青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その8:リジーちゃんとダーシーさん

今回はついに前置き編のラスト、最後のセクションは翻訳版での敬称表現について触れられているようですね。


前回同様、サブタイトルの解説を著者のFrankさんからいただいていたので、まずはそちらから見ておきましょう。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"Lizzy-chan and Darcy-san"(リジーちゃんとダーシーさん):

ここでの言葉遊びは、『高慢と偏見』の英語の登場人物を日本人のように呼び、日本語の敬称を加えたものである。これを直訳すればよいであろう。

(ただし、この章の本文中では、「ミスター・ダーシー」「ミス・エリザベス」など、原語のままにした方がよいと思われる。)

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高慢と偏見

これまた名前だけは知ってる海外古典小説ですが、相変わらず視点が教養にあふれていて面白いですね。

小説自体は19世紀初頭のもので、既に初版から200年以上が経過していますけど、日本語翻訳は、今でも新版が出ているほどの名著といえましょう。

↓の数年前に出版された翻訳の評価もいいですし、いつか目を通しておきたい限りです。

高慢と偏見』(中公文庫)2017年発売のかなり新しい翻訳版表紙、https://www.amazon.co.jp/dp/B079BF6KGF/より

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第8回:45ページから47ページまで)

ジーちゃんとダーシーさん

翻訳版漫画のレビュアーは、その翻訳の質についてコメントすることが義務づけられているようである。私は日本語を話すことも読むこともできないので、『青い花』の英訳版についての意見はほとんど意味がない。しかし、私が読んだ他の漫画と比べて気づいた点は、述べておく価値があるだろう。VIZ Media版の『青い花』は極めて欧米的なものになっている:書き文字や効果音は英語のみに変換されており(他の多くの翻訳版では、その辺の日本語はそのまま表記し、併記する形で翻訳英語を加えているのとは違って)、一部の食べ物の名前を除いて、登場人物が日本語の語彙や表現を使うことが全くないのである。

 この翻訳版でその点が最も強く表れているのが、敬称が全く存在しないことだ。『青い花』アニメの英語字幕では「A-chan(あーちゃん)」「Fumi-chan(ふみちゃん)」「Manjome-san(万城目さん)」「Sugimoto-senpai(杉本先輩)」などが使われているが、この翻訳版漫画では「Akira」「Fumi」「Manjome」などだけである。

 漫画評論家・翻訳家のレイチェル・ソーンは、英語翻訳で無差別に敬称を使うことに反対している。例えば、志村貴子放浪息子』の翻訳版第一巻では、次のように述べている:「正当な理由なく日本語の敬称を保持することは、私には、自称オタクに排他的なクラブの一員であることを感じさせるための虚飾にしか見えない…」*1。私はこれまで、翻訳で敬称を使うのは無害だと思っていたが、彼女の言い分も理解できるようになってきている。

 ファンの希望としては、人間関係の機微を翻訳で表現してほしいというのが本音であろう。その場合、英語では、18~19世紀の英文学をたくさん読んだ人なら誰でも知っている、完璧な方法がある。例えば、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』には、日本語の敬語の典型的な用法のほとんどに相当する英語が含まれている(「~先輩」は大きな例外であるが):ミスター・ダーシーはほとんど常に「ミスター・ダーシー」であり、友人のミスター・ビングリーは呼び捨ての「ダーシー」と呼び、下の名前である「フィッツウィリアム」という名で呼ばれることは一切ない。(我々読者は、小説のほぼ中盤、エリザベス・ベネットの叔母であるミセス・ガーディナーが言及するまで、その名を知ることすらないのである)*2

 同様に、エリザベス・ベネットは、時と場合によって「ミス・ベネット」、「ミス・エリザベス・ベネット」、(思い込みの激しい尊大なミスター・コリンズが使う)「ミス・エリザベス」、(エリザベスより育ちの良いライバル、ミス・ビングリーが見下すように使う)「ミス・イライザ・ベネット」、および(友人シャーロットと姉ジェーンが使う)「ディア・エリザ(可愛いエリザ)」や「ディアレスト・リジー(リジーちゃん)」(これはあきらの「あーちゃん」に似ている)など、様々に呼び分けられているのである。小説の結末でダーシーが呼び捨てで「エリザベス」と呼ぶのは、彼の愛情と二人の関係の深まりを示すものといえる。しかし、彼女にとって彼は最後まで「ミスター・ダーシー」なのである*3

 なぜ漫画の翻訳者はこの戦略をとらないのだろうか?恐らく、現代英語のカジュアルな表現に慣れているファンにとって、そのような言葉遣いは信じられないほど堅苦しいものだと感じられてしまうからではないだろうか。彼らは自分の漫画がリージェンシー小説(訳注:イギリスの摂政時代の舞台を中心としたラブロマンス)のように読まれることを望まず、自分が「さん」と「様」の違いを知っていることの満足感をより好むのだ。ジョン・ウェリー訳の『青い花』英語版では、登場人物がお互いに名前か苗字で呼び合ってフォーマルさの度合いを区別しており、ミスター・カガミは常に「ミスター・カガミ」である。しかし、それ以外は非オタクの読者に向けられている。この翻訳者の選択は、私が『青い花』のテーマの一つであると考えていることにも関係してくる:欧米のアニメ・漫画ファンは、年齢、階級、性別などのヒエラルキーが比較的見られない社会にたまたま住んでいるのだ―少なくとも歴史的な基準から見れば。つまり欧米のファンは、まさに言語そのものがこうしたヒエラルキーを明示するような社会で日々毎日を過ごすことがどのようなものであるかを、知らないのである。

 例えば、レイチェル・ソーンによれば、日本人は、必要に応じてどちらが年上かを確認するために相手に問い合わせ、正しい話し方を身につけるという。「日本には『ブラザーズ』『シスターズ』という言葉はない:『兄』『弟』『姉』『妹』だけである。双子の場合でも、どちらかが恣意的に『年長者』と定義される。」*4

 欧米のアニメ・漫画ファンの中で、年齢や年功序列で組織された社会に本当に住みたいと思う人がどれだけいるのだろうか―ちょうど、例えば、現代のジェイン・オースティンの読者の中に、「目下の者」に話す際および「目上の者」に従う際、誰もが厳格な表現規範を持つような階級別の社会に住みたいと思う人が、果たしてどれだけいるのだろうかと思う。 

 さらに、敬称の使用は、必ずしも無害な異国情緒(欧米のファンがそう考えるかもしれない)や尊敬の念(日本や他のアジア諸国の人々がそう考えるかもしれない)ばかりであるとは限らない。しばしば、敬語はヒエラルキーを示すだけでなく、ヒエラルキーを強化する役割を果たすこともある。小津安二郎の映画『秋日和』では、若い女性が、友人の母親の情事に干渉していると非難を向けている三人の中年男性に立ち向かう。彼らは彼女に座るように奨めるが、彼女は立ったままでいることを主張する。その内の一人が「ゆりちゃん」と呼びかけ、優位に立とうとするが、彼女は怒って「百合子と呼んで」と言い返すのだ*5

 そんなヒエラルキーを、『青い花』はどのように捉えているのだろうか?これについては後に更に触れていくが、この英訳の特徴にヒントがあるように思う。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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僕は上述の通り『高慢と偏見』はタイトルしか知らず、中身は一切触れたことがないのですが、やはり、そういう呼び名みたいな細かい点に気が配られている時点で、何だかとても面白そうですね!

Wikipediaのあらすじを見るだけでも楽しめそうですが…

ja.wikipedia.org
…っていうか、あれ、これずーっと前に、「何か名作古典小説でも読みたいな」と思って色々調べてたときに、有志の方がかなり細かい補足と完全翻訳を無料でウェブに公開してた作品じゃなかったっけ…??と思ったら、まさにそのものズバリでした。

janeausten-love.com

…って、初めて見た数年前は余裕でアクセス可能だったんですけど、今アクセスしたら、なぜかエラーが返ってきて見ることができなかったものの、サイト自体は普通に存在していますし、↑のリンクカードも普通に取得されてますし(画像は壊れていますが……と思いきや、記事編集中は取得されませんでしたが、今見たら画像もちゃんと表示されてますね)、多分、国外アクセスをシャットアウトする設定とかにでもされたんでしょうかね…??


そんなわけで、僕は翻訳でリジーちゃんの使い分けがどのように表現されているのかをチェックすることはできませんでしたけど、「難解&とっつきづらいけれど、読んだら死ぬほど面白い」と多くの方が(そしてこの翻訳を公開されている方も確か)強く主張されている作品なので、これまた必ずチェックしておきたい小説ですね…!

(アクセスできる内に、しっかり目を通させてもらっておけばよかった…!)

 

一方、記事本題の敬称・敬語については、まさに僕も「翻訳版は、ちゃんと雰囲気が伝わってるのかなぁ」と思っている点でした。
(僕は逆に英語表記での空気感がイマイチ分からないので、「英語表記からでは原作の本当の雰囲気が分からない」ではなく、「原作の雰囲気が、英語でちゃんと再現されているのか心配」という反対の立場の懸念ですけどね、当然ながら。)

こればっかりは、そもそも構造的に違う言語の雰囲気を完全に再現することなど不可能…とも思えるんですけど、とりあえず幸いにしてFrankさんぐらいにこの作品にのめりこんでくれた方がいらっしゃる時点で、よっぽどグダグダな形にはなっていないことが推測されますし、翻訳版でも志村さんによる「間」の素晴らしさや空気感なんかまでしっかり伝わってくれていることを願うばかりです。


日本人が、「敬意を示すために、わざわざ相手の年齢を問いただす」という点は、一瞬「そんなことある?(笑)」とも思えたものの、でもやっぱり、そういう年功序列は昔より小さくなってきたとはいえ、年下が年上にタメ口を利くのが非常に憚られる空気は、今なお極めて強いとはいえるかもしれませんね。
(僕自身は年下にタメ口で話しかけられたとしても全く何も思わないどころかむしろフランクで嬉しいまであるし、例えばフワちゃんが大御所にフランクに話しかけるシーンとか見てもマジで全く何も思いませんけど、自分が年上にタメ口で話しかけることは絶対にない(家族以外ですが)ので、やはり誰しもまだまだ年功序列の呪縛に縛られているというのはあるのかな、ということができましょう。)

その辺の年功ヒエラルキー社会が、青い花と何らかの関連を持っているのかはやはり分かりませんが、海外の人の目にはそう映る(こともある)というのは、大変面白く興味深い点です。


そんな所で、ついに前置き編が終わり、次回から本題の漫画の中身に入っていく形になります。

どんな考察が繰り広げられていくか楽しみですね。

僕自身も、青い花について語りたいことはいっぱいあるよ、という感じですが、まずは硬派なアメリカ人の大人の視点を存分に堪能させていただくといたしましょう。

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*1:Rachel Thorn, “Snips and Snails, Sugar and Spice: A Guide to Japanese Honorifics as Used inWandering Son,” in Shimura,Wandering Son, 1:iii.

*2:Jane Austen, Pride and Prejudice (London: 1813; Project Gutenberg, 2013), vol. 1, chap. 3, vol. 2, chap. 2, https://gutenberg.org/ebooks/42671

*3:Austen, Pride and Prejudice, vol. 1, chap. 10, vol. 1, chap. 6, vol. 1, chap. 18, vol. 1, chap. 8, vol. 1, chap. 22, vol. 1, chap. 6, vol. 3, chap. 16.

*4:Thorn, “Snips and Snails, Sugar and Spice,” 1:iii.

*5:Late Autumn, directed by Yasujirō Ozu, in Eclipse Series 3: Late Ozu (Early Spring / Tokyo Twilight / Equinox Flower / Late Autumn / The End of Summer) (1958; New York: Criterion Collection, 2007), 1:41:24, DVD.