一節がそれなりに短めで、中身も古典的思想家の難しい話とは違いかなり分かりやすく読みやすい内容である感じなので、2セクション一気に参りましょう。
1つ目はタイトルに関する補足はありませんでしたが、2つ目の方は補足もいただいていました。
-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----
"Ten(?) Years After":"Ten Years After"はイギリスのロックバンドの名前であり、このタイトルを書いたとき、私は彼らのことを考えていた。
しかしこれは私自身にとってのみ興味深いことであり、このタイトルは、好きなように訳していただければよいと思う。
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僕は割と結構洋楽にも触れているんですけど、Ten Years Afterは、浅学非才にして全く聴いたことがありませんでした…!
60年代(メインは70年代)のグループのようですが(ビートルズの少し後ぐらい)、メンバーを変え、現在も活動中とのことでかなり歴史あるバンドですね。
せっかくの機会なので、拝聴させていただきましょう……
…良い!
青い花に合ってるかはともかく、非常に、とてもいいですね。
しかし、「青い花に合ってる音楽」って何だろう…と色々考えてみたんですが、まぁそれっぽいのを挙げるよりもやっぱり、普通にアニメの主題歌が一番筆頭でしょうか。
僕はアニメ未視聴で、この曲も聴いたことがありませんでしたけれども、これまたかなり雰囲気にピタリの優しい感じで、心から素晴らしいですね…!
こちら演奏されている空気公団、現在は山崎ゆかりさんのソロプロジェクトとして活動されているとのことですが、ぜひ他の曲も聴かせていただきたくなりました。
タイトルの補足から、思わぬ発見ができて何よりでした、追加での良いネタのご提供、Frankさんには感謝しきりです!
一方、本文サブタイトルについては、特に捻りも加えられそうにないので、そのまま約したのを使わせていただきましょう。
無料お試し読みで画像を貼れるのも今回が最後かもしれません。
(ちょうど、今回の画像が1巻お試し読み最終ページですね。)
お試し部分以外を引用するのも良くないかもしれないので、また表紙などを貼らせていただきましょう。
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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子『青い花』に関する考察
著/フランク・へッカー 訳/紺助
(翻訳第11回:59ページから65ページまで)
古い学校、新しい学校
先に述べたように、『青い花』は、従来のエスや百合作品のお約束をオマージュし、それと同時に(ある程度)それを覆している。その点に関するまず一つ目は、奥平あきらと万城目ふみがそれぞれ通っていた藤が谷女学院と松岡女子高等学校の対比に現れているといえよう。
藤が谷は、「マリア様がみてる」などでも出てくる有名なタイプの女子校である:長い上り坂の先にあるトンネルで普通の世界と隔絶され(『青い花』(1) p. 20/SBF, 1:20)、カトリックの香りがする温室で、生徒たちは(お約束通りに)尽きることのない恋心と、恋が生まれる可能性とにときめき続けるのだ。あきらの母親は、あきらに「そのうちすてきなガールフレンドでも つれてきてよ」と言うのである。((1) p. 27/1:27)。
(『マリア様がみてる』の呼び起こしはDigital Managa版の翻訳ではさらに明確で、兄があきらに「それで、みんな『good day to you』って言うのか?」(『マリみて』によって有名になったフォーマルな表現「ごきげんよう」の一般的な英語翻訳)と尋ねるのである。)
しかし、エス恋愛との関連はあるものの、藤が谷は結婚や階級に関する伝統的な価値観の普及および伝播を主な目的とする施設と考えた方がよいだろう。1930年代から1940年代にかけて東京でキリスト教学校を経営していた河井道(かわい みち)は、こう語っていた:「日本では裕福なプロテスタントの家庭が、自分の子供、特に女の子をカトリックの施設に入れる傾向がますます強くなっている。…(中略)…カトリックは富裕層や身分の高い人の子供を集めるのが方針なのであろうか?」*1。
河井の結論は以下の通りだ:「社会的に上昇志向の強い家庭は、自分の子供を高級な学校に通わせて、卒業後に娘が社会的地位のある家庭に嫁ぐことを望んでいる。これは親として当然の願いであり、カトリックの教育者たちはその必要性を見抜き、教会は十分な資金をもって、美しく広大なキャンパスの中で様々な修道会に属す多くの奉献されたシスターたちが有能な日本人スタッフとともに働いている超高級学校を、大都市に一つか二つ設立し始めた。」*2
河井はまた、鎌倉近郊に当時設立されたばかりのカトリック系の乃木高等女学校についても言及している:「この学校は、あの高級住宅地に一年中住むのに十分なお金と余暇のある人々の需要に再び応えたといえるため、まもなく生徒で溢れ返ることであろう」*3。
その後、乃木高等女学校は湘南白百合学園高等学校と改称され、今日においても江ノ島から少し内陸に入った所に中高のキャンパスを構えている*4。また、附属の幼稚園、小学校もある。湘南白百合学園高等学校の歴史は戦前まで遡るが、その設定や使命、対象者層から、藤が谷女学院に現実世界で最も近い存在といえる*5。
最も顕著な違いは、新しい校舎から成る湘南白百合学園は、より近代的な建築物であるということだ。志村は、英語版第一巻パート1および2のあとがきで、藤が谷の外観のモデルとして鎌倉文学館を参考にしたと述べている(『青い花』(1) p. 193、(2) p. 182/SBF, 1:193, 1:378)。文学館の敷地内には、あきらが登校初日に通るようなトンネルも存在している((1) p. 20/1:20)*6。
藤が谷とは対照的に、松岡は典型的な無宗派の男女別学高校のように思われる。あきらの母親は、特に学問的にレベルが高いと見ているが(『青い花』(1) p. 36/SBF, 1:36)、それ以外は他の近代的な教育機関と区別がつかない。別巻の証拠から((4) p. 129、(6) pp. 131–2/2:309, 3:311–12)、松岡は江ノ電の鎌倉高校前駅の近くにあり、現実にある男女共学の公立高校、鎌倉高等学校の近くにあるようである。
クラスに花の名前をつける藤が谷とは違い(あきらは藤組)*7、松岡女子のクラスは平凡な名前(ふみは1-A)である。その対比をさらに際立たせるために、松岡の生徒は黒っぽいジャンパーにブラウスとネクタイ、そして(任意のオプションとして)ジャケットを身につけている―ハンサムだが厳かな制服であり、藤が谷をはじめ、アニメや漫画に登場する数え切れないほど多くの学校の(しばしばフェチの対象である)セーラー服とは一線を画すものである*8。
明治時代に藤が谷のような学校ができたとき、最初の世代の生徒たちは、藤が谷を圧倒的にモダンな学校だと思ったことだろう。しかし、『青い花』の舞台である21世紀では、漫画の登場人物たちは藤が谷を伝統的な価値観の拠り所として認識している。松岡女子のふみとその友人たちが藤が谷を訪れたとき、彼らはその洗練された雰囲気と優雅な装いに感嘆する:「お茶会」「チャペル」「図書館の張り出し窓」などなどと…(『青い花』(1) pp. 85–6/SBF, 1:85–86)。もし『青い花』が伝統的な百合作品であったなら、物語はきっと蔦の絡まる塀の外に出ることはなかったのではないかと思う。
しかし、『青い花』は伝統的な百合作品にオマージュを捧げながらも、この第一巻の軌道はその先を向いている。最も現代的なキャラクターである万城目ふみが、藤が谷ではなく松岡の学生であること、あるいは杉本恭己とのファーストキスが、藤が谷のスタイリッシュな木の棚ではなく、松岡の渋いスチール棚の間で行われることも、偶然ではないように思えるのだ(『青い花』(1) pp. 114–6 / SBF, 1:114–16))。
十(?)年後
『青い花』の年表はどんな形であろうか?ふみとあきらは何歳?二人が初めて知り合ったのはいつ?そして、なぜ二人は長い間離れ離れになっていたのか?これらの問に答えることは、『青い花』が物語としてどのように機能しているのか、また志村貴子がなぜそのような選択をしたのかを探るのに役立つであろう。
第一話では、万城目ふみと奥平あきらが数年ぶりに再会する(『青い花』(1) p. 34/SBF, 1:34)。正確には、相手が誰であるかを知った上で会う―高校入学の初日に駅で会ったとき、二人は事実上、他人同士だった((1) p. 12/SBF, 1:12)。二人が最後に一緒にいたのは、何年前のことだろうか?
再会後、ふみは「10年の月日」を思い返す(『青い花』(1) p. 44/SBF, 1:44)。これは漫画の他の部分の記述と一致しているだろうか?第一巻では、ふみとあきらは高校1年生になる。日本の教育制度では、小学校で6年、中学校で3年、高校で3年を過ごす*9。
ふみとあきらの幼少期の回想では、「1年」という教室札の表記とともに、ふみとあきらのクラスはそれぞれ「さくらぐみ」「うめぐみ」となっている(『青い花』(1) pp. 29-30/SBF, 1:29–30)。これが小学校のクラスだとすると、二人が小学校1年に入学してから高校1年になるまでに9年(10年ではない)経過していることになる。
もしこれが正しかったとすると、ふみとあきらが最後に会ってからの時間は、更にもっと短くなる:二人はクリスマス会に一緒に参加している(『青い花』(5) p. 66/SBF, 3:68)ので、ほぼ丸一年一緒に学校にいたことになる(学校年度は、通常の4月1日に始まると推定した)。その後にふみの両親が引っ越したと仮定すると、二人が離れていた期間は9年というより8年に近いであろう。
代替案としては、作内で、幼いあきらとふみが小学校ではなく、幼稚園に通っている所を描いているのではないか、というものがある。この説が妥当かどうか、私は十分な知識を持っていない。しかし、あきらとふみは15歳で高校に入学するはずなので、10年の隔たりがあるとすれば、別れたときは5歳、初めて会ったときは4歳ということになる。この年齢は、漫画で描かれているキャラの容姿からすると少し幼く感じられ、当時の記憶を持っているというのも少し無理がある。
また、英語版第三巻の回想で、ふみは新しい学校に入り、「2ねん2くみ」という教室札が吊り下げられた、小学校の典型的な教室と思われる場所にいるシーンが描かれている(『青い花』(5) p. 114、p. 121/SBF, 3:116, 3:123)。したがって、この場面は、小学校1年生の終わり頃にあきらと別れてから、比較的すぐにふみが小学校2年生になったことを描いていると考えるのが最も妥当な結論であろう。
全てを考慮すると、ふみとあきらは小学校で出会ったのであり、「10年の月日」というのはふみの詩的な表現―あるいはふみが計算を正しくしなかっただけだと私は考えている。
それよりも興味深い疑問は、なぜ志村は、幼少期に離れ離れになった少女たちが高校で再会するというプロット・デバイス(物語における仕掛け)を選んだのだろうか、という点だ。この漫画の二つの重要な要素が、それを最も簡単に説明できるように思う:藤が谷と松岡の対比と、ふみと千津の関係である。
前節で述べたように、志村は、ふみとあきらが別々の学校に通うことが、この漫画のテーマにとって不可欠だと考えたのだろう。ふみとあきらをどちらも藤が谷に通わせれば、『青い花』は単なる従来型の「女子学生百合」になってしまうし、二人を松岡に通わせれば、志村はエスのお約束や姿勢に言及する機会を失ってしまう。
しかし、ふみとあきらが別々の高校に通うことになれば、そもそも二人はどうやって出会ったのかという疑問が生じる。一つの明白な解決策としては、何らかの形で親戚であったとか、近くに住んでいて同じ学校に通う娘がいたとかいう理由で、それぞれの家族が過去にお互い同士知り合いであったという考え方がある。
『青い花』には既に二つの近親相姦的な関係、あるいはその可能性があり(ふみといとこ、あきらと兄)、どちらも物語上、肯定的に明るくは描かれていない。したがって、ふみとあきらを親戚関係にすることは、上手くいく見込みがない。そこで志村はより良い解決策を選んだ:両家族は以前近所に住んでいて、ふみとあきらは一緒に学校に通っており、その後ふみの家族は、恐らく父親の仕事の都合で引っ越してしまった、というものだ。
しかしその場合、ふみと千津の関係も考慮しなければならない。この関係は、ふみが高校に入学する前、恐らく中学校に通っているときに起こったものだ。この場合、千津がふみの親戚であることは理に適っており、お泊り会をするほどの仲であることを示す口実となる。そして、血縁者である以上、それ以前からよく一緒に過ごしていた可能性が高い。
ふみが千津と性的関係をもっていた時期に、ふみがあきらと通学していたのでは辻褄が合わない。何より、ふみの「初恋の人」があきらであるという自認が成り立たなくなってしまう。そうすると、ふみとあきらが一緒にいた時期は、中学生を越えて小学生になり、恐らく小学校低学年までとなる。
ふみとあきらの出会いを小学校1年生にすることで、ふみが「初恋」を思い出すというプロット・デバイスがサポートされるのだ。ふみとあきらがお互いの顔―更にはお互いの名前までも―忘れてしまうほどの時間が経過していながら、二人で一緒に過ごした時間の記憶は詳細に残されたままであるという年齢なのだ。
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とりあえず幼稚園の学年を「1年」と表記することは僕の知る限り日本国内に存在しませんから(「年長組」「年少組」)、回想は小学生時代で間違いないと思われます。
そうすると確かに「10年はちょっと盛ってない?」となるわけですが、まさにFrankさんの書かれている通り、10年一区切りの方が切りもいいですし響きも良いですから、深く細かいことは考えずに「10年の月日」としているという感じでしょうね。
四捨五入して約10年だからいーんだよ、という精神で、逆に「8年と79日の歳月をかるくとびこえた…」とか厳密に数えてて毎日増えていってもキモいだけですから(笑)、「おおよそ10年」ということでOKでしょう。
でも、こういった深く意識せず適当に読み流していた点も、こうしてしっかり考えてみると色々面白いものですね。
次回もまた1巻(日本語版で1-2巻……そういえば本文内の引用、「SBF」としてある部分を分かりやすいように「青い花」表記に変更していましたが、逆にそうしちゃうと日本語版と英語版で混乱が生じるので、以前のも含め、やっぱりSBF表記に戻しておくことにしました。※さらに追記:改めてFrankさんと話し合った結果、日本語版と英語版を併記することになりました)に関する考察の続きを見ていきましょう。
*1:Michi Kawai, My Lantern, 3rd ed. (Tokyo: privately-pub., 1949), 224.
*2:Kawai, My Lantern, 225.
*3:Kawai, My Lantern, 225. 乃木高等女学校は、明治時代の日本の戦争の英雄であり、日本の公家の子弟を教育する貴族学校の後任校長で、後の天皇陛下裕仁の指導者でもある乃木希典伯爵(または将軍)にちなんで命名された。
*4:Shonan Shirayuri Gakuen, “History of the School,” accessed December 5, 2021, using Google Translate, https://www.shonan-shirayuri.ac.jp 「湘南」は江ノ島を中心とした沿岸部、「白百合学園」は直訳の英語で「White Lily Academy」にあたる。
*5:また、「藤が谷」は、湘南白百合学園の各校を置く、鎌倉の西に位置する藤沢市と一文字目の漢字が同じであることも注目すべき点である。
*6:“Category:Literature Museum of Kamakura,” Wikimedia Commons, Wikimedia Foundation, last modified June 23, 2018, https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Literature_Museum,_Kamakura
*7:先の注にもある通り、「藤」は「藤が谷」「藤沢」と同じ漢字である。
*8:現実世界でもそうである:湘南白百合学園高等部の女子生徒の制服は、藤ヶ谷の制服に似ている。校章の百合をモチーフにしたフルール・ド・リスのデザインだ。
*9:Ministry of Education, Culture, Sports, Science, and Technology, “Overview,” MEXT website, accessed January 2, 2022, https://www.mext.go.jp/en/policy/education/overview/index.htm