青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その35:ヘチマの花物語

今回から『青い花』を読んだ後の、いわゆるあとがき的な章に入っていきますが、まずはタイトルに関する補足をずーっと前にいただいていたので、そこから見ておきましょう。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"Gourd Tale": これは(もちろん)「Flower Tale(花物語)」のタイトルをもじって、工場労働者の歌にある「ヘチマ」に置き換えた遊びである(「the factory woman is a vegetable gourd(工女は野菜のヘチマ)」)。

この歌の日本語版は、1977年に角川から出版された山本茂実著『あゝ野麦峠』の395ページに掲載されているようである。(この章で引用されている他の歌も、同じ本から引用されていると思う。またこの章に入ったら、ページ番号を紹介可能。)

原曲で「Gourd」の部分に入っている単語を使っていただければと思う。

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なんと、野麦峠の歌っ…!

…って、別に全く知らないのでただ意味もなく驚いてみせただけですが(笑)、これは原典を参照すれば良さそうですね。


また、改めて最近になって、これ以降の章に関する補足を追加でいただいていました。


-----Frankさんによる最終章への追記・訳-----

Gourd Tale.

これは長い章であり(おそらく長すぎる)、この類の本に載せるにはいささか奇妙な章であることは承知している。しかし、私は20世紀初頭の少女文化の「裏側」、つまり中流や上流家庭でない日本の少女たちに何が起きていたかを論じたかったのだ。なぜなら、(この章の最後に書いたように)そのような少女たちの活躍がなければ、日本の経済がこれほど急速に成長することはなかっただろうし、エス物語を読む(書く)中産階級の少女ももっと少なくなっていたはずだからである。

この章の翻訳の問題点として、章の大部分が仮定(1896年に貧しい家庭に生まれた少女に何が起こり得たか)であることが挙げられる。だから、文章はすべて「she would have done X(彼女はXをしたであろう)」「she would have experienced Y(彼女ならYを経験しただろう)」という形になっている。日本語にも仮定を表現する似たような方法があると良いのだが。

(ちなみに、私はこの類の文を英文法では何と呼ぶのか思い出せなかった。ネットで検索してみたところ、「third conditional tense(第三条件時制)」と呼ばれているようだ:(https://gonaturalenglish.com/third-conditional-would-have-had-learn-english-grammar/))。

また、以前にも書いたが、この章の歌は日本語の本から引用している。この本を見つけ出し、オリジナルの日本語の歌を使ってもらえれば幸いである。

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無事、山本茂実さんの野麦峠は入手しましたが、まず、件のGourdの部分、こちらは「ヘチマの花」となっており(英語では、「ヘチマの野菜(葉っぱ)」的な表現で、花要素はなし)、むしろ花物語のパロディとしてはより完璧な形になりましたね!


なお、引用されている歌について、一箇所だけ工女の歌ではなく会社の歌があったのですが、それはどうやら野麦峠由来ではなく、『修身訓話 工女の鑑』という、最早歴史資料にも思える明治45年の書物が由来のようで…

2022年5月現在、古本屋でも手に入らない貴重な書、https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=320736550より

上記リンクを貼った古書店のリンクでも「在庫切れ」となっているように、こちらは流石に入手できませんでした。

なので、その部分の歌のみ、原典通りではなく、僕がそれっぽく訳した感じになっています。

どこかでこの聖典を見かけることのある方がいらっしゃいましたら、実際の歌詞を教えていただけるとありがたいですね。

(※追記:国立国会図書館で上記資料を発見しました!詳しくは次の記事で語っています。)

 

なお、文法についてですが、第三条件とかいう謎の用語が紹介されていましたけど、日本人的には「仮定法過去完了」として高校で必ず習う英文法項目なので、こいつはばっちり馴染みがありすぎるやつといえましょう。

実際「~だっただろう」「~があったであろう」という文が続きまくりの部分もありましたが、あまりに何度も同じ文末の連続でややくどい場合は、それほど文意に影響がない範囲で「~だったと思われる」「~だったのかもしれない」みたいな、少し表現を変えた所もある感じですね。


今回はかなり長い章なので、さくっと参りましょう(既に前置きもめっちゃ長かったですが)。

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第35回:191ページから200ページまで)

読み終えた後に


ヘチマの花物語

女事務員柳なら 女詩人は花すみれ
 女教員は蘭の花 工女はヘチマの花かいな

明治日本の紡績工場で働く労働者による哀歌*1

2019年、この年は百合というジャンルが誕生して百周年ということで、ファンたちは盛大に盛り上がっていた*2。最終章の前座にあたる本節では、続く百合の現在と未来を展望していく節に先立ち、このジャンルを生んだ世界を今一度振り返って締めくくるとしよう。

 『青い花』には、現代日本を反映し、間接的に独自の見解を表現している要素が多く含まれているが、日本社会のとある側面はほとんど全く描かれていない:階級である。ただしこの点については、この作品に限った話ではない。エス文学である『おにいさまへ…』のような初期の百合(の原型)作品、ライトノベルマリア様がみてる』シリーズ、そして『マリみて』の影響を受けた様々な百合作品はすべて、女子校の比較的裕福な生徒を登場させている。また、『マリア様がみてる』における祐巳が祥子に対してそうであったように、中流階級の若い少女が大富豪に生まれた年上の少女とエス関係を結ぶこともしばしばある。

 特に『マリア様がみてる』では、上流階級の少女の半数は、他の少女と同じように家父長制に虐げられる被害者として描かれる。中産階級の代表的な人物との関係は、彼女たちの病を癒す治療法として提示されている。これは、中流階級の価値と重要性について、(中流階級と思われる)読者を喜ばせる一方で、真の富裕層が行使する権力から読者の目を巧みに逸らす役割を果たしている*3

 この図式は、『青い花』でも、ふみと恭己の関係において見られる。恭己の家は、豊かさにおいて全く別次元のものであることが示されているのだ―杉本家を訪れたふみ自身が、こう驚嘆したように:「先輩って……お嬢様だったんですね………」(『青い花』(2) p. 107/SBF, 1:303)。もし『青い花』が『マリア様がみてる』と同じようにこのお約束を使っていたならば、ふみの愛は恭己の感情の未熟さを癒す鍵になっていただろう。

 だが『青い花』では、ふみを恭己と別れさせ、同じような立ち位置にいるあきらに関心を向けさせることで、このお約束を覆している。その間、恭己は、恐らく日本から出ていくことによって救われる形で、自分自身で成熟していくことになる。

 しかし、ふみとあきらはともに中流階級の家庭だが、間違いなく中流階級の中でも上流に近い。一戸建ての家に住み、車を少なくとも一台は所有している。さらに言えば、両家とも子供を私立の学校に通わせることが可能だ―特にあきらの場合は、どこから見ても非常に高価で高級な学校に通わせているのである。京子の場合は、小学校から藤が谷に通っているため、さらに裕福な家庭である可能性が高い*4

 このように、『青い花』は、他の百合漫画やエスの物語と同様、貧しい人々どころか中流以下の人々さえも存在せず、彼らの物語は語られすらしない世界を描いているのである。

 では、彼らの物語はどこに見出せるのだろうか。ここで、少女文化やエス文学が生まれた明治時代後期に時計の針を戻し、1896年、吉屋信子と同じ日に、日本の片田舎で惨めな生活を送る貧しい農家に生まれた架空の少女を想定してみよう。彼女はどのような人生を歩み得たのだろうか?

 この家族の取る一つの選択肢としては、当時はごく一般的なものであった、娘を遊郭に売るというものがあったであろう。しかし、明治時代になると、別の選択肢も登場してきた:絹糸や綿糸を生産する工場で働かせるというものだ。1907年、この仮想少女(吉屋信子も然り)が11歳であった時は、20万人以上の少女や女性がそういった工場で働き、年齢は20代から10代前半かそれ以下であった*5。吉屋が創刊間もない少女雑誌を読み、高校進学を心待ちにしていた頃、少女の両親は彼女を「工女」として働かせることを検討していたであろう。

 それ以前にも、彼女は家で農作業や内職を手伝っていたかもしれない。しかし、明治時代になると、こういった家庭は新政府の税金を支払うために現金を必要とし、同時に、安価な輸入品によって国内の家庭生産品の立場が奪われてしまった結果、経済的に苦境に立たされた。逆に明治政府は、外貨交換のためと民衆の反乱を防ぐ傍ら経済成長を目指すために多額の現金を必要としたが、欧米諸国が日本に強要した自由貿易協定により、輸出の機会に恵まれなかった。またこれにより、日本は繊維製品を含む輸入品の関税を引き上げることもできなかった*6

 政府は、絹糸や(その後)綿糸を大量に生産することで、国際競争に打ち勝ち、輸出拡大を図ることへの活路を見出した。当初は下級武士の娘に新しい職業を教える官営の工場があったが、やがて都市部の貧しい住民や農村からの貧しい移住者を雇用する民間の工場主が、この産業を独占するようになった。その大半は少女や若い女性であった*7。我々が想定した少女も、その一人だったのかもしれない。

 もしこの少女が工場で働くことになったら、どのような経験をしただろうか?少女は恐らく、工場のオーナーから委託された独立斡旋業者にスカウトされてきたのだろう。その斡旋業者は、よく働く女の子は高い給料をもらい、労働者には栄養たっぷりの温かい食事が出てきて、仕事の後は快適な寮で読書の時間やその他の授業も受けられ、休みの日には他の少女たちと一緒に観光に出かけることができる、などという作り話も混ぜた売り文句を聞かせたことであろう。もし、彼女の両親がそのような話に心を動かされたら(何も知らないでそうならない人はいないだろう)、父親は娘を数年間働かせるという契約書にサインし、彼女が家に送ってくれる余剰金を楽しみにして、彼女を募集元へと送りつけてしまうのである*8

 無事に目的地に着いたとして(そうではなく、遊郭や敵対する製糸工場に売られた者もいた)、少女は、製糸工場の現実が、聞いていた約束と大きく異なることを知ったことだろう。日本の工場労働者の生産性は、外国の製糸工場に比べてまだまだ圧倒的に低く、外国の製糸工場との価格競争に勝つために、日本の工場は労働者の生産性を上げることではなく、むしろあらゆる手段でコストを下げる(それによって利益を上げる)ことを選択したのである。

 工場側は、賃金の引き下げ、長時間労働の強要、二交代制の導入、および正当な対価の未払い:例えば、些細な違反に対して罰金を科したり、1年以上賃金を留保することー全ての項目は契約書に列挙されていたが、これは、貧しい農民(この少女の父親のように)には読めない言葉で書かれていた―などによって、コストカットをやってのけていた*9

 このように、件の仮想少女は工場に入ったときから、借金(工場までの交通費を含む)を返し、罰金を課され、ただでさえ少ない賃金を様々な方法で減らされることになっただろう。他の労働者、最も高い賃金を受け取る最も生産性の高い労働者と競争させられ、生産割当は増えるが賃金は変わらないということもあっただろう。また、もし地味な顔立ちだったならば(吉屋信子のように)、工場主に気に入られた美貌の者に比べて賃金が低くなるということも、恐らくあったであろう*10

 勤務時間後は、逃げ出せないように、有刺鉄線や尖った竹杭と高い塀で囲まれた寮に閉じ込められていたようだ。多くの場合、食事は米に麦を混ぜただけの粗末なもので、その費用は給料から天引きされた。夜は畳一枚分の部屋で寝て、寝間着は他のシフトの少女と共有することもあったと思われる*11

 約束された教育については、一部の工場主は実際、労働者に日本語と算数の初歩的なクラスを提供していた。しかし、多くの労働者は、12時間労働の後では疲れていて、そのような授業に出席することはできなかった*12。この仮想少女は、せいぜいわずかな読み書きができる程度であったろう。吉屋信子の物語が掲載された少女雑誌を共有で手に取ることはできたかもしれないが(工場労働者の20~40%は雑誌を読んでいた*13)、吉屋の華麗な文章を理解するのは困難だったことであろう。

 より典型的な「教育的」な場は、まるで忠臣が主君に仕えるかのように、労働者が雇い主に献身するよう説得することを意図された講話であった。18歳の山川菊栄―後に社会主義者フェミニスト活動家として有名になる―のように、この工場で働く少女は、キリスト教の宣教師が訪れる説教会に参加し、大工たるイエスのように一生懸命働き、雇用主に従順で、与えられたものに感謝するようにと励まされたかもしれない。(山川は宣教師の来賓として説教会に参加し、二度と彼らとは一緒に働かないことを誓い、工場を後にした。)*14

 もし、この仮想少女が吉谷のようにレズビアンだったらどうだっただろうか?工場内でも寮内でも上司に鵜の目鷹の目で厳しく監視され、夜には20人以上の少女と同じ部屋に押し込められ、ごく稀にしか工場の敷地から出ることが許されなかった彼女が、どうやって他の工場の少女と関係を維持できただろうか?むしろ、同僚の男性、上司の男性、あるいは工場主ー寮の部屋の鍵を持っていた―からセクハラを受けたり、ともすればレイプされたりした可能性の方が高いであろう*15

 もしも運が良ければ、契約を終えて村に帰り、一生を終えることができよう―その人生は、もし家族がまだ貧しければ、工場での生活よりもさらに厳しい生活を強いられるかもしれないが。もし運が悪ければ、病気になり、病気のまま働き続けるよう迫られ、その後(更に悪化すれば)、故郷に送られて死ぬかもしれない。工場は、コレラ赤痢といった流行病、並びに結核脚気といった慢性病などの温床であり、少女や若い女性は、長時間の労働と不十分な栄養状態によって、こういった病気にかかりやすい状態にあった。特に工場内のティーンの少女への影響が大きかった:一般の少女に比べ、2倍以上の死亡率を示していたのである*16

 この仮想の工場少女と、現実世界での対比役である吉屋信子、吉屋自身が得意としたエス文学の世界、そしてエス文学がキーとなる要素である少女文化の世界とは、どのような結びつきがあるだろうか?

 工場女工の生活、女学生の生活、そして実際の吉屋信子自身の生活は、明治日本が他の家父長制社会の主要な特徴の一つを欠いていたからこそ可能だったのである。父親が娘の結婚相手を厳しく管理することはあっても、娘を外界から完全に隔離しようとはしなかったという点だ。

 この側面において、日本は中東や―この話の背景的により密接な関係のある―インド亜大陸の家父長制社会とは異なっている。日本では、農民の少年少女が「出稼ぎ」、つまり家を出て外で職を探すという習慣が長く続いていた。貧乏な家庭は、娘がレイプされたり、誘惑されたり、その他一家の「不名誉」になる危険を冒してでも、娘から経済的な利益を得るために、娘たちを進んで工場に送り込んだ。言い換えると、「南アジアは女性の隠遁志向が強く、東アジアは女性の搾取志向が強い」のである*17

 日本の労働運動には、山川菊栄をはじめ、著名な女性たちが何人も活動していた。しかし、工場労働者の大半が少女や女性であった事実は、ティーンの少女や成人女性が労働市場から隔離されていたインド亜大陸の男性工場労働者に比べて、日本の工場労働力を統制しやすいものにしていたのではないかと思われる。そのため、日本の工場経営者は労働者の不安や動揺を抑え込めることが可能となり、それが日本の製造業の急速な利益率の増加を促したのである*18

 貧乏な家庭が娘を工場に送る危険を冒したように、裕福な家庭は、親の管理が及ばない比較的遠くの学校であっても、娘を学校に送る危険を冒したのだった。もし、日本の家父長制がもっと厳しかったら、吉屋の『屋根裏の二処女』の前提そのものが不合理なものとなっていただろう:タイトルにある処女は、父親が家から出ることを決して許さないことで保証される処女性を持っていたであろうからだ。

 結果的には、工場で働く少女や女性たちが、エス小説の読者と作家両方の人生を可能なものにする手助けとなったのである。日本は、急速な工業化と輸出立国により、高度経済成長、都市化、および中産階級の台頭へとつながっていった。中産階級の家庭は、娘たちを中学や高校に送って教育できるほど裕福になり、少女たち自身も、エスジャンルの原点である少女雑誌を定期購読できるようになったのだ。

 また、日本経済の成長により、都市部ではサービス業が盛んになり、女性がOLとして働くこともできるようになった。ティーンの頃に少女雑誌を読んでいた「少女」たちは、20代で女性誌を読み、流行を作り出す「モダンガール(モガ)」というステレオタイプへとつながっていった。「少女」と「モガ」の背後には「工女」が立っており、それゆえ、吉屋信子は、雑誌に掲載された文章によって日本で最も裕福な女性の一人となったが、彼女は、名無しで、低賃金で、しばしば腰痛を伴う何千何万人もの日本の工場労働少女たちによって築かれた経済ピラミッドの頂点に立っていた、といえるのである。

 日本の工女の人生が少女雑誌のエス物語ではほとんど描かれていないとすれば、彼女たちの声、夢、希望、恐怖は、一体どこに見つけられるのだろうか?

 工場主は、労働者たちのために読み物を、また多少は読み書きができる少女たちのためには、振り仮名のついた短い教科書を注文した。そういった教科書の中において、例の工場で働く少女は、その勤勉さによって日本を偉大な国にし、親や雇い主(労働少女たちを自分の子供よりも大切にしているとされていた)並びに天皇への孝行を果たす、日本の支柱であると称えられていたのである*19

 また工場主は、労働者が仕事中に口ずさめるような歌を依頼した:「生絲(いと)は帝國(みくに)の寶(たから)ぞや/一億餘圓(いちおくよえん)の輸出品/生絲(いと)の外(ほか)に何がある」*20。しかし、工女たちは自分たちの唄を好んで歌った。もし、あの仮想少女が吉屋信子のように言葉の才能に恵まれていたならば、今現在伝わっている多くの労働哀歌の、名の残らない作者の中の一人になっていたかもしれない。

 工場での生活の苦しさが歌われることもあった:「工場づとめは監獄づとめ/金のくさりがないばかり」。本節の冒頭に掲載した歌のように、自分たちが他人からどう見られているかを歌ったり、自分たちを見下す人たちから自分を守ったりもしていた:「キカイ工女と軽蔑するな/家へ帰ればお嬢さま//工女工女と軽蔑するな/工女会社の千両箱」。そして時には、工場から解放される日が訪れる未来に目を向けることもあった:「思い出します日の暮れかたは/高山御坊の暮れの鐘/早く年明け野麦を越えて/娘コ来たかといわれたい」*21

 私は、この唄を歌った工女たちの生活からは、時も場所も遥か遠く離れている。しかし、往年のエス物語や今日・明日の百合漫画についての話に筆を進めているとき、その文学をこの世にもたらしてくれた、しかしほとんど滅多に紙面を飾ることのない少女や女性たちの記憶に、敬意を表さないわけにはいかないと思えてやまないのだ。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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実に興味深いの極みですね。

野麦峠、名前だけ聞いたことがあったぐらいでしたが、大変面白そうです。

また時間があるときにぜひじっくり拝読させていただこうと思います。


補足する点もない完璧な考察でしたけど、特に、途中触れられていた山川菊栄さんの思想や行動が、実にカッコいいことこの上ないですねぇ…!

ja.wikipedia.org
吉屋さんよりさらに最近までご存命だったということで、まぁギリギリ僕が生まれた頃とは被っていませんが、あまりにも立派で偉大すぎるこの「女性解放運動の思想的原点と評される」山川さん、名前だけはギリ知ってたかな…?ぐらいだったので、より深く知ることが出来て何よりでした。


…と、一点前回の補足で触れたかった点がありましたが、今回はもうあまりにも長すぎるので、またいずれの機会に回すと致しましょう。

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*1:E. Patricia Tsurumi, “Yet to Be Heard: The Voices of Meiji Factory Women,” Bulletin of Concerned Asian Scholars 26, no. 4, 27, https://doi.org/10.1080/14672715.1994.10416166

*2:Erica Friedman, “Yuri, 1919–2019, from Then to Now,” Anime Herald, February 6, 2019, https://www.animeherald.com/2019/02/06/yuri-1919-2019-from-then-to-now

*3:同様の関係は、百合漫画以外でも存在する。例えば、ラブコメの『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』では、かつて上流階級だった少年が中流階級になり、日本で最も裕福な家庭と言われる主役のかぐやとの関係を描いている。Aka Akasaka, Kaguya-sama: Love Is War, trans. Emi Louie-Nishikawa, 21 vols. (San Francisco: VIZ Media, 2018–).

*4:日本政府の統計によると、保育園から高校までの私立学校での教育費は公立学校の約3倍で、平均1770万円(現在の為替レートで約16万ドル)である。“Private School Costs Triple Public Education Level through High School,” Nippon.com, October 4, 2018, https://www.nippon.com/en/features/h00299

*5:E. Patricia Tsurumi, Factory Girls:Women in the Thread Mills of Meiji Japan (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1990), 10, Table 1.1, and 87, Table 4.7.

*6:Tsurumi, Factory Girls, 19–24.

*7:Tsurumi, Factory Girls, 25–26, 34–38, 41–42.

*8:Tsurumi, Factory Girls, 59–60.

*9:Tsurumi, Factory Girls, 63–67.

*10:Tsurumi, Factory Girls, 75–85.

*11:Tsurumi, Factory Girls, 67–70.

*12:Tsurumi, Factory Girls, 68–69.

*13:Sarah Frederick, Turning Pages: Reading andWritingWomen’s Magazines in Interwar Japan (Honolulu: University of Hawai‘i Press, 2006), 16.

*14:Tsurumi, Factory Girls, 139–40. 山川:「私はこの間、壇上にいたたまれないような思いで、恥と憤りに身体のふるえるのを感じました。あのごうごうとうなる機械のそばで一晩中睡らずに働き、生血をすわれて青ざめたこの少女たちの生活がなんで神の恩寵であり、感謝に価するというのか、この奴隷労働が神聖視されていいのか?」

*15:Tsurumi, Factory Girls, 135–36.

*16:Tsurumi, Factory Girls, 168–71.

*17:Alice Evans, “How Did East Asia Overtake South Asia?,” The Great Gender Divergence (blog), March 13, 2021, https://www.draliceevans.com/post/how-did-east-asia-overtake-south-asia

*18:Pseudoerasmus [pseud.], “Labour Repression and the Indo-Japanese Divergence,” Pseudoerasmus (blog), October 2, 2017, https://pseudoerasmus.com/2017/10/02/ijd

*19:Tsurumi, Factory Girls, 93–96. このようなプロパガンダの後発の例として、黒澤明監督の1944年の映画『一番美しく』がある。この映画では、光学工場で働く少女たちの生活が垣間見られる:彼女たちが行う仕事、受ける逆境、結ぶ友情、互いに提供する支援などだ。しかし結局の所、この映画では、少女たちが日本国家の帝国主義的野心のために、いかに喜んで身を粉にして働き、健康を損なっていくかという部分に焦点が当てられている。The Most Beautiful, directed by Akira Kurosawa, in Eclipse Series 23: The First Films of Akira Kurosawa (Sanshiro Sugata / The Most Beautiful/ Sanshiro Sugata, Part Two / The Men Who Tread on the Tiger’s Tail) (1944; New York: Criterion Collection, 2010), 1 hr., 25 min., DVD.

*20:Tsurumi, Factory Girls, 93.

*21:Tsurumi, Factory Girls, 98, 97, 101. ※訳注:工女による唄の歌詞は、『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』山本茂実 (1977) 角川文庫より