青い花・英語版で気になった所を挙げていこう:4巻その2

日本語版4巻・英語版2巻後半の続きですね。

何だかんだかなりの量になっていたので、サクッと始めましょう。

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(4) p. 82:ここは、英訳版ではかなりアレンジされてるね(でも、例によって、変わっても話の流れには全く影響がない)。

日本語版オリジナルでは、以下のような流れになっているよ。

・春花が、"I've found a gem!"(原文:「逸材 発見しました!」)と言う。
(英語版とは違い、まだスカウトしたわけではない。)

→演劇部員の先輩が、"Where is the stuff I asked you?"(「…で、頼んだ資料はどこ?」)と尋ねる。
(英語版の「その人はどこ?」ではなく。)

→すると春花は、"Gyah! I forgot to borrow it from the library!"(「ギャー (借りてくるの)忘れた!」)と叫ぶ。
(英語版の「連れてくるの忘れた!」ではなく。)

 

A. これはマイナーな(些細な)エラーだと思う。

日本語の意味合いとしては、春花は上田を見つけたことに興奮して、図書館に行った本来の理由をすっかり忘れてしまったということであろう。個人的にはそっちの方が好きだね。

春花が、図書館から上田を連れてきて、すぐに演劇部に会わせるという英語版の流れは、正直あんまり理に適っていないともいえるしね。


⇒(追加メッセージ:)
そうそう、アレンジ自体は結構大きなものだけど、話の流れからすると非常に些細なもんだね。大したこたぁないわな。

⇒(追加独り言:)ちなみに、「ギャー」という叫びですが、これは面白いことに英語でも"GYAH"みたいに書かれていることが多く、「これは日本語のままでもアリなのかよ!」と笑えました(笑)。

 

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(4) p. 85 :このページは、実は日本語版では突然の回想シーンになっているんだ。

英語版ではフォントのスタイルが全く変わっていないので、あたかも前のページから連続したシーンであるかのように見えるけど、実はそうではなく、このページだけちょっと前の出来事を振り返っている形なんだね。


A. 確かにそうだね:日本語版ではフォントが薄くなっており、回想であることが示されている。

しかし、英語版では連続したシーンとして見ても意味をなしているように思えるので、VIZの翻訳・ローカライズチームがそれを見落としていたとしても、さほど驚きはないように思えるよ。

「付録:誤植」の章を修正する際、これをエラーとしてカウントしておこう。


⇒(追加独り言:)
台詞自体は英語版でもほとんど同じなんですが、やっぱりここは場面が転換している(=ホンの少し前の時間に戻っている)方が自然ではないかなぁ、と思えちゃうポイントかもしれません。

(一応、接続詞や主語が変わっていて、英語版だと(Frankさんもそうおっしゃるように)連続シーンとして見ても多少違和感はないとも言えるかもしれないですけどね。)

 

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(4) p. 96:"...seeing Ueda and Fumi together felt strange"(「上田さんとふみちゃんが一緒に並んでるのを見ると、不思議/奇妙/変な感じだ」)

今回も、個人的な感覚では、原作の台詞と少し違うニュアンスに思える。

あきらは「変な感じ」ではなく、"my heart is kind of racing, beats wildly."(「心臓がなんだかドキドキする、激しく鼓動する」的な意味。※注:原文では「上田さんとふみちゃんの並びにどきっとした」)みたいな感覚を語っている。

ここでの"strange"は、そんな感情にも相当するのかな?

A. そうとも言えない。ここでの問題は、"doki"(ドキ)に正確に相当する英語がないことだと思う。(恐らく、これも英語に輸入すべき借用語かもしれないね :-) 。)

"strange"という単語はどんな意味にもなり得るが、必ずしも「心臓がドキドキする」という意味にはならない。

"giddy"という語は「心臓がドキドキする」という意味合いが強いけれど、「喜びや楽しみ」という意味合いを含んでおり、これは日本語の文章の意味を超えているように思う。

ここでは、"seeing Ueda and Fumi together made my heart beat faster."(「上田とふみが一緒にいるのを見て、心臓の鼓動が速くなった」)とでも訳した方がよかったかもしれないね。


⇒(追加メッセージ:)
面白いね。ということは、ここでは"strange"というワードは、やっぱりちょっとおかしいという感じなんかな?
(でも、いただいた説明だと、この文脈では全然OKなのかもとも思えるけど。)


⇒(追加の回答:)"strange"という単語には、多くの異なる意味がある。一番よくある"I feel strange"なんかだと、"I feel uncomfortable"(「気分が悪い」)や、"I feel ill at ease"(「落ち着かない」)など、何らかのネガティブな感情や経験を意味するものだといえよう。

しかし、このシーンでは、実はそういう意味ではないように思う。

考察本でも書いていたんだが、あきらは背の高い女の子に魅力を感じ、そのために心臓の鼓動が早くなっているのだと思える。(恭己の時もそうだったしね。)


⇒(追加の追加メッセージ:)そうそう、考察本でそう書かれていたのを思い出したからこそ、SBFで使われている単語が"strange"という、あんまりドキドキ魅力を感じているような表現ではなかったことに驚いたんだ。

でも、Frankさんはこの英訳版を読んで原文の日本語とほぼ同じように解釈していたということだから、やっぱりこの"strange"という言葉も悪くない英訳といえそうだね。

 

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(4) p. 109:"FORGOT HER NAME"(「あの人の名前を忘れた」)

ここで春花は、恭己という特定の人の名前を忘れたのではなく、"I always tend to forget a person's name."(原文:「私 憧れるわりには 名前覚えないんですよ」)と言っているんだ。

A. これは大差ないね。

その訳だと、恐らくスペースに収まらないであろう。


⇒(追加メッセージ:)
そう、全く大きな違いではないんだけど、ここで春花が言ったのは、「忘れた」という単なる事実ではなく、自分自身の性格(=名前を忘れやすい)について語っている、ってこっちゃね。

(追加独り言:)やっぱり、春ちゃんは杉本先輩の名前をそもそも知らなかったはずなのに、ここでいきなり「忘れました」はおかしい気もするから、ここは「(基本的に人の名前を)覚えられないんです」の方がよりいいんじゃないかな、って気がします。

 

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(4) p. 130:"HOW ABOUT......A WALK-ON ROLE?"(「通行人役とかはどう?」)

実は日本語原文だと、ここでやっさんは、"After all this moment, you cannot take such a fractional role, huh?"(原文:「やっぱアレすか  今更 名もない端役なんか受けられないすか」)と言っているんだ。

ニュアンスとしては結構違う気がしちゃうかな。

A. SBFの翻訳でも、これは許容範囲だと思う。

代替訳としては、"After all this, you wouldn't take a bit part?"(原文とほぼ同じ意味)という感じがいいかもしれないね。

 

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(4) p. 148:"I'D LIKE TO ASK YOU TOO!"(「あなたにも聞きたい!」)

これはおかしいよね?(だって、別に今からふみに聞くことも、普通にできるわけだから。)

(※注:下の回答でFrankさんも「おかしくない」と言っていますが、読み直してみたら全くおかしくなかったですね。
 日本語原文が過去形(「聞けばよかったかなぁ」)なので、ここも勝手に過去形で読んでしまっていましたが(本人を目の前にして「あなたにも聞けばよかった」はおかしい気がした、ということ)、実際は現在形で「聞きたい!」という台詞なので、全く問題無しですね。
 ただ、英訳はそこ以上に元と違うポイントがあります。以下の通り…)

元の日本語は、目の前のふみに対して言ってるわけではなく、"I might have wanted to ask Akira, too!"(原文:「奥平先輩にも聞いてもらえばよかったかなぁ」)なんだ。

A. 面白いね。SBFの英訳は、文脈的には問題なく納得いくのだが(結局、このシーンで春花はふみに意見を求めているので)、原文のままの方がより良かったように思える。例えば、"Um, I sorta asked Ikumi about this ... and I thought about asking Akira too!"(原文通りの意味。英語としては(当たり前ですが)明らかに自分の書いた文より自然ですね)みたいな感じでも良かったかもしれないね。


なぜ原文の方が好きかというと、これもあきらが自分(あきら)自身の状況を誰か(この場合は春花)に相談していたかもしれないのに、しなかった例になっているからである。

あきらがふみとの関係について他人に話したい(話す必要がある)と思っているにもかかわらず、その試みがすべて何らかの形で阻まれるというのは、この漫画の一貫したテーマなのだ。


その最たる例が、あきらが京子に尋ねようとしたときに、京子がつまずいて転んでしまった所であろう。学校の廊下でつまづいて転ぶだなんて、一体どのぐらいあることだろうか?

あの場面は、明らかに志村が、あきらがふみのことを誰か(この場合は京子)と話したかったけれど、その機会が与えられないことを示すために仕組んだものだったといえよう。

そこで、ここでもう一つの機会損失があるわけだ。もし、春花があきらに織江のことを実際に話していたら、あきらは春花に自分(あきら)とふみのことを話していたかもしれないんだね。

そうではなく、春花はふみに相談し、その話がきっかけでふみは春花にカミングアウトし、その後ふみは日向子に相談することになった。

そしてその間、あきらは自分の思考の牢獄に閉じこもったままになったわけだね。


⇒(追加メッセージ:)
非常~に面白いね!

ということは、ここでの台詞は、「あきらに…」(原文の通り)の方が断然いいといえそうだね。

翻訳を修正すれば、読みの深い英語版の読者にとってはより面白い展開を思い描くことにもつながるかも、という一つの例って感じかな。


⇒(追加の回答:)そう思う。

 

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…という所で、日本語版4巻の、「SBF英訳で気になった点」はそのぐらいですね。


最後、「青い花で学ぶ英語」コーナー用に無理やり見繕った、「作品の内容とは別に関係ない、面白い英語表現」についてですが、無理やり見繕った割に2つもあったんですけど、両方結構なボリュームになっており無駄に長すぎたので、今回は1つだけの紹介に留めておきましょう。

もう一方のネタにはまた次回以降、続きの記事で、スペース的に都合のいい時があったら、改めて触れようかと思いいます。

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青い花で学ぶ英語】

(4) pp. 134ー5:"NO, I BET IT WAS." "NO, I'M CERTAIN IT WAS."(「いいや、そうだと思う」)

英語ではYes/Noの質問に対する答えは必ず"Yes, X is"、"No, X is not"となると習った。

これは、日本人にとって、特に否定系の疑問文だと、日本語の答え方・スタイルと全く違う感じになっているから、めちゃくちゃ罠になってるんだ。


例えば、"You won't eat anymore?"(「もう食べないの?」)と聞かれて、"Enough, and I don't need anymore."(「もう十分だから要らないよ」)と答えたい場合、日本語では、"Yes, I don't need."(「うん、もう要らない」)みたいに言う。
(これは結局、文そのものを肯定している……つまり、"Yes, your question/guess is correct."(「はい、あなたの質問・推測は正しいですよ」)という気持ちが念頭にあるから、「Yes」で答え始めてしまうと言えるんだと思う。)


しかし、(Frankさんには)言うまでもなく、英語では、この質問にそう答えたい場合は、"No, I don't need."と答えなければならない(※あえてそのまま訳せば、「もう食べないの?」→「いいえ、もう要らない」という応答で、よぉ分からん受け答えになっている)。
(繰り返しだけど、日本人的には、"No,"と聞こえたら(続く文がなくて、"No."のみの返事だったら特に)、非常に強く「質問文で聞かれたことを否定している」ように感じるので、頭の中では、"No, your guess is not correct. I'm still eating."(「いや、あなたの推測は間違っている。まだ食べるよ」」という返事をしているかのような受け答えになっているんだ。)


そして、春花の言葉に戻ると、ここで、春花は肯定文でNOと言っていることに気が付いた。

こういう形になっている、何か合理的な理由はあるのかな?(誤植の章で挙げられていなかったし)ネイティブはこの文章に違和感を全く感じないんだよね?

あぁそういえば、アジア圏言語の文法は全て(か、ほとんど)が上で説明した日本語パターンと同じなので、今ではたくさんのアジア人がアメリカに住んでいるから、ネイティブスピーカーでさえ時々混乱して(アジア言語の影響を受けて)、我々スタイルの受け答え方になってしまうことも稀によくある……なんて聞いたことがあるよ。

もしや、春花の言っていることは、単にその紛らわしさに釣られてしまった表現、非正規の表現になってしまっている、という感じなのかな?

A. 実は、これは100%正しいとは言えず、英語圏の人にとって時々問題になっている点なんだ。

例えば、誰かが他の人に "You don't want to eat any more? "(「もう食べないの?」)と言ったとしよう。

実は、英語のネイティブスピーカーには、2つの返答の仕方があるんだ。

一つ目は、"No"または"No, I don't"と言って、"No, I don't want to eat any more"(※自然な日本語にすれば「うん、もう食べたくない」)ということを意味する答え方である。

しかし、実は他にも答え方があって(とはいえ、あまり一般的ではないけれど)、"Yes, that's right"(「はい、その通りです」)または"That's right"(「その通り」)と答え、これは、"Yes, your belief is correct: I don't want to eat any more"「はい、あなたの考えは正しいです:私はこれ以上食べたくありません」という意味になる。

この後者の使い方は、日本語の用法に対応していると思われる。つまり、元の人の信念を肯定する返答だね。


私には(4) p.134-5の日本語原文で春花が何と言ったのかは分からないが、SBF2:314(英語版の対応ページ)の英語は、ネイティブスピーカーには完全に理解できるものになっていると思う。

ネイティブは、次のような順序で読むであろう:

1. 春花が、"Did you quit because I'm too pushy?"(「私が強引過ぎるから辞めたんですよね?」)と尋ねる。春花はYes/Noの答えを求めている。

2. ふみは、"No, that wasn't it."(「いいえ、そうではない」)と言う。つまり、ふみは、春花の考えは間違っていると否定しているのである:"No, I didn't quit because you were too pushy."(「いいえ、あなたがあまりにも強引だから辞めたのではない」。)

3. 春花は、"No, I bet I was."(「いや、きっとそうです」)と言う。言い換えると、春花はふみの拒絶反応を否定しているのだ。"No, you (Fumi) are wrong, I think I was too pushy."(「いいえ、あなた(ふみ)は間違っています。私があまりにも強引だったからです。」

…という流れだが、私にとっては完璧にクリアである。


上記私の説明は、日本語の原文とは合っていないのだろうか?私の見解では、春花が"No, I bet it was"と言ったのは、ふみからの質問に対してではなく、ふみの発言に対しての返答だった、ということなわけだね。

なので、質問に対して"yes"を使うか"no"を使うかという議論は、少なくともこの英語版の場面では関係ないのである。


⇒(追加メッセージ:)
なるほど、それなら完全に明快だよ。

実は、上の説明であった「いいえ、(あなたの考えは間違っていて、)私は強引だったと思う(肯定文)」という考え方は、(最初に自分でも書いていたように)我々日本人には完璧に馴染みがある考え方で、あえて質問したのは単純に、英語の考え方は全く違うのではないかと思ったから、ってだけの理由なんだ(なぜならそう習ったので)。

でも、英語でもたまにそういう風に考えることがあるのなら、全然問題ないね。

ちなみにもちろん、日本語でも、まったく同じ構造の会話文であることは言うまでもないよ。原文は以下の通り。

(p. 134;先ほどのFrankさんの説明でいう2番から)

ふみ:"Well, uh, hmm, no, that wasn't true."(原文:「え いや  あの  そうじゃないの」)

春花:"No, I'm sure it is true (I'm correct)."(「(いいえ)そうです 絶対」)
(実は、原文の日本語ではここで春花は「No」に当たる言葉を使っていないんだけど、我々読者は間違いなく頭の中で「いいえ」という言葉を埋める形になってるよ。)

(p. 135)

ふみ:"No, not at all."(「いえ ちがいます」)

春花:(上とまったく同じ言葉を繰り返す)「そうです 絶対」。


改めて、このパターンの受け答えは日本人にとってはめっちゃ自然なんだけど、習った知識からいうと普通の英語表現は違うんじゃないかな…と思って質問してみただけ、ってこっちゃね。

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では次回は日本語版5巻へ入り、スペースがあったら、今回は保留にした4巻で見かけた気になる英語表現にも触れていこうと思います。

英語版『放浪息子』7巻表紙、https://www.amazon.com/dp/1606997505より

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