引き続き、自分の専門分野でもなければ得意分野でも何でもない「物理学」の面白小ネタについて、また1つ脱線話を見繕ってみようかと思います。
これはそもそも、↓の「分子・原子」を見ていた一連のシリーズ記事で、「素粒子」について見ていた時に脱線しようかな…と思いつつ……
…あまりにも無関係すぎたのでこの時はやめておいたネタなのですが、何かといいますとズバリ、記事タイトルにもしました「鏡」についての話!
なぜこの記事で鏡に脱線しようかと思ったかといいますと、この記事で素粒子・光子の同一性に関する非常に分かりやすい説明としてお借りしたのが、1965年にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さんのものだったわけですけれども、確か朝永さんが書籍で触れていたのを見たのが確か僕にとって初めて「鏡の反転の謎」について考えたきっかけであったので、そういうつながりで話を脱線させようかと思っていたわけですが……
…ここ最近の一連の物理小話の一環として、せっかくなので今回触れてみようと思った次第です。
そんなわけでまぁ今までの話とは全く何の関連性もないんですけど、これはむしろ遠心力とか慣性とかそういうのよりももっと身近な題材で、誰もが知る話だといえましょう。
ズバリ、昔から何となく誰もが疑問に思っているであろう、「鏡にモノを映すと、上下は一緒のままなのに左右だけひっくり返るのはなぜだろう?」という話ですね。
これについて、朝永さんもある日同僚の物理学者と議論になってあれこれ考えた結果、(僕の記憶が確かなら、ですが…)結局「こういう理由だ」という決定的なものに辿り着くことはなく、「読者の中で、ハッキリとした理由が分かる方がいらっしゃったら、ぜひご教示いただきたい」みたいな感じで〆られており…
「えぇ~?世界を代表する物理学の天才でも分からないの…?単純に見えて、鏡も不思議なんだなぁ」
…などと幼いながらに思った記憶がありますが、その後色々考えて、僕個人的には「こう考えれば納得できない?」という話に辿り着いたので、今回はそれを紹介してみる形です。
なお、個人的には大変分かりやすいと思っているのですが、クラスメイトの女子に「鏡ってこうなんだよ、分かる?」と自慢気に解説披露した所、
「は?誰お前?」
と言われただけだったので、正直全然説得力はないのかもしれません。
(…というのは冗談で、これは個人的にめっちゃ好きなコピペネタ、「〇〇の知名度って低いよな」を使いたかっただけで(参考:↓)…
「◯◯の知名度って低いよな」は2009年12月18日に立てられた2chのスレ「片山右京、富士山で遭難★2」に書き込まれた以下のレスが元ネタになっていると思われる。
185 + 6: スタンド(アラバマ州)[sage] 2009/12/18(金) 10:56:46.96 id:k1FjCCK7 (2/2)
佐藤琢磨に比べると片山右京の知名度って低いよな
この間クラスの女子に「片山ってレーサー知ってる?」って聞いたら「は?誰おまえ?」って言われたよ
一般的にはその程度の知名度元F1レーザーの片山右京を知ってるかとクラスの女子に尋ねると、片山右京うんぬんではなく自分の存在を知られていなかったという悲しい内容。改変しやすいため、コピペとして使用されている。
…まぁ「誰お前?」は冗談ですけど、知り合いとこの話になったときに自分の考えを披露しても、今まで誰一人「なるほど!」とはならず「ふーん」ぐらいだったので……結局「誰お前」ぐらいの寒い受けだったことには変わりないかもしれませんが(笑))
まぁ御託はともかく僕の考えとしては、ズバリ、
「ただ自分がそのモノを『左右が反対になるように映してる』だけ。自分がそうやって映したんだから、そう映るのは当たり前じゃない?」
…というものになります。
これでは何のこっちゃかと思いますが、要は、紙に「あ」と書いて鏡に映す際、まず、自分が書いた紙を目の前に持ってきますと…
一画目の始まり(出だし)は向かって左上、最後の払いは向かって右下あたり(=紙全体を四等分した場合…まぁ終わりはほとんど真ん中ですけど、全体的に「右下の方」で伝わると思います)
…に位置する形になっているのはどなたも同意いただける話といえましょう。
で、「それではこの紙を鏡に映してください」と言われたとき、誰がやってもほぼ確実に、このように映った「あ」が鏡に存在する状況になると思われるわけですが……
…確かにこの場合、一画目の出だしは右上に、最後の払いは左下の方に位置しており、左右が反対になっていることが明らかです。
しかし、ここでちょっと待っていただきたい!
この映し方は、紙をくるっと左右に回した(というのが正しい表現かは分かりませんが、左右の真ん中を軸として、左辺が右に、右辺が左に来るように回す、ってことですね)からこうなったのであり、普通あんまりそうする人はいないであろう、「上下の中心を軸として、上下を回転させる形」で紙を回して鏡と向き合わせたらどうなるでしょうか…?
そう、言うまでもなく、
一画目の出だしは左下、最後の払いは右上と、元々見ていた「あ」と、左右は変わらず、上下だけがひっくり返っているじゃあないですか!
これに気付いたとき、僕は「え?結局、左右に回して、左右がひっくり返るように映したんだから、左右が逆転するのは当たり前では…?」と思うようになったんですけれども、これって決定的な説明にはなってないんですかね…?
ちなみに、「(上下・左右に関わらず)なぜ反転するか?」については、それも結局「自分が回して映しているから」に過ぎず、例えば透明なサランラップにマッキーで「あ」と書いて、サランラップをそのまま目の前に持ってきて、更にその奥に鏡を置きますと……
…まぁこれはやってみないと中々どうなるか(少なくとも僕のショボい物理センスだと(笑))分かりづらいんですけど、家庭にあるもので絶対できるので興味がある方はやってみて欲しいんですけれども、面白いことに、透明なラップ越しに映した場合、鏡にもちゃんと読める形の「あ」がそのまま映っているんですねぇ~。
「自分が読める状態のものをそのまま(全く回さずに)鏡に映したら、何てことはない、実際何も反転しておらず、読める字のまんまじゃないか」という話なわけで、僕はこの、
「自分がそう映るように動かした(回転した)だけ」
という説が好きなんですけれども、どうもこの説明をして納得を得られた経験がないので、全然大した話ではないのかもしれません。
ちなみに自分自身(=人間)を鏡に映す場合も全く同じ話でして…
…まぁ自分を客観的に見るのは難しいので「観察者」を設定する必要がありますけど、まず、その観察者と自分が向き合うことで、「今の自分の姿がどう見えているか」を設定しましょう。
自分と向き合った観察者から見て、自分の右目は(観察者にとっての)向かって左の上の方に、左足は向かって右の下の方にあります。
(要は、先ほどの「あ」の紙の例で、その例の自分が「観察者」、その例の紙が「自分」になった、という状況ですね。)
で、「あなたの後ろに鏡があります。観察者に、あなたの顔を鏡に映して見せてください」と言われたとしますと、100%の人がくるりと回れ右をして背後の鏡に自分の顔を映すのは間違いないといえましょう。
その結果、観察者から見て、「鏡に映ったあなた」は、右目が向かって右上に、左足が向かって左下にあることになり、無事、先ほどの「本来のあなた」とは左右が入れ替わりました。
ところが!
最初の例の話と全く同じ理屈で、「では観察者に見えるように、鏡にあなたの姿を映してください」と言われたときに、おもむろに逆立ちをしたらどうなるでしょう?
綺麗に倒立したら、顔は向こう向きに移動するので顔が鏡に映る状況になってくれますが、ズバリ、逆立ちしたあなたの鏡像は、右目が向かって左の下側に(=頭が下)、左足が向かって右の上側に来るという形で、「左右はそのままで、上下がひっくり返った」という状況になっているではないですか!
「さ、鏡に映してお化粧しよう」という時におもむろに逆立ちをする人はこの世に存在せず、どんな人間でも絶対に鏡に映る(=自分の背後にある鏡に、自分の姿を映す)ときは回れ右をするので、「左右が反転するのが当たり前」になってるわけですけど、結局これも、
「左右が逆になるように回れ右して鏡に映ったんだから、左右が逆になるのは当たり前じゃないか」
としか言えない状況になってると思うのですが……
しかし、「朝永さんが結局分からないままだった」というゆるぎない事実が、「それは問題の根本を説明してることにはならなくない?」という不安につながり、僕から自信を喪失させます(笑)(史上最高レベルの物理学者が結論に辿り着かなかった問が、僕に解けるわけがないので(笑))。
とはいえ、個人的にはその考えは普通に理に適っていると思えるので、個人的にはこの、「なぜ左右だけ?→そうなるように映してるから」ってので納得し、満足したまま人生を終えようかな、と思っています。
とはいえ他にも色々な説明があるのが鏡なので、当然のごとく記事水増しの意図でしかないですけど(笑)、次回はまたもうちょい他の意見も見てあれこれ考えてみようかな、と思います。
鏡ネタ、無駄に続く……。