ヒト細胞の飼い方、もうちょい補足

いただいていた2つのご質問の内1つ目、「ヒト細胞の増やし方?」的なものについて前回は触れており、エサである培地の値段について見たりしていましたが、次のご質問へ移る前に、まずは追っていただいていた小疑問への補足をしておくとしましょう。

Q.  そもそも、ヒト細胞を飼うっていうのは、プラスミドとか入ってないただの細胞を培地で増やすってことでOKってことかえ?それが、赤色で、液体で、底面に張り付いてると。あれ、でも、大腸菌をシャーレで飼うときは寒天を入れてたのに、ヒト細胞の場合寒天を入れない理由は何じゃらほい?

このエサがなくなれば(え?培地がなくなる?乾くってこと?それとも、栄養分だけがなくなる?)、細胞は増えなくなるってことでえぇのんか?増えないけど生きてる?それとも、死んじゃう??でも、そのシャーレがギッシリになる前にまきなおしていたら(その時にまたエサを与える(新しい培地に入れる)ってこと?)、栄養不足にはならない感じなんかな?

ちなみに、「増えたものにプラスミドをかけてぶち込む」のと、「プラスミドを入れたものを分裂させて増やす」のと、そんなに違うもんなんけ?出来上がりは同じだべや?プラスミドを入れたものを増やす方が手間だからとか、そういうことだったりするんかの?

A. 「ヒト細胞を飼う」は、まぁ自分で書いといてなんですが「飼う」っていうと何というか動物に食べ物と水と愛情を与えて一緒に暮らしてるような印象をもつので、やはりプラスチック容器にぶち込んでただ放置するだけの愛情もへったくれもない菌や細胞の場合、やはり「培養する」といった方が適切だったかもしれませんけど、まぁその辺は分かりやすい用語を優先しただけなのでセーフ…として、とりあえず「細胞を飼うのは、ただ培地で増やすだけ」というのはOKですね。

ただし、プラスミドが入っていてもいなくても別に何ら変わりはないので、プラスミドを入れていようがいまいが、同じように細胞は培養して増やすし、増やすことを培養と呼んでいる(名前も手順も同じ)という感じになります。

oriの制御がないと当然プラスミドをコピーすることはできませんが、プラスミドを入れた細胞を、漫然とプラスミドなしの細胞と同じように増やしても、案外、一度プラスミドを取り込んだ細胞は培養中にプラスミドを落としてしまうことはない印象です(まぁ直接比較実験とかをしたことはないですが、印象的にも、そして理論的にも、一度細胞の中に入ってしまったプラスミドをあえて外に排除するのは逆に難しいと思います)。

まぁその辺のプラスミドのことをいうとまたややこしくなるだけかもしれませんが、とりあえず、細胞を培養するやり方や言葉の定義に、プラスミドは全く関係ないという話です。

細胞の培養と、プラスミドなどによる遺伝子導入(トランスフェクション)は全く別個の概念というか実験というかな感じ、ってことですね。


一方、ヒト細胞で寒天ゼリー培地を使わない理由……改めて聞かれると、これは考えたことがなかったというか、面白い質問ですね…!

まぁヒト細胞は寒天などなくても、勝手に底面に張り付いて固定されるから、わざわざ寒天を用意する必要がないため、ってのがその理由ともいえる気がしますが、むしろ逆に寒天を使うと、顕微鏡を使って細胞内の構造を観察することが難しくなる(ただのDNAやタンパク質を増やす道具である大腸菌とは違って、ヒト細胞はそれ自身が分析の対象ですから、顕微鏡を多用します。透明な液体培地と違い、実験で用いる寒天ゼリーは濁っているので、少なくとも透過型の顕微鏡の利用には向いてないですね)とか、他にもトランスフェクションをしたいときに、液体ではなく固体だと全域に均等にDNAを行き渡らせることが難しそう…といったデメリットも考えられますね。

逆に、何でヒト細胞はシャーレの底に張り付けて、大腸菌のように液体をシェーカーで混ぜながら増やさないかというと……これもやはり、ヒト細胞を使った実験は数より質ということで、液体中だと顕微鏡の観察もしづらいし、それ以前に改めてやっぱり、ヒトみたいな多細胞生物は、細胞同士がくっつきながら増えるのが基本だから、って話かもしれませんね。


ただし、先述の通り液体中で培養する浮遊細胞も中にはありますし、一応、ヒト細胞でも寒天が使われないこともありません。

特にガン細胞関連研究で多用される手法(腫瘍の判定で使う)ですが、ソフトアガー(軟寒天)コロニー検出法なんてのはそれなりにやられていますね。

実際に使われている論文や画像を貼ろうと思いましたが、まぁただ丸いソフトアガープレートにコロニーが点々と存在するだけの面白くなさすぎるものでしかなかったので、特に取り上げるのもやめておきましょう。

(「ソフトアガー法」とでも検索すれば、実験例の図も概念図なんかもいくらでもヒットします。)


ただ、改めて、普通はシャーレの底に張り付ける形で飼うことが圧倒的に多いのがヒト細胞といえるように思います。

ただし、細胞によっては底に特別な表面コーティングがされてないとしっかり張り付けないというワガママなやつもいて、これまたHeLaやHEK293といった汎用される細胞では全くそんなのなしに素のプラスチックでいけるんですけど、培地の値段も高く、繊細な感じの細胞ほど面倒な条件を要求するという感じですね。

特に触れませんでしたが、前回貼った100枚で6.4万円もする高いプレートは、表面処理済みのやつでした。

自分で試薬を買って処理することもできますが、やっぱりプロのワザの方がクオリティが高いし(均一・ムラなし)、あらかじめコート済みのプレートを買う人も多い印象です(そんなに値段は変わらないことも多いですしね)。

表面コーティングは、まさに「細胞の接着」というイメージ通りのコラーゲンコートが一番よく使われており、他にもアミノ酸がつながった合成高分子なんかも結構使われていますが、ミクロのレベルで見れば、そういう表面のコーティングは、ある意味薄っす~い寒天培地で飼ってるのに近いものもあるといえるかもしれませんね。
(もっとも、コーティングしてあっても肉眼では何も見えない薄い層で当然透明ですし、栄養のある培地ではないわけで、やっぱりゼリーがシャーレに乗っかってるのとは全然違うかもしれませんが。)


続いて、「エサがなくったら…?」うんぬんについては、まぁこれも「飼う」同様、「エサ」というとドッグフードみたいなのをドサドサ与えてる印象をもっちゃうワードだったかもとも思えるんですけど、もちろん、ヒト培養細胞は、栄養満点の液体培地に浸けるだけなので、「エサ」って書くのもちょっと語弊があったかもしれませんね。

まぁそれは例によって分かりやすさ優先の本質的ではないものなのでともかくとして、もちろん、シャーレに割とナミナミと培地を入れて培養するので、液体が枯れたり乾いたりなんてことはありえなく、あるのはちょうど質問文にも書かれていた通り、栄養成分が枯渇するというの話の話になるわけですが、多少栄養が枯渇しても、培地の中にはとにかく十分な栄養が存在するので、すぐに死ぬことはないですね。

というか、栄養がなくなるより場所がなくなる方が断然早いので、シャーレの底をビッシリ埋め尽くしてもう分裂する余地がなくなって、それが原因でそれ以上増えることはなくなるといえますね。

でも、場所がなくて分裂のしようもなく、見た目の成長が完全に止まっても、また継代処理で新しいシャーレに植え直すと、普通にスクスク育ち始めます。

ただし、ビッシリ状態が続き、培地が酸性に傾いたまま(前回見ていた通り、黄色くなる感じですね)ずーっと放置とかしちゃうと、栄養不足というより強酸性条件みたいな悪条件のせいで、細胞は死んでいきますね。

死んだ細胞はもはやシャーレ表面に張り付けず、丸まった感じでフワフワ浮き上がって漂うことが多いですが、いい感じの画像はないかと調べてみた所、それなりに分かりやすいのが、Research Gateという研究者用Yahoo知恵袋みたいなサイト(まぁ知恵袋よりはちゃんとしてる回答者は多そうですが(笑))にあったので、拝借させていただきましょう。

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https://www.researchgate.net/post/Tips-on-making-stable-HEK-293-cell-lines-or-changed-morphologyより

左側の、何というかプリッとした細胞は元気で正常なHEK293ですが、真ん中やそれを拡大した右側は、もうボロボロで、最早くたばって張り付けず浮いているため大きさのみならずピントもまちまちですし、何となく見たことなくても「これはもうダメそうだな…」って雰囲気は伝わる感じなのではないかと思います。

もちろん、死んだらもう生き返らないのは当然ですが、くどいけどヒト細胞を使った実験は各遺伝子の効果を見たいという分析的な意味合いが強く、仮に死ななくても、長時間まっ黄色の培地でストレスを感じてた細胞とかは正常状態から何かしら性質が変わってしまっている可能性も十分ありますし、一度変な状態になっちゃったら、そういうのはもう使わない方がいいといえる感じですね。

 

でもまぁ、多少ギチギチ細胞状態が続いてストレスを抱えても、新しいシャーレにまきなおせば普通にスクスク育ちますし、多少なら普通に培養を続けることも多いですが、培地に栄養はめちゃくちゃ豊富にあるとはいえ、既に細胞を飼い続けた培地を再利用することは、どんなに貧乏研究室でもやっていないと思います。

新しいシャーレにまくときは、流石に必ずフレッシュな培地を用いる形ですね(そうじゃないと、例によって生育の条件が違ってくるので、その後実験をして仮に変化が生まれても何が原因でその結果が得られたのか全く分からず意味不明になって研究が終わるので)。


ご質問最後のポイント、「プラスミドを入れずに育てて、育ち切ったところでぶち込む」のと「プラスミドを入れたものを増やす」の違いですが、まぁ出来上がりとしては同じとはいえ、これはやはり実験・手技手法の都合で、基本的に前者がやられることが多い、って話ですね。

トランスフェクション(プラスミド導入)試薬Lipofectamineのマニュアル(この記事で見ていました)にある通り、基本的にトランスフェクション試薬は細胞を割とディッシュ内の大半を占めるぐらいにまで育ててから満を持してプラスミドをぶち込む仕組みになってるわけですが、1つの理由は、トランスフェクション試薬は結構毒性も強く細胞にダメージを与えて普通に死ぬ細胞も出てくるので、あんまり増えていない段階でやっちゃうと下手したら全滅することもあるからだと思います。

ヒト細胞は寂しがり屋なのか、基本的に周りに他の細胞がいて密着している状態だとグングン成長しますが、スカスカの孤立状態だと一向に増えていかないという性質をもつものが多く、その意味でも、そもそもまだまだスカスカな状態の培養初期にプラスミドをぶち込む試薬でダメージを与えてしまうと、仮に全滅まではしなくてももう取り返しが付かないぐらいの状況になって、そのまま元気に増える状況にはもっていけず、ほぼ全滅と同義…なんて感じにもなるのです。

ということで、実験デザイン的に、普通はまずしっかりとシャーレの底を細胞が十分占めるぐらいにまで育てて、そこでようやくプラスミドをぶち込む形になっている、ってことですね。


…じゃあ、一度ぶち込んで、しっかり育てた上で、それを新しいシャーレにまきなおすのはどうなの?という話にもなるかもしれませんが、これまた結局「実験のデザイン的に…」という、やったことない方には「なんそれ」って話になるんですけど、普通はやっぱりプラスミドをぶち込んだら、その時点ですぐ「導入した遺伝子が発現することで、細胞がどういう反応を示すか?」を見たいのであって、そのプラスミドをもった状態でまた育てて増やして…とはしないことの方が多い、って感じといえましょう(もちろん、絶対しないなんてことはないですけどね)。

SV40 ori入りのプラスミドで、細胞にラージT抗原があればコピーして細胞の分裂とともに一緒に増えていってくれるとはいえ、ラージT抗原がないと増やせませんし(まぁ、HEK293Tしかり、何だかんだラージT抗原を発現している細胞の方が多いともいえますけどね)、逆に、ラージT抗原がある細胞は既にネオマイシン耐性をもってることが多く、抗生物質による選択圧をかけられないことが多いため、若干信頼度に欠ける感じなんですね。
大腸菌は、oriを使えても、抗生物質を入れない場合プラスミドが抜け落ちた菌が増えてしまう可能性もある(上述の通り実際あんまりない気もしますが、毒性の高いプラスミドなら普通にありますし、大腸菌のように何世代も長く大量に培養する場合、その影響は無視できない)というのと同じ話ですね。

…何だか正直微妙な感じのかなりややこしい感は否めないですが、色々「~ことが多い」「~かもしれない」が積み重なってるだけの話なので、まぁ気にしないでもいいと思います。
 一応、何となくプラスミドを安定的に増やすのには、ヒト細胞は理想的な条件ではないことが多い、ってのが結論ですね。)

そういうった諸々の理由から、プラスミドを入れるのは最後の瞬間といいますか、細胞が十分増えた所に入れて、そのまま解析へ…という流れが一番自然(改めて、絶対そうじゃなきゃいけない、って話では全くないですけどね)という話です。

簡単にいえば、プラスミドをヒト細胞に導入するときは一過性の変化を見たいときが多いということに尽きるといえましょう。

細胞に遺伝子を導入して、その後の経過を長く見たいとか、もしくは永続的に完全に細胞の性質を変えてしまいたいとかいう場合は、ヒト細胞の場合、ウイルスを使うか、あるいはプラスミドを用いても、単に目的遺伝子をそこから作るのではなく、 CRISPR-Cas9と呼ばれる画期的なシステムを使って細胞のもつ染色体=ゲノムDNAをいじってやることがほとんどで、これまでの話に出していた「お好みの遺伝子入りのプラスミドをぶち込む」類の実験は、「細胞に入れる→そのまますぐ分析へと進む」がほとんどだということですね

(ちなみに、その手の単純なプラスミドのぶち込みは、ゲノム改変より遥かに簡単で便利なので、古典的な手法になりつつはあれど、今でも非常によくやられています。)


…うーん、これは、書いてて正直「いや分かりづらいというかややこしすぎだろ…」と思えますが、CRISPR(クリスパー;こちらの研究は、2020年ノーベル化学賞という現在最もHOTな生命科学技術の1つ)とかも面白いですけど、必要な知識が多すぎて、入門編には完全に向かない話になってしまっているので、まぁまたいつか機会があれば見てみましょう、という形にしておきたいですね。


…といったところで、今回は追加質問を見るのでいい分量になりました。

細胞の飼い方について、もうちょい触れておいても面白そうかなと思えた点がいくつかあったんですけど、とりあえず次回は保留状態のままになってる元々のご質問2つ目に触れていこうかと思います。

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