青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その15:忍と康と京子

今回から英語版第二巻に触れていくパートですが、ちょうどせっかくなので(今回触れるセクションは区切り的に短めなこともありますし)、巻が切り替わるこのタイミングで、第二巻の表紙画像の掲載がてら、ちょうど手元に届いたばかりの英語版青い花『Sweet Blue Flowers』の現物がどんな感じなのかご紹介してみましょう。

英語翻訳版であるVIZ MEDIA版は、日本語版の二冊分が一冊にまとめられているスタイルで、まぁ単行本二冊がまとまってるんだから当たり前なんですけど、実際ブツを手に取って目の当たりにしてみると、その存在感にビックリ!

(例によってショボ画質のカメラしかないので、迫力や美しさを上手く伝えられなくて恐縮ですが……
 比較として、例によって納豆を置いてみましたが(笑)、納豆3パックとSBF 3冊が大体同じ高さですから、分厚さは伝わる…?そして高さは納豆3パックを2つ分より高いので、大きさも結構なものなのです。
 なお、画像右上の方は乱雑だったので加工済み…)


これは良いですね!

最近はめっきり電子版ばかりで、むしろ電子版を大きなモニターで眺め慣れていると現物の漫画単行本のあまりの小ささにビックリする印象があったんですが、こちらは全く逆で、結構大き目な製版のおかげで、「紙ってこんなに迫力あったっけ…?!」と新鮮な驚きがありました。

というかやはり、志村さんの美しすぎる描線のおかげで、とにかく紙面が神々しい…!

こんなに綺麗な線、ある??…と思えるレベルで、僕なんぞはあまりの秀麗さに、女性キャラが出てくる度に「ふ、ふつくしい…」と、ページ上で躍動するキャラたちをついつい辛抱たまらずペロペロと舐め回しちゃいましたもんね…!
(…ってそんなの全ページじゃねぇかよ(笑)。汚すぎワロタ、っていうか舐めるって何だよ幼稚園児でもしねぇよそんなこと……って、(言うまでもなく)もちろんペロリンチョは普通に嘘ですが(笑))

 

印刷された紙でこれだと、原画であれば、果たしてどれぐらいの神秘さがあるのか……。

マジで、僕は原画展とかそういうのに行ってみたいとは全く思わないタイプの人間なんですけど、志村さんだけは、いつかチャンスがあれば行ってみたいと思わずにはおれません…!


…と、ちょっと無駄に長くなったので、紙版・現物の話はまた次回に続くといたしましょう。


本題の同人誌英語版第二巻パート、今回は、あの男がメイントピックですね…!

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第15回:85ページから90ページまで)

第二巻への覚え書き

忍と康

青い花』は名目上「女子学生百合」の一例であるにもかかわらず、複数の男性キャラクターが登場するという点で、同ジャンルの多くの作品から逸脱している。最初に遭遇したのは―決して快い状況ではないが―奥平あきらの兄で、第一巻の2ページ目で、妹のベッドから追い出された(『青い花』(1) p. 8/SBF, 1:8)。この巻ではその後も妹に対し無闇に過保護で、あきらを大いに苛つかせるなど、概ねキモい存在であり続ける((1) pp. 102-3、109/1:102-3, 1:109)。

 英語版第二巻では、志村貴子はついにあきらの兄に「忍」という名前をつけた(『青い花』(4) p. 2/SBF, 2:182)。この名前は(Wikipediaを参考にすると)、ほぼ男女で同じように使われる傾向がある。(例えば、西尾維新の「物語」シリーズの忍野忍を見てみると、こちらは8歳の少女の姿をした古代の吸血鬼である。)

 志村はこれを、忍が伝統的な男性の標準に達していないということを仄めかす意図でつけたのかもしれない:物語のこの時点で、彼はまだ実家暮らしで、仕事にも学校にも行っていないようだし(ただし、後の巻では大学生と書かれているが)、恋人もおらず(過去にいた気配もない)、妹を困らせる以外にすることがないように見える。

 とはいえ、彼は今、自分のシスコンぶりを脱却し、少なくともある程度はそれを悔い改め始めている。その多くは本人の意思ではなく、他人の行動によってもたらされるものではあるが。

 特に、ふみの同級生である茂木美和(以下、モギー)との関係を深めていく場面で、それが顕著に表れる。澤乃井康の叔母の屋敷でのお泊り会に妹たちを車で送った際(もちろん、彼自身は現地で自由な時間がある)、モギーは、特に忍の言動の何らかに対して積極的にというわけではなく、単に「ちょっとかっこいいって思っただけだもん」という理由で彼に惹かれていく(『青い花』(3) pp. 8-9、62-63/SBF, 2:8-9, 2:62-63) 。

 モギーは、やがて自ら率先して忍に告白する(『青い花』(3) pp. 133-5/SBF, 2:133-35)。このとき、読者には彼の反応や、彼女に惹かれている様子はあまり見られない;まるで受け身で交際を始めたかのように見える。しかし、それが事実であろうとなかろうと、あきらの立場からすれば、邪魔がいなくなってくれるのだから、とても都合のいい話である―あきらは兄のことを「ね……正直に言ってね うちのお兄ちゃん 気持ちわるいよね……」と思い続けはするが((3) p. 44/2:44)。

 忍は、少なくとも自己認識と精神的な成長の可能性を示してはいる。康がゴルフ(中流階級の男性の定番スポーツ)のやり方を彼に教えようとする際、彼は自分が過保護であること、そしてあきらがいつかは必ず誰かと付き合い始めることは理解している旨を、康に認めている(『青い花』(3) pp. 22-4/SBF, 2:22-24)。(言い換えると、彼が抱いたシスコンの夢は、そのまま残る運命にあるのだ)。

 しかし、ここで私は、忍の心の成長や、康の指導者としての適性については、わざわざ褒めることはしない。この点については後述するが、(現在)高校2年生の少女との交際に固執する大人の(に近い)男である康が、成熟した男らしさの見本であるかといえば、そうではないだろう。ちょっと乱暴な言い方をすれば、手元の証拠から言うと、忍が康から学んだことは概ね、年上の男が自分よりずっと若い女の子を追いかけても、それが自分の血縁者でない限りは大丈夫だ、ということだったように思えるのだ。


康と京子

具体的に京子の名前は出してはいないが、英語版第一巻のとあるレビュアーは、全体のプロットにおける井汲京子の位置付けに疑問を投げかけている:「脇役なのか、それとも四人目であるが発展性のない主役級なのか、ストーリーに対する重要度がはっきりしないキャラクターもいる。」*1

 私の考えでは、京子は確かに主役級キャラとして意図されており、ストーリー全体やそのテーマにとって、杉本恭己よりも重要であることは間違いないといえるように思う。まず、京子があきらにとって、ふみ以外では最も親しい友人であることは明らかであり、そしてあきらの藤ヶ谷での同級生であることを考慮すれば、今後もそうである可能性が高い。また京子は、第一巻で恭己への恋慕の情から共に泣き崩れるという結末を迎えた後、ふみとの距離も縮めている(『青い花』(2) pp. 178-80/SBF, 1:374-76 )。

 テーマ的には、京子と康の関係は、幼少期からの関係に始まり、一方が他方に依存することで特徴付けられるという点で、あきらとふみの関係に似ている。しかし、伝統的な男女の役割分担に呼応する形で、状況は微妙に異なっている:ふみのあきらへの愛は、あきらが自分を助けたことから始まったが、康の愛は、康が京子を助けたことから始まったように思われるのだ。

 しかし、それ以上の違いがある。あきらとふみの年齢が生来同一であるのに対し、康と京子の年齢差は、二人の関係に不平等な気配を持ち込むことになる。(京子は名目上、交際に対しイエスかノーかの決定権を持っており、康は彼女よりも交際を望んでいる。しかし、これはあくまで「求める男、求められる女」の伝統的なパワーバランスの一例であり、京子に実際どれだけの行動の自由があるかは不明なままである。)

 さらに重要なことは、康と京子の関係が、究極的には家族的・社会的な期待に根ざしているということにある:彼らは結婚し、結婚によって家族間の同盟関係が固まる、という期待だ。康の母親が京子との関係を心配する場面は、このことを強調している:「ああいう人がお身内に入るのは外聞が悪いのよ」。彼女自身は京子に同情しているのだろうが、彼女からすれば、京子の母親の(曖昧に表現された)病状と、それが京子とその子供たちに再発する可能性は、澤乃井家の将来を脅かすことになる(『青い花』(3) pp. 49-51/SBF, 2:49-51 )。

 それに対して、もしあきらとふみが最終的に交際に至れば、彼らは対等な個人として、社会的規範への挑戦や、家族あるいは友人たちから反対される可能性を押し切って、自ら行動していくことになるのだ。

 志村貴子がどこにシンパシーを置いているかは明らかだ:京子への焦点が大きくなってはいるが、『青い花』の「主役」はあきらとふみであり、ふみが恭己を拒絶したことを含め、これまで見てきた全てのことが、この漫画が人間関係における平等と個性とを重視していることを示唆しているのである。この観点からすると、京子と康は、藤が谷女学院と同様に過去を表しており、ふみとあきらは、未来とまではいかなくとも、少なくともその約束を表している存在といえよう。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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…兄、嫌われすぎワロタ(笑)。

まま、これはやっぱり、以前も触れていた通り、文化の違いもありますし、しゃあない面もありますね。


なお、「忍」という名前は日本人の目からしても、やはりまさしく男女半々ぐらいで使われている感じといえましょう。

ただ、漢字表記だと、若干男性的な印象はあるかもしれません(何せ、忍という字は、忍者の忍ですからね。もちろん、女性でも忍という字を使う例が普通に多く存在するのは間違いありませんが)。


逆に、平仮名で「しのぶ」だと、これは非常に女性的なイメージがある感じでしょうか。

僕的には、「しのぶ」というキャラですと、やっぱり志村さんにとっても心のバイブルであると思われる、『うる星やつら』のしのぶが浮かびますねぇ。


僕なんぞはマジでラムちゃんもしのぶ(しのぶは何故か呼び捨てが一番しっくり来ますね。「しのぶちゃん」って感じではなぜかないイメージです。作中でそう呼ぶ人が一人もいないからですかね?…あぁ、ファンWikiによると、あたる母にだけは「しのぶちゃん」呼びされていた感じでしたか)…もどっちも同じぐらい好きで、何かの間違いで「あたるはラム&しのぶどちらとも仲良く暮らしましたとさ…」エンド来ねぇかな…とずっと思ってましたけど、高橋留美子さんの上記ツイートにある通り、第一話時点では正ヒロインであったのにいきなりラムに奪われてしまった悲劇のヒロイン・しのぶ、その後「机投げ」のイメージしかなくなってしまったしのぶ(まぁ僕は机投げのイメージ込みでめっちゃ好きですけど(笑))…ではあったものの、しっかり作者ご本人様にも愛されていたキャラクターということで、本当に何よりでした。

(なお、「三宅しのぶ」という名前自体は、当時の担当編集さんだかの実際の名前を流用したという形だったはずですね。
 まだインターネットも無かった中高生時代にもうそのことは知っていたので、コミックスで触れられていたのかな?
…って、検索したら、また上記のファンWikiがヒットしてきましたが、やはり、初代担当編集さんが三宅克(これでしのぶと読むんですね。こちらは男性です)さんで、高橋留美子さんの初代担当として、レジェンドオブレジェンドを育て上げただけあって、後に小学館取締役を歴任されるほど出世されて、今でも新しいメディア創生を睨んだ企業(次世代コンテンツ創出アプリ「izure(イズレ)」)を立ち上げるなど、エネルギッシュに活躍され続けている偉大な方ですね!)


いやぁ~しかし、元日に流れていたニュース(↓)にはビックリしましたが、そのうる星も、まさかの今年、改めて突然のアニメ化!

uy-allstars.com
僕は、作品の媒体としては圧倒的に漫画派で、アニメはほっとんど全く見ないんですけど、以前の記事でちらっと書いていた通り、中高生の頃、帰宅した時間ぐらいに流れていた再放送のうる星やつらはあまりにも面白すぎて毎日楽しみにしていたぐらい、うる星だけはアニメも別格で、声とかも全員違和感無いどころか完璧なまでに合いまくってる感じでしたし、とにかく完全新作の再アニメ・令和版うる星やつらも、レジェンドの名に恥じない素晴らしい作品になることを、心から期待したい限りですね…!

 

ちなみに一方、「あきら」という名前は、これはむしろ、音の響き的には、圧倒的に男性で多く使われるイメージの名前ですね。

「明」「晃」「亮」「昭」…あきらと読める漢字は色々ありますが、上記の名前はどれもパッと見の第一印象はやっぱり男性かな、という印象を抱きがちです。

(いうまでもなく、全てのオタクの聖典大友克洋さんの『AKIRA』然り…)

ただ、平仮名の「あきら」と、漢字でも例えば「晶」ですと、これはいきなり「女性の名前かな」という印象がなぜか強くなりますが……って、何でかなと思ったら、個人的に志村さんと並ぶ巨匠・吉田基已さんの『夏の前日』・「藍沢晶」さんがいるからじゃあないっすか!

そっかそっか、あーちゃんと晶さんは、どちらも「あきら」だったんですねぇ。

よって、僕史上「好きな女性キャラの名前」ポイントランキングは、二名もぶっちぎりのキャラがいるということで、「あきら」が圧倒的に一位に躍り出た感じですね。


…あ、しかし、井汲さんと管理人さんの二人がいる「きょうこ」も強いぞ!?

下手したら歳納さんもいらっしゃるし……むむ、「あきら」と「きょうこ」、これは、どちらが上だ…?!


デロデロデロデロ…デン!


\同率一位~!/


…ってまぁしょうもなさすぎる僕のランキングとかはどうでもいいにも程がありますけど(笑)、いずれにせよ「あきら」自体はやや男性的な響きが強めだともいえるので、しばしばあーちゃんの名前は、

「すてきな名前ね」(by 井汲さん;英語版では「I LOVE YOUR NAME!」1巻26ページ)

「あきらさん…すてきなお名前」(by 上田さん;英語版では「WHAT A COOL NAME!」英語版2巻203ページ)

…と改めてあえて言及されることが多い、という感じですね。

(…あれ、「かっこいいわね」って台詞なかったかな…と思いましたが、パッと思いつく上記二人はどちらも「すてきな名前」という表現でしたか。でも、英語版の上田さんの台詞はやはり「なんてクールなネーム!」となっていますね!)。


…って、またまた青い花ではない話にも脱線してしまいましたが、特にうる星やつらは志村さんが確か最も読んで最も参考にされていると話されていた気のする作品の一つですし、永久に面白さ新しさが失われない奇跡の作品ですから、まさかご覧になったことのない方などこの世に存在しないと思いますけど、万一未見の方は、新アニメが始まったらぜひご覧いただきたい限りですね…!

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*1:Alex Cline, review of Sweet Blue Flowers, vol. 1, by Takako Shimura, Adventures in Poor Taste, October 19, 2017, http://www.adventuresinpoortaste.com/2017/10/19/sweet-blue-flowers-vol-1-review