コメ返信や補足その1-13:建前を大切に…

今回は、ここ最近の記事で触れそびれていた話にいくつか触れておく補足回にしてみようと思います。

ありがたいことにコメントも結構溜まっているため、補足を終え次第、またコメントに戻って行く予定です。

 

まず一つ目は、前回受け身(受動態)の話をしていたんですけど、これに関して触れておけるネタはないかなと思い、マーク・ピーターセンさんとミントンさんの本をパラパラ眺めていたのですが、特に受け身に関して「これは触れておかなくては!」という話が目に付いたわけではなかったものの、ミントンさんの本で一点、「うお、そういやそんなポイントもあったな、忘れてた!こないだ触れたネタで、書いておくべきだったね!」という点が見つかったので、そこだけ補足しておきましょう。

それがズバリ、マギ単(紛らわしい英単語)シリーズ・「ポーズ」の記事(↓)でチョロッと触れていた、supposeについて!

con-cats.hatenablog.com

supposeの受け身形、「be supposed to」について、これは英会話でめちゃんこよく使われます、と記し、一部例文も挙げて紹介していたのですが、ミントン先生の本(何度か引用させてもらってる(未来形自分も含む一般のyouなどの話が掲載されている)本『ここがおかしい日本人の英文法(一)』の、一番最後、24章)の解説を改めて読んでいて、先ほども書いた通り「こないだの説明は完全に片手落ちだったな!」と思える点があったため、そちらを補足しておこうと思います。

この本ももう結構な量を全文紹介させてもらっているので、今回の章にもめちゃくちゃ膝を打つ話が多かったのですが、そろそろ引用のレベルを超えそうなので一字一句引っ張るのではなく、一部ポイントのみを抜粋する形にして、後は自分なりに語る感じにしてみましょう。


おさらいしておくと、こないだの記事(↑)では、be supposed toの使用例として「You're not supposed to park here.」を挙げ、「ここに駐車してはいけません」という訳例を載せていたのですが、まずここからですね。

この例文、まさしく一字一句完全に同じものがミントン本にも掲載されており(六つある例文の③番で)、ご丁寧に「③も日本のテキストによく見かける例ですが…」という但し書きがあって、「せやね(笑)」と笑えましたね~(実際、僕はこの例文を、日本語の解説ページから拝借していました)。


そして、この例文に関して、「『ここは駐車禁止になっている』のように訳されていることが多く、それだけなら正しいと言ってもいいのですが…」と、補足の点を説明してくれていたのです。

それがズバリ「間違った説明」として挙げられていたもので、

(×)be supposed to=be allowed to=be permitted to

…という図式を示し、「この言い換えをイコールで結ぶのは誤解を招きかねません」という話でした。

上の言い換えフレーズの後者2つは、allow(許す)、permit(認可する)という意味から、どちらも「~を許可する」という意味になるわけですが、これらとbe supposed toは、一応似てはいるものの、実際はかなりニュアンスが異なって受け取られる、ということなのです。


どういうことかというと、ネイティブスピーカーは、この「You're not supposed to park here.」という文を見ると、大抵の場合「その場所は駐車禁止という建前だが、実際には駐車しても大丈夫だろう」というように受け取ってしまうんですね…!

とはいえこれは、(多くの文・発言がそうであるように)言い方・イントネーションによって受け取り方は変わる話とのことで、特にsupposedの部分にアクセントをつけて言われた場合、「supposed(そういうことになっている)が強調されているってことは、おそらく駐車しても大丈夫なんだな」と受け取られると考えてほぼ間違いなく、その他のnot, park, hereの全部や一部が強調されれば、建前や冗談ではなく本当に「駐車は不可」と解釈される可能性が高くなる……という話なんですねぇ~。


これ、実際日本語でもまぁ近いことは言えて、「ここは駐車しちゃダメってことになってるよ」なんて思わせぶりに言われたら、「あぁ、ダメってルールだけど、実際はみんな駐車してる場所ってことなんだろな」と、言外の意図を察せられるように思うんですけど、それとそっくりな例なんだと思えますね(日本語のこの例文もまた、発言者の言い方次第でまぁどちらとも(実際本当にダメという風にも)取れるかもね、って点も含め、be supposed toと同じ感じといえましょう)。


こないだの記事ではその辺に触れることを全くしておらず、和訳もその感じが全く出ていなかったので、シレっと和訳も「ここに駐車してはいけないことになっています」に変えておきましたが(笑)……

(なお、追記として、補足がある旨も、この記事へのリンクと共に足しておきました)

…実際に記事を書いている時も、「あんまりしっくり来ない表現な気もするけど、まぁどの解説記事でも触れられてる例文だし、有名な例として挙げておこう」と、イマイチ納得していないまま書いていた部分だったわけですけど、やはり直感というか、そういう「何かしっくり来ない部分があるけど…」というモヤモヤみたいな小さな懸念を無視してそのまま放置するのは良くないな……という、とてもいい反省材料となりました。

(…ってまぁ「実は書いてて何か違和感があったんですけどね」とか後出しジャンケンくさいにも程がありますが(笑)、実際言われてみたら「うん、そのニュアンス、間違いなく感じるね」とは思える感じでして、それもあって、ネイティブ英会話ではめちゃくちゃよく使われているのに自分ではこのbe supposed toを使うことは滅多になく、shouldとかでごまかしているとも言える感じなのかもしれません。
(ミントン先生も、「自分の意図を正しく伝えることに絶対の自信がない限り、この意味でbe supposed toを使うのは避けた方がいいでしょう」と記述している場面もありました(まぁそれは、「be supposed toをbe thought toの代わりとして使うことは…」という話なのでまたちょっと違いますが、非ネイティブには中々難しい表現であることは間違いない気がします)。)

 ただ、何度も「日本を発って10年以上経つけど、英語力は1ミリも伸びていません」などと書いていますが、実際、初読時はこの辺の話も全然ピンと来なかった気がするものの、今改めて読んでみたら本当に「あぁ、おっしゃられてること、マジで分かるわ」と思えたので、やっぱり少なからず経験というものは自分で意識できないレベルではあれど、ちゃんと積まれているものなのかなぁ、とも思えた部分でした。

…とはいえ毎度しつこいですが、英語や語学はあるとき階段状に一気に、自分でも自覚できるレベルで伸びるものであり、最初の「明らかなレベルアップ」は多分、「音として英語が分かるようになる」というものだと個人的に思っているんですけど…

(例えば日本語なら、どんなにパッと見で微妙に思える文章や表現でも、口ずさんでみると「あぁ、自然な表現だね/いや、これは、そんな文が出てくる場面は想像できないから不自然だ」と分かるというか判別がつくわけですが(例えばこないだ出していた「誰は彼?」「彼は誰?」の違いとか、他にも以前書いていた「僕はテレビが好きだ」みたいな文も、一見主語が2つで非文にも思えるものの、口ずさんでみると「あぁ、めっちゃ自然な日本語だわ!」と思える…みたいな感じですね)、それと同じように、単語や句単位で文法的な機能とかを逐一考えて文を眺める/作り出しているのではなく、言葉をもう音の塊として捉えて、自在に操れるようになる……みたいなステップに、人はいつか必ず到達する(…けど、自分はしていない)という感じですね)

…僕の英語は、ここは100%断言できる点として、まだそのレベルに達していない、ってことですね。クッソ長々と書いた割にかなり漠然とした内容で、微妙な話だったかもですが(笑))


と脱線ネタが長くなりましたが、supposeには「建前」のニュアンスがある(もちろん必ずではなく、「場合によっては」なわけですが)というのはかなり大切なポイントで、こないだは触れていなかったので改めて補足しておきたかった点でした。

せっかくなので、とても面白いお役立ち情報を勝手にいっぱい引っ張らせてもらって申し訳ないですが、ミントン先生が挙げていたその他のbe supposed toの注意点も、もうちょいいくつかだけ紹介させていただきましょう。


これまた「日本の英文法書によく見かける例文」として挙げられていたものですが、

Students at this school are supposed to wear uniforms.

という例文とともに、

この英文は決まって、「本校の生徒は制服着用のこと」という日本語に対する訳文として登場します。この英語自体には何ら問題はありませんが、その意味は、残念ながらこの日本語の意味ではありません。

という、何とも衝撃的で興味深い話がされていました。

実際の本ではこの文の後、上でも一つだけ触れていた六つの例文を見ていく段落に入るのですが、ちょうどここでも一区切りを入れてみましょう。

実際のミントン先生の解説に入る前に、これまでの説明で、英語だとどういう意味になってしまうのか、想像がつくでしょうか?

……


これも結局、「そういう建前になってるんだけどね…」というニュアンスが極めて強い文になっている例でして、これはズバリ、ミントン先生の説明を引用させていただくと、

したがって、最初に挙げた、Students at this school are supposed to wear uniforms. の本当の意味は、「本校の生徒は制服を着用することになっているが、少なくとも一部の生徒はそれを守っていない」になります。

ということで、英語にしてはやや珍しく、この文は言外の意図が強く表れる意味で受け取られてしまう、という話なんですね。

大変面白いです。

 

他にも、この表現で、日本人的には勘違い・誤用してしまいがちなポイントが複数挙げられていましたが、そちらはぜひ書籍をお手に取ってお確かめください、という形といたしましょう。


今回はもう一つ、以前の記事で触れた内容で他にも補足として触れてみようかなと思っていた点があったのですが、supposeだけで割といい量になったので、それはまたいつか機会があれば、にしようと思います。


アイキャッチ画像は、今回のネタからはあまりにも何もなかったので、駐車ネタからの派生だったことから迷惑駐車のいらすとをお借りしましたが…

…画像は全く関係ないので特に語ることも何もないんですけど(笑)、記事タイトルにした「建前を大切に」という話、これ、「好きな漫画」シリーズの一番最初の記事で触れていた、よしながふみさんの『愛すべき娘たち』で出てくるとても印象的な台詞にちなんだものでして、その記事内でも触れていた、僕の大好きなキャラ・莢子さんのお祖父様の台詞だと思うのですが(回想シーンみたいなコマで、台詞だけが流れる形です)、

建前を大事になさい

陳腐でも正しい事を

建前と言うのだから

…という、莢子さんが恐らく今でも大切にしているであろうこのメッセージ、個人的にはとてもインパクトが大きく、後頭部をハンマーでガーンと殴られたような衝撃がありました。

(というのは嘘というか大分盛ってる誇張で、まぁそこまでの衝撃ではなかったですけど(笑)、間違いなくちょっと考えさせられる、少なくとも今でもこうしてすぐ思い出せるぐらいには印象深い台詞ですね。)


僕なんぞは、建前というのは本当にゴミみたいな、つまんない大人が振りかざす典型的な悪しき反面教師文化に思えるといいますか、少なくとも自分はどんな時でも本音を言ってくれた方が嬉しいし、自分を守るためだけの建前みたいなのは自分では絶対に言いたくないな、建前なんてクソ喰らえだ……と思ってやまないお子様な思考の持ち主なんですけど、やっぱりよしながさんのような偉大なる作家の方の台詞は含蓄に富んでいるといいますか、「一理あるな。建前も大事にしなくちゃ。陳腐でも正しい事を建前と言うのだから…」と、何事も一面からしか考えないのは良くないことだ、なんて気付きを得たものです(ただ台詞をオウム返ししただけの、クソみたいな気付きですが(笑))。

まぁ、だからと言って僕自身建前を大事にするようになったわけでもなく、今でもやっぱり建前より本音の方が遥かに価値があると思ってますし、全体的に「だから何だよ」って話でしかない脱線でしたけど(笑)、好きな台詞とかには隙あらばついつい触れたくなってしまうのが、漫画とかを好きなオタクタイプ人間の特性、ってやつですね(笑)。


では次回は、またご質問の方に戻って行こうと思います。

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