青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その10:「通学は大変だ」

今回も、Frankさんご本人からいただいた節タイトルに関する補足から参りましょう。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"Commuting is Rough":先刻ご承知だと思われるが、これは英語版第一話17ページ(右下のコマ)であきらがふみに語りかけた台詞である。

しかし、オリジナル日本語の台詞は、実は「通学」に言及していないことに気が付いた:自動翻訳によると、"it was a disaster, right?"(大変だったね)というような意味の日本語であるようだ。しかし、個人的には、読者が章題と漫画の台詞とを結びつけることは重要だと考える。

また、章題は漫画からの引用なので、引用符で囲むのが良いであろう。

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今回も、件のシーンは英語版『青い花』1巻お試し読みの範囲に収録されていました。

該当シーン、https://www.amazon.com/dp/1421592983/より

そして日本語版のオリジナル台詞は、確かにFrankさんのおっしゃる通りで、通学についての言及はありませんでした。

まぁその辺の細かい差異は仕方ないものの、Frankさんの希望通り、本節のサブタイトルは日本語のあーちゃんの台詞そのまんまを引用させていただきましょう。

(なお、英語版の台詞の方が記事の中身には合っていますし、ブログ記事タイトルの方は、英語版=オリジナルのサブタイトルに則った形にしてみました。)

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第10回:53ページから57ページまで)

「災難でしたね お互い」

注意:本節には、セクシャル・ハラスメントに関する議論が含まれる。

兄と別れるやいなや、アキラはまたしても不快な出来事に遭遇する。藤が谷行きの電車に乗ろうとホームに立つと、サラリーマンがあまりにも近すぎる位置に立ち、混雑しているということでは到底正当化できないパーソナルスペースの侵害を受ける。その後、もう一人の女の子(ふみだが、あきらはまだそのことを知らない)に気付き、

「背高ーい
いいや この人にくっついてよ」

と、身を守るために彼女の隣に立つのである。(『青い花』(1) pp. 13-4/SBF, 1:13–14)。

 しかし、ふみの身長は、嫌がらせから彼女を守ることはできない。電車に乗ると、誰か(おそらく同じ男?)が、あきら、そしてふみを触る。ふみは恥ずかしくて何も言えないが、あきらは自分の通学鞄で犯人を殴りつける。あきらはふみに同情し(「通学は大変だね」(※訳注:日本語オリジナル版では「災難でしたね お互い」)と語りかける)、ふみからお礼の言葉を受け取ると、その後ふみは泣きながら立ち去るのであった(『青い花』(1) pp. 15-7/SBF, 1:15–17)。

 もちろん、日本での発生率の高さを鑑みると、志村の読者はこの電車内で男性が女性や少女に手を出すという問題(痴漢)にはなじみがあるであろう。様々な調査で、日本の若い女性や成人女性の25%から対象によっては70%もの割合が、痴漢された経験があると報告している。この問題は深刻で、日本の鉄道会社の中には、列車に女性専用車両を追加して運行している所もある*1

 明治時代後期の、少女文化やエス文学を生み出した女子学生にとっても、あきらとふみの苦境は身近なものであったことであろう。経済成長により東京の人口が増加し、郊外に新たな居住地が生まれると、鉄道会社は都心に通勤するホワイトカラー労働者(背広組)たちを対象とした鉄道路線を相次いで建設した*2

 女子学生たちも、自宅から当時急速に拡大した公立・私立の女子向けの学校に通うために、これらの鉄道路線を利用したのである。「19世紀の終わり10年あたりの頃から女子生徒(jogakusei)の数が増え、袴をはき、髪にリボンをつけ、自転車や電車で東京近郊を移動するティーンの女学生の姿が、大衆文学やマスメディアに頻繁に登場するようになった」*3

 通勤電車や路面電車は、あらゆる階層や性別の人々を一つの空間に集めていた:「異なる切符を持った乗客が一緒に乗り合わせることで、電車の中はさながら旅する大宇宙となり、無関係の人々が束の間、一大旅団を形成するのだ。最初の頃は、さまざまな社会階級の男女が、文字通り新しい方法でお互いを見つめ合うことを余儀なくされたのである」。だがこれは、全てが善良なものばかりではなかった。特に、「女子学生は、近代女性のモデルとして理想化され、また、性的対象としてエロティックなものとされていった。…(中略)…彼女たちのファッションや姿は、通勤電車の中で他の乗客たちによって観察され、時に評価されることさえあった」*4

 通学する女子学生に対する男性たちの執着は、田山花袋による1907年の短編小説『少女病』で文学的に表現されている。この物語は、ある男性(東京の出版社の編集者、元少女文学の執筆者)が、毎日の電車の旅で、景色を見るのではなく、同じ車両に乗る若い女性を密かに観察する生活を描いたものである。30代後半で結婚し、二人の子供を持つ彼は、まだ20代半ばである妻を、「年を老(と)ってしまった」と思い蔑ろにする。その代わりに「若い女に夢中になる悪い癖」に溺れているのである*5

 この物語の主人公は、女の子を見ることまでに行動を限定している。そのため、友人たちは彼を臆病者として非難する:「我々なら、そういう時には、すぐ本能の力が首を出してきて、ただ、あくがれるくらいではどうしても満足ができんがね」。そして友人らは「口ではきれいなことを言っていても、本能が承知しないから、ついみずから傷つけて快を取るというようなことになる。」と推測し、「本能に従わん奴は生存しておられんさ!」と結論付けている*6

 当時の他の男性も同じように考え、作家の中には、労働者の通勤時間帯に娘を電車に乗せないよう親に注意する者がいるほどですらあった。そこで、少女らの無垢さを保護するために、ある鉄道事業者は「女性専用」の「花電車」を導入していた*7

 その後、百年以上にわたって、女子学生たちはサラリーマンや他の男性労働者に嫌な思いをさせられてきた。電車内痴漢は、『青い花』では第一話以降、言及されることはなかった。しかし、ふみやあきら、そして彼女らのクラスメートが毎日通う中で、生命の危機というレベルの問題ではないながらも常に存在する危険な問題であることは、疑いようがない―あきらがすぐにこう気付いたように:「藤が谷おじょーさまだもんな― 狙われやすいのかも」(『青い花』(1) p. 15/SBF, 1:15)。

 レイプや児童性的虐待、および関連する犯罪と同様、「痴漢被害は、被害者が自身の環境に対する自制心を毀損し、自分は危険な世界に生きていると思い込ませる可能性がある。このことは、女性の犯罪被害への恐怖を男性よりも大きいものにして…(中略)…(そして)女性が公共交通機関を利用することを躊躇させるのだ。」とある*8

 このような落胆は、当事者である女性たちに現実的な被害をもたらす。路上ハラスメントの問題がさらに深刻な別の国では、大学に入学した女性たちが、学業を犠牲にして安全を求める。彼女たちは、より確実に安全な通学路を確保するために、入試の成績で合格できる大学よりも数ランク下の、質の低い大学を選ぶ。また、安全な通学路を確保するために、遥かに高額な交通費を支払うこともある―学費の二倍以上になることすらあるのだ*9

 このことは、女性に、経済的不利益を強いることになる:「大学のランクを下げることは、学問の習得、同級生とのネットワーク、労働機会へのアクセス、そして生涯所得に影響を及ぼすため、長期的な結果として跳ね返ってくるのだ」*10。日本は全体的に女性にとってより安全な国家ではあるが、ふみとあきらは、電車内での痴漢行為やそれに類する路上ハラスメントが、女性として支払わなければならない見えない税金を課しているのと同じであることに気付くだろう―少なくともふみは結婚しないであろうから、夫の経済的なサポートがない分、より負担の大きい税となる。

 電車内痴漢は、意図的であろうとなかろうと、家父長制の中心的規範を強制しているのである:つまり、すべての女性は、「悪い」男から身を守るために、「良い」男と手を組み、自身の身を固めなければならないのだ。例えば、ラブコメ漫画『俺物語!!』では、屈強な高校生・剛田猛男が、電車内で痴漢に遭っていた小柄な女性・大和凛子を助け、その後、大和凛子は猛男に惚れ込み、恋人となる*11

 「美少年」である友人の砂川誠とは違い、猛男は決して従来の基準では魅力的ではない。しかし、その強靭な肉体をもってすれば、自分と倫子を他人や自身を傷つけてくるものの手から守ることができる。それに対して、凛子は自分の身を守ることもできず、常に猛男に頼らなければならない。

 先ほど良い男・悪い男の対比をする際に、「良い男」「悪い男」と鉤括弧つきで記したのは、どの男性が良く、どの男性が悪いかはあいまいな場合が多いからである。例えば、『俺物語!!』やその他多くの漫画やアニメでは、電車内痴漢は明らかに犯罪者であり、魅力がなく、変態であり、暗に「良い人たち」とは違う存在として描かれている。

 しかし、『青い花』では、ホームであきらのパーソナルスペースを侵害してきた男は、一見何の変哲もない、通勤途中の典型的なサラリーマンにしか見えない。実際彼は、家庭では献身的な夫や父親として振る舞っているのかもしれない。ちょうど、電車で女性を守るために飛び込んできた男が、怒れば妻子を殴ることもあるように…。

 こういったことが暗示しているように、『青い花』は、この「良い」「悪い」という区分けを疑問視し、女は他人から身を守るために一人の男と組まなければならないという規範を否定しているのである。二人の少女を助けるために現れたのは男ではなく、自分とふみを守るために行動したあきらなのだ―そしてこの時点での物語の状況を思い出してみると、この時、あきらは見知らぬ少女を助けに現れたのである。前節で書いたことの繰り返しになるが、志村が意識的にそうしたかどうかは別として、駅のホームや電車の中での事件は、あきらの兄の行動(あきらの母に反撃された)と合わせて、「女性がいかに男性を信頼できず、庇護を受けるために、他の女性を頼りにしているかを示す一例」になっているのだ。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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中々に深い考察ですね。

前回の兄のベッドは「考えすぎだってば(笑)」と一笑に付してしまいましたが、今回のテーマは、軽々しく見過ごしてはいけないテーマといえるかもしれません。

(なお、貴重な女性からのご意見として、いつもコメントいただけるアンさんから、該当部に関する言及をいただいていました。

 その部分を引用させていただくと…

そして、「あーちゃんは性的虐待を受けていた」っていう考察はびっくりでしたね。もちろん自分も、「妹が可愛くてしょうがないシスコンのお兄ちゃんなんだな…」くらいに思っていたので、近親相姦や性的虐待っていう考えは一切なかったですが、、ただ、合コンについてくる兄はどう考えてもウザいです笑

個人的には、兄の溺愛っぷりと、それをあーちゃん自身もある程度(嫌がりながらも)受け入れている感覚を描くことで、あーちゃんの幼さみたいな部分を暗に伝えたいのかなっていう気がしましたけどね。

…という、僕と同じような感想を持たれていたようです。)


やはりここは日米差のある部分といいますか、女性の視点からでも、あの冒頭のシーンが「性的ないたずらの被害を暗示…?」という考えにつながることは、日本人読者の目からしたらまずあり得ないというのは、やっぱりそうかなと思います。

アンさんのコメント後半部が、個人的にはまさにですね。

あーちゃんの幼い感じ(と、兄のウザさ(笑))を描くのにいきなり挿しこめられたシーンなのかな、と思います。


一方今回の痴漢うんぬんは、こればっかりは言い訳のしようもなく、日本のアカン部分の筆頭で、Frankさんの考察も確かにと納得のいくものでしたねぇ。

幸い僕は痴漢被害を受けたことも(まぁ男なので当たり前とはいえ)、さらに幸いにして自分が痴漢をしてしまったこともない(それ以上に当たり前(笑))を通り越して、痴漢騒動を実際に目にしたこともないためどこか他人事な空気は抜けないのも正直な所なのですが、まぁ自分は見たことがないけど、確実にあるし被害者のダメージも計り知れないのは間違いないですね。

色々論じるにはスペースが足りないので、より突っ込んだ話についてはFrankさんの更なる考察にお任せしようと思いますが、それにしても俺物語までご覧になっていたとは、Frankさんの漫画通っぷりも結構なものといえましょう。

『俺物語』も、いつかオススメ作品としてブログ記事で取り上げようと思っていた感じでした。

大分最近の作品の印象ですし、むしろ英訳されていたことにも驚きですが、とても面白い作品です。


アメリカ人の視点から、日本の色々な作品・文化が語られるのはとにかく面白いの一言ですね。

次回も続きを見ていきましょう。

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*1:Mitsutoshi Horii and Adam Burgess, “Constructing Sexual Risk: ‘Chikan,’ Collapsing Male Authority and the Emergence of Women-Only Train Carriages in Japan,” Health, Risk & Society 14, no. 1 (2012), 42, https://doi.org/10.1080/13698575.2011.641523

*2:Alisa Freedman, “Commuting Gazes: Schoolgirls, Salarymen, and Electric Trains in Tokyo,” Journal of Transport History 23, no. 1 (March 2002), 23, https://doi.org/10.7227/TJTH.23.1.4.

*3:Freedman, “Commuting Gazes,” 23.

*4:Freedman, “Commuting Gazes,” 26, 30.

*5:Tayama Katai, “The Girl Watcher,” in The Quilt and Other Stories by Tayama Katai, trans. Kenneth G. Henshall (Tokyo: University of Tokyo Press, 1981), 171, 173. フリードマンは、この物語のタイトルを「少女フェチ(The Girl Fetish)」と訳している(※訳注:本文中で取り上げられているのは、「The Girl Watcher」)。原題の日本語には「病」という言葉があり、これは病気や精神障害を意味する。Freedman, “Commuting Gazes,” 34n4.

*6:Katai, “The Girl Watcher,” 174–75.(※日本語原文はhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1098_42470.htmlより)

*7:Freedman, “Commuting Gazes,” 30–31.

*8:Horii and Burgess, “Constructing Sexual Risk,” 44–45.

*9:Gorija Borker, “Safety First: Perceived Risk of Street Harassment and Educational Choicesof Women,” (job market paper, Department of Economics, Brown University, 2018),  https://data2x.org/wp-content/uploads/2019/11/PerceivedRiskStreetHarassmentandEdChoicesofWomen_Borker.pdf

*10:Borker, “Safety First,” 3.

*11:Kazune Kawahara, My Love Story!!, vol. 1, trans. Ysabet Reinhardt MacFarlane and JN Productions (San Francisco: Viz Media, 2014), 1:17–21.