青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その5:百合族

今回は「百合族」という、アメリカ人のくせして「薔薇族」のことをご存知なのかな?…とか思えるナイスなタイトルですが(笑)、色々な名作の数々・レジェンドたちの名前がたくさん出て来そうです。


翻訳版に関する補足も最後ちょろっと触れましたが、大したことでもないので、まずは本編を見ていきましょう。

英語版『青い花』2巻表紙、https://www.amazon.com/dp/1421592991/より

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第5回:27ページから31ページまで)

百合族

前章では、戦後、どのようにエス文学が衰退し、絶滅寸前までいったかについて述べていた。この衰退は、共学化、欧米風の恋愛行動、および見合い結婚に代わる「恋愛結婚」の流行によって、エス関係を育んできた社会的背景がほぼ大部分消滅してしまったからではないだろうか、という旨であった。

 では、女性同士の恋愛を描いた「百合」という明確なジャンルが生まれ、「百合」の中でも『青い花』といった女子学生同士の恋愛を描いたサブジャンルが生まれてきたのは、どのように物事が変化してきた結果なのだろうか?

 前回同様、百合の歴史についてはフリードマン*1やメーザー*2歴史観を参照しながら十分に扱いつつ、ここでは私にとって最も関心の高い、少女や若い女性層をターゲットとした少女漫画雑誌の台頭から生まれた動向についてのみ論じることにしたい。

 少女漫画の制作は、戦前のエス文学を扱う雑誌が発展した道を再現したものだった:初めは、少女雑誌の編集者だけでなく、少女雑誌のコンテンツの大部分のクリエイターも男性であった。しかし、1960年代以降、少女漫画を読む新しい世代が増え、中には少女漫画を描こうとする者も現れた結果、少女漫画はほとんど全て女性によって描かれるようになった*3

 やがて、少女漫画の制作は、現在の形をとるようになっていった:主に年配の男性が編集し―出世コースに乗らない若い女性編集者層がそれを補い―そしてほぼ若い女性のみが制作するという形である*4。雑誌社は、少女たちがどんなことに興味を持っているかについて優れた知識を持つと考えられる女性作家を求め、雑誌社自身が主催する「漫画学校」を通じて、彼女たちを積極的に採用した*5

 1960年代に入ると少女漫画の内容も変化し、1950年代のホームドラマから、恋愛を含む幅広い作品へと変化していった:ハリウッドのロマンス、アメリカや外国の少年少女を主人公としたロマンス、そして日本の女子学生と少年のロマンス―言い換えると、当時の日本の少女のほとんどが経験していた共学の環境で起こり得る人間関係の物語―などである*6

 1970年代初頭、いわゆる24年組と呼ばれる新しい漫画家グループが、1960年代の少女漫画で確立されていたスタイルや慣習を取り入れてそれを用いることで、ジャンルの境界を広げたり新しいテーマが盛り込まれたりした革新的な作品を制作していった。これらのテーマの多くは、直接的または間接的に百合というジャンルに影響を与えた。

 そのはじまりは、萩尾望都の『トーマの心臓』に見られるような、思春期の学生たちの運命的な愛というエス文化的テーマの復活であった*7。これは、少女ではなく少年を主人公とし、日本ではなく空想のヨーロッパを舞台とした、ひねりのきいた想像力豊かな作品であった。

 『トーマの心臓』の前身である『11月のギムナジウム』を描く際、萩尾は、これを少女たちの愛の物語として下書きを進めていた。しかし、男子と女子が入れ替わった方が、自分の伝えたい物語に合致していたとのことである:「男子校の物語として書いたら、すべてがうまくいった。でも、女子校バージョンにしたら、なんともぎこちない。…女子特有の(ある種の)意地悪さが、物語に入り込んでしまったのだ。」*8

 『トーマの心臓』に続いて、竹宮惠子の『風と木の詩』(英語版は未発売)など、同系統の作品が発表された。これらはやがて、「ボーイズラブ」すなわち「BL」という新しいジャンルを形成し、少女漫画の中心的な読者層を成す思春期の少女たちの間で人気を博すようになった。

 『トーマの心臓』以前にも、山岸凉子が『白い部屋のふたり』(英語版は未発売)を発表しており、これもヨーロッパを舞台とした、しかし二人の少女に巻き起こる運命的な恋愛を取り扱っている。この作品は、百合漫画の中で、一番最初ではないにせよ、最初期のものの一つとみなされている*9。しかし、『白い部屋のふたり』がすぐに類似の作品を氾濫させるに至らなかったのは、例の私の仮説による所もあるのではないだろうか:戦後の日本には伝統的なエス作品に流れる社会的文脈が既に存在しなくなったのではないか、という先述の説である。その意味で、思春期の少女たちは、女の子同士の恋愛よりも、BLを含む男の子も関わる恋愛を描いた物語の方を、より読みたがったのではないだろうかと思われる。

 その中には、男の子に見える女の子、あるいはその逆の物語も含まれている。これに関して、百合というジャンルに影響を与えたもう一つの大きなテーマについても言及の必要があろう:クロスジェンダージェンダー不適合、そしてより一般的な変身・変態についてである。これらのテーマは、日本の芸術文化―男歌舞伎の女形や(より最近では)全員が女性から成る宝塚歌劇の男役などを含む―に比較的深く根ざしており―のみならず日本人の生活の中にも見られる―戦後の人気「変態系出版」が取り上げた、女装した男娼性労働者や女々しいゲイ・ボーイの目撃記録などである*10

 池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』(最近英語版がリリースされた)*11や『おにいさまへ…』(アニメ化され、その後英語版が出た)*12などでは、クロスジェンダージェンダー不適合がテーマとなっており、どちらも女性が男性として登場し、少なくとも女性同士の恋愛を仄めかす内容が含まれている。

 しかし、少なくとも欧米においては、これらのテーマをより強烈に体現していたのは、1990年代の武内直子の人気漫画『美少女戦士セーラームーン*13とそのアニメ作品であった。セーラームーンは、月野うさぎとその仲間たち(タイトルにある「戦士」たち)の「魔法少女」としての変身や、性別不適合または性別があいまいなキャラクター(例えばセーラースターライツ)といった複数の例、そして―最もこの文脈で関連しているといえる―天王はるかセーラーウラヌス)とそのパートナー海王みちるセーラーネプチューン)の関係などを特徴とした作品である。

 『セーラームーン』以降、魔法少女と百合の要素を取り入れた作品が続いたが、中でも特筆に値するのは『少女革命ウテナ』で、この作品では王子様のような天上ウテナと「薔薇の花嫁」姫宮アンシーのペアを描いている*14。『セーラームーン』でのディレクター経験もある幾原邦彦が監督を務めたこの『少女革命ウテナ』は、前作以上に明白にフェミニスト色が強く、『青い花』のテーマと呼応するように見受けられる、いくつかのキーとなるテーマを扱っている:家父長制から生じる支配階層とそれが女性同士の関係をいかに歪めるかという批判や、平等性に基づいた代替的な関係の模索などである*15

 フィクションやファンタジーの領域を超えて、1990年代には、「ゲイブーム」と呼ばれる形の、大手メディアによるゲイ文化を取り上げる事例の増加の一端として、日本におけるレズビアンの一般的な知名度は著しく上昇した*16。この知名度の向上は、レズビアン自身を対象とした初の商業雑誌の出版、および(その雑誌の中で)高嶋りかが東京でのレズビアンライフを描くなど、レズビアンによるレズビアンのための漫画が出版されたのと同時期であった*17

 21世紀に入ると、これらの作品やテーマが組み合わさって、「百合」という一つのジャンルとして認知されるようになったのである*18。しかし、私の目論見では、最も重要な作品と考えられるものとして、女子校における女子生徒の関係というエス文化のお約束を復活させた、この作品なくして『青い花』は存在し得なかったと思われる一作があるのだ。それがズバリ、『マリア様がみてる』だが、これについて語るには独立した章が必要となる。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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あくまで24年組や宝塚、ベルばら、セーラームーンなどは名前が出てきた程度で、日本人が書いていたらまぁ普通の手垢がついた考察という感じかもしれませんが、やはりアメリカ人の目を通して書かれたものであるということに、大いなる意味があるような気がします。

僕は、上記で挙がっていた中ですと、萩尾望都さんと山岸凉子さんの作品をごく一部読んだことがあるだけで、ウテナマリみても、まさかのベルばらすら1ページも読んだことがないという漫画好きの風上にも置けない体たらくで恐縮なのですが、これはやっぱり改めて、ぜひとも読んでおきたい作品ばかりですね!

…まぁ、それ以外にも積ん読が大量に発生しているので、中々今すぐ手を出す暇もないのが正直な所ではありますけど、いつかもっと時間ができたら、歴史に残る&まさに歴史を変えてきた傑作たち、存分に楽しませていただこうと思っとります。

 

今回の内容とは関係ないのですが、本記事の作者であるFrankさんからメールで「どうしても翻訳版もPDFとして公開したいので、今公開されている分だけでとりあえず日本語版のPDFも作ってみた。チェックしていただけるとありがたい」という連絡をもらい、現在そっちのチェックもしているのですが……

まず第一に、「そっち系の女の子」という邦題、PDFの形式・本の表紙として見たら違和感バリバリで(まぁFrankさんの使ってたフォントが、非日本人が採用しそうなクッソ微妙な中国の海賊版みたいなパチモンくさい感じだったのも大きいですが(笑))、「あ、PDFで立派な本の表紙を飾るなら、せめて『そっち系の少女』の方がまだカッコがつくかなぁ」と思い、その旨を連絡した所……

「そもそも『そっち系の少女』というのは漫画のセリフ通りの表現なのか?」と返事が来まして、「いや、実は漫画では『そっち系のひと』なんだ。ただ、これは直訳すると『That Type of Person』になってしまい、同人誌タイトルの『That Type of Girl』のGirl要素が消えてしまうので、あえて変更していた感じ…」と返信したら……

「そこが気になってたポイントなんだ。実は英語版でも、響き的には『That kind of girl』の方が間違いなく英語としては自然で、本のタイトルとしてよりナチュラルな表現を目指すなら、本当はそっちの方がいいと思った。しかし、ここは原作オリジナルのFumiのセリフを尊重し、『That type of girl』を採用していたんだ。日本語でも『少女』の方が響きが良いと感じられるらしいが、ここはやはり原作を尊重すべきか、自然さを採用すべきどうかは、悩ましいね…」

…という返事が来まして、追加の返信で、

「あぁ、『そっち系のひと』は、別に響きが不自然ってことはないよ。最初の邦題に採用していた『そっち系の女の子』というのが、タイトルにしてはちょっと締りが悪い気がしたのでそれと比べるなら『少女』の方がいいかも、という提案をしてただけで、Girlという要素が消えても問題ないなら……というか原作のセリフを尊重するなら、『そっち系のひと』がいいだろうね。では、ここはやっぱり、日本語でも英語でも、漫画内のセリフを採用するとしよう」

…という感じのメッセージを送りました。

最初の返信をもらった時点では、「ツイッターのアンケート機能を使って、『そっち系の女の子』『そっち系の少女』『そっち系のひと』『その他』でどれがいいか意見を募ろうかな…」とか思っていたんですが、やはり一番いいのは原作尊重という感じで、これまで『そっち系の女の子』としていた邦題を、『そっち系のひと』に改訂することにしました。

(結局アンケートは実施しないものの、何か読んでいてご意見ございます方がいらっしゃいましたら、何でもドシドシいただけると幸いに思います。)


他にも、Frankさんが自ら翻訳機能でご自身の名前をカタカナにし「これで間違いないだろうか?」と聞いてきたのですが、それは問題なかったんですけど(多くの場合、名と姓の間に「・」を入れるという指摘はしましたが)、関連して、記事本文で出てくる外国人名をカタカナ変換するかどうかも議題に上げてみました。

Frankさん自身は(当たり前ですが、日本のフォーマットのことは分からないので)「任せる」とのことでしたが、結局、調べても決定的なルールとかはなく、むしろ自然科学系ではアルファベットのまま残すことが多いし、文学系ではカタカナに変えることが多い…みたいなあやふやなものでしたけど、翻訳版表紙ではFrankさん自身の名前もカタカナで表記したいようですし、実際これまでは意図的に外国人名をアルファベットのまま残していたんですけれども、「本文ではカタカナにして、参考文献欄は基本的にアルファベットのままにする」という形を採用しようと思います。

(さらにそれに関連して、表記について、記事では志村さん他現存する日本人の方には「さん」などの敬称をつけていましたが、これも、PDF化して書籍っぽい形態で発行するとなると、敬称付けや訳注の口語的な表現なんかも明らかに浮いてしまう感じに思えたため、変更しておきました。)


…とまぁその辺の細かい翻訳版の裏話的なものは極めてどうでもいいとは思いますが、経験として中々面白い点ばかりだったので、せっかくなので備忘録として(そして以前の記事を結構大幅に改訂したので)あえて書き下して残しておきました。

本当はちょうど前回の雑談補足でBLうんぬんに触れていて、「まぁ出てこないだろうけど」とか書いていたのに今回の章でいきなり早速その辺が出てきたこともあり、記事本題の内容にももうちょい触れたかったのですが、毎度あまりにも長い(…し、どうせ大したことも書けない(笑))ので、また次回以降機会があったら改めて触れていくといたしましょう。

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*1:Friedman, “On Defining Yuri.”

*2:Maser, “Beautiful and Innocent.”

*3:Dalma Kálovics, “The Missing Link of Shōjo Manga History: The Changes in 60s Shōjo Manga as Seen Through the Magazine Shūkan Margaret,” Journal of Kyoto Seika University 49 (2016), 11–13, https://www.academia.edu/36310321/The_missing_link_of_sh%C5%8Djo_manga_history_the_changes_in_60s_sh%C5%8Djo_manga_as_seen_through_the_magazine_Sh%C5%ABkan_Margaret.

*4:Jennifer S. Prough, Straight from the Heart: Gender, Intimacy, and the Cultural Production of Shōjo Manga (Honolulu: University of Hawai‘i Press, 2011), 90–93.

*5:Prough, Straight from the Heart, 81–87.

*6:Kálovics, “The Missing Link of Shōjo Manga History,” 13–15.

*7:Moto Hagio, The Heart of Thomas, trans. Rachel Thorn (Seattle: Fantagraphics Books, 2012).

*8:Moto Hagio, interview by Rachel Thorn, in Moto Hagio, A Drunken Dream and Other Stories, trans. Rachel Thorn (Seattle: Fantagraphics Books, 2010), xxi.

*9:Erica Friedman, review of Shiroi heya no futari, by Ryoko Yamagishi, Okazu (blog), June 3, 2004, https://okazu.yuricon.com/2004/06/03/yuri-manga-shiroi-heya-no-futari

*10:Mark McLelland, Queer Japan from the Pacific War to the Internet Age (Lanham, MD: Rowman & Littlefield, 2005), chap. 2, Kindle.

*11:Riyoko Ikeda, Rose of Versailles, trans. Mori Morimoto, 5 vols. (Richmond Hill, ON: Udon Entertainment, 2019–21).

*12:Dear Brother, directed by Osamu Dezaki (1991–92; Altamonte Springs, FL: Discotek Media, 2021), Blu-ray Disc, 1080p HD.

*13:Naoko Takeuchi, Pretty Guardian: Sailor Moon, trans. William Flanagan, 12 vols. (New York: Kodansha, 2011–13).

*14:Revolutionary Girl Utena, directed by Kunihiko Ikuhara (1997; Grimes, IA: Nozomi Entertainment, 2017), Blu-ray Disc, 1080p HD.

*15:宝塚歌劇をはじめとする)演劇の要素を取り入れたり、「王子様な少女」という図式の限界を探るなど、『少女革命ウテナ』と『青い花』には共通する点がある。偶然ではないのかもしれない。幾原邦彦は、アニメ『青い花』のオープニングの演出も担当している。

*16:McLelland, Queer Japan, chap. 5.

*17:Rica Takashima, Tokyo Love ~ Rica ‘tte Kanji!?, trans. Erin Subramanian and Erica Friedman (ALC Publishing, 2013), Kindle.

*18:Erica Friedman, “Why We Call It ‘Yuri,’” Anime Feminist, August 9, 2017, https://www.animefeminist.com/history-why-call-yuri