんですけど…

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英語版『青い花』3巻表紙、https://www.amazon.com/dp/1421593009/より

 

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上記Amazonお試し読みから、目次の部分…

どゆこと?目次では、このVol. 3は、176ページちょいしかないような気がするけど…??


…と一瞬思いましたが、まぁ日本語版は全8巻で英語版は全4巻扱いということですから、お試し読み範囲に表示されてないだけで、そりゃ英語版の「3巻」ってのは日本語版5-6巻2冊セットの合本かなんかってことなんだろ…って、よく考えれば分かる話だったかもしれませんね。

早い所、実物を手に取ってみたい限りです。
(最近は専ら電子版ばかりですが、久しぶりに紙を手にしてみようと思います!)


ということで、タイトル『That Type of Girl』はズバリ、日本語で書くなら『そっち系の女の子』ということで、これは中々思わせぶりで素晴らしい妙題じゃあないですか。

なお、「そっち系の人」という呼び方は、日本語の場合、少なくとも日常会話では第一義に「同性愛の人」というイメージがくると思うんですけど(この辺も差別うんぬんあるのかもしれませんが、やはり圧倒的多数の人は今なおそういうニュアンスで受け取るフレーズかと思います)、この英語表現「That type of girl」は、文脈がなくパッと用いられた場合、そのニュアンスは1ミリもないのではないかと思われる点に注意が必要かもしれませんね。

ちょうど、日本語でも「あのタイプの人」と聞いた場合、その表現には同性愛のニュアンスが一切皆無なのに近い感じですかね(まぁ僕は英語ネイティブではないので断言はできかねますが、恐らく正しいように思います)。


なので、英語でいきなり「I'm that type of a girl...」とか言っても、同性愛のカミングアウトには決してならないため、どうかご注意いただければと存じます。
(多分、「What type?」と聞き返されるだけ)

あくまで、文脈ありきの“that type of girl"ってことですね!

 

前置きが長くなりましたが、早速本編の「序文」パートに参りましょう。

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

(翻訳第1回:ページIXからXIIまで)

序文

2004年から2013年にかけて、日本の漫画家・志村貴子は雑誌『マンガ・エロティクス・エフ』(現在は休刊)にて、漫画『青い花』(英語で”Blue Flower(s)”を意味する)を掲載した。『青い花』は、少女や女性同士の恋愛関係を描いた「百合」ジャンルの作品で、日本のティーンエージャーの少女、ふみとあきらの高校時代を、幼少期に友人同士であった二人の再会から、ふみによるレズビアンのカミングアウトおよび「あきらの友人以上の存在になりたい」という願い、そしてその思いに対するあきらの揺れ動く気持ちやためらいに触れながら描かれた物語である。この『青い花』は、日本では全八巻として出版され*1 、その後四巻のオムニバス版『Sweet Blue Flowers』として英語版も刊行された*2

 比較的最近日本漫画のファンとなった私は、『青い花』を楽しく読破したが、同時にこの作品に大変な興味がそそられたのである。私が思うに、志村が目指したのは、単なる女子高校生の恋愛物語ではなく、それ以上に―しばしば取っ散らかって不完全なものになるけれども―百合というジャンルそのものや、そのジャンルが生まれ、普及した日本社会について、何かを伝えるものにしたい、といった意図もあったのではないだろうか。本書は、その何かが何であるか―少なくとも私が勝手にそうではないかと夢想すること―を探求する、私自身の取っ散らかって不完全な試みである。

 このノートを書くにあたって、私は三つの大きな障害にぶつかった。第一に、私は日本語が分からないので、英語版に頼らざるを得ないこと。翻訳中に失われたニュアンスは、私にとっても失われてしまったものになるのである。

 第二に、私は若くもなく、女性でもなく、クィア(性的マイノリティ)でもなく、さらには日本人でもないこと――つまり、この漫画の登場人物や彼らの人生経験に直接的に共感できる立場から、およそ最も離れているという点がある。私は部外者として、部外者がセリフやイベント、文化的・社会的背景を解釈しようとする際に生じるあらゆる制限の中で本書を執筆しているのである。

 最後に、上で述べたように、私は比較的最近になって日本漫画に触れ始めた読者であり、文学一般や特に漫画の批評家としての教養や経験は一切持ち合わせていない。

 したがって、本書は、私の限られた視点に基づいて思いついた特異な問いに対する、試験的かつ個人的な一つの回答案コレクションとみなすのが最適であろう。私自身の理解度を深めていただけるとともに、もしかしたら本書の改訂版につながるかもしれないコメントや訂正は、随時歓迎である(詳しくは奥付を参照)。

 

本書のプラン

この本を読む人が、『青い花』英語版の全四巻を同時に読み進めることを想定して、本書を以下のように分割した:

 最初の章は、最小限のネタバレに抑え、物語の背景に触れるためのものとしている。続く四つの章では、各巻ごとのイベントについて語っており、それぞれ(少々の例外を除いて)その巻の終わりまでしかネタバレを含んでいない。最後に、まとめにあたる数章では、百合というジャンルとその中での『青い花』の位置付けについて、私なりの最終的な考えを述べている。

 その他、登場人物の索引、VIZメディア版(※訳注:英語版『青い花』の出版社)の誤植表、既存のレビューの要約、おすすめ関連書籍の提案など、多くの人に興味をもってもらえそうな資料も掲載した。

 本書では、VIZ Mediaが出版した『青い花』の公式英語版(ペーパーバック版および電子書籍版)を対象に議論を行っている;本書の全てのページではこの英語版を参照しており、アニメ版については、漫画と比較する以外に触れることはない。そちらに触れる際は、読者はアニメの全11話を見たことがあるものと仮定している。また、日本語版第一巻の公式英語版電子書籍は過去に二回出版されており、その内の一回については、翻訳の選択についてのみ簡単に触れている。時折、志村の使用した用語を正確に把握するため、日本語版に立ち戻ることもある。

 登場人物については、VIZ版で使われている表記に従った:すなわち、苗字と名前は欧米式(Akira Okudairaとし、Okudaira Akiraではない)、そして簡略ローマ字表記(Manjomeとし、ManjoumeやManjōmeではない)である。『青い花』関連以外の日本語の名前と用語については、Wikipediaの慣例に従った(※訳注:日本名は、基本的に漢字表記を行う)。

 引用した作品をさらに詳しく調べたい人のために、注と参考文献リストを付記した。しかし、全般的に、日本語でしか読めない作品や、Wikipediaなどで簡単に調べられる情報は、引用していない。

 最後に、『青い花』には、いくつか注意書きを必要とする内容に触れている部分が存在するといえる。そういった点を論じる際は、そのような注釈も付記しておいた。

 

参照元とひらめきの源

前書きを終えるにあたり、ほとんどの著者は、本の執筆に協力してくれた人への謝辞を述べることであろう。しかし、本書は私が個人的に暇つぶしで作ったものである。したがって、本書の誤りや間違いは純粋に私による私自身の責任に帰属するものであると、誰よりも真摯に誓約することができる。

 しかし、従来型の謝辞を述べることはできないが、もし存在しなかったらこの本自体が存在しなかったか、あるいは今以上に素人臭いものになってしまったであろう複数の方々の名前を挙げなければ、それは怠慢というものになろう。

 最初に、そして何よりも誰よりも、志村貴子氏に謝意を表明したい。もし彼女がいなければ、『青い花』も英語版『Sweet Blue Flowers』もこの世に存在せず、私がこの本を書くこともなかったのだから。また、『青い花』英語版の完全版・決定版である『Sweet Blue Flowers』を世に送り出してくれたVIZ Mediaの担当チームにも謝辞を送りたい:翻訳者のジョン・ウェリー、編集者のパンチャ・ディアス、画像編集とレタリングを担当したモナリザ・ドゥ・アシス、デザインを担当したユキコ・ウィットリーの各氏である。

 日本の歴史、文化、社会の文脈におけるジェンダーおよびセクシュアリティ、並びにそれらが漫画やアニメなどの作品にどのように反映されているかに関する私自身の完全なる知識不足を補うために、これらの分野の研究者たちによる膨大な学術論文を活用させていただいた。特に有用に感じたのは、アルファベット順で、シャロンチャーマーズ、ヒロミ・ツチヤ・ドラス、サラ・フレデリック、マーク・マクレランド、ヴェレナ・メーザー、グレゴリー・フルーグフェルダー、ジェニファー・ロバートソン、デボラ・シャムーン、ミチコ・スズキおよびジェームズ・ウェルカー各氏の著書や文献などであった。

 『青い花』について長々と書く中で、私は漫画やアニメについてオンラインで語っている多くの欧米のファン、特に各作品を深くレビューし客観的多面的に分析している人たちの足跡をたどってきた。特に、私が漫画・アニメのファンだった初期に読み始め、今なお楽しく読み続けている以下のサイトおよび関係者をピックアップしておきたい:Anime Feministというウェブサイト(『フェミニストのレンズを通して見た日本のポップカルチャー』)のライターや編集者*3、そして、『Okazu』ブログと、あらゆる種類の百合をカバー&取り上げてくれているYuriconサイトの制作者兼編集者であるエリカ・フリードマン*4の各氏である。

 最後に、『青い花』に関する一風変わった私の見解を書き下すにあたって、アダム・マース゠ジョーンズ自身と彼の著書『Noriko Smiling』からもインスピレーションを受けたことも記しておく*5。マース゠ジョーンズは、小津安二郎の映画に対する従来の西欧的解釈に異議を唱え、小津の映画「晩春」について、戦後の日本で結婚を望まないこの女性の物語を分析し、彼女がなぜそう感じたのかを自由に考察することで、これまでとは全く別の見方を提案したのである。その結論が客観的に「正しい」かどうかはともかく、彼のその志と姿勢には敬服せざるを得ない。

 志村は小津ほど偉大な芸術家ではないし、私はマース゠ジョーンズほど優れた作家でもない。それでも、私は本書で同じようなことを試みてみたのである。21世紀の日本の女子学生二人を描いたこの物語の中で、志村自身が語ろうとしていたのはこんなことではないだろうか、といったことを、自分の心の中であれこれ長々と推察してみることで…。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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とりあえず、序文にあたる部分がここまでですね。

…っていうか、翻訳版を掲載していくにあたり、最初の前置きもそうでしたが、僕のクッソしょうもない余計な脱線・横やりや小学生並の感想、ない方がいいんでしょうか?(笑)


僕もこう見えて普段から青い花について語りたくてウズウズしているような男ですからね、許されるなら僕の意見も「感想の感想」的に挟んでいきたいですけど、

「オレはアメリカ人の青い花観を知りたいのであって、オメェの意見なんざ聞いてねぇ!余計なこと書いてる暇あったら、とっとと翻訳進めろよ(笑)」

…って面もあるかもしれないので、あんまり長々と語ることは控えましょう(でもやっぱり、「短々と」程度には語りたい模様(笑))。


目次を見たら、この同人誌には大体50セクションぐらいあるようなので、まぁ1記事(1日)で2セクションずつぐらい進めるぐらいがちょうどいいでしょうか。

順調に行けば1ヶ月弱で終わる形ですね。

もちろん、区切り的に物足りなかったり、ペースが遅すぎたりしたら、もうちょい一気に扱って早めることもあるかもしれません。


また、記事内に何も画像がないと、ブログ記事のアイキャッチ画像がCCライセンスの上記ロゴになってしまい味気ないにも程があるので、順番に記事最初の方に、各巻の表紙画像を掲載させていただこうかと思います。


それにしても今回貼らせていただいた、英語版3巻・日本語版5巻の、かしまし3人娘の表紙は素晴らしいですね!

僕なんて、あまりにもこの子らが好きすぎて、タンスに小指をぶつけた時とか、「モギィーッッ!!」という悲痛な叫びをあげてしまうぐらいですから(笑)。
(表紙・一番右の子が、「モギー」です。こんなちょっとした立ちポーズを描くだけで、何かおっとりした性格が伝わってくるの、志村さんやっぱマジでスゴすぎん…?と思えますけど、モギー、英語版ではMoggieなのかな、Moggyなのかな、とワクワク楽しみにPDFを検索してみたら、まさかの、「Mogi」呼び!
…おいおいそれじゃただのモギじゃねぇか、俺らの可愛いモギー呼びを失くさないでくれよ…!…っていうかモギーの本名、茂木で「モテギ」だったのかよ、ずっと脳内でモギちゃんだと思ってたぞ、イメージ違いすぎるぜぇ~…などと、一人で盛り上がっていました(笑)。)


あ、名前でいえば、真ん中のポンちゃんも、実は本厚木を「もとあつぎ」と呼んでたことをここに白状します(笑)。

っていうかむしろ神奈川の本厚木のこともずっと「もとあつぎ」って脳内で読んでたので(口に出す機会は今までありませんでした)、本厚木民の方には心よりお詫びして謝罪申し上げます…。

…いや「もとあつぎ」ならポンちゃんにならないじゃねぇーか、って話なんですけど、だってモギーだってモテギでモギーなんだし、別にいーじゃんと思ってたというか(いやモギーがモテギだったのは今知ったんじゃなかったのかよ(笑))、まぁ別に音読みしたのがあだ名になるなんていくらでも例はありますからね、なぜか僕の中で本厚木はモトアツギだったのです。

ごめんよポンちゃん


せっかく仲良し2名に触れたので左端のやっさんにも触れておくと、「そういえば杉本先輩もいわばやっさんじゃん、でもやっさんっぽくねぇ~。っていうかやっさんの『やっさん』感は異常。志村さんのセンス、高すぎるよぉ~(嬉し泣き)」と、これまた一人で勝手に盛り上がってしまいました。

っていうかこの3人の名前、茂木美和、本厚木洋子、安田美沙子って、マジでピッタリすぎてヤバくないですか…?

改めて見る前に「モギー・ポンちゃん・やっさんの下の名前って何だったかな…」ってちょっと考えたんですけど、「う~ん、美和・洋子・美沙子かな…」ってマジでドンピシャで当たりましたもんね!


…まぁそれはちょっと盛ってますけど(笑)、実際最初の2人はマジでイメージ通りで、モギーは髪のふわっとした感じと、あと何か雰囲気がドリカムの吉田美和さんっぽいからかな…?

ポンちゃんは、やや珍しい3文字苗字が、荻野目洋子さんなイメージ(「ギ」入りの3文字という、字面だけかもしれませんけど)がある感じで……

やっさんだけは、他と比べると若干ピンと来ませんでしたが、安田美沙子さんって芸能人でおらんかったっけ…?と思ったら、完全に漢字も同じ方がやっぱりいらっしゃいましたね(安田美沙子 - Google 検索)。

ま、やっさんは、何となく安田…成美……?だとちょっとそのまますぎるので、少しもじって(成宮寛貴さんの本名つながりで?)、重美(しげみ)ちゃんあたりが、個人的にはピンと来る名前だったかもしれませんけど(いやお前それやっさんの眉毛だけでいってるだろ、失礼すぎ!って話かもしれませんが…(笑))、とにかくこのかしまし3人娘のことが、僕は大好きなのです。

最終巻冒頭の、主にやっさんメインの中学時代のちょっと嫌な先輩との思い出話みたいなのとかさぁ、自分は経験ないけど、「分かる…気がするぅ…」って思えて、これに限らず本当に志村さんのエピソードトークみたいなのが僕はマジでめちゃんこ好きでして……


…と、あまりにも考察でも何でもない、浅すぎゴミカスレベルの、小学生未満の感想みたいな何かで結局長くなってしまったので、この辺にしておきましょう。

次回からは、雑談するにしてもせめて本題『That type of Girl』の中身に触れていくようにしたいですね。

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*1:志村貴子青い花』全八巻(太田出版、2006-13)

*2:Takako Shimura, Sweet Blue Flowers, trans. John Werry, 4 vols. (San Francisco: VIZ Media, 2017–18). 記載のない限り、全ての『青い花』の引用は本版となり、以下SBFと略記で引用するものとする。※訳注:SBF表記の引用は英語版であり、翻訳版においては、日本語版『青い花』(全八巻、太田出版)の該当箇所も合わせて併記する。

*3:"About Us," Anime Feminist, https://www.animefeminist.com/about

*4:Erica Friedman, ed., Okazu (blog), http://okazu.yuricon.com

*5:Adam Mars-Jones, Noriko Smiling (London: Notting Hill Editions, 2011).