青い花・英語版で気になった所を挙げていこう:8巻その2

青い花最終巻にあたる部分の英訳ネタ続きですね。

多分、その4でちょうど終えるぐらいで良さそうかな、って感じに思います。

早速参りましょう。

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(8) p. 88:"WHY THE SUDDEN SILENCE?"(「いきなり黙ってどうしたの?」)

これは明らかに日本語と違うね。

ふみは、"Why suddenly are you so formal?"(原文:「なに あらたまっちゃって」)と言ってるんだけど、これは、英語版とは真逆で、前のページであきらが電話口で何か言ったことを示唆しているわけだね(描かれてはいないけれど)。

次の台詞は英語版も"JUST FORGET THAT"(原文:「今のナシ ナシ!」)だし、日本語原文の方が適切といえるかも…?

A. 明らかにあきらが何かをして、ふみが「何かおかしい」と結論づけた場面である。

日本語版では、あきらがインフォーマルな会話からフォーマルな会話に切り替えたということのようだね。

しかし、アメリカ英語には、インフォーマル・スピーチからフォーマル・スピーチへの切り替えに相当する表現は、実際あまりないんだ。

だから、翻訳版では、あきらがしゃべらなくなることで、ふみが「どうしてあきらは何も言わないんだろう」と不思議に思うようにするのが、より理に適っているわけだね。

そしてこの読みは、前ページの最後の数コマでも裏付けられる:あきらが何かを語ったことを示す吹き出しは描かれていないし(仮に語っていたとしても)、最後のコマではあきらが何かを言おうと口を開いたが、実際には言わなかったと解釈することができる。

だから、個人的には、これは良い翻訳だったのではないかと思う。


⇒(追加メッセージ:)
面白いね。あぁちなみに、p. 87で記述されているコマのあきらの日本語は実際全然フォーマルなものではなく、むしろ最後の2コマの、影付きで口が開いている様子から、漫画では描写されていないけど、やっぱりここはあきらが"well, dear Fumi..."みたいな感じ(この文脈でこれがフォーマルあるいは自然な英語になるのかは分からないけど、あくまで一例)で、非常にフォーマルな形で話をし始めた所だったのではないか、と個人的には思えるかな。

…って、よくよく文章を読んでみると、別に「p. 87の言葉を日本語にするとフォーマルな表現になるのではないか」みたいなことはおっしゃられておらず、「英語ではフォーマルの切り替えが比較的難しい」ってのがポイントだったのか。


まぁとにかく、あきらの口が開いていて、それが影になっている(これは、隠している・あえて伏せていることを暗示していると思う)ことからも、あきらはここで実は唐突に少しフォーマルな言葉で語りかけていたのではないか、と思った次第だね。

(というか実際、日本語版だと次のページでふみが"Why suddenly so formal?"とはっきり言っているわけで、その解釈は100%間違いないはず…。

 でも、英語ではその仮定は難しいだろうから、その場合はやはり「silent」の方がいいのかもしれないね。)

 

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(8) p. 96:"BECAUSE THAT WOULD MEAN THERE'S NO HOPE FOR ME!"(「もう僕には望みがないってことですから!」)

多分まためっちゃ似てる点だと思うけど、日本語版での実際のあつしの言葉は、"Do I have no hope anymore?"(原文:「ボクもう望みないですか」) という意味の問いかけを、ふみに対してしているんだ。

A. 質問というより発言ではあるが、実際ほとんど同じ意味である:あつしは、ふみに告白を受け入れてもらえる見込みがないことを心配しているわけだ。

個人的には、"Is there no hope for me?"(※まさに原文通りの意味)という訳が、英語でも自然に読め、かつ原語の意味も保てる、翻訳の代案ではないかと思う。


⇒(追加メッセージ:)
ああ、やはり言語のギャップによる些細な、いわば構造的な違いみたいなもんだけで、基本的には英訳版の台詞でも同じ意味・ニュアンスになってるといえそうだね。

それなら全く問題ないし、気にする必要もないってこっちゃな。

 

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(8) p. 97:2コマ目、これはp. 93のあつしの言葉と全く同じなので、ふみ自身の言葉(英語版ではそうなっている)というわけではなく、単にこの場面であつしの言葉を思い出した(ただ単純に繰り返した)だけなんだと思うな。

※追記注:改めてよく見直してみたら、日本語版原文も、完全に同一ではなかったですね……
実際は「友達になって(もらって)少しずつ知ってもらえたら」で、括弧の部分の有無が違いましたが、でもまぁ、ここであつしくんの台詞を思い出して引用していることには間違いないと思います(英語版は、引っ張ってきているというより、ふみ自身によるオリジナルの台詞)。)


A. そうだね。おっしゃってることが私の以下の考えと同じならば、理に適っているように思う:8巻p. 93(※注:これはp. 97のミスだと思われます)の2コマ目が、ふみがあつしの言葉を思い出して言っているだけではなく、ふみがあつしの言葉を取り入れて、自分に向けて言っている、ということであれば。

その考え方は、続く4コマ目と矛盾なく繋がるしね。なぜなら、4コマ目はあつしが言ったことではなく、ふみが自分で考えている言葉だとするのが、最も筋が通っているからだ。


あつしはどうやら、ふみと友達になれば、いずれふみが告白を受け入れてくれる可能性が高い(今すぐでなくても、後からでも)と考えているのだろう。

しかし、あきらとは(まだ)交際に発展していない友人関係なので、そう上手くいくとは限らないことをふみは知っている。

だから、8巻p. 97は、ふみがあつしの言葉を受けて、それを自分の頭の中で繰り返して言っているのだと読んだよ。


⇒(追加メッセージ:)うん、完全に同意だね。

ただポイントは、SBFも、あつしの言葉をそのまま使った方が良かったんじゃないかと思った、っちゅうこっちゃね(SBFの文章は、あつしの言葉からは微妙に変わってしまっているので)。

(※改めて再度独り言:)…とFrankさんには送っちゃいましたが、英語版のふみの独白も、実はしっかり読み直してみると、2コマ目の文章は最初の前半部が違うだけで、主語・動詞以降の"...friends and get to know each other"(「友達(になって)、お互いに知っていく」)という部分は完全一致だったので、まぁあつしの言葉の引用といえなくもないですし、そもそも日本語版も全文一致ではなかったわけで、取り立てて突っかかる点ではなかったかもしれませんね…。

 

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(8) p. 112:"STOP THAT, FUMI!"(「やめなさい、ふみ!」)

これも既に訳注で書いていたように、「もしかしたら先生の言葉かもしれないが…」と考察本ではおっしゃられていたけれど、日本語版原文では、これは間違いなくあきらの言葉と断言できるように思えるかな(先生はこの状況で「ふみちゃん」とは呼ばないと思うし、言葉自体もやや幼稚に思えるね。※注:原文は、「やめて ふみちゃん」)。

A. それなら納得だ。

改訂版ではその章を修正して、ふみの夢の中であきらがそう言っていることをはっきりさせるとしよう。

(追加の独り言:)前回触れていたオノマトペもそうですけど、「文字だけでも発言者の属性をある程度表せる」という点も、日本語の豊かさの一つに思えますねぇ。

例えば「やめやがれ、ふみ公!」とか書けば、それだけでかなり気の強い生意気でやんちゃな人の発言に見えるし、「フミサン、ヤメテクダサイ」とか書けば、ロボットとかあるいは日本語が流暢ではない外国人の方なのかな、みたいに思えますもんね。

恐らく、英語でこういう微妙な差異は出せないのではないかと思います。

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(8) p. 122:"GO TELL THE NEWSPAPER GIRLS."(「新聞部の子たちに言いに行けば?」)

めちゃくちゃ微妙な違い(かなり些細な)だけど、ここでの日本語原文はちょこっと違って、"Hey the newspaper girls, you'd better go."(原文:「新聞部 行けばぁ?」)みたいな、かなり不躾・皮肉・嫌味のこもった感じだね。

A. 了解した。

(追加の独り言:)まぁ改めて読んでみたら、実際英文の方も結構ぶっきらぼう感はあるのかもしれないな…って気もしてきましたが、いずれにせよ日本語版の台詞だと、その辛らつな言葉を新聞部員に直接言っている、という大きな違いはありますね。

 

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(8) p. 122:"A VERITABLE CONFESS-O RAMA"

これは何だい?かなり見慣れない表現だけど。

A. これはアメリカ英語のパターンの一例で、ある単語に"-rama"や"-orama"という接尾辞を付けて、その単語の説明しているものが何であれ特に壮大(スペクタキュラー)であったり劇的(ドラマチック)であったりすることを示す表現だね。


この初期の例は、"Cinerama"(「シネラマ」)と呼ばれる、初期のワイドスクリーン映画技術である。

Wikipediaの記事によると、「『シネラマ』という言葉は、シネマとパノラマを組み合わせたもので('panorma'(『パノラマ』)という言葉は、全てを意味するギリシャ語の'pan'と、見られるもの、光景、見世物などと訳される'orama'から来ている)、すべての『-orama』新語の起源である」とのことだ。

en.wikipedia.org
(より最近の例では、アメリカのアニメシリーズ"Futurama"(『フューチュラマ』)がある。)

つまり、"confess-o-rama"は、"a spectacular scene of many girls confessing to each other."(「大勢の少女たちが告白し合っているという、壮観な光景」)という意味なんだね。

これは実際、クリエイティブな翻訳の、大変良い例だと思う。


⇒(追加メッセージ:)お~もしろいね!

つまり、"confess"(告白)に"-orama"(ドラマチックな)がくっついた言葉ってことで、"-ish"のような接尾語だった、ってことなのか。

個人的に今まで見たことはなかったけれど、この場面にちょうどふさわしい、良い表現になってるね。

(※注:原文は、「卒業式の告白大会」でした。

 ちなみに"-ish"は、日本語でも「ボーイッシュ」「ガーリッシュ」など普通に使われるのでおなじみだと思いますが、「~っぽい」という曖昧さを足す、英語にしては珍しく、ぼやかせる表現ですね。

 これはどんな言葉にも使えて、「9時ぐらい」と言いたい時に「nine-ish」(ナイン・イッシュ)とかいうのも日常的に非常によく使われている、大変便利な付け足し語ということができましょう。)

 

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ちょうど最後も「青い花で学ぶ英語」コーナーっぽくなっていましたが、以下の独立コーナーとしては、今回は超小ネタ程度ですね(多分次回の方が更に超極小ネタの予定ですが)。


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青い花で学ぶ英語】

(6) p. 36:"YOO-HOO...YOO-HOO"(「もしもし  もしもーし」)

前回に引き続き温泉回から、のぼせて倒れてしまったふみちゃんに、ヒナちゃん先生が声をかけるシーンですね。

「もしもーし」と声をかけるわけですが、これが英語だと「Yoo-hoo Yoo-hoo」……ヒップホッパーか何かかよ(笑)と笑えたものの、実は、個人的にはパッと見で「ヘイヨー、ヨーホー」みたいな印象だったわけですけど、むしろこれは「ヤッホー」(発音としては「ユーフー」が近いと思いますが)という掛け声なので、むしろ年下の子にかける言葉としては、ヤッホーと考えたら普通にめっちゃ自然かもしれませんね。


というよりむしろ、「もしもし」という語の方が、冷静に考えたらこれクッソ面白い言葉で、こっちこそマジで「これ外国人笑うらしいな」の典型ネタといえましょう。

個人的には音の響きが面白いのではないかな、と思ってたんですけど(日本人的にも、落ち着いて考えたら「もしもしって何だよ(笑)」って思えてきますし)、検索してみたらどうやら、国(言語)によっては下ネタに聞こえることもある……って話でしたか、Yahoo知恵袋によると(↓)。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp


ベストアンサーの「washing machineに聞こえて、いきなり電話に出たら『洗濯機』と叫ぶみたいなもん」というのも笑えましたけど、しかし改めて考えてみると、別に外国人にうんぬんは関係なく、僕は大人になってからはもう、「もしもし」という語を使ったことはただの一度もなかった気がしますねぇ。

まぁちょうど僕が大人になった頃に携帯電話が普及して、携帯は受ける方もかけた方もお互い誰かは基本分かってるわけで、「何?」で始めればいいという状況もありますしね。


ちなみに僕は幼い頃、電話を受けた場合、「はいもしもし○○ですけど ご用は何でしょうか?」というフレーズをなぜか必ず一気にまくし立てるように使っており、親宛ての電話だった場合、電話の後で「紺助くんの応対、凄く丁寧だって褒めてたよ」とかよく言われてましたけど、実はこれは丁寧というより、どこで習ったのか電話口の第一声はそう応答するものだと思い込んでいただけといいますか、もう呪文のように、機械的脳死で唱えていたただけなので、ただ何も考えてない子供だっただけなんですけどね(笑)。

でも幼い子がそういうバカ丁寧な応答で電話に出てきたら、実際めっちゃ微笑ましくて嬉しくなるかもしれませんね、今冷静に考えたら(笑)。


しかし、その内成長とともに「それはちょっと仰々しすぎるだろ」と気付いた結果、いきなり恥ずかしくなってやめてしまったとともに、そもそも電話が好きくないという性質に気が付いたので、ほぼ家の電話を取ることもなくなった感じですね。

(しかし家に一人しかいないでやむを得ず出たような時は……やっぱりもう、「もしもし」は言わず、「はい」の一言で、次は無責任に相手に丸投げしていたような記憶があります(笑))


ちなみに英語なら「Hello」で済むので、もしもしプレッシャーがない分、逆に楽かもしれませんね。

(しかし、研究室のような不特定多数の人に向けて電話がかかってくる場合、「XX lab」(XXは当然苗字で、志村さんの名前をお借りすると、「志村ラボ」みたいな感じ)という応対も多いような気がします。

 研究者は合理性を重視する人が多いのか、「ハロー」すらいわず、いきなり受話器ガチャからの開口一番「Shimura lab」という人が非常に多く(何となく、ネイティブの学生はそっち派で、アジア圏の学生とかはやっぱり「Hello」が多いイメージです。あくまで印象で、必ずしもそんな違いはないかもですが、特にネイティブの早口の学生とかの場合、"Shimura lab"の例だったらちょうど「シmラーb」みたいな、「絶対相手何言ってるか分かんねぇだろ、直接聞いてても何言ってるかマジで分かんねーし(笑)」と思えるパターンが多かったですね)、これまた何かいかにもアメリカンな乱雑さというかぶっきらぼうさすぎて、笑えたという経験でした(笑))

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放浪息子』11巻表紙、https://www.amazon.co.jp/dp/B009727MIAより

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