前回の章のサブタイトルは『Loving Hierarchy』だったのですが、当初『愛のヒエラルキー(階層)』という訳にしていたんですけれど、どうもイマイチしっくり来なかったのです。
なので、念のためFrankさんに質問してみたところ、「Lovingという形には現在分詞と動名詞の2つの用法があってぇ…」という、大変ご丁寧な中学レベルの文法の説明とともに、極めて分かりやすく面白い解説をいただけました。
結局このタイトルは一種の言葉遊びで、ダブルミーニングを意図した表現であり、一言でいうと「(人々が)ヒエラルキーを愛する」と「ヒエラルキーが(物語とかを)愛する」という両方の意味が二重で込められたタイトルだったようです。
ということで、しっくり来ないというか翻訳に迷ったのは、まさにそういう理由があったためという話でスッキリした感じでした。
記事の初稿アップ時には間に合わなかったので、ブログタイトルなどは「愛のヒエラルキー」のままですが、翻訳部は、Frankさんご自身の解説にのっとり、(ちょっと冗長ですが)「ヒエラルキーを愛し、ヒエラルキーに愛される」という形に改訂しておきました。
(ただ、冷静に考えたら、「愛のヒエラルキー」も、ギリギリ「ヒエラルキーに愛を送る」「ヒエラルキーから愛が溢れ出ている」の両方の意を含むと取れなくもないので、元のままでも別に良かったかもしれませんね。
※追記:PDF化された日本語版を見たら、やっぱりちょっと無駄に長くて冗長な感じがしたので、「ヒエラルキーを愛し、愛される」に再変更しました。)
なお、フランクさんからは追って、「参考までに、タイトルについて質問されたので、その他言葉遊びを込めたものを紹介しておくよ」と、全てのタイトルについての解説も別メッセージでいただけました。
これは面白い!
今後、そのタイトルに触れる度に、その言外というか内部に込められた裏話的なものにも触れていこうと思いますが、とりあえず今回取り上げる章のタイトルも、非常に興味深いものだったので早速きちんとご紹介させていただきましょう。
-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----
"A manga by any other name": これは、シェイクスピアによる『ロミオとジュリエット』第二幕・第二場の台詞「A rose by any other name would smell as sweet」にちなんでいる。
この漫画の英語タイトルは『*Sweet* Blue Flowers』なので、これは特に適切な言葉遊びといえよう。
これを訳すには、『ロミオとジュリエット』の日本語版で件の引用部を見つけ、「薔薇」を「漫画」に置き換えてもらえればいいと思う。
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…ということで、せっかくなら「(薔薇は、どんな名前で呼ばれようとも)同じように甘く香る」まで含めてこの台詞全体を引用するか迷いましたが、まぁ「別に漫画は香らないしな…」ってこともあるし、そもそもオリジナルのタイトルも前半のみなので、前半部だけを表記するといたしましょう。
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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子『青い花』に関する考察
著/フランク・へッカー 訳/紺助
(翻訳第7回:41ページから43ページまで)
漫画はどんな名で呼ばれようとも
なぜ『青い花』(洋題 Sweet Blue Flowers)は「甘く青い花」という名前なのだろうか?タイトルの末尾から始めて、逆順に見ていくとしよう。
前述したように、英語版『Sweet Blue Flowers』の日本語原題は『青い花(Aoi hana)』である。Hanaは「flower」―つまり「flowers(花)」という意味だが、日本語には英語やその他の言語のような複数形が存在しない。志村が吉屋信子を名指しで挙げ、第一話のサブタイトルを「花物語」としたことからも、タイトルの「Hana」は、以前取り上げた短編集『花物語』を意識していることを示唆しているといえよう。
次に、「Aoi」だ。これは英語で「blue」という意味なので、「blue flower」あるいは「blue flowers」となる。この文脈において、青という色に何か意味はあるのだろうか?残念ながら、『花物語』の各話のタイトルを英語で記したリストが見つからないので、これが吉屋の特定の物語を指しているのかどうかは分からない。
何か他のものへの言及なのだろうか?西洋文学で青い花について最もよく知られている例は、18世紀のドイツのロマン派詩人・哲学者ノヴァーリス(ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フライヘア・フォン・ハルデンベルク)の未完小説『Heinrich von Ofterdingen』(英訳は『Henry of Ofterdingen』。※訳注:邦題はまさに『青い花』)にて言及されているものである。この作品は、ベッドに横たわる若き日のヘンリーが、見知らぬ旅人の語る物語のイメージに魅せられるシーンから始まる:「青い花をこの目に収めることを希求している。いつもそれが頭の中にあり、それ以外には考えることも文章として形にまとめることもままならないのだ。」*1
ノヴァーリスの青い花(独:blaue Blume)には、神聖な意味合いと俗悪な意味合いとの両方が含まれる。一方、Wikipediaによると、この語は、「欲望、愛、そして無限で到達不可能なものを求める形而上学的な努力を意味する。希望と物事の美しさを象徴している」とある。その後、青い花は、ドイツ・ロマン主義運動全体のシンボルとなった。
しかし、この青い花は、架空のキャラクターである若い少女マチルダの、ソフィー・フォン・キューンをモチーフとした現実世界への化身という意味合いも含んでいる。ノヴァーリスは、ソフィーが12歳、彼が22歳のときに彼女と出会い、13歳の誕生日の直前に密かに婚約をした。しかし、結婚には至らなかった:ソフィーは二年後、15歳の誕生日を迎えた直後に病気で亡くなってしまったのである。
漫画の中で、ふみはあきらとの恋の芽生えを、
「あまりにも小さなその花は
あまりにも小さすぎて
すぐそばにあるのにわからない持て余してしまうかもしれない
そんな花……」
と例えている(『青い花』(1) p. 187/SBF 1:187)。志村が『青い花』というタイトルをつけたとき、ドイツ・ロマン派の「blaue Blume」を意識したかどうかはわからないが、ヘンリーとマチルダの関係(およびノヴァーリスとソフィーの関係)に見られる年齢や身分の差は、『青い花』では否定されていることは確かである。
「Sweet(甘い)」という言葉はどうだろうか?『青い花』がフランス語とスペイン語に翻訳されたとき、そのタイトルはそれぞれ「Fleurs bleues*2」「Flores azules*3」とそのまま直訳された。では、なぜ英語のタイトルはただの「Blue Flowers」ではなく、「Sweet Blue Flowers」なのだろうか?
はっきりとは分からないが、『青い花』が全八巻で出版されたとき、日本語版で『Sweet Blue Flowers』が別タイトルとして使われていたことは確かに明言できる。(このタイトルは、『マンガ・エロティクス・エフ』で連載が始まったときにも使われていたと思うが、確証はない)。このタイトルは、『青い花』の最初の英訳版が(部分的に)出版された際にも引き継がれ、その後VIZ Media版でも再び使用された。
最後に、このタイトルはどんな青い花を指しているのだろうか?青い花は、自然界にはあまり存在しないもので、この語が象徴的な意味を持つ理由の一つとなっている。(例えば、青いバラは天然には存在しないし、遺伝子操作で作ろうとしても一部しか成功していない)。
志村は、青い花の正体を、我々の想像に委ねようとしているのかもしれない:漫画のカラーページで青い花を見つけたのは、第一巻冒頭の人物紹介にある七弁の青い花と、日本語版第一巻の裏表紙にある四弁の花の、わずか二つだけであった。
これはすなわち、このタイトルにふさわしい花の種類を自由に考えてみる余地が、我々自身に楽しみとして残されているということである。ユリは、日本語の「百合」という語が「ユリ」そのものであることおよびエスジャンルとの強い結びつきを持っていることからも、明らかな選択肢の一つであろう。しかし、本物のユリ(ユリ科の標準属)に、青い花は存在しない。これは、ひょっとしたら志村のメッセージの一部なのではないだろうか:『青い花』がエスや百合という伝統的な物語にオマージュを捧げながらも、最終的にはそこから脱却するというメッセージの…。
その他可能性のあるチョイスとしては藤がある。藤は、紫色の花を咲かせるが、しばしば青みがかった色にも見えるのだ。「藤」という漢字は「藤が谷」にも、「藤崎」(藤が谷女学院がある鎌倉の隣の市)にも出てくる。「藤」は、あきらが藤が谷に入学したときのクラスの名前でもある(『青い花』(1) p. 26/SBF, 1:26)。しかし、「青い花」はあくまでもふみの物語であり、ふみは別の学校に通っている。
結局、青い花の正体は、少なくとも英語の読者には謎のままである。この本の表紙を飾るものとして青い花のイラストを選んだが、それがどの種を描いたものなのか、私には分からない。私はこれらの花を、そして『青い花』を、他ならぬそれら自身独特の存在であると考えるようにしたいと思う。
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…青い花の謎…名前の由来…それは、我々日本人にも分からない……!
恐らく志村さんも何らかの具体的な花のイメージをもってつけたものではないのではないか、と勝手に予想しますが、Frankさんも似たようなことをおっしゃられている通り、自分の中のイメージを持てればそれで十分というか、特にイメージを画一化せず、それぞれがそれぞれの青い花を心の中に思い描ければ、むしろそれが一番素晴らしいとすらいえるようにも思います。
ただ、あえて挙げるなら、日本人は「青」という色に、「未熟な」「幼い」「若い」というイメージをもつ、という点は特筆に値するかもしれませんね。
「青春」という言葉(英語だと、完全対応する語はないものの、記事中でもよく登場するadolescenceが近いですが、直訳のblue-springというのも冷静に考えたら面白いです)を筆頭に、至らない若者を「青臭い」と表現したり、熟れていない果実のことを「まだ青いね」と言ったり、青には未熟なイメージも内在しているわけです(もちろんそれだけではなく、「涼しい」「開放感」「壮大」「男性的」といったイメージもありますが)。
なので、僕は実際、『青い花』というタイトルと表紙や登場人物の女の子を初めて見たとき、未熟な女の子同士の成長・蕾が花咲く過程みたいなのを描いたようなストーリーなのかな、みたいなイメージをもったような記憶が、確かあったような気もします。
関係ないですが、欧米では、青は「性的なイメージ」があるというのも有名な話ですけど、我々はやっぱり間違いなくピンクにそれを感じるので、文化の違いはやはり面白いですね!
あとそれから、記事内で、『花物語』のサブタイトルが英語では見当たらない、という旨が記述されていました。
せっかくなので、最後にそちらをご紹介しておきましょう。
幸いにして、Amazonの文庫版お試し読みで、花物語の目次をチェックすることができました。
抜粋・引用させていただきます。
各エピソードのタイトルに使われた52種の花、全部列挙していきましょう。
併記した英語名は、学名(the scientific term) よりも慣用名 (the practical name) を優先しましたが、Wikipediaの記事タイトルには学名が掲載されることが多いようですね。
その他には特にコメントもないので、(あまりにも大量にありますし)ほぼWikipediaリンクのみ(Wikipedia記事が存在しない場合は、代替ページを掲載)の味気ない形で恐縮です。
鈴蘭 (Suzuran; Lily of the valley)
月見草 (Tsukimi-sou; Oenothera tetraptera)
白萩 (Shiro-Hagi; [White] Japanese clover)
野菊 (Nogiku; Asteroideae)
山茶花 (Sazanka; Sasanqua)
水仙 (Suisen; Narcissus)
名も無き花 (Nameless flowers)
名前がないので、当然記事もなし!
鬱金桜 (Ukon-zakura; Prunus lannesiana Wilson cv. 'Grandiflora')
忘れな草 (Wasurenagusa; Myosotis, known as "forget-me-not" or "scorpion grasses")
あやめ (Ayame; Iris)
紅薔薇白薔薇 (Beni-Bara/Shiro-Bara; Red rose and White rose)
山梔の花 (Kuchinashi-no-Hana; Gardenia)
コスモス (Cosumosu; Cosmos)
白菊 (ShiraGiku; [White] Florists’ daisy)
蘭 (Ran; Orchidaceae)
紅梅白梅 (Koubai/Hakubai; [Deep red/White] Japanese apricot)
フリージア (Furi-zia; Freesia)
緋桃の花 (Himomo-no-Hana; Flower of [crimson] peach)
紅椿 (Beni-Tsubaki; [Deep red] Camellia)
雛芥子 (Hinageshi; Corn poppy)
白百合 (ShiraYuri; [White] Lily)
桔梗 (Kikyou; Balloon flower)
白芙蓉 (Shiro-Fuyou; [White] Cotton rosemallow)
福寿草 (Fukujusou; forked-stem adonis)
三色菫 (SanshikiSumire; Pansy)
藤 (Fuji; Japanese Wisteria)
紫陽花 (Ajisai; Hydrangea)
露草 (Tsuyukusa; Asiatic dayflower)
ダーリヤ (Da-riya; Dahlia)
燃ゆる花 (Moyuru-Hana; Burning flowers)
これは流石に、特定の品種ではなく、一般名詞でしょう。
釣鐘草 (Tsurigane-sou; bell flower)
寒牡丹 (Kan-Botan; [Winter] Peony)
秋海棠 (Syuukaidou; hardy begonia)
アカシヤ (Akashiya; acacia)
桜草 (Sakura-sou; Primrose)
日陰の花 (Hikage-no-Hana; Flowers in the shade)
これも一般名詞でしょう。
メランコリック(憂鬱)な章という感じでしょうか。
浜撫子 (HamaNadeshiko; Dianthus japonicus)
黄薔薇 (Ki-Bara; Yellow rose)
これも特定の品種名ということではなく、黄色い薔薇のことですね。
合歓の花 (Nemu-no-Hana; Mimosa)
日向葵 (Himawari; Sunflower)
龍胆の花 (Rindou-no-Hana; Japanese gentian)
沈丁花 (Jinchouge; Winter Daphne)
ヒヤシンス (Hiyashinsu; hyacinth)
ヘリオトロープ (Heriotoro-pu; Heliotrope)
スイートピー (Sui-topi-; Sweet pea)
白木蓮 (Shiro-Mokuren; [White] Magnolia)
桐の花 (Kiri-no-Hana; Flower of princess tree)
梨の花 (Nashi-no-Hana; Flower of Nashi Pear)
玫瑰の花 (Hamanasu-no-Hana; Ramanas rose)
睡蓮 (Suiren; water lilies)
心の花 (Kokoro-no-Hana; Flowers in your heart)
最終章の前に、小洒落たサブタイトルのエピソードですね。
曼珠沙華 (ManjuShage; red spider lily)
いやぁ~、花っていいもんですね。
何気に、青い花も結構目につきました。
ここはそうですね…独断と偏見により、名前と見た目のどちらもが美しいことから、勿忘草を青い花のテーマフラワーに据えたいですね…!
(いや「特にイメージを画一化せず、それぞれがそれぞれの青い花を愛でるのが至高」じゃなかったのかよ(笑))
英語でもほぼ字義通りの意味の「Forget-me-not」という意味があるのも不思議というか、まぁ単に直訳で入ってきた名前なだけかもしれませんけど、何だかとても良いです。
ちなみに青い勿忘草の花言葉は、(色別には定められていないという情報もあったものの)「真実の愛」だそうで、全てが完璧…!!
charlor.net
これから勿忘草を見かけたら、ちょっとあーちゃん達のことを思い出してしんみりしてみようかと思います。
(なお、植物の区別を明確に付けられる目は持っていない模様。)
…あ、最後1つ関連ネタが思い浮かびました。
志村さんの公式ブログのタイトルはズバリ『青息吐息』でして…
www.aoikitoiki.info
念のため解説しておくとこれは四字熟語で、あまり目にすることはありませんが(というか志村さんのブログ名以外で見た記憶はほぼ皆無ですが(笑))、以下の辞書によると…
『苦しいときに発する元気のないため息』のことで、案外ネガティブな意味合いなんですけれど、音の響きは何か良いですし、あえてネガティブな印象の言葉でもブログ名に採用されているあたり、志村さんにとって「青」という色には、何か特別な思い入れがあるのかもしれませんね!
…まぁ、単なる偶然で、別に一切これっぱかしも何もないかもしれませんが…(というか多分ない(笑))。
*1:Novalis, Henry of Ofterdingen: A Romance, trans. John Owen (Cambridge, MA: Cambridge Press, 1842; Project Gutenberg, 2010), chap. 1, https://gutenberg.org/ebooks/31873
*2:Takako Shimura, Fleurs bleues, trans. Satoko Inaba and Margot Maillac, 8 vols. (Paris: Kazé, 2009–15).
*3:Takako Shimura, Flores azules, trans. Ayako Koike, 8 vols. (Colombres, Spain: Milky Way Ediciones, 2015–16).