コメ返信や補足その1-33:もしもチケットが買えたなら…

今回も、いただいていたコメント(主にご質問を含むもの)を見て、説明の足りなかった部分を補足していこうと思います。

 

例によってコメントはアンさんよりご送信賜ったものになります。

まさにもうちょっと触れておきたかったなと思える部分が多く、恰好の補足内容になりそうで、大変ありがたい限りにございます。


まずは新しい方から、前々回の、一連の仮定法ネタの補足記事に対してまた受け取っていたコメントです。

補足の補足って感じですね。


割と長いですが、概ねひとつながりの内容なので、一気に貼ってその後自分のコメントを足させていただきましょう。

 

わかりました!!もうね、自分が仮定法っていうのを、思った以上に全くわかってなかったっていうことが、よーくわかりましたよ笑

誤解っていうか、思い込みっていうか、そんな部分もあって、いろいろ新しい発見もありましたね。まぁ、恐らく、使う機会もなかったので、ただ全てを忘れてたっていうだけだと思いますけど…。


雰囲気とノリ、、わかるんですけど、そもそも基本の形すらも曖昧だったので(っていうか、ほぼ記憶にナシ)、「仮定法ではない、普通の過去形のif」って出てきた時に、なにそれ?くらいのパニック具合でした笑

そして、なんと!?…ちょっとわかってきましたよ??


例えば、過去形のifって、、(めっちゃ考えましたけど笑)、「If you bought a ticket, you can go to the concert.」は、そうですか?

「あなたがもしチケットを買っていたら、コンサートに行けます。」

買ったか買ってないかわからないけど、買っていることもあり得るっていう感じで。

そして、

「If you bought a ticket, you could go to the concert.」は、仮定法のifになり、

「もしあなたがチケットを買えば、コンサートに行けるのに。」と、実際は買っていない現在のことを言っている感じ…

で、どうでしょう??

この仮定法の場合は、canがcouldになるんですね。


更に、この感じで過去のことを言いたい時、「もしあなたがチケットを買っていたら…」であれば、「If you had bought a ticket,」と過去完了になり、

「コンサートに行けるのに。」ならば「you could go to the concert.」で、

「コンサートに行けたのに。」ならば「you could have gone to the concert.」となる…

どうですか?


後半の「you could go to the concert.」は、もし前半の条件節が省略されていたとしたら(実際省略できるかどうかはわかりませんが)、こないだの『I could meet him in New York.』と同じように、コンサートに行けたように思わせて、実は行けてないっていうことになるわけですね?

なんとなくイメージはわかったような気がしますが、まぁ、使えるか?って言われたら、使えませんけどね笑

でも、その辺の基本的なことも何にも知らなければ、雰囲気やノリですらどう判断すればいいかわからないですから…

ちょっと賢くなりましたね笑


今回の記事の最後の方に書いてあった、「couldが仮定法に確定するのは改めて文脈というか文章次第」っていうのは、まぁ文脈で判断しなければいけないっていうことで、大事な部分が省略されたりなんかしたら、理解不能ですよね。いや、省略すんな!って感じですけど笑


⇒最初、仮定法の基本の部分をすっ飛ばしていきなり「仮定法はムードでしかないからぁ… (ニチャァ)」などと早口で言ってそうな感じで始めてしまっていたため、大変不親切な記述になっていたわけですが、追加の補足の方で多少なりともその辺が抑えられていた形になっていて何よりでした。

(とはいえあの補足記事も、全く一度も仮定法に触れたことのない中学生とかが読んで分かる話かというとやや疑問符もつくため、無事に話が通じたのはアンさんの理解力のおかげともいえましょう。)


まさに、ほぼ完璧にそのご理解の通りで、仮定法のエッセンスはもうバッチリといえるのではないかと思います。

ただ、「ほぼ」と書いたのは一点、以下の部分で…

「If you bought a ticket, you could go to the concert.」は、仮定法のifになり、

「もしあなたがチケットを買えば、コンサートに行けるのに。」と、実際は買っていない現在のことを言っている感じ…

…この「実際は買っていない現在のこと」という部分は、実際買っているいないというよりもむしろ、「(よもやチケットを買うなんて万に一つもあり得ないと思うけど)もし買うならば…」というニュアンスが強いんじゃないかな、って気がしますね。

もちろん(あまりにもくどいですが)仮定法はあくまでムードなので、どういう仮定をするかは話者の脳内・気分・雰囲気に依るわけですけど、現実に買っていないのはまぁ前提として(買ってることを知ってたらそんなifの文を言う意味がないから)、その上で、「普通のif」であれば、話者は「まだ買えるよ、もし買えば…」と思って言っているのに対し、「仮定法」であれば、まさに上で書いた通り、「まぁ絶対、天地がひっくり返っても君は買わないだろうけど、もしも買うというのであれば…」的なニュアンスで使われるのが基本線って感じだと思います。

(改めて、僕もその辺のセンスを芯から身につけているわけではないので、単に知識と経験から言ってるだけの話に過ぎないんですけどね。)


実際「まさか君がチケットを買うわけはないだろうけど…」なんて場面はあんまり想像しにくいので、より自然な文を考えるのであれば、例えば…

「If you were able to buy a ticket, you could go to the concert.」
(もしもチケットを買うことができるなら、コンサート行けるのにねぇ…)

…の方があり得るパターンではないかな、なんて気がします。


何が違うかというと、この文であれば、例えば予約が全席1秒で埋まるぐらいの超絶人気グループのツアーか何かで、どう考えてもコンサート当日の今、「チケットを買うことそれ自体が、(売り切れとかで)絶対に不可能と思われる」という旨を言っていることになるので、これは極めて現実的にありそうな会話だといえるように思えます。

(あえて補足すると、「(もう絶対買うことなんて、何がどう転んでもできっこないけど)もしもチケットを買うことができれば…」という話ですね。

 一方、コメントで書かれていた元の文だと、「仮にまだチケットを買えたとしても、この人がチケットを買うことは絶対にないと思われる」という意味合いが強いんじゃないかな、と思えるので、「買うことが可能であること」に仮定のムードを置く形になっている、上で太字にした英文の方がより自然な気がする、ってな具合です。


…ただ、あくまで仮定法はムードですし、元の文でも、「よもやチケットを買うなんて万に一つもあり得ないと思うけど」という背景にある意識は、「なぜあり得ないと思うかって?だって買おうと思っても、もう絶対買えないもんね」という前提条件からの発言になっている…というのもまぁ十分あり得るとは思いますが、それならやっぱり「買うことができる」、すなわちbe able toなんかを加えてそこを仮定法にする方が普通じゃないかな、と思えます。

 あくまで僕が勝手にそう思ってるだけなので、必ずしもそんなこたぁないかもしれませんが、一応理屈的にはそうなる気がする、ってお話ですね。)

 

(ちなみに、過去のことを意味していないことを明らかにするために、上の太字にした仮定法の日本語文では「もしもチケットを買うことができるなら、行けるのに」としましたが、自然な日本語であれば「チケット買えたら、行けたのにね…」と、過去形で表す方が普通かな、とも思えます。

 日本語のこの部分は英語の仮定法との奇妙な(?)共通点で、形の上では過去形だけど、「もしも今買うことができるなら、今入場することもできるであろう」という現在・未来の意味でしかないのは、仮定法の最初の記事でも書いていた通りですね。)

(…と最初に書いたときは断言してしまっていましたが、よく考えたらまぁ一応、過去を振り返って言う話なら過去を意味することもあるかもしれませんね。

 でも、例えば「どうしても雰囲気だけでも味わいたくて、ライブ会場の前まで来たけれど、やっぱり買えるわけもなく、開場前に友達同士で慰めあってるような台詞」であれば、上の太字過去形を含む文は「今チケット買えるなら、まだ間に合うのにね」(でも、その可能性はほぼゼロと考えてるから、日本語でも過去形で言うことが多い)という現在・未来の意味になっているように思います。)

 

続いて、コメント最後の『「you could go to the concert.」は、もし前半の条件節が省略されていたとしたら(実際省略できるかどうかはわかりませんが)…』については、まさに完璧その通りで、if節が省略されることは英語だと非常にしばしばある形で、「You could go to the concert.」という文単独だと、「コンサートに行くことができた(were able toの意味)」ではなく、「(チケットが買えるなら…とか、今日が部活の大会じゃなければ…とか、何らかの条件が整っていれば)コンサートに行ける(はずなのに、実際は…)」という意味に、ネイティブスピーカーであればほぼ間違いなく捉える、という話ですね。

 

この辺はまさしく、言語構造が違うため、完璧に使いこなすのはとても難しい所ですが…

(何度も書いている、「日本語でも過去形にすると可能性が下がる」というのはかなり似ている点といえますが、似ているからこそ、違いを意識するのが大変ともいえるかもしれません。

 改めて、「チケット買えたらいいね」みたいな文は、過去形だけど必ずしも過去のことを言っているわけではなく、可能性がやや低いから過去形っぽい形になってるだけなのは英語と共通なんですけど、英語の場合は、仮定法になると「可能性が低くなる」を通り越して「現実ではあり得ないと思うんだけどさ」というニュアンスが含まれることになるので、そこは日本人には中々意識するのが大変なポイントといえる……って話ですね。)

…これまたそれ以上に何度もしつこく書いている通り、仮定法なんてものはあくまで「そういうムードが醸し出される表現」に過ぎませんから、適当に使っても案外雰囲気でごまかせる…というと言い方が悪いですけど、決してカチッと決まった意味やルールがあるわけではなく、状況に応じて意味が適切に変わってくれる柔軟性を持っているものだともいえますから、それっぽい表現を目や耳にしたら何となくそれっぽく解釈しておけば大体OKですし、使う際も何だかんだ自分が思ってるより都合よく解釈されてくれることの多い、懐の深い表現だといえるように思います。

そんなわけで、「仮定法」ってのはその難しそうな響きに反して、気軽に付き合うぐらいが一番いいのではないかなって気がします……ってのが、僕個人的に思う、この受験生・全英語学習者の敵ともいえるややこしい表現への気持ちというか感覚といいますか、(特に助動詞の過去形なんかは)付け足しさえしておけば勝手にそれっぽいニュアンスになってくれ得る(代表的には「丁寧」な感じでしょうか)、案外便利な頼れる味方フレーズともいえる気がしますよ、なんてことを伝えてみたかった次第ですね。

 

…という所で、案外サクッと終わりそうな印象でしたが、気付いたら結構いい分量になってくれていました。

続き、別の記事へのコメントには、また次回以降触れていこうと思います。

アイキャッチ画像および記事タイトルは、ただの例文であって中身と何の関係もないですけど、あまりにもネタも無いのでチケットに外れた人のいらすとを採用させていただきました(笑)。

こんな感じで、外れるのが当たり前な状況=絶対買えるわけないんだけど、もし買えてたら…という場面に、仮定法は打ってつけという感じですね…!

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