LIVEシリーズも無駄に3回にわたってしまいましたが、ラストの今回は、せっかくなのでもう一つWordReference.comのQ&A記事を見ていく感じですね。
そういえばliveもいわゆるホモグラフで、動詞(「住んでいる」「生きる」)なら「リブ」という発音で、形容詞(「生の」「実況中継/実演の」)なら日本語でもそのまま使われる「ライブ」となり、品詞によって発音が違うパターンでした。
既にシリーズ最初の前々回でも触れていた通り、「LIVE」と大文字表記にするとめっちゃ「ライブ」っぽいのも面白い所ですが、このシリーズで見ているのは動詞の方で、前回まででliveは進行形にできるのか、および過去の習慣を表すwouldを使えるのか…みたいな話題を見ていました。
今回はそこからさらに、例の状態動詞/動作動詞という点を深く議論してくださっているトピックの方を紹介させていただきましょう(↓)。
cwervanTes378(質問者、スペイン語話者):live―状態動詞?
私の持っている英語の本には、過去に繰り返していた動作や過去の習慣を表す場合、状態動詞以外であれば「would+動詞の原形」を使うことができる、と説明されているんだ。私は、liveは状態動詞ではないと思ったので、こう書いてみたよ:
Ava's grandparents would live in an old farmhouse in the countryside.
しかし、正解はこうだったんだ:Ava's grandparents lived in an old farmhouse in the countryside.
(エイヴァの祖父母は田舎の古い農家に住んでいた。)
これは、liveが状態動詞だからなのかな?それとも、この文は過去の習慣とは言えないので、このルールは適用できないってこと?
あと付け加えておくと、この文はused to liveでも正解なので、過去の習慣だってことは言えそうなんだけどね。
PaulQ(英国在住、英国英語話者):
would+原形は、過去の反復行動や過去の習慣を表すのにはあまり使われない。それは主に、would+原形のスタイルにはやや文学的な響きがあるためだ。
「used to 原形」または「単純過去(+時間フレーズ)」は、過去における反復的な動作や過去の習慣を表す通常の方法である。
To liveは状態動詞(動きや変化がない)であり、それゆえwould+原形は「Ava's grandparents would live in an old farmhouse in the countryside.」という文にはフィットしないね。
velisarius(ギリシャ在住、イギリス英語(サセックス)話者):
いずれにせよ、君の言う「living(住む)」という行為は、繰り返しの行為ではないよね。彼らは、住んではまた住むということを繰り返していたわけではないんだから。
こういう言い方ならできるかもよ:「They would live first in one rented flat, then in another, until they finally got fed up with moving so often and decided to buy a place of their own.(彼らは最初賃貸のアパートに住み、次に別のアパートに住み、やがて頻繁に引っ越すのにうんざりして、自分たちの家を買うことにした。)」この創作例文では、動作は習慣的なものだね―異なるアパート群に住んでおり、常に変化しているわけだ。
cwervanTes378(質問者、2つ上のPaulQさんへの返信):
でも、例えば、この本には、こうは言えないとあるよ(この文章は孤立したものではなく、話の途中に出てくるんだけど):
I would go to bed at 8.
しかし、こうなら言えるとのこと:I used to go to bed at 8.
(私は8時に床に就いていたものだった。)
goは動作動詞だよね?では、なぜここでwouldが使えないんだろう?
同じように:
I shared/ used to share my room with my brother(私は昔弟と部屋を共有していた)--> 正しい
I would share my room with my brother--> 正しくない
全体的な文脈によるだろう。この例のようなそれ単体だけでは、「would」は曖昧といえるかもしれないね。普通ならこれは条件文の一部として読めてしまうものだから、その本では間違っていると書かれているわけだ。
cwervanTes378(質問者、1つ上のvelisariusさんへの返信):
この練習問題は条件文についてではなく、過去の具体的な出来事や繰り返される行動や過去の習慣について記述しているものだよ。なら、私が考慮せねばならない可能性のある選択肢の一つとしては、この意味で「would+原形」は使われる、ってことだね。
PaulQ(英国在住、英国英語話者、3つ上のcwervanTes378さんへの返信):
新しい本を手に取った方がいいような気がしてしまうね😄
「When I was a child, each year the family would go to Guilin. We would stay in a small hotel and I would share a room with my brother.(子供の頃、毎年家族で桂林に行ったものです。小さなホテルに泊まり、私は弟と相部屋で過ごしたものでした。)」✅(※正しいことを意味する絵文字)
Jignesh77(英国リーズ在住、ヒンディー語話者、一番最初のPaulQさんへの返信):
動詞の「live」が動作動詞なのか状態動詞なのか、混乱してしまった。
I have been living in Leeds since 2005.(私は2005年からリーズに住み続けてきています。)もし状態動詞であるなら、どうして進行形(living)で使えるんだろう?
先の回答で「To liveは状態動詞(動きや変化がない)」とあったけど、詳しく教えてちょ。
PaulQ(英国在住、英国英語話者、3つ上のcwervanTes378さんへの返信):
「Ava's grandparents would live in an old farmhouse in the countryside.(エイヴァの祖父母は田舎の古い農家に滞在していたものであった。)」 この中で、「live」は「temporarily stay(一時的に滞在する)」という意味になっているといえる。「During the summer months, Ava's grandparents would live in an old farmhouse in the countryside.(あの夏の折、エイヴァの祖父母は田舎の古い農家で月日を過ごしていたのでした。)」という文脈で使うことは可能かもしれない。しかし、上述の通り、やはりこれはどちらかというと文学的で、慣用的には「used to live(住んでいた)」「stayed(滞在していた)」と言う所であろう。
Jignesh77さんのコメント:
I have been living in Leeds since 2005.「live」が状態動詞かどうかを決める前に、その意味を区別する必要がある―stay(滞在する)、exist(存在する)、remain alive(生き続ける)、inhabit(生息する)、reside(居留する)などの意味があるためだ。
He lived to be 100. ✅(※正しいことを意味する絵文字)
(彼は100歳まで生きた。)He was living to be 100. ❌
(文法的におかしい)He lived in that house. ✅(※正しいことを意味する絵文字)
He was living in that house. ✅(※正しいことを意味する絵文字)
(彼はその家に住み続けていた。)
Jignesh77(英国リーズ在住、ヒンディー語話者):
先の質問、「I live in Leeds.」と「I have been living in Leeds since 2005.」で。
動詞(live)が状態タイプなのか動作タイプなのかは、どうやって確認できるんだろう?
ごめん、いくつか回答をもらってるけど、まだ混乱しているんだ。サンキュー!
SevenDays(スペイン語話者、1つ上のJignesh77さんへの返信):
状態動詞 vs 動的/動作動詞というのは言語学上の分類システムにすぎず、言語における他の多くの分類と同様、どちらかといえば流動的なもので、厳密なものではないんだよ。
ご存知のように、基本的な違いは、「状態」動詞は状態や状況を指し、「動的/動作」動詞はアクションを指すというものだね。それは良い定義なんだけど、しかし、「状態」動詞の大部分は「動的」にすることが可能なんだ。どうやってやるかって?それは、-ingという形態素と、「be」動詞という助動詞を加えることによって、だね。
love~: love=状態動詞
I am loving~: love=動作動詞
これが基本的な言語学的チェック法だ:「状態」に分類される動詞に、意味のある形で「-ing + be」を加えることができれば、その動詞はそれで「動的」となる。したがって、liveは「状態動詞」と言われるけれど、以下の中では…I have been living in Leeds
I am living in Leeds
(私はリーズに住み続けてきている)liveはここでは「動的」なんだね。
少なくとも表面的には、そういう考え方だ、ってことだ。
理論的な議論より興味深いのは、何が「状態」なのか「動的」なのか;動詞なのか、それともメッセージ全体なのか?という点である。
先ほど述べたように、「状態動詞」と「動作動詞」を区別する基本的なチェック法がある:「状態動詞」に-ing + 助動詞beを付けても意味が通じるかどうか、だね。
しかし、このチェック法は動詞に対するものなのか、それとも文全体のメッセージに対するものなのだろうか?より正確にいえば、-ing形態素は動詞が「進行的な側面」(進行中)か、「境界なし」(始まりも終わりもない)か、「非完了相」(完結していない)かであることを知らせ、助動詞beは「時制」などの文法的概念を加えるのである。-ing形態素も助動詞beも、それ自体(それぞれ単体で)「状態」や「動的」であるわけではない。物事がどのように推測され、解釈されるかという全体的なメッセージこそが、状態的な意味か動的な意味かを探る鍵なんだね。したがって、以下の中で…
I live(私は生きている)
これは、直感的に「存在」を意味していると思われる(as in I live, therefore I am(私は生きている、ゆえに私は存在している))。しかし、以下の中で…
I have been living in Leeds
I am living in Leeds
この場合、直感と常識とから、ここでの全体の意味は「存在」だけではなく、「居住すること」であることが窺えるであろう;リーズは私の家、私の居住地がある都市であるからだ。「居住する」というメッセージは、-ing形態素や助動詞be(それぞれに文法的な機能がある)の中にではなく、話し手と聞き手のコミュニケーションの中に組み込まれているのである。
…といった所で、何度かこのフォーラムでお目にかかっているPaulQさん他、とても丁寧で示唆に富む回答が多かったですが、結論としては正直、「で?結局どういうことだったんだ?」とも思える気もしてしまう感じかもしれませんね。
ですが正直、個人的にはそれこそが一番の学びではないかと思います。
ちょうど、一番最後の回答・SevenDaysさんのコメの一番最初にもありましたけど、正直文法用語なんて、人間が、言語という非常に高度で複雑なコミュニケーションツールを後付けでそれっぽく体系づけて説明したものにすぎず、そんなにそういう後付けのこじつけに頼りきってはいけないといいますか、上手くバシッと分類できないこともそら往々にしてあるでしょう、ってのが真理であるような気がする、って感じですね。
「状態動詞か動作動詞か?」とか、他にも例えば「現在完了形の用法はこの3つ『継続・完了・経験』であり、この場合は…」とか、「この英文は5文型で言う所のSVOC型であってぇ…」とかそういうのは、あくまで文章を理解する上でのサポートに使えるものであり、そこの解明をメインにするというか、そこにこだわりすぎるのはちょっと本末転倒なこともあるんじゃないかな…と思えるとでもいいますか、まぁ僕は受験英語のその手の「文法に基づく徹底読解」的な考え方があんまり性に合わず元々その辺は軽視しているタイプなので、個人の好みに過ぎないともいえますけれども、やっぱり細かすぎる詳細ポイントにこだわるより、もっとざっくりとでいいから全体を掴む方が本質的なんじゃないかな、と思ってしまうタイプかもしれません。
要は、例えば上で挙げた「現在完了形の3つの用法」なんかで、「この英文はその3用法でいうどれなんだろう?」とかそういうことを考えるのは、マジでどうでもいい、瑣末な話に過ぎない気がするのです。
そうではなく、現在完了であれば漠然としたイメージ(まぁ持つイメージは人それぞれ考えやすいものは違うと思うので多少の違いはあると思いますが、一番一般的なのは、「時間軸の数直線上に、矢印が、今この瞬間にまで伸びてきている」というイメージ)だけを持っておき、そのイメージを踏まえて/応用して、実際に現在完了形の使われているそれぞれの場面(英文)に応じて一番それっぽいニュアンスになる意味を自分で適当に見繕えばそれでよく、それが文法用語でいうどの用法に当たるかとかなんて、本当に全く重要ではない余計なポイントにしか思えない…みたいな感じですね。
結局、何か凝り固まった分類とかルールとかに縛られるのではなく、その場のノリで、気楽に、一番それっぽいものを考えればそれでいーじゃん、という柔軟性が最も大事に思う……というか改めて、自分がそういう「原則さえ抑えておけば、あとは自由に、柔軟に対応すれば良い」的な状況を好むタイプというだけかもしれませんけど、そういう考え方って案外(英語に限らず)どこでも大事なんじゃないかな、なんて思います。
なので、これはこないだの「仮定法は、ムードにすぎないんだ」という説明が凄くしっくり来たという話にもつながってるわけですけど、「厳密なルールなんてないよ。仮定法なら、『可能性の低いムード』が醸し出されるというそれだけだから、それを踏まえて、あとは自分で好きなように解釈すればいいよ。逆に自分が使う場合でも、相手がそれっぽい感じに上手いこと解釈してくれるはずだから」みたいなそういうスタンスで物事を考える/会話に臨むのはとても良い姿勢だと個人的には思う、ってなお話ですね。
…まぁ、「状態動詞と動作動詞の二種類があってぇ、現在形で後者を使うのは危険でぇ…」とか君が言い出したんじゃん(笑)、って話かもしれませんし、特に受験英語であれば、あんまり自分勝手に適当な解釈かましてしまうと減点されることもあるかもしれないわけですけど、まぁこれを読まれてる方は特にもう受験なんてしないと思いますし(TOEICとかはあるかもしれませんが、大学受験と違い、その手の技能試験は、むしろそういう柔軟性のあるスタンスを持っていた方がプラスに働くようにも思えます)、やっぱり実際のコミュニケーションというのは、ルールや文法で動くものじゃありませんから。
あんまり、無限とも思えるぐらいにいっぱいあるルールなんかに囚われず、気楽に話すのがやっぱり一番いいと思います、ってのが結論ですね。
最後一応、元々のご質問への回答をまとめておきますと、liveという動詞について、これは単純な裸の現在形で用いても違和感のないいわば「状態動詞」なわけですけど、しかし状態動詞の特徴である「-ingで進行形を取らない」というポイントは必ずしも適用されないという、いわば「柔軟動詞」なので、進行形でも完了形でもどれでも使える懐の深いヤツなんだ……と、本当に気楽に構えて使うので全く問題ない単語だといえましょう。
(一応、進行形にすると、「またすぐ動くかもです~」というニュアンスも出せるというのは便利知識かもしれませんね。)
また、助動詞wouldなんかと絡めると、詩的な響きにもなるということで(とはいえ今回見ていたフォーラムでPaulQさんが書かれていた通り、あんまり過去の習慣を意味するwouldとliveは相性が良くないみたいですが)、liveをwouldと使うと、ひと夏の思い出・懐かしの別荘地みたいな情景を思い描かせることが可能そうです……と、無理やり別荘地のいらすとをアイキャッチ画像で使うために、最後今回のネタと絡めてみました(笑)。
…という所でliveに関してはこの辺で一旦区切りをつけて、また次回は、いただいていたコメントの続きを見ていこうと思います。