青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その4:エス文化の衰退

今回は記事内に画像があるため、表紙画像シリーズはスキップいたしましょう。

パッと流し見した限り、付録以外の本文中では唯一の図なのかな…?

基本的に絵のない同人誌というのも、硬派でオツなものです。


なお、図は国立社会保障・人口問題研究所の資料であり、元記事では当然英語版の抜粋でしたが、日本語版の原典も存在したので、原版に差し替えてあります。

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第4回:21ページから25ページまで)

エス文化の衰退

現代日本の結婚と出産─ 第15回出生動向基本調査 (独身者調査ならびに夫婦調査)報告書─より

 イントロダクションで述べていたように、『青い花』は、20世紀初頭のエスジャンルへの敬意・オマージュを表したものであると同時に、批判・評論を含意したものであるとみなすことができよう。21世紀初頭に描かれた漫画が、ほぼ一世紀前に書かれた短編や小説の影響を受けて様々なバリエーションに派生し続けているというのは、一体どのような過程によるのだろうか?言い換えれば、エスから現在の百合というジャンルに至る経緯はどのようなものだったのか?

 私は、完全な「百合の歴史」を提示する時間的、空間的、および専門的な知識を持ち合わせていない。エリカ・フリードマンが以前に簡潔な形で*1、そして今年になってまた、より包括的な形で歴史の紹介を提示している*2。学術的には、ヴェレナ・メーザーの博士論文が最も深い内容を扱っている*3

 私の関心は、二つの具体的な疑問にある。この章では、第一の疑問に触れたい:なぜ第二次世界大戦後、エス文化や文学が(ほとんど消滅するほど)衰退したのか、という点だ。(次章では、20世紀末あたりの、エスのお決まりのパターンが再出現した点について論じる。)

 エス文化・文学が戦後急激に衰退したことは明らかである。戦後、出版社によるエスの復活が試みられたが、それまでエスネタを掲載し、エス文化の結節点となっていた雑誌は、廃刊するか、テーマが移り変わってしまっていた*4

 前章で記した、エス型の恋愛関係やそれを描いたエス文学が流行したのは、日本の女学生に選択肢がなかったからだ、という仮説を思い起こしてみてほしい:家族から見合い結婚をさせられた少女たちにとって、エス関係は自由に相手を選び、その選択に応じた求愛の儀式を行うことができる分野であった、というものだ。

 この仮説が少なくともある程度は正しいとしよう。そうであるならば、戦後のエス関係および文学の衰退は、直ちに以下の仮説につながる:戦後のアメリカの占領下で、少女と少年ならびに女性と男性の関係のあり方が大きく変化し、その変化が相まって、本来エス関係が栄えていた社会的文脈を破壊した、というものだ*5

 まず最初の変化は、公立学校(一部私立も含む)が、女子と男子が同じ学校に通い、同等の初等・中等教育を受ける男女共学制に移行したことである。戦前、女子は男子と別々に教育され、就学年数も短かった。占領下において、アメリカ当局は男女共学化を奨励したが、これは、女子が男子と同等の教育を受けるにはこれしかないというアメリカ人女性スタッフの懸念も一部あったようだ*6

 第二に、男女の関係、特に交際や求愛に関する日本人の考え方や行動の変化である。明治時代から、日本政府は家庭生活をより厳しく管理しようとし、女性は妻(のみ)としてそして(特に)母親としてのみ奉仕することを求められ、男性には一夫一妻制を維持することを求めた―ただし、婚外性交の自由はあったが。

 日本が満州に侵攻した1931年以降の昭和時代には、「女性は帝国のために男子を産むだけの母親としての役割であり、男性は戦う機械とみなす」という形で、その傾向はさらに強まった。具体的には、国民優生法、堕胎の禁止、および避妊具の制限(病気の予防ではなく、家族計画のためにコンドームを使用するという議論に対する検閲を含む)などが行われた*7

 敗戦後の日本では、こうした戦時中の制約に嫌気がさした人が多かったのではないかと思われる。折よく、アメリカの占領当局は、恋愛、求愛、結婚に関するアメリカの文化的規範を推進することを明確な目標としており、日本の映画製作者に、作中にキスシーンを入れるよう奨励することまで行っていたのである*8。その結果、日本の伝統的な社会規範が全面的に否定されたわけではないが、戦前の行動様式からかなり決定的な変化を遂げることにつながったといえよう。

 以上を総合すると、共学化とアメリカの影響を受けたデートや求愛行動の台頭により、少なくとも疑問の余地のない文化的規範としてのお見合い結婚は、やがて(実質的に)終焉を迎えることになった。この変化は、定量的には日本政府が発表する統計に、定性的には戦後の小津安二郎監督の「ホームドラマ」に見ることができる。これらの作品は中流階級の観客のために作られ、中流階級の関心や願望を反映しているものであった。

 定量的データは、日本政府が実施した2015年の「第15回出生動向基本調査」に基づく*9。この調査には、結婚した年や、配偶者と出会ったきっかけなどの質問がある。同調査では、「お見合いの紹介」または「結婚相談所を通じて」の結婚を見合い結婚と定義している。一方、例えば学校、職場、友人や家族を通して、または趣味の活動でなど、他の方法で出会った結婚を恋愛結婚と定義している*10

 調査報告書に掲載されたグラフには、恋愛結婚が低水準からほぼ完全に、人口の全員に近く飽和するまでの典型的なS字型曲線を描いており、特に第二次世界大戦から1960年代後半までの初期高成長期を経て、現在に至っている。また、見合い結婚の減少もS字型曲線になっており、1960年頃には50%の割合を切り、1990年代後半には一桁台にまで落ち込んでいる。

 このグラフの点を、10年にわたって作られた小津映画に対応させることができる。まず、1949年の『晩春』は、いわゆる「紀子三部作」の第一作で、紀子という(無関係の)登場人物を主人公とした作品である*11。1940年代後半は、まだ見合い結婚が主流で、恋愛結婚はごく少数派であった。したがって、最初の紀子が父に従わざるを得ず、叔母から勧められた男と結婚するのは当然である。

 検閲により、小津監督は、これが見合い結婚であると明示することはできなかったが、実際はその様相を呈しており、紀子はそれに応じたくはなかったのである*12。しかし、この映画では、新しい場面も垣間見ることができる:紀子は父の助手に連れられて、自転車で海辺に行き、デートのようなことをするのだ*13

 それからおよそ10年後、恋愛結婚は全体の三分の一を超え、その人気はさらに高まっていった。1958年の映画『彼岸花』では、文子ははっきりと見合い結婚に反発して音楽家との恋愛結婚を望み、一方節子はサラリーマンとの恋愛を許して欲しいと父親を説得する。節子の父親は、(友人の幸子の質問に応じて)理屈では恋愛結婚を認めるが、節子には認めない。しかし、最終的に父は軟化し、幸せなカップルを祝福したのだ。文子の父も同様で、このことから、新しい風習が浸透しつつあったことが分かるといえよう*14

 第二次世界大戦後、例えば1949年、『晩春』の年に生まれた日本の少女を考えてみよう。この少女は、小学校、中学校、高校と、男子生徒と一緒に過ごしてきたはずである。バレンタインデーに女の子が男の子に「愛のチョコレート」を贈るという、日本で新しく生まれた風習にも参加したであろう。ボーイフレンドがいて、デートもしたし、キスもしたかもしれない。恋愛結婚が流行っていることも知っていただろう。もしも1970年代前半から半ばにかけて(大学卒業後、数年間の就職を経て)結婚したとすれば、見合い結婚よりも恋愛結婚の可能性の方が高かっただろう。(二つのグラフが交差するポイントは、1967年あたりである)。

 このような人生経験を持つ少女にとって、エス関係という考え方は戦前の遠い過去の出来事のように感じられ、エス文学にはほとんどあるいは全く魅力を感じなかったとしても特に不思議ではないのではなかろうか?それよりも、彼女や同年代の仲間を対象としていた少女漫画という新しいジャンルに興味を持ち、もしかしたら自分も少女漫画家になることを夢見ることさえあったかもしれない。しかしそれは次章のテーマである。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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概念的な話から現実的な話へと、非常に分かりやすく明快な話になってきました。

それにつけても引用されていた結婚調査は面白いですね。

環境によってはアクセスが面倒なPDF形式のみならず、気楽にアクセスできるHTML版も提供されています。

www.ipss.go.jp
まぁ本題とズレるのでその他の調査結果に詳しく深入りはしませんが、色々と興味深い結果が満載です(まぁ、言う程じっくり見てはいませんけど(笑))。

本題の見合い結婚については、今現在で約5%というのはまぁそんなもんかな、って気もするものの、結婚相談所を含めてとなると、もうちょいあっても良さそうな気もしちゃいますね。


しかし、恋愛結婚の増加とともにエス文化ならびに百合が一時的に衰退したという考察も、大変面白いです。

そういえば、テーマ外のため本文では触れられていないものの、BL的な文化はどうなんでしょうね?

まぁでもこれは、家父長制に端を発するエスとは一切無縁だと考えるのが自然ですか…。

というかそれ以前に、そういえば百合は(まさにこれまでの話で触れられていた通り)女性自身によるものである一方、BLひいてはやおい文化なんかは、こちらも面白いことに(男性自身によるものもゼロではないでしょうが)圧倒的大多数が女性による供給&需要によって成り立っているジャンルな気がするので、これはやっぱり百合とBLというのは並列して歴史を語ることなんてできないものなのかもしれませんね。

男性向け男性同性愛は、薔薇族とかそっち…?

そっちはそっちで、独自の文化(というか、やおい・BLが百合とは完全に別といった方が近いでしょうか)なのかもしれませんが、まぁ今は置いておきましょう。


見合い結婚といえば、これも別に誰にも聞かれてませんが、僕の両親は見合い結婚だったように記憶しています。

そもそも親の結婚記念日どころか結婚年も知りませんし、詳しい話は正直不明で特に興味もないのですが、年齢的に、間違いなく見合い結婚が少数派になってからの時代の結婚だと思うので、うちの両親はややマイナーカップルという感じでしょうか。


パッと見、上記結婚調査にその項目はありませんでしたが、やっぱり、親が見合い結婚の場合、その子供は恋愛弱者になって、結婚していない(できない)割合が高いという可能性が、微粒子レベルで存在…??

だから僕は独身だった…?!

…と思いきや、僕の姉は普通にどちらも(これも地味にブログ初出情報のはずですが、よく姉の話題は出していましたけど、実は姉は2人います。僕は末っ子長男という形ですね)恋愛結婚しているので、そんなのは全然関係ない、ただ自分がザコなだけでした(笑)。


末っ子長男って、結婚にあたり、一番地雷物件なんでしたっけ…?(笑)

ただこれも全っ然関係ないですけど、ずーっと前に高田純次さんの名言集みたいなまとめで見たことがあって強く印象に残ってる話なのですが(今検索してもヒットしてこなかったものの、これは確実に高田純次さんの言葉だったと記憶しています)、三人兄弟姉妹の場合、高田さんによると、

「一人目は父親似、二人目は母親似、三人目は両方のいいとこ取りらしいよ」

…だそうですよ?


…まぁ、根拠はないし、むしろ高田純次さんの言葉の時点で100パー、確で適当な話なんですけど(笑)、これ、自分で言うのもなんですが、周りを見ても結構合ってる気がするな、なんて思えるのです。

まぁそんなこと言ったら「三番目が最強」「兄より優れた弟は…存在する…!」と言ってるも同然というか、全国の第一子第二子の方はイラッと来る話かもしれませんが、まぁ三番目かはともかく、末っ子ってやっぱりいいもんですよ。

…ってこれもまぁ、家庭環境に依るかもしれないし一概には言えないかもしれませんが、僕は上の兄弟(姉ですが)がいて本当に良かったと思えますし、そういえば別格で活躍したスポーツ選手は、皆こぞって末っ子なんて話も聞きますもんね。

例えば大谷翔平選手はまさに三兄弟の末っ子、長嶋茂雄さんは、まぁまたしても三番目だったらドヤろうと思いましたが兄1姉2の4人兄弟らしいですけどやっぱり末っ子、イチローさんも、一朗なのに二人兄弟の次男ってのも有名ですし、松井秀喜さんも兄が1人で末っ子、テニスでいえば日本史上最高の成績を収められている大坂なおみ選手も錦織圭選手もどちらも姉もちの末っ子で、サッカーだって本田圭佑選手が兄もちの末っ子、バドミントンの桃田賢斗選手も当然のごとく姉もちの末っ子、霊長類最強のレジェンド・レスリングの吉田沙保里さんも兄2の第三子末っ子、更にはスキージャンプ男女通じて歴代最多の表彰台113回(更新中)でおなじみ高梨沙羅選手も当たり前のように兄がいる末っ子、文化系でも、将棋の新時代の天才・藤井聡太五冠も兄のいる末っ子……などなど、末っ子スターは枚挙に暇がなさすぎるわけです。


…もちろん、「長子のスター選手も無限におるけど。世界で活躍する田中将大選手もダルビッシュ有選手も、弟もちの長男、文化系でも将棋の平成の大天才・羽生善治九段は妹もちの長男なんですがそれは…」「多分大谷選手すら超えそうな史上最高の逸材っぽい佐々木朗希選手は、男三兄弟の真ん中だぞ、はい論破~」と言われたら、それで終わりの話なんですけどね(笑)。

(そして言うまでもなく、偉大すぎる兄・姉がいて、どうしても比較されてくすぶってしまうような末っ子だって、世の中普通にいくらでもいるのも間違いないと思います。)


あっ!

でも、まさにちょうど、エス文化を作り上げたレジェンド・我らが吉屋信子さんは、末子だったって話じゃあないですか!

前回の記事では、英語の記述だっただけに上下関係が分からなかった(「three brothers」とあったのみ)ため、軽く調べた所、「上に三人の兄を…」と出てましたからね、でももしかしたらそのthree brothersって、本人含めて三人で、三番目最強説のさらなるお仲間入りになったりしませんこと…?と思いきちんと調べてみたら、ぬわぁーんと!!

http://architecture.thetowerofdreams.com/wp-content/uploads/yoshiyanobuko-memorialhouse.pdfより

吉屋信子は、明治二十九年一月十二日、雄一、マサの長女として、新潟市の県庁官舎で生れた。四人の兄がいて、のち弟二人(うち一人は夭折)が生れる。

まさかの、ここへ来て新情報!

こちらは鎌倉市吉屋信子記念館がアップされている資料なので、これ以上ない公式の情報、なんと、吉屋信子さんは、七人兄弟だった!!

…しかしまぁ、兄弟の中で紅一点であったことには変わりありませんから、考察に大事はないといえましょう。

(でもせっかくなので、「※訳注」として前回の記事も更新しておきました。著者のFrankさんにも連絡しておこうと思います。)


…ということで、「隙あらば自分語り」をしてしまい、危うく本文の内容にも青い花にも全く関係ない雑談で終わってしまう所でしたが、幸いにして大変意味のある情報に辿り着けて何よりでした。

次回も続きを見ていきましょう。

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*1:Erica Friedman, “On Defining Yuri.” In “Queer Female Fandom,” edited by Julie Levin Russo and Eve Ng, special issue, Transformative Works and Cultures 24, https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/831/835

*2:Erica Friedman, By Your Side: The First 100 Years of Yuri Manga&Anime (Vista, CA: Journey Press, forthcoming).

*3:Verena Maser, “Beautiful and Innocent: Female Same-Sex Intimacy in the Japanese Yuri Genre.” PhD diss., Universität Trier, 2015. https://ubt.opus.hbz-nrw.de/frontdoor/index/index/docId/695

*4:Shamoon, Passionate Friendship, 84.

*5:ここでも私の主張は、藤本由香里の主張と重なる:「(少女漫画にレズビアンが登場しないことの)一つの説明は、吉屋信子の世界を構成していた、閉鎖的な女の子だけの時間と空間が、共同体の構成物として、もう存在しないことである」。Fujimoto, “Where Is My Place in the World?,” 26.

*6:Joseph C. Trainor, Educational Reform in Occupied Japan: Trainor’s Memoir (Tokyo: Meisei University Press, 1983), 148.

*7:Mark McLelland, Love, Sex, and Democracy in Japan during the American Occupation (New York: Palgrave Macmillan, 2012), chap. 1, Kindle.

*8:McLelland, Love, Sex, and Democracy in Japan, chap. 4.

*9:National Institute of Population and Social Security Research, “Marriage Process and Fertility of Japanese Married Couples / Attitudes toward Marriage and Family among Japanese Singles: Highlights of the Survey Results on Married Couples/ Singles” (Tokyo: National Institute of Population and Social Security Research, 2017), 12, http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/e/doukou15/Nfs15R_points_eng.pdf

*10:最初期の数字は、多くの婚姻が計上されていない(15%程度)。これは、配偶者とどのように出会ったかを正確に覚えていなかったり、出会いをどのように分類してよいかわからなかったりしたためと思われる。また、この調査結果は、例えば企業の管理職が従業員のために行うような、他人が非公式な仲人として行うような結婚の存在により、見合い結婚の割合を過小評価している可能性がある。

*11:Late Spring, directed by Yasujirō Ozu (1949; New York: Criterion Collection, 2012), 1 hr., 48 min., Blu-ray Disc, 1080p HD.

*12:当時、他の映画同様、『晩春』もアメリカ占領当局の検閲を受けた。彼らは、お見合い結婚を封建的遺物として明確に言及することを拒絶したのである。Mars-Jones, Noriko Smiling, 190–91.

*13:小津監督はこのシーンで、戦車や軍用車両のドライバーのために「30トン積載可能」と書かれた橋の英語の看板や、「コカコーラを飲もう」という英語の看板など、アメリカの軍事力や文化力を連想させるものを登場させた。Late Spring, 22:56.

*14:Equinox Flower, directed by Yasujirō Ozu, in Eclipse Series 3: Late Ozu (Early Spring / Tokyo Twilight / Equinox Flower / Late Autumn / The End of Summer) (1958; New York: Criterion Collection, 2007), 1 hr., 58 min., DVD.