液体が「混ざる」とは…

ここ最近の記事では「水・液体」に関していただいていたご質問から派生したネタをこまごま見ていましたが、一連のご質問はまだ途中状態なんですけど、元々その疑問をお投げいただいたコメ主であるアンさんから、1点追加で「ちょいと気になることが…」という話を再び賜っていました。

途中になってるネタのみならず、まだ触れていない他のご質問も保留状態ではあるものの、とりあえず話の流れ的にもそちらだけ今パッと触れておいてもいいかな、と思える内容だったため、今回は(順番が相変わらずグチャグチャですが)そちらに触れさせていただくといたしましょう。

 

記事タイトルにも挙げた通り、ズバリ、液体同士が混ざることについてのお話ですね。

 

エタノールの時から漠然と思っていて、なんとなく上手く言えないというか、アホらしすぎるかも?、論点が違うって言われるかも?…と思ったりで、流していましたが、グリセリンでも同じように感じたので、やっぱりちょっとお伝えしてみることにしました。

エタノールグリセリンも、「水と任意の割合で混ぜ合わせることができる」「溶解度無限大」などと書かれていましたが、例えば水とエタノールを混ぜれば、エタノール99%のめちゃくちゃ濃い液体もできれば、エタノール1%のほぼ水のような薄い液体もできるということですよね?それは、分離しない、完全に溶けている、という風に思っていますけど、それって、ごく少量のエタノールを水に投入した場合、めちゃくちゃ薄いけれども、エタノールは必ず混ざっているということでいいですか?

そこからが問題です。

コップ1杯の水を海に流して戻ってくるかどうかは、確率の問題だということでしたよね?

これを確率とする考え方と、エタノールは完全に溶けているということの違和感…?
それは有機溶媒だからですか?(有機溶媒イマイチわかってませんけど)

溶解といっても、海にエタノールを1滴(具体的にどれくらいの量かは置いといて、ごく少量)流した場合、それはやっぱり確率の問題であって、混ざっていない部分もあるということでしょうか?


ちなみに、溶解度無限大は水と混ぜた場合のみに言えることで、エタノールグリセリンを混ぜてもそうはいかない感じですか?というか、そもそも混ざるんですかね?
そういう場合、エタノールグリセリンが溶けるのか、グリセリンエタノールが溶けるのか…?って、、そんなことはどうでもいいと言われそうですが笑


とまぁ、やっぱりちょっと、そういう問題じゃない?と思ったりもしますが、考え方がわからずモヤモヤしてる感じなので、とりあえずスッキリさせてください笑

 

⇒この辺も、何気に正直言葉足らずの説明不足な気がしていて、いつかもうちょい見ておきたいなぁ、などと思っていた部分でした。

補足につながるご質問、誠にありがとうございます。


順番に見て参りましょう。

まず、「例えば水とエタノールを混ぜれば、エタノール99%のめちゃくちゃ濃い液体もできれば、エタノール1%のほぼ水のような薄い液体もできるということですよね?」は、まさにその通りですね。


500トンの水(25メートルプールいっぱいぐらいですね)にエタノール1滴を加えても完全に溶けるし(まぁこれは、その量の水に1粒入れて溶けないものなんてまず思い浮かばないぐらいなので、何ら不思議な感じはしないかもしれませんが)…

逆に、500トンのエタノールに水1滴を加えても、完全に溶けることになります(まぁこれも、プールいっぱいに満たされたスピリタスレベルの酒なんてイメージつきませんから、結局こっちも何やねんって話になりますし、全然いい例ではなかったですけど(笑))。


…もちろん、プールいっぱいに敷き詰められた塩に、水1滴垂らしたら塩が全部溶けた!…となったらこれはビックリ仰天な驚きの話ですけど、とはいえこれはそういうわけではなく、エタノール自体も液体だ、ってのが話を難しくしてるといえそうですね。


要は結局この話のポイントは「混ざる」の解釈がどうなのかというものに尽きるのではないかと思えるのですが、ご質問コメントの、続く「ごく少量のエタノールを水に投入した場合、めちゃくちゃ薄いけれども、エタノールは必ず混ざっているということでいいですか?」に関しては、まぁ回答としては「OKです」となるんですけど、果たしてここでアンさんのイメージされている「混ざっている」がどのようなものなのかが、議論の肝になるのではないかと思われます。

 

それに続く、「コップの水を海にジャバー」の例の話(この記事が初出のネタですね↓)から鑑みるに……

con-cats.hatenablog.com

…恐らくアンさんは、「水とエタノールが混ざる」=「何つーか、分子が融合でもして、違う物質に変化している=水とエタノールが混じりあった結果、ミタノールみたいな、もう全く別の液体になってる…?」という感じの、まぁ具体的に分子が変わるとかダサすぎる合成ネーミングとかまでは想像されていないようにも思えますけど(笑)、何というか、

「混ざった結果、それは文字通り『物質が混じり合った』ってことなんだから、例えば絵の具が混ざり合って色が変わったように、くっついてある意味もう別の物質として存在してるってことでしょ?」

…的なイメージをお持たれなのではないかと思うのですが、これはそういうことではないんですね。


ちょうど、「食塩水は、もう水とは違う物質のような気がする…」というコメントも以前いただいていましたし、恐らくそんなお考えからコップの例の話につながったのではないかと思いますが、これも結局、「分子」をイメージしなければいけない=目に見えないので、考えるのが難しい話になっているのでした。

 

一言でいえば、水とエタは混ざった結果、同じ形ある「液体」の中で両分子が一緒に漂うようになるんですけど、それぞれの分子はあくまで独立して漂っているに過ぎないわけです。

 

要は、水とエタノールは混ざった結果、実際(分子は小さすぎて)目では分かれた別々のものには見えないんだけれども、ちょうど例えて言えば砂糖と塩を入れ物の中に混ぜた状態=各粒子は普通に独立して存在している、ってのと同じ状況でしかないってことなんですね!

(ちょうどどっちも白い粉で区別がつきにくいのも似た状況ですが、「混ざっても、砂糖は砂糖だし、塩は塩。一度混ぜたら分けるのは困難だけどね!」というのと完全にそっくりなわけです。)

 

だから、水に食塩を加えるのも、水とエタノールを混ぜるのも、物質自体は何も変わっていない状態、つまり、いわゆる「化学変化」ではなく、単なる「物理変化」でしかないんですね。

(まぁ水とエタノールはどちらも液体ですし、あんまり「変化」って気はしないかもですが、定義としては「液体同士の混合」も物理変化の1つに入る感じになります。)

 

ちょうど、アンさんのイメージされているであろう、「混ざったら物質自体がごちゃ混ぜとなり、いわば新しい融合物質が生まれる」というのはまさに化学変化のことであり、「銅と酸素が結びついて酸化銅になる」って反応であれば、これはまさしく想像通りのことが分子レベルで起こっていることになる感じですね。

 

コップの水の例に近づけていうと、

「既に大部分が酸化されている酸化銅に、新しく酸素を反応させて、完全なる酸化銅を作った。

 このとき、この酸化銅を彫刻刀なんかでカリカリと削ってやったら、新しく反応させてやった酸素分子が、酸素分子のまま、結構な数発掘されるのである」


…という話だと思われて、


「え?酸素は全部酸化銅になったはずなのに、なんで酸素分子のままのやつが発掘されるん?」


…という疑問を抱かれたのではないかと思うのですが、この場合はおかしな話になっているのでその疑問は正しいんですけど、「コップの水」および「水とエタノールの混合」の例は、そうではないんですね。

 

コップの中の水分子は「海の中に混ざる」といっても、自由に泳ぎまわり続けているだけ=元々海にいた水分子とは、別に合体したり(分子レベルで)混じり合ったりするわけではない…という話なので、長い時間が経ってコップ由来の水分子が太平洋中に完全に一様に広がった後、再度コップに水をすくったら(=元々コップに入っていた水分子がてんでばらばらに世界中に広がった後でも)、また戻ってくるやつがかなりの数いる、って話にすぎないわけです。


(一方、酸化銅の例なら、これは新しく与えた酸素分子(O2)は全部酸化銅(CuO)に姿を変わっていますから、酸化銅のどこを削っても、最早酸素分子は見当たりません。

…もちろん、酸素原子は銅とくっついた形で存在するんですけど、「元々の酸素分子」はもう酸化銅という物質の中には存在しないわけです)

 

この違い、伝わりますかね…?

 

そうすると、「いや『水とエタノールを混ぜても、両分子は独立して存在している』って、じゃあ『混ぜる』って一体どういうことなのよ」と疑問に思われるかもしれませんけど、これは結局、「一様・均一に広がる」ってのが全てといえましょう。

 

100個の水分子と100個のエタノール分子を混ぜたら、混ぜた瞬間は(特にゆっくり、そろーりそろーりと注げば、密度の違いにより両者は一時的に分かれて存在することは可能なので)「均一に」広がってはいないんですけど、長い時間をかける、あるいはふたをしてしっかり振ってやることで両者は完全に均一になり、容器内の液体のどこをすくっても、水とエタ分子が1対1の比で存在している液体になっている、ってことなんですね!

もちろん、20個の水分子と100個のエタ分子であれば、「混ざり合った」結果、容器内のどこをとっても1:5の比で存在する形に落ち着いている、それを「混ざった」ということになるわけです。

 

逆に混ざらないもの同士は、「決して均一にならない」といえ、例によってラーメンのスープの上の油がそうであるように、ラーメンスープは、油の部分をすくったら油のみ、スープ部分をすくったら水のみになっている…というように、一様な液体になっていません。

分離したまんまだから、こういうのは「混ざった」とはいえないわけですね。

 

(ちなみにコップと海の例もまさに同じ話で、これは同一な水分子同士だったので「混ざる」ってのも変な話だったかもですが、要は「全ての水分子が世界中の海に均一に広がった」後の世界のことを考えていたわけです。

 水分子の数はあまりにも大量にあるので、わずかコップ一杯のものを太平洋にぶちまけても、均一に広がった後、手元には元々の水分子が結構な数戻ってくる計算になる、ってのがあの話のポイントでした)

 

そんなわけで、海にエタノールをコップ一杯流してもそれは全く同じ話で…

(当然、蒸発とか、化学変化して変わってしまうこととか、あるいは「水より栄養がある」ってんで海の生物に食べられてしまう可能性とかを無視する必要はあるものの……でもまぁそれは水の例でも同じ前提条件といえますしね)

…海にエタノールをこぼし、完全に一様に混ざるまで待った後、またコップにすくったとしたら、なんとエタノール分子は、(めちゃくちゃ薄くなるけれど、少なからず)手元に戻ってくる計算になるわけですねぇ~。

 

なぜなら改めて、エタノール分子は普通に海の中を水分子とは独立して漂っているものであり、「混ざる」というのは「一様に広がる」という意味でしかないからですね!

 

そんなわけで、コメントの、このポイントについて書かれていた「混ざっていない部分もある?」というご質問点は、やはり「混ざる」の解釈違いからの誤解であり、むしろ混ざっている(=一様に広がっている)からこそ、エタノール分子は海と完全に混ざり合った後も、手元に戻ってくるといえるんですね。

 

(これが例えば、エタノールのカタマリのままどこかに漂っていってしまったり、あるいは誤解されていたであろう「混ざる」の意味である、化学変化で別の物質になってしまったりしたら、手元にエタノール分子は決して戻ってこないですが、実際は「均一に広がる」だけですからね…!

 とはいえ、分子レベル=ミクロの世界で見れば、水分子とエタ分子は融合とかはしていないので、むしろ「混ざってはいない」ともいえるのかもしれませんが……巨視的なレベルでは「混ざった」って感じだといえましょう)

 

ちなみに「混ぜたら、均一に広がる」という話、これは「本当に完全に均一になるのぉ?」と思われるかもしれませんが……と、もうちょい余談に脱線しようと思ったんですけど、またちょっと時間が不足していたため、ご質問最終段落ととともに、続きは次回とさせていただこうと思います。

 

アイキャッチ画像は、特に探す時間もアイディアもまるでなかったため、以前のコップ海記事で貼ったのとまるで大差ありませんが、それっぽい液体を混ぜるいらすとをお借りさせていただきました。


混ぜ混ぜ話、もう少し続く……

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