青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その28:この嘆き悲しみよ

今回から本編最終パートになりますが、またまたかなり凝ったタイトルになっているようです。

いただいていたサブタイトルの補足から見ていきましょう。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"This way of grief":これはアメリカの詩人Adrienne Richの詩「Translations」からの引用である;詩はこちらで閲覧可能。

https://www.thenation.com/article/archive/five-poems-adrienne-rich/

この詩の中の「this way of grief」は、特に、夫に捨てられた女性の心情を表している。

つまりこのサブタイトルは、京子の母が、京子の父に見放された後、落ち込んでいる様子を指している。

もし、この詩が日本語に翻訳されていれば、その翻訳を使っていただければよかろう。もしなければ、素直に訳していただければと思う。

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アドリエンヌ・リッチさんの詩からの引用とのことですが、リッチさんの詩集の日本語版は検索したら1冊見つかったものの、Translationsが収められているかは不明ですし、そもそも三島作品のように作者の言葉を参照するわけではなく、あくまで訳者による訳文の一例に過ぎませんから、まぁここは自分なりに訳させていただこうかと思います。

(特に何の捻りもありませんが、京子の母・加代子さんの「か・よ・こ」の文字が含まれている感じにしました。…って別に狙ったわけではなく、たまたまそうなったので後付けしてるだけですけどね(笑)(順番もバラバラなので、そもそも別にそうなってないともいう(笑)))。

 

今回は京子&康回ということで、どうしても二人の場面を飾ってやりたいと思ったんですが、英語版最終巻はお試し読みが短くて中々いい一枚絵がなかったものの、日本語版の7巻、無料公開範囲にとても良い扉絵があったので、こちらを使わせていただきましょう。

日本語版7巻お試し読み・エピソード#40扉絵、https://www.amazon.co.jp/dp/B00G2678REより

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第28回:157ページから162ページまで)

第四巻への覚え書き

この嘆き悲しみよ

以前の章で、京子への訓話として、『鹿鳴館』の朝子の運命を取り上げていた。しかし、もっと身近な所にも別の教訓があり、それがすなわち、母・加代子の人生である。

 『青い花』を21世紀初頭の話とすると、京子は平成元年(1989年)間もなく辺りに生まれたことになる。つまり加代子は1980年代後半、昭和の末期であり日本が好景気に沸いていた頃に結婚したことになる。

 加代子の結婚は、ある意味、見合いであった。夫となる秋彦とは幼馴染の関係だ。しかし秋彦は直接告白するのではなく、彼女の両親(あるいは他の親戚―言及されているのは加代子の伯母のみ)に頼んで、いわば「陰で」結婚の面会を依頼したのである。このことは、あえて誰も加代子に前もって伝えてはいなかった(『青い花』(7) pp. 58-9/SBF, 4:60-61)。

 加代子の結婚およびその後の夫との関係は、家父長的な規範に従ったものとして提示されている。この作品に描かれた他の結婚式とは異なり、加代子は西欧式のウェディングドレスではなく、白無垢 (shiromuku) を着ている。頭に被った角隠し (tsunokakushi) は、利己主義や嫉妬心を捨て(「角」を覆うことで)、夫への服従と献身を象徴するものだ(『青い花』(7) p. 60/SBF, 4:62)。

 また、結婚前の秋彦は、やや気弱でシャイな性格に描かれているが、読者がその顔を見るのはそれっきりである:志村の描く結婚式での姿は、不明瞭なものとなっている(『青い花』(7) p. 60/SBF, 4:62)*1。杉本姉妹の父親と同様に、秋彦は家長としての役割は姿を消し、結婚前には控えめであった伝統的な態度がすぐに前面に出てくる:例えば彼は、加代子が結婚前に処女だったことを大層喜んでいる(『青い花』(7) pp. 60-1/4:62-63)。

 こうした態度は、幼い頃に京子が森で道に迷った後、再び顕著になる。京子にとって、これは康との関係における重要な出来事であり、漫画作中では絶えず言及されている。康が京子を助けるのは、二人の関係の暗喩である:康は京子の中に自分が愛し守れる人を見出し、京子は康が助けに来てくれたことに感謝しつつ、その必要性に困惑することもある。

 しかし、加代子にとって、この出来事は、秋彦との関係の崩壊の始まりであり、秋彦は、自分の子供を守れなかったことで彼女を非難する(『青い花』(7) p. 63/SBF, 4:65)。加代子は自分を責め、京子の泣き声と夫の叱責の間に、「私は本当に悪い母親でした」と結論づけるのである((7) p. 64/4:66)。

 加代子は、自分の欠点が秋彦を遠ざける原因になっていると推測する。しかし、彼女自身が気付いているように、秋彦は単に彼女に飽き、(姉たちが言っていたように)若い女性との付き合いを好むようになっただけなのだろう(『青い花』(7) pp. 65-6/SBF, 4:67-68)。

 どのような理由であれ、秋彦が妻と娘を放っぽり出して捨てたも同然になっていることが強く示唆されている。秋彦は恐らく、加代子と京子の経済的支援は続け、京子の教育費も支払っているであろう。しかし、作中の他の場面で、彼が登場することはない。

 家族から距離を置いているのは、秋彦だけではない。康の(名前は出ていない)父親も何年も姿を見せていないとのことだし(『青い花』(3) p. 50/SBF, 2:50)、以前述べていたように、杉本姉妹の父親は、和佐の結婚式に姿を見せるが((3) p. 94/2:94)、それ以外は姿もなく、声もなく、言及もされないままである。

 妻の杉本千恵はそれを平然と受け入れているように見えるし、康の母もそうである。加代子を際立たせ、他者からの批判の対象となっているのは、夫に捨てられたも同然な妻であることではなく―少なくともここに出てくる家庭が属する階級においては普通の状態として描かれている―むしろそれに対する彼女の反応なのである。

 本文中で明示されてはいないが、加代子は夫に捨てられた後、ひどく落ち込んでいるように見える。最初の三巻(※訳注:英語版。日本語版六巻相当)では、加代子の顔は見えず、京子や康との会話が聞こえてくるだけである。そして、第四巻で初めて、現在の加代子の姿を見ることができる(『青い花』(7) pp. 65-9/SBF, 4:67-71)。やつれたみすぼらしい姿―結婚前の若い姿や、京子が森で迷子になったとき((7) p. 62/4:64)とは打って変わっているーが描かれているが、この時点では、まだ40歳になっていないぐらいであろうと思われる。

 加代子の悩みは次第に娘との関係にも影響を及ぼし、京子の感情は、羞恥心、罪悪感、哀れみ、怒りといった、毒を煮込んだようなものになっていった:「お母さんがこわれていくのを私は止められない  お父さんのせいなのにお父さんも止めない  お父さんがきらい お母さんがきらい……うちには みっともない人間しかいない」(『青い花』(5) pp. 99、101/SBF, 3:101, 3:103)。

 加代子は絶望のあまり宗教に手を出してしまい、状況はより複雑になっていった。英語版第二巻では、京子が「お母さんにはとくべつの神さまがいる お母さんだけの……お母さんにはとくべつの神さまがいる お母さんには必要だったから」と心の中で呟く(『青い花』(4) pp. 121、144/SBF, 2:301, 2:324)。英語版第三巻では、加代子がある種の宗教団体に参加していることがわかる。京子は改めて心で語る:「お母さんと たくさんの知らない人たちが神さまにお願い事をしているのだと知ったのは もうすこしあとの話だ……私の知ってる神さまとお母さんの神さまは すこしちがうみたい」((5) p. 98/3:100)*2

 この違いが具体的に何であるかは説明されないが、日本の伝統的な神道と仏教の混合とも、藤が谷女学院のカトリックとも大きく違っており、京子を動揺させた:「でも私は そんな母を恥ずかしいと思った  父のせいなのに 私が恥じたのは母だった  みっともないと思ってる」(『青い花』(4) p. 144/SBF, 2:324)。

 加代子の精神状態は、他の人たちの話題にもなる。京子たちが康の別荘を訪ねたとき、康の母親が京子について意見しているのを、あきらは耳にしてしまう:「あの人は病気よ  私そういうのっていやなのよ…(そういうのって?)…やっかいごとよ」。康の母の頭の中では、加代子が問題を起こすことで、これまで決まっていた康と京子の婚約関係に汚点を残し、澤乃井家の未来が危うくなると考えているのだ:「ああいう人がお身内に入るのは外聞が悪いのよ  京子ちゃんには同情するけど…(同情はいらない)…子供ができても心配だわ」(『青い花』(3) pp. 50-1/sbf, 2:50-51)。

 改めて、これも明示されてはいないが、ここでの妥当な結論は、康の母親(と他の人々)は、加代子が精神的に病んでいると考え、そのために加代子を敬遠しているということである。そうであればこれは、日本では精神疾患に対するスティグマ(汚名・不名誉に対する烙印)が他国よりも相対的に強いと言われていることと矛盾しない。「日本の一般市民の中に、精神疾患が治ると思っている人はほとんどいない。…(中略)…日本の一般市民の大多数は、特に親しい人間関係において、精神疾患を持つ個人とは社会的な距離を置いている」*3

 別の物語であれば、加代子は専門家の助けを求めていたかもしれない。しかし『青い花』では、加代子の回復は、そんなに大層なものではないものの、(久しぶりに)康が彼女を訪ね、京子と和解する所から始まる(『青い花』(7) pp. 67-70/SBF, 4:69-72)。その後、加代子は、ひょっとすると康の家族から何らかの反対があったとしても押し切って、二人の結婚式の準備に没頭する。それまで加代子や京子に否定的だった康の母でさえも、加代子の仕事ぶりをきちんと見直し、京子の花嫁姿を楽しみにしているのだ(『青い花』(8) p. 153/4:333)(※訳注:英語版では「康の母親が楽しみにしている」と明記されているが、主語があいまいな日本語では、残念ながらそこは明示されていない)。

 加代子の置かれた社会環境と自分に課せられた期待という側面からいえば、これで加代子が満足し、喜ぶことができたのは当然のことといえよう:自分自身の結婚がどうであれ、娘の結婚を見届けるという長年の目標を達成し、労苦から解放されたのだから…。しかし、康が秋彦のように、また京子が加代子のようになってしまうかどうかは、二人の結婚式の喜びに託された問題ともいえよう―秋彦も京子も出席しているはずだが、どこにも姿が見えない結婚式の…。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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そんなわけで、今回は、我らが京子ちゃんと、母親の加代子さんに関するお話でした。

僕的には、この一連のエピソード(以前の清里での話から含む)で一番思うのは、やっぱり、康ちゃんの大人な考えとカッコ良さなんですよね。

「なくなよ  わらえよ

 わらえ 京子……」


くうぅ~、康…オメェにならオレの京子を任せられるぜ……!


Frankさんは以前の記事で康ちゃんのことを「大分年の離れた女子高生の尻を追い続ける哀れな男」的なことを書かれていましたけれども、(文化的な差異もあると思いますが)僕の目からは実は全くそんなことはなく、彼は一貫して男の中の男ですよ。

放浪息子でいうしーちゃん的な…。

チラッと出てきた中学時代の凛々しさとかも含め、似ている所があるといえましょう(しーちゃんのあの修学旅行でのエピソードとかも、僕はめっちゃ好きですねぇ)。


一方、井汲さんの父親の秋彦ちゃん、こちらも志村作品に頻繁に出てくる、女性にチャラくかなりクズい遊び人キャラですね。

まさに娘の家出の加賀さんタイプで、志村作品に出てくる娘たち、この顔を見たら要注意!…って感じでしょうか(笑)。
(まぁ似た顔で普通によく出来たいいヤツもいますけどね…!)

なお、まあまあカッコ悪くはないものの男性読者的にはやっぱりあんまり好きにはなれないタイプのキャラではあるものの、志村さん自身は恐らくこのタイプが非常にお好きなのではないかとお見受けします。

(もちろん話を動かしやすいキャラだと思われるので、あくまで漫画キャラとして好き、という憶測ですけどね…!
 何の根拠もないので、間違っていたら誠にごめんなさい(笑)。)


考察記事に戻ると、この最終巻パートでは既に最終話まで含めて見ているようなので、我らが京子ちゃんの話はほぼ結末部まで触れられていますし、これでオレらの京子のメインでの登場はおしまいかな、という感じですね。

京子、幸せになるんだぜ……!

なお、トップ画像に使わせていただいた扉絵にあったエピソードサブタイトル「小さな恋のメロディ」ですが、これは間違いなく、Bee Geesの同名曲でしょう。

原題は『Melody Fair』なので、英語版のサブタイトルもMelody Fairなのかな、と思ったら、ただの「Melody」!

…風情がない!情緒がない!!

これはいただけませんねぇ……と思ったら、せっかくなのでこの素晴らしい曲を貼らせていただこうと検索してみたところ、まさかの、『小さな恋のメロディ』は、映画のタイトルでもあったんですね!

(この映画の主題歌が、ビー・ジーズのあの名曲とのことでした。)


そして、その映画の原題は、ズバリ、『Melody』!

en.wikipedia.org
…ということは、普通にこの#40-41話のサブタイトルは、映画から取られていた(ので、英語版のサブタイトルも、普通にMelodyのみ)、って可能性も十分ありますね。

音楽には詳しいつもりだけど、映画には全くのモグリなので気付きませんでしたよ、ハハハ!


まぁそんなわけで、絶対に誰しもがどこかで聴いたことのある素晴らしい名曲、『小さな恋のメロディ』を……公式チャンネルがなかったので残念ながら公式動画ではないですが、検索でトップに出てきたやつをペタリと貼らせていただきましょう。

www.youtube.com

なお、この曲は、なぜか日本でだけ爆裂大ヒットした、というのも有名な話です。

(本国イギリスやアメリカでは、シングルカットすらされていない。)

なぜなんでしょうね…?

邦題がめちゃくちゃいいというのもありますけど、このメロディがマジで心の琴線に響く遺伝子みたいなものが、日本人の中にあるのかもしれませんね。


素晴らしく優しいメロディで、まさに、オレの京子のテーマソングといえましょう。


(なお関係ありませんが、杉本先輩のテーマは、個人的にはヒースクリフ様ということで、Kate Bushの『嵐が丘』ということに、誠に勝手ながら独断で決めさせていただこうと思います。

www.youtube.com
…まぁ、ぶっちゃけ杉本やっちゃんのテーマではなく、僕世代の人間にとっては、どう考えても『恋のから騒ぎ』のテーマでしかないんですが(笑))

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*1:これは、1949年の小津安二郎の映画『晩春』の結末を彷彿とさせる。紀子は父の意向を無視して、叔母に薦められた男と結婚するのである。紀子は着物と角隠しで結婚の支度をするが、夫の顔は映されない。Late Spring, 1:38:12.

*2:三つの引用文の大文字と小文字の違い(「god」と「God」)に深い意味はないようである。日本語の台詞では、三つとも「神さま」が使われている。

*3:Shuntaro Ando, Sosei Yamaguchi, Yuta Aoki, and Graham Thornicroft, “Review of Mental-Health-Related Stigma in Japan,” Psychiatry and Clinical Neurosciences 67, no. 7 (November 2013), 471, https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/pcn.12086