(※かなりどうでもいい点なんですが、一度、記事アップの予約時刻を間違えて、ちょっと早めにアップしてしまっていました。
記事のURLを揃えるため、その後一旦下書きに戻し、いつも通りの時刻の予約投稿に変更せていただいた感じです。)
それでは、新しい記事へのご質問コメントもまた少し溜まってきていたので、以前のものを遡って消化していく前に、そちらの方に触れていこうかなと思います
記事タイトルの通し番号も、永久に「その2」に辿り着けないというかそもそももう何の意味もない番号になってますけど(笑)、それ以前に「コメ返信」アピールもあんまり意味ない気がしますし、その枕詞は取ってもいいかもしれないですね。
まぁその辺の細かいことはどうでもいいのでともかく、今回はこちら(↓)、supposed toについて補足で触れていた記事に関してのご質問メッセージになります。
例によってコメントはアンさんからのもので、お礼の言葉が変わり映えなさ過ぎて申し訳ないぐらいに毎度同じことしか書いていませんが、いつも大変面白く温かいコメント、本当にどうもありがとうございます!
割と長いご質問になりますが、内容は一貫してつながったものであったため、一旦全部貼り付けて、その後順番に見ていく形といたしましょう。
『(×)be supposed to=be allowed to=be permitted to』
とありましたが、
後ろの2つとbe supposed toが似てるように思えないので、なぜわざわざ並べて書いてあるのかがわかりません。(後ろの2つも、ちゃんと理解して使えるとかでは全くないんですけどね笑)
「You're not supposed to park here.」は、駐車してはいけない“ことになっている”という意味で、一応のルールはそうだけど建前だから…っていうのはわかりますが…supposed toには必ず“許可”の意味が含まれているんですか?
「ここに駐車してはいけません」なら、You're not supposed to park here.でnot, park, hereにアクセントをつけて言わなくても、You must not park here.とかで良くないですか?
そして、You're not supposed to park here.が、「ここに駐車してはいけないことになっています」だとして、
そもそもbe supposed toが〜することになっているなのに、否定のnotがつくと、〜しないことになっているではなく「〜してはいけない…」となるのも違和感なのですが、
許可的な意味を含めるとしても「〜してはいけないことになっている」という日本語訳と、「〜していいことにはなっていない」という日本語訳、意味は違いますよね?
制服の例で言うと、「生徒は制服を着るということになっている」を否定する場合、「生徒は制服を着るということにはなっていない(着る決まりはない)」と、「生徒は制服を着ないということになっている(着ない決まりがある)」では、意味が違うと思うんですけど、これってどちらもStudents are not supposed to wear uniforms.ですよね?うーん、、もう何が言いたいのかわからなくなってきましたが、恐らくbe supposed toなんて使ったこともないので、全くピンときていないっていうのが正解なんですけど、supposedに限らず、否定文になった時に何を否定してるのか迷うケースってないですか?
例えば、基本的で簡単な文で、当たり前に覚えさせられたので、何も考えずに使っていますが、
I can't speak English very well.
っていう、以前出てきたこちらは、
私は英語はあまり話せません。
という意味になりますよね?
全く話せないわけではなく、上手には話せないというニュアンスになるわけですよね?
肯定文の時は「とても」で、否定文になったら「あまり」となる違和感…
もうひとつ、、これは私の黄色いペンです。
This is my yellow pen.
あ、黄色じゃなかったじゃん!となった時、黄色を否定したくても、
This is not my yellow pen.
あ、私のちゃうやん!となった時、私のを否定したくても、
This is not my yellow pen.
となりますよね?
(ペンではなくて鉛筆だった場合も同じ?)
まぁ、日本語でも
これは私の黄色いペンではありません。
と言われたらまず私のを否定しているように思えますが、実際はこの文章だけでは特定できないような感じですよね。
…例えばと言いつつ、ちゃんとした例が思い浮かびませんでした笑こんなに簡単な英文でも、否定のnotは難しい場合もある…??っていうことを言ってみたかった感じですね。
気になるとか言って引っ張っておきながら、結果だいぶ初歩的なお話しになってしまって、、なんかすみません笑
⇒「You're not supposed to park here.」で「ここに駐車してはいけません」と日本語の英語本ではされがちだけど、ネイティブはこれを見たら「駐車してはいけないことになっている(んだけどね、まぁそうなってるだけで、多分実際はしてもいいんだろうね)」と受け取りがちである……というお話からのネタですね。
まず、「supposed toには必ず“許可”の意味が含まれているんですか?」という点については、全くそんなことはなく、むしろ日常会話では「I was supposed to finish this task...」(この仕事終わらせておくつもりだったのに…)のように、何と言いますか「~のはずである」「~することになっている」みたいなニュアンスがこの語の持つ本質的な意味であり、そこから文脈によって「許可」みたいな意味にもなり得る、という感じの方がむしろ近いと思います。
つまり、こないだの補足記事で見ていたミントン先生が指摘していたポイントは、その意味合いから派生して「許可」っぽい文脈で使われている日本語の英語本を見かけるけれど、実際は純粋な「許可」にはなっていないことの方が多いので注意が必要です……というのが肝であったといえましょう。
なので、「『(×)be supposed to=be allowed to=be permitted to』がイコールに思えない」というのは、むしろ正しい解釈をされているというか、意味をよく分かってらっしゃると言ってもいいのではないかな、と思えます。
バツ印がついているように、これは必ずしもイコールではないわけですが、少なくとも日本語の英語テキストによくある「ここに駐車してはいけません」という訳文であれば、これは英語でいうbe allowed to, be permitted toにそっくりに思えるわけですけど、実際は違うのです、というのがミントン先生のアドバイスだったってことですね。
「You must not park here.とかで良くないですか?」というのもまさにその通りで、むしろ禁止事項を示すならそれの方が適切とすら言えるわけですけど、あの解説で示されていたのは「日本語の英語本で、『駐車してはいけません』の例文としてnot supposed toが使われているのをめちゃくちゃよく見るけど、違うよ」ということであり、「駐車してはいけません」という意味の例文として推奨されていたわけではない点にご注意かもしれませんね。
(※もちろん、イントネーションによっては「駐車してはいけません」という意味にもなるので、「違うよ」とは言い切れないわけですが、普通、パッと見の印象では全く逆の「…という建前だけど、本当は~?」という意味になるので要注意、ってのがポイントだといえましょう。)
コメント後半は「supposed to」というよりむしろ否定文のお話かと思いますが、これは大変にややこしい部分ですねぇ~。
「〜してはいけないことになっている」と「〜していいことにはなっていない」……これだけ書くと本当に紛らわしすぎるといいますか下手したら同じに思えるぐらいややこしいですけど、具体的に挙げられていた制服の例で考えると…(ただ、「制服を着てはいけない」はおかしいので、ここでは「私服」に変更しましょう)…
「本校は、私服を着てはいけないルールになっている」(制服を着なければいけない)
「本校は、私服を着るというルールにはなっていない」(制服でも私服でもいい)
…ということで、これは確かに大きく意味が違います。
そして、ご質問の「これってどちらもStudents are not supposed to wear casual clothes.ですよね?」(制服をカジュアルクロースに変更しましたが)という点……
これは実は、駐車の例と同じで、この英文だと「生徒は私服を着てはいけないことになっているが、実際は着ている者が存在する」という意味が極めて強くなってしまうため、このご質問の答としては「そうはならない」になるのですが、とはいえ、おっしゃりたいことはめっちゃよく分かります(笑)。
まずそもそも議論のポイントとしては「部分否定と全否定の違い」と「なぜこの英文ではこの意味に特定されるのか」の二点があるわけですけど、後者についてはやっぱり、「着てはいけない」ということを明文化したいなら、他にもっとピッタリな表現があるから、って話に尽きる気がしますね。
(まさに、「Students are not allowed to wear...」や、「Students must not wear...」などですね。
もちろん、駐車の例同様、言い方・強勢の置き方によっては純粋に「着てはいけない」という意味にもなりますけど、やはり普通は、例の「建前」を述べている感じに受け取られがちだと思います。
…その理由は改めて、「着てはいけない」ということを言いたいなら、もっといい表現が他にあるから、ってことに尽きるといえましょう。)
そしてより論点として今考えたいポイントが恐らくこちらで、上記の英文では、「着るというルールではない」という、いわば部分否定的な意味にはならない、ってのが気になる点でしょうか。
一般的に部分否定と全否定のどちらなのかがややこしく、どっちとでも取れる例文はいくらでもあると思いますが(例えば…まぁ「部分否定と全否定」とは少し違いますが、「否定がどこにかかるか不明瞭」というのは、まさにコメントでも挙げられていた「これは私の黄色いペンではありません」とかですね)、少なくとも上の例、「Students are not allowed to wear...」や「Students are not supposed to wear...」なんかの場合、これらはそれぞれ「着ることは許可されていない」「着ないことになってる(けど、実際は守らないやつもいるっぽい)」という意味に確定され、「着るというルールがあるわけではない」という意味には決してならないといえます。
「着るというルールがあるわけではない」であれば、別の表現、例えば「Students are not required to wear uniforms.(生徒は、制服を着る必要はない)」という形で表されるといえる感じでしょうか。
この辺、実は僕も正直あやふやで、バシッとルールや「なぜそうなるのか」を明示できるわけではないんですけど、とはいえアンさんが感じられているであろう疑問点というかモヤモヤも分かる気がします(「否定文、意味が一つに決まらないこと、あるよね?」という点などですね)。
もちろん、否定文の中には意味の取り方がややこしい例もあるんですけれど、ややこしくなく意味がカチッと定まる例もあり、とりあえず少なくとも上で見ている例文は、普通に意味が定まる形になっているといえる気がします。
(ただし改めて、「ややこしい例文と一つに定まる例文との違いは何なのか?」みたいな、背景にある一般的なルールみたいなのは僕にはよく分からず、個別の文で「これの意味はこうだね」と、行き当たりばったり各個対応でしかいえない(一応「その解釈で間違いないと思う」ということは断言はできるものの、でも、そう断言できる理由は自分でもよぉ分からん)…という感じですね。)
もちろん話の流れとして、「着ることになっている」を否定したら、「着ることにはなっていない」と「着ないことになっている」の二通りがあるよね?という、おっしゃりたいこと・モヤモヤポイントは重々承知なんですが、少なくともその二文は意味が違う文なので、あえて「同じ文を変形(否定)したらどうなるか?」などは考える必要はなく、別の表現を使うのが安全でしょう、というのがポイントでしょうか。
(ただこれに関しても、多くの場合、元の文に単純にnotをつけたら、どちらか一つの意味にしかならないことがほとんどかと思います。例によって、その理由を体系的に説明することはできないのですが…。)
近い話として、先ほども書いていた「部分否定」と「全否定」について……
これは英語ではなく高校の漢文の授業で習った話ですが、漢文の場合、「不必~」とある場合、「必ずしも~ではない」という部分否定になり、漢文の先生に「必ずが下にあるから、『必ずしも』で部分否定、分かりやすいね」と習って「これは分かりやすい!」と納得したものですが(もちろん、「必不~」という並びなら「まったく~ではない」と全否定になる形ですね)、実は漢文に限らず、英語でも近いことがいえる場面は多いように思います。
例えば、「I can't speak English very well.」だと、notの下にvery wellがあるので、必ずしもvery wellではない=あまり上手に話せない…という意味で、決して「上手に話せない」を全部、完全に否定しているわけではないんですね。
(まぁでもこれは、very wellを上に持っていけば全否定になるわけでもないので、別にいい考え方の例でもなかったかもですが…。
全否定したい場合は、「not ~ at all」で、「I can't speak English at all.(英語を全く話せない)」になるわけですが、これだって「at all」はnotの下にあるし、やっぱり全然いい説明じゃなかったですね(笑))
結局の所、これも「何となくそう読めるじゃん」というノリで生きているだけなのでまともな解説もできなくて恐縮ですが(笑)、基本的には、notがつくとそれがかかる表現が裏返る(very wellという中ぐらいの表現(もちろん「中ぐらい」とはいっても、「かなりよく」という結構な強さではありますけど、上限に達している表現ではない、という意味ですね)が裏返ったら「あんまり」という中ぐらいの否定になるし、一方、at allみたいな、「全て」「完全に」というこれ以上はない極端な表現であれば、裏返ったら否定レベルも完全な「全く~ない」になる)、って考えればOKなんでしょうかねぇ?
一方「notがかかるのはどこか?」問題、コメント例文でいうと黄色いペンに関しては、これも、「ややこしい文は間違いなくありますね。だから、ややこしくない表現に変更するのが一番良いでしょう」が結論かもしれませんね。
「あ、黄色ちゃうやんけ!」と思ったら「This is my yellow pen... Oh, sorry, not yellow, but a brown pen!」とでも言えばよく、いちいち否定する意図のないmyやpenまで丁寧に言及する必要などない、って話ですね…!
(日本語に限らず、英語でも「This is not my yellow pen.」が、何を否定しているのかは必ずしも確定はしないように思いますしね(まぁ普通は、少なくともこの例文なら、黄色か&ペンかは見れば分かることですし、そうでないものを指してこの文を言うことなんてまずあり得ないので、コメントでアンさんもおっしゃられていた通り、否定されているのは「my」かな、ってなるとは思いますが…)、より良いコミュニケーションのために、単純化は重要といえましょう。)
否定が難しいということ自体は間違いないので、ややこしさに悩むなら、確定できる/分かりやすい表現を作るのが間違いなくベスト、それが結論かな、という気がします。
このNoを突き付ける男性のいらすとのように、きっぱりハッキリした文が好まれる、って感じでしょうか?!