大学を卒業するということ・補足

前回は、「なので」みたいな表現で文をつなぐ際に使われる英単語について見ていくつもりだったのが、途中から大学院生の作文について、そこからさらに大学の研究室におけるステレオタイプ的な人間関係像みたいな、あらぬ方向へと話が脱線して時間切れとなってしまっていました。


まぁ「あらぬ方向」と言いつつ、触れてみたかったからあえて自ら話をそちらに逸らしていたわけですが(笑)、時間が足りなかったこともありちょっと言葉足らずな面もあった気がするため、今回はちょこっとだけそちらの話に補足する所から始めさせていただきましょう。

 

まず、「大学生・大学院生の作文なんてそんなもんです」という感じで、「世間では大卒の人をありがたがっていますが、実際の所は……」と、まるで「大卒はアホバカマヌケのクソ野郎」と言わんばかりの(そこまでは書いていないものの(笑)、まぁそう取られても文句はいえない話になっていたとも思えます)、ケチョンケチョンに見下すような物言いになってしまっていた気もするのですが、あくまでそれは「学問的な研究遂行能力に関していえば」という、学生たちの単なる一側面に過ぎない話であることを改めて強調しておきたかった所存です。

恐らくこれを読まれている方の大多数が大卒に該当するのではないかと思われるので(アクセス解析とかは全くしていないので、単なる直感というか勘ですが、昨今の大学進学率等を考慮すると、普通に考えてそうではないかな、と思います)、「多くの人を不快にさせてどーすんの」って話ですし、まずはそこだけしっかり補足でフォローしておきたかった点ですね。


言うまでもなく、大学四年間で色々なことを学習・吸収し、ほとんどの人が途中で成人を迎え…

(あぁ関係ないですが、とうとう今年から成人年齢が18歳になった=今年の新成人は、18-20歳の三世代が一気にあたります!……なんてニュースもこないだ目につきました。

 現代社会ではやっぱり、18歳で成年の方が現実的な気もしますし、これは理に適った良い法改正に思えます。今年の成人式は、やはり3倍盛り上がるのでしょうか?(笑)

 コロナ禍直撃世代かと思いますし、盛り上がってくれるといいですね…!)

…立派な大人として社会へ旅立っていくのは間違いないように思います。


実際僕が大学生だった頃を思い出しても、凄い人・面白い人・優秀な人が周りには沢山いました。

僕自身ももちろん、四年間でまあまあ色々多少なりとも成長はできたんじゃないかな、という気がします。


とはいえしかし、こと「学問を探求するという研究の場」としての側面から見た場合、やっぱり大学を卒業したばかりの人というのは、基本的には赤ちゃん同然と言っても差し支えないようには思えてしまうかもしれません。

(まぁ「赤ちゃん」は言い過ぎで、流石に言葉も話せない赤ちゃんよりは上ですけど(笑)、これはまぁ「事実上、一人=自分の力だけでは何も出来ない」ことの例え話ですね。)


もちろんこれだって人それぞれで、大学卒業後すぐ(どころか在学中に)、普通の研究者が一生かかっても出せないような素晴らしい研究結果を論文で出すような学生も中にはいるわけですが、あくまで平均および大多数の人について鑑みた場合、(くどいですがあくまで「研究・学究の徒」として判断するという、たった一側面からの物言いに過ぎない点にご注意いただければ幸いです)「最高学府で学問を修めた者」と認められて然るべき人は、ほとんどいないのが実際の所ではないかな、と思えます。


そもそも「研究とか知らねーし(笑)。俺は大卒の肩書きさえ得られればいいから。ほなまた」という人がまぁ軽く見積もっても過半数を超えているのは間違いないので、そういう方々にとって研究なんぞより就職先を探すことやその他特に研究とは関係ない自分のスキル磨きなどを優先するのは当然のことといいますか最善の選択ですから、多くの人にとってそんなのはお門違いの物言いになってることも間違いないんですけどね。

…が、あくまでその視点に立って論じてみると、本当に厳密な意味で「学問を究めた(修めた)」人にのみ「学士」という称号(=大卒者に与えられる称号です)を授与するのであれば、正直ほとんどの学生が大学を卒業することはできない……ぶっちゃけ、卒業に値するのは一割もいないのではないかと思います。


とはいえもちろん九割留年とかそんなことが大学の運営上許されるわけもないので、基本的に体裁さえ整えれば誰でも卒業できる(卒業させる)のが現実であり、どんなにどうしようもないレベルの学生でも、まぁ単位さえ揃っていれば必ず卒業できるのが大学、下手したら大学院だといえましょう。

(実際大学に限らずその次の大学院でもそうで、これは僕が大学院生だった頃の、同じ研究室所属だった後輩の話ですけど、彼は修士(大学院最初の2年)で就職する予定だったのですが、修士論文審査の先生(=他の研究室の教授。身内ではないので、極めて厳しく審査に当たります)に、「もし君が博士課程に進んで研究者になりたいのであれば、この研究発表を認めることはできない。だが就職する(就職先が決まっている)のであれば、やむを得ず認めざるを得ない。ただし、卒業までにできる限り内容を改善させること」と言われた……と泣きそうになりながら語っていたのを強く覚えています。)


現実的に、学生にもそれぞれ一度きりの人生があるわけで、「君の研究、ショボすぎぃ!こんなので学士(修士、下手したら博士も)と認めるわけにはいきませんなぁ」と教授たちが思うことがあっても、よっぽど、あまりにも度を越して論外で、これを認めたら大学および大学院の学位というシステムが崩壊する…というレベルでもない限り、なるべく卒業させてあげたいと思うのが人情であり、いわば温情学位というのも、本当は学問の世界はそうであってはいけないのですが、普通に枚挙に暇がないのが実際といえるように思います。

(匿名だから好き放題書いちゃいますが、ぶっちゃけ、それ以上のない、学問をマスターした先(=修士 (Master) の先)にあるはずの博士号ですら、「いや、流石にこの人に博士号は無理があるのでは…」という例が、特にここ最近顕著に増えてきているような気も……)


…とかさっきから偉っそうなことをグダグダ書いていますけど、もちろん僕も、もしもそんな超厳密な審査をされていたとしたら、間違いなく絶対に多数派の九割=大学卒業できない(してはいけない)組でした(笑)。

前回もチラッと書きましたが、そりゃそれなりに自分でも調べものはするし、教授の先生に言われたことを忠実にこなしはしましたけど、やっぱり研究ってそうじゃないんですよね。

今現在の世界で、何が未知で、それを知るために何をするべきかを自分の力で見つけ出し、自らの手でその未開の地を一歩一歩切り開き、人類の知識・知恵・知見を少しでも拡大させていくのが研究であり、そもそも卒業のために極めてタイトな時間制限込みで行わなければいけない「卒業研究」みたいなもの自体が、本来の研究とは中々相容れないものだ、ってのもある気がします。


そういう制度的な難しさも込みで、大学生(大卒者)というのはやっぱり研究という舞台のスタートにもまだ立てていないことがほとんどだとは思えることもあって、大学生・大卒の人(=大学院に進まなかった人)を赤ちゃん呼びしてしまった形ですね(まぁ意図的なものなので、「してしまった」ではなく「していた」の方が正確ですが)。

改めてもちろん、学問研究という側面以外をメインで考えると、大学生・大卒者はやっぱり社会のコアを形成する、この世界の屋台骨・日本を支えてくれている最大の貢献者であると思えてなりません。

実際、社会に出る年齢とそこまでの経験とのバランスは、何だかんだ大学卒業ぐらいがベストだと思えますしね、現実的に最も賢いのは大卒といえるのは間違いない気がします。


……って、何か書いててあまりにも偉そうな感じになってしまった(かつあんまり面白くない)ので、「研究とは何ぞや」「人として優秀なのは…」みたいなしょうもない駄弁はその辺にしておきましょう。

(結局、勝手に大学生・大卒者を赤ちゃん呼ばわりしていましたが、我々研究者も言うなれば別の道では何も知らない赤ちゃんなわけで、ただその道に親しんで経験を積んだかどうかの違いでしかない……ってのが、色々書いたものの一番補足しておきたかった結論かもしれません。)

 

とはいえせっかくなので、もう少し興味深いと思ってもらえそうな、あまり他では聞けないような内容に触れてみようかな……と思ったんですけど、ちょっとここ最近、新年早々多忙を極めており、またしても完全に時間が足りませんでした。

(普段より1時間遅れの投稿になってしまってもなお全く届きませんでした…。)


当初、「最近の大学生・大学院生を見ててどーよ?」という記事タイトルにして、あまり直接語られることがないのではないかと思われるその辺の話を、アメリカの大学制度についてとか込みで語ろうかと思っていたのですが、それも変更せざるを得なかった感じです。

 

(以下、途中で「もう続きに触れることは無理だな」と悟って用意していた文になりますが……)

…という所で、こんなしょうもないネタを長々語った後で、申し訳程度に触れるのも続きの文法ネタ「so」に申し訳ない気がしたので、今回はこの話だけでおしまいとさせていただきましょう。

何気にもうちょい書いてみようかなと思えるネタもあった、かつ構想ではもっと面白い話がポンポン出てくる予定だったんですけど(笑)、まぁ正直、人によってはそれなりに面白く思ってもらえる話でも、やっぱり何か専門家ぶった上から目線的というか正直鼻持ちならない感じの話になっちゃいそうですし、その辺はまた一連の話題に区切りがついて、他にネタがなくなった時にでも触れてみようかなと思います。

そんなわけで、完全に中途半端だった接続詞ネタは、また次回から再開の予定ですね。

 

アイキャッチ画像は、それっぽいガウンを着た卒業生たちのいらすとをお借りしました。

 

…今回は自分の体感今までで一番中途半端な記事になってしまいましたが、またいつか機会があれば再度じっくりまとめたい限りです。

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