つながりを大切に…

引き続き、いただいていたコメントを順番に見ていこうと思います。

今回は、こちらの記事の内容に関するお話ですね。


今回ももちろん、アンさんよりお寄せいただいたコメントになります。

毎度、深謝の極みです!

 

接続詞の件は、なんにも意識してなかったですが、

becauseは「Why?」と聞かれた時の返事として「Because」から始まるということが私の中では普通というか、その認識しかなかったので、いやそんなことないでしょ!と思いながら読んでいたら、最後に例外として書いてありましたね笑


というか、becauseはWhyとセットでしか使わないくらいまであるので、普通に「○○だから、××」と言いたい時は、自分は「〇〇です。だから××です」として、簡単に「so」で繋いでしまっているように思います。

2文を1文にするというのも、とりあえず、2文なのか1文なのか、ピリオドがあるのかbecauseが小文字なのか、会話なら(書かなければ)バレないでしょうけどね笑

書き言葉の場合は、接続詞の使い方に注意ということで、全く意識したことのないポイントでした。

 

⇒そうそう、偉そうに「中学生は絶対ミスするであろう」とか書いていたのですが、実際中学で習う会話文で「Why~?」「Because~.」という例文は間違いなく登場していた記憶がありますし、そのミスは全く馬鹿にするような話ではなく、むしろ体系的に教わらない限り知らなくて当たり前といえる話だといえそうですね。

(まさに僕自身も、実際にミスして間違いを指摘されて学習するまで、全く意識できていなかったポイントでした。)

 

もちろんアンさんのおっしゃられている通り、口頭の会話なら全く意識する必要のない話であり…

(基本的に会話なら「Why?」「Because...」論法が成り立ちますし、むしろ会話であれば「Because 主語+動詞.」という不完全な文の方が圧倒的多数ですらあると思います(復習しておくと、文法的に正しいのは「Because 主語1+動詞1, 主語2+動詞2.」(=「主語1が動詞1だから、主語2が動詞2なんだ。」)という形であり、あくまでbecause節の文は主文につなげるための補助的な存在でしかないわけですね)。)

…さらに言えば、非常に汎用されるため、「Because」なんてまどろっこしい言い方はせず、「'Cause」どころか「Coz」「Cuz」(コズやカズ)みたいに言う人も非常に多くいる感じです。

(もちろんそれは早口な若い子に特に多く見られる感じで、ゆっくり話す方や年配の方はしっかり「Because...」と言うことも普通にありますが。)

 

一方、コメントにあった「So, ...」は、ぶっちゃけこれが最強ですね(笑)。

「Because」は構造的に、「A is B... because C is D」と、仮に口頭で、多少ギャップを挟んだとしても、これは「AはBだ、なぜならCはDだからだ」という意味になってしまうわけですけど、むしろ日本語の思考的にはそういう「理由を後出しする」構造より、まず理由を述べて、後ろには単純にその理由から言える帰結文を述べたいことが多いですから(=「○○だから××だよ」みたいな)、その通りの構造でそのまんま使える「A is B... So, C is D」(=AはBだ、だからCはDなんだね)の「so」が、我々にとってとても使いやすい、ありがたい表現だといえましょう。

(「A is B because C is D.」は、絶対に「AはBだね、だからCはDになるよ」という意味にはなりません。「becauseの後は理由を述べる」と決まっていますから、これは全く逆で、「CはDだから、AはBだよ」という意味になってしまうってことですね。

 もちろん、先にbecause節から始めれば順番的には素直な形になるとはいえるわけですけど(「Because A is B, C is D.」なら、「AはBだから、CはDだね」になる)、基本的にそういう接続詞が存在しない日本語的な思考に慣れていると、ついつい文頭に「because」なんて付け忘れて言葉を発してしまうことの方が多いですし、後出しリカバーの利くsoの方が便利なのは間違いないように思えます。)


音も近い(「そういうわけで…」という意味にピッタリ)、かつメチャンコ言いやすいこともあり、soはもちろんネイティブも超多用しているどちゃくそ便利なつなぎ言葉なわけですが、とはいえしかしsoにも弱点はあって、最大の懸念点としては「あまりにも口語的過ぎる」ってのが筆頭として挙げられますね。


そう、soは口語的な響きが強いため、文章、特にレポートや論文みたいなそれなりに堅いきちっとした形式のものが望まれる書き言葉の場面においては、相応しくないといえてしまうのです。

多くの方にとって、仮に英語を使うとしても作文より会話の方が重要に思えますし、少なくともご質問者のアンさんは間違いなく会話重視のようで、きっちりした英作文については特にお尋ねになられていないわけですが、個人的にはそちらの方が専門に近く語れることも多いため、今回はそちらに話を広げさせていただこうかと思います。


この辺の話については、これまで何度かお世話になっていた数多くの日本人向け英語読本を執筆されているマーク・ピーターセンさんの解説があまりにも分かりやすく役に立ち、僕も英作文する際には未だにマークさんから教わったことを根っ子として意識し続けているといえるぐらいです。

実際今回の記事タイトルも、著作の関連する章題からそのまま拝借させていただいた形ですね。


これまで既に何度も章丸々レベルで引用させてもらっていたので丸っとは引っ張らないようにするものの、非常にためになったポイントはまたいくつかチョロチョロっと参考までに軽く紹介させていただこうと思います。

(重要な文法事項なので概ねどの著作でも触れられていますが、以下、『日本人の英語』『マーク・ピーターセン英語塾』『実践 日本人の英語』あたりからの引用がメインになります。)


まず一番「なるほど~」と納得いった話として、「so」のカジュアルさについてですが、これは日本語でいうとちょうど「だから」と「だからさ」の間ぐらいの軽さで受け止められる感じだということですね。

課題のレポートや論文、あるいは一般的なビジネスレターなんかでも、「だからぁ、…」みたいな文を書くなんてあり得ませんから、基本的にそういうきちっとすべき場面で「so」はなるべく使わない方が良い……どころかむしろ、絶対に使わなくて良いといえます。

その理由は、soを使いたい場面であれば、他にもっと適切な語が必ず存在するからに他なりませんが、その辺はマーク・ピーターセンさんの解説を踏まえてまた順に見ていくとして、そもそものsoという語自体がもたらす論理関係、いわば「文と文のつながり」について軽く触れておきましょう。


まず基本的に日本人はsoに限らず接続詞を多用しすぎであり、マークさんいわく、『日本人の書いた英文に見られる因果関係を示す言葉の多くは、添削の後生き残らないのですが…』とあった通り、我々は作文でついつい「したがって…」「つまり…」「ゆえに…」「結果として…」「それによって…」みたいな枕詞をまず文頭に置いてしまいがちなんですけど、日本語はやっぱりこの辺の「論理の流れ」が割とユルユルであることを自覚するのが重要であるように思えます。


特に何も「したがって」ないのに「したがって…」で始めたり、別に全くつまっても要してもいないのに「つまり要するに…」と言ってしまったりなど、いざレポートや論文を書くとなると、恐らくどなたでもこういった接続詞(単語によっては、「接続副詞」の方が英文法的には適切かもしれませんが、まぁ細かい文法事項は無視しましょう)を単なるつなぎ言葉程度の感覚で多用してしまいがちだと思うのですが、英語の場合、何も考えずに適当につなぎ言葉を加えてしまうとクドい・不自然のみならず、下手したら非論理的な文にもなりかねないんですね。


具体的に、マーク本からの例を拝借させていただきましょう。

  • I forgot my wallet today.(今日財布を忘れた。)

  • I have only 310 yen.(310円しか持っていない。)

という2つの文をつなげる際、どのような接続詞を用いればよいだろうか?という質問が章の冒頭にありました。


実際は選択肢が挙げられていたのですが、ここではまず話に挙げていた「so」について考えてみるといたしましょう。


「so」というのは上述の通り「だからさ」という意味合いの単語ではあるわけですが、実際のこの語は、

『当然の結果を示すために用いられる言葉なのであり、……緊密な因果関係を表現する接続詞なのである。』

という説明がされていました。

 

そう、ついつい気軽に使ってしまいがちな「so」ですが、実は原則として、「必然的にそうなる」「当然な結果」ということを表す際に用いられる、かなり強い因果関係を導く言葉なんですね。


したがって、先ほどの2文をsoでつないだ形…

『I'm sorry. I forgot my wallet today, so I have only 310 yen.』

というのは、「すみません、財布を忘れてしまったので、当然、310円しか持っていません」という意味になり、こう書けば明らかかと思いますけど、これは本の中で『非論理的』だと断じられていたぐらいに、おかしい英文だといえてしまうわけです。


…とはいえ、まぁ原則はそうなんですけど、実際周りを見渡す限り、ネイティブの奴らも普通に適当な論理関係で「so」を使ってることがままあるんですけどね(笑)。

それどころか、さっきから(自分もそうであるにも関わらず)偉そうに「日本人は接続詞を使いすぎでぇ…」とか抜かしていたんですけど、経験上、別にアメリカ人も普通に作文で無駄な接続詞を並べているのはよく見かけます。


実際、ちょうどこないだ9月に新学期が始まり、僕のいる研究室にも「ローテーション」で新しい大学院生が複数名、約3ヶ月のお試し研究室入りをしてきて、去る12月半ばに第一タームが終わり研究結果レポートをまとめていたわけですけど(ローテーションについては、以前の記事で軽く触れたことがありました。特に詳しい説明はしていませんでしたが…)、僕はそのレポートを添削したのですが、「so」は当たり前のようにめちゃんこ使われまくっていましたし、論理関係や全体の流れも割とぐちゃぐちゃで、第一稿はほぼ赤字の方が多くなるぐらいにして返してあげた感じでした。

 

…と、これこそ話の順番・論理関係がぐちゃぐちゃですけど、その辺の学生の話に関してふと脱線してみたくなった話があったので(いつか機会があったら触れてみたいなとずっと思っていたネタでした)、ちょうどいい流れということもあり、唐突にちょっと脱線してみようかと思います。


僕は生命科学系の研究科所属なのですが、この界隈でずっと前(もう10年以上前でしょうか)めちゃくちゃ大受けしていた一枚の画像がありまして、それが、「科学の世界で、お互いをどう見ているか」というのを示した傑作すぎるこの表(↓)……

 

https://science.nichd.nih.gov/confluence/display/newsletter/2011/09/06/How+People+in+Science+See+Each+Other#より

上記出典ページにある通り、この画像は元々Matus Sotakさんという研究者が作られたもののようですが、これマ~ジでクッソその通りすぎて笑える、素晴らしいネタ画像なのです。

 

どういうことかと言いますと、大学の研究室には色々な立場の人がいるわけですが、それぞれがそれぞれをどんな風に見ているかを(皮肉・誇張を込めて)表している…といういもので、まぁせっかくなので分かりやすく日本語で説明してみましょう。

(色をつけたマスは、自分自身のイメージという感じですね。)

 

↓から見た→のイメージ 大学生 大学院生 ポスドク
(院を卒業した若手研究者)
教授 テクニシャン
大学生 アインシュタイン級の天才 飲み会しまくってるパリピ 研究してお金もらってる金まみれ勢 赤ちゃんを育てながら働く、頼れるママ
大学院生 砂遊びしてるガキンチョ 日々実験に苦しんでいる イケてるエリート兄さん 口やかましいだけの存在 何でも教えてくれるナビ
ポスドク 何も知らない赤ん坊 危なっかしい幼児 馬車馬のごとく働いている 破壊者(?) ゴシップ好きのお姉さんたち
教授 若くてオシャレなだけの存在 奴隷 工場作業員 表彰パーティーに参加! 研究室のことなら何でも答えてくれるアキネーター
テクニシャン 何もできない子供たち 何もできない子供たち 何もできない子供たち 研究室のマスコット的存在 いぶし銀的万能マンのような存在
チャックノリス

 

まさしく、例えば大学生は自分たちのことを歴史に名を残す天才研究者のような存在だと思っており、一方大学院生からはただのジャリキッズ、ポスドクから見たらマジで何も知らない赤ん坊と見られており、教授からしたら(ちょっとセクハラ入ってしまいそうですが)若くてエネルギッシュ・グラマラスなだけの兄ちゃん姉ちゃん…という感じで、本当に、概ねめっっちゃんこその通り過ぎて、界隈でバカ受けしていた画像なんですね(笑)。

 

最後の「テクニシャン」というのはあまり耳慣れないかもしれませんが(日本語では技官さんですね)、基本的には伝統的に女性の多い(これも時代の流れで最近は必ずしもそんなことはありませんが)、博士号などの学位は持っていないものの、一つの研究室に長くいることが多く、試薬や備品の発注・共用試薬の作製・教授に指示された実験を忠実にこなすなど、研究室の基本的なことなら一番何でも知っている実験のプロ・とても頼れる存在の方ですね。

長いこと現場で働いているテクニシャンからしたら、ポスドクですらただのジャリンコに過ぎないというのも、とても頷ける見方に思います(笑)。

 

…と、もうちょい色々語るつもりが時間がなくなってしまったのでまとめると、何か「大学生・大卒の人」って世間的には「凄い優秀な人たち」というイメージがあるように思うんですけど(実際僕も未だに「○○大卒」とか大々的にアピールされてるのを見ると、一瞬おぉ凄いじゃんと思えてしまうものの)、少なくともアカデミック(学術的)な研究という世界においては、基本的にマジで↑の画像の通り、客観的に言って、誇張抜きに赤ちゃんレベルでしかない存在に思えます。


大学を卒業した大学院生ですら、よっぽど何年か実際の研究という世界に揉まれて慣れてくるまで、一人では何もできない小童であることがほとんどだ……というのは、実際に彼らを見る立場からも(もちろん当時の自分も含め(笑))間違いない話だといえてしまいますね。

 

…っていかにも上から目線の偉そうな物言いで恐縮ですが、今↑のカッコ内で但し書きした通り、何を隠そう自分自身のことを振り返ってみて、大学生の頃は本っ当にただ言われたことをやるだけの、学問的に完全なる赤ちゃんレベルの存在でしかなかったのはまさに僕自身が間違いなくそうだったので、身をもって語ることのできる、信憑性高い話だとご理解いただいて構いません(笑)。

基本的に一握りの超優秀層を除き、本当に自分の専門分野もろくに理解していないし、作文とかもグチャグチャですし、あんまりアメリカ人や大学生を凄い存在として神格化して崇める必要はないでしょう……みたいなことを言いたかった感じでした。

 

…と、本当にちょっと時間が足りなかったので書きたかったことが十分書けなかった状態なのですが(初稿アップ後、もうちょっとだけ修正しておくつもりです→結局あまりまとまらなかったので、また次回ちょびっとこのネタにも脱線する所から始めようと思います)、途中状態になっていた接続詞の話について、また次回改めて続きから触れていこうと思います。

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