続・青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その47:やがて恭己になる

追加新章の続きに行く前に、前回の内容に関して、Frankさんに(一部レファレンスの不備を指摘するついでに)メッセージを送っていたんですが、それに対して返信をいただいていました。

具体的には、新聞部部長についてですね。

そちらから参りましょう。

 

-----Frankさんからの部長に関する返信-----

その件に関してのコメントをブログ記事の方でも拝見したが、まさにその通りだと気が付いた。

よって、部長の行動については、別の読み方をするように文章を改訂しておいたよ。

以下が新しい文章となる。

また、日向子が介在して差し伸べた手により、藤が谷の学生新聞部の部長は、告白を拒絶した日向子に対する怒りのような感情を克服し、日向子の性的指向について以前噂話を広めたことを悔いている((8) pp. 67-9, 130-2/4:247-49, 4:310-12)。

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(いただいていたこちらはPDF化前の元データ用の文章ですが、英語版のPDFも、後ほど改訂予定とのことです。)


ここはやはり、部長さんは、素直になりきれない結果(…というか「自分の思いが成就しないから」の方が理由として強い感じですかね?やや幼さも見える態度という形ですね)からの八つ当たり的怒りが克服されたのだと、Frankさんもそう思われていた感じですね。

そっちの方がやっぱり自然な気がします(あれ、でも実際部長が直接告白したシーンってありましたっけ?あぁ、インタビューの辺りで、近い部分はあった感じですね)。

 

それでは続いて、今回の章のタイトル補足メッセージに触れておきましょう。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"Bloom into Yasuko"

これは、漫画(およびアニメ)「Bloom into You」からの言葉遊びである。

Wikipediaによると、この作品のオリジナル日本語タイトルは『やがて君になる』で、直訳すると「eventually, becoming you(やがて君になる)」という意味とのことだね。

ここでは、恭己が「王子様」を演じようとするのをやめて、やがて自分らしくなっていくということを伝えたいためにこのタイトルにしてみたわけだが……

そうすると、この章のタイトルを日本語に訳すと、「やがて恭己になる」になると個人的に思う。これは正しいのであろうか?このタイトルは、日本語で、意図された意味を持っているだろうか…?

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やがて君になる』が「Bloom into You」なのは考察記事で何度か出ていたので存じ上げていましたが、パッと見だと意訳どころか全然違う意味?…みたいに思えたものの、この英題は「あなたの中に花咲く」という意で、つまり「あなたに、あなた自身の花が咲き誇る」ということで「やがて君になる」という形でしょうから、実際これはちゃんと原題の意図も汲まれている、とてもいい英訳に思えます。

「やがて恭己になる」も、これ単独での表示だとやや漠然としている気もするものの、百合漫画の考察記事という文脈において、確実に「やがて君になる」が念頭に置かれる形になっていることもあり、このタイトルでバッチリだと思いますね。

そのまま採用させていただきましょう。

 

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That Type of Girl(そっち系のひと)~第二版~
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第47回:第二版173ページから174ページまで)

やがて恭己になる

前回、杉本恭己を取り上げた際、彼女は松岡女子高等学校を卒業し、留学のために日本を離れた所であった。それで彼女の出演パートは終わったかと思われたが、しかし、英語版第三巻および四巻で再登場を見せる。大学生になった彼女は、長い髪とおしゃれな服装で、まるで別人のように見える―「なんだかとってもエレガント」になっていたのだ(『青い花』(8) p. 60/SBF4:240)*1

これは、恭己が自分の「男性的な側面」を抑え込み、新たに獲得した女性性の中で、一般的な異性愛規範に適合しようとした結果であると見る向きもあるだろう。しかし、これは誤った読み方ではないかと私は思う。恭己自身が(内心のモノローグで)説明していたように、過去の「王子様」的な振る舞いは演技であり、人々の期待に応えるため、そして姉の和佐の「ざっくりとした性格」を真似るために試みた芝居であったように思えるのだ(『青い花』(3) pp. 110-2/SBF, 2:110-12)。

各務先生と和佐の結婚、『嵐が丘』上演後の各務先生との再会による恭己の感情の崩壊、そしてふみとの別れによって、恭己の王子役を演じる試みは欺瞞であることが露呈したわけである。そうすると、こう問いたくなるかもしれない:恭己が「女の子の王子様」でないとしたら、彼女は一体何なのであろうか?

答は単純である:それは、自分に合わない役を演じる苦労がなくなったことで、より自分の肌に馴染み、本当の自分を表現できるようになった、一人の人間、というものだ。和佐の結婚式に着ていった男物のシャツ、ネクタイ、ズボンなど、どう見ても高校生の「男役」にしか見えない服装よりも、新しい服装の方が遥かにずっと心地良さそうに見える(『青い花』(3) pp. 72-3/SBF, 2:72-73 )。また、恭己は自分自身や過去の失敗を笑い飛ばすことができるようになり、史穂に「学校の先生だけは好きになっちゃだめよ」と冗談めかして言う((8) p. 155/4:335)。そして、川崎と一緒に、和佐と赤ん坊のためのプレゼントを買いに出かけるなど、イギリスでの生活に幸せを感じているように思われる((7) pp. 20-1/4:22-23)。

恭己の成熟は、藤が谷のイギリス修学旅行で、あきらが恭己と川崎を訪ねた際の、あきらとのやり取りに最もはっきりと表れている。恭己は、ふみと別れた後、各務先生への恋心とふみに対する自分の振る舞いについて、あきらに打ち明けている(『青い花』(2) pp. 151-3/SBF, 1:347-49)。恭己は、あきらがふみとの関係について悩んでいることを聞き、優しい言葉をかけて安心させ、恩返しをするのであった((8) pp. 72-4、86-7/4:252-54, 4:266-67)。

恭己がふみに対して「悪い先輩」であったとすれば、あきらとの関係においては「良い先輩」と呼ぶことができるであろう。しかし、この二人の関係を「先輩/後輩」という枠でくくることは、私には不要に思えてならない。恭己とあきらは、過去の会話でも、今現在の会話でも、対等な立場で、社会的な慣習に囚われずに本音で語り合っているように見えるのだ。

もう一つ、「新しい恭己」について投げる価値のありそうな質問がある。ふみが恭己を訪ねてきたときの姿子の失礼な質問(『青い花』(2) p. 113/SBF, 1:309)に倣って言えば:恭己はレズビアンなのか?それともバイセクシャルなのか?

志村は(極めて意図的に、だと思うのだが)この問いかけに答えずにいる。確かに、恭己のかつての学友たちは、『嵐が丘』のヒースクリフとキャサリンを演じ、今はイギリスでルームメイトになっている、現実の恭己と川崎も実際にカップルになることを期待している。例えばそう、二人の関係を囃し立てる新聞記事や、京子の恭己に対するコメント(『青い花』(3) p. 143、(6) p. 8/SBF, 2:143, 3:188)などを参照されたい。

青い花』の読者がそう考えたとしても、おかしいことではないであろう。しかし、志村は、川崎にイギリス人のボーイフレンドがいることを示し、その期待を裏切るのだ―現在、虫垂炎の川崎の世話に付きっ切りになっているボーイフレンドである(『青い花』(8) pp 156、158/SBF, 4:336, 4:338)。

では、恭己はどこへ向かうのであろうか?恭己は、人が羨む立場にある:聡明で、魅力的で、裕福で、その上今では成熟性も身につけている。恭己の両親は、姉たちに特定の人生の選択を強いるようなことはしなかったようだ。末っ子であることを鑑みれば、恭己の場合はなおさらであろう。恭己が閉じ込められていた箱は、彼女自身が作り上げたものだった。その制限から抜け出した今、彼女は自由に自分らしく生きていくことができるのだ。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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杉本やっちゃんは、作中では最後までハッキリと幸せになった姿は描かれなかったこともあり、やっちゃん好きの僕としては少々心残りだったのですが、Frankさんの愛ある考察、「恭己は、本当の恭己自身になれたのだと思う」というこの考え方……とても良いですね!

実際、杉本先輩は先生への失恋を乗り越えて、確実に幸せな人生を歩んでいってくれることは確信できるといえますし、作中の描写も、そう言われてみたら本当に希望と光に満ちた明るいものになっていましたね。


例の、僕が好きな「ちがうよ あーちゃん」のシーンも取り上げられていましたが、英語でも「優しい言葉」「恩返し」という温かい受け取り方がなされているようで、本当に何よりです。

今回も非常に面白く、また、とても嬉しい考察でした。

この考察に触れられて本当に良かったです。

『こいいじ』4巻、https://www.amazon.co.jp/dp/B01HRE4SIQより

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*1:あきらが、夢の中でイギリスの恭己との再会を果たした際、恭己は松岡時代と同じ制服姿で現れている。これは、かつての恭己と今現在の恭己との対比を強調しているといえよう(『青い花』(8) p. 44/SBF, 4:224)。