青い花の同人誌『That Type of Girl』日本語訳その33:フォー・ウェディング

今回で本編部分の考察パートを終える予定でしたが、1セクションだけで案外いい長さになっていたこともあり、段々終わるのも惜しくなってきてしまったこともあり、無駄に記事水増しを兼ねて、やっぱり2回に分けさせていただくといたしましょう。


ラスト2セクションは、どちらもタイトルの補足をいただいていました。

まずは今回の節の方からですね。

-----Frankさんによる今回の章のタイトル解説・訳-----

"Four Weddings (No Funeral)":映画「Four Weddings and a Funeral」(https://en.wikipedia.org/wiki/Four_Weddings_and_a_Funeral)のタイトルが元ネタである。

どうやら、日本語でのタイトルは「フォー・ウェディング」であるようだ。

このタイトルは、「Four Weddings」の部分をカタカナ表記にしただけなのであろうか…?

もしそうであるならば、日本の視聴者は英語原題の「and a Funeral」(=「それと葬式」)の部分を知らないかもしれないので、「No Funeral」の部分を省略してもらって構わない。

ただ、読者に、このタイトルがこの映画のことを指しているのだということを知っておいて欲しかったのだ。

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僕はこの映画も寡聞にして存じませんでしたが、Frankさんのおっしゃる通り、日本版の邦題は、後半の葬式の部分が完全に切り捨てられて省略されている形ですね。

せっかくなら元々のFrankさんの記述通り、「(葬式なし)」も含めようかと思いましたが、実際これだけでも映画に言及していることになるし、逆に葬式うんぬんは全く不要な要素ですから、指示通り省きましょうか。


しかし、何気に『青い花』にはまさに4つの結婚式が登場していたんですね!

ドンピシャのタイトルで、お見事な限りです。

ただ、日本語には複数形の概念がないこともあり、「フォー・ウェディング」と聞くと、何となく「『For Wedding』(結婚式のために)というタイトルなのかな?」と錯覚もしてしまいがちですが(でも「フォー・ウェディングス」だと余計な音が付いてる気もしますし、仮に複数形でも、フォーがforかfourかはやっぱり不明ですしね)、まぁ、これはあくまで映画を知ってる人のためのネタなので、無知は黙ってろい、って話でしょうか(笑)。


今回で本編ネタを終わらせる予定で、お試し読み範囲にあるカラーページをピッタリ使い切る予定だったのですが1回増えてしまったため、何かいいトップ画像が必要ですね……

今回は結婚式ネタということで、前回脱線ネタで話に出していた、『めぞん一刻』ワイド版最終巻の、響子さんの白無垢姿の表紙を(全く青い花とは関係ないですが、一応、記事中で触れられている白無垢の例ともいえるし、志村さんにとってもこの作品はバイブルであるため)使わせていただきましょう。

どうやらもう絶版のようで、Amazonには10巻の表紙画像がなかったのですが、検索してみた所、我らが紀伊国屋にクソ画質のやつが転がっていたので(使わせてもらっておいて何たる言い草だ(笑))、拝借させていただきましょう。

めぞん一刻』ワイド版10巻表紙・https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784091838100より

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That Type of Girl(そっち系のひと)
志村貴子青い花』に関する考察

著/フランク・へッカー 訳/紺助

 

(翻訳第33回:185ページから188ページまで)

フォー・ウェディング

高校を舞台にした漫画としては、『青い花』には間違いなく結婚式(そしてもっと多くの関連話)が沢山描かれている。千津の結婚とそれに対するふみの怒りが、ふみにとってあきらとの友情の(再)スタートとなるし、和佐の各務先生との結婚は、恭己が抑えていた感情の(再)表面化に作用し、これは間接的にふみとの別れにつながっている。物語が結末に向かう中、京子は康と結婚し、日向子と織江は自分たちの結婚式がもし実現したらどうなるかを思い描いている。

 『青い花』で描かれた一番初期の結婚式は、加代子と井汲秋彦のそれである。他の結婚式のスタイルが洋装であるのに対して、井汲父母のそれは日本の伝統的な衣装で描かれている。ひょっとしたらこれは、鉤括弧つきで「伝統的な」と記述するべき所かもしれない。というのも、こういったものは一見古風なスタイルに見えるものであっても、多くの点で現代の産物、つまり「『文化製品』…(中略)…この製品の調達人と…(中略)…(それから)文化的アイデンティティの概念を仕立て上げる者たちの、ビジネス上の利益を上乗せするために発明されたもの」であるからだ*1

 この「文化的アイデンティティ」は、日本を統一近代国家にまで押し上げるという明治時代のプロジェクトが生み出したものである。この国家建設プロジェクトは、結婚式を含む日本人の生活のあらゆる分野に及んだ。国家は、日本人同士や天皇を結びつける一連の儀式として、神道を公式化した。そして、その儀式はその後、結婚式の中心となった。かつては自宅で行われていた結婚式だが、1900年、後に大正天皇となる人物が神社で神前結婚式を行い、結婚式は公の場で公開されるものとなった。これは一種の欧米化の危険性を意識したことに対する反応であり、「結婚式を通じた、他との対比の中における、日本人のアイデンティティーに関する公的な宣言」と見る向きもある*2

 この国家祝宴とは対照的に、大正から昭和初期にかけての一般庶民の結婚式は、武家の子孫を含め、家庭で行われることが多かった。花嫁の服装は、「黒い成人用の着物の下に、白い長襦袢(白無垢)」に加え、「髪は油を塗って日本式の髪に結い上げる(日本髪)が、これは普段の髪形と比べさほど手の込んだものではない」というのが一般的であった*3

 しかし、花嫁衣装は時代とともに、特に第二次世界大戦後、より凝ったものになっていった。それまで結婚式場として使われていた大きな家屋が爆撃で破壊され、戦後の花嫁のために新しい「結婚式場」が作られたのである。(宮中には神社があり、そこで儀式が行われた。)戦後の経済成長とともに、この婚礼産業に携わる者たちが、それまで武士階級のみに限られていた花嫁衣装や小物装飾品を、広く日本の中産階級に広めていったのだ。こういった花嫁衣装がさらに芸者や歌舞伎の化粧と結びついて、今日我々の知る「日本の花嫁」像ができあがったのである*4

 このイメージは、しばしば現代的なイメージ―新幹線、コンピューターチップ、東京の展望台からの絶景など―と組み合わされ、日本が過去に敬意を払いそれを生かしながら未来に向かって疾走する国であることを表現している。これは「サムライ化」、つまり「徳川時代からの武士・侍の生き方に対する認識に従って日本人のアイデンティティを構成する」プロセスの一部であり、そのパッケージであるといえる*5

 このプロセスには、現代の日本人男性、特にサラリーマンを、侍精神の担い手として思い描くことも含まれる。井汲秋彦も恐らくその一人であったのであろう。加代子との結婚は、日本の経済力と自信が最高潮に達した1980年代後半、昭和の終わりの時期であった。(振り返ってみると、日本の家父長制の最盛期でもあったのかもしれない。)

 しかし、日本はやがて経済的な停滞と将来性の喪失という「失われた数十年」に突入していく。『青い花』で描かれる他の結婚式は、全て西洋式のウエディングドレスや服装で、日本の結婚の伝統(一部は創作され、想像されたものだが)から遠ざかっている。

 このことは『青い花』の他の側面にも受け継がれている。高校を舞台にした他の漫画と違って、神社・仏閣に訪れることはない。また、英語版第四巻で生徒たちが修学旅行で向かうのは、(日本の高校の伝統的な旅行先である)京都ではなく、イギリスと、ヨーロッパの品物や思想が初めて日本に入ってきた場所として有名な長崎である。

 そして、『青い花』の年表において次に描かれることになる和佐と各務先生の結婚式は、藤が谷女学院のカトリック礼拝堂で行われ、オルガン奏者、ステンドグラスの窓、建物の外観に十字架という一式が完全に揃っている(『青い花』(3) pp. 93、96/SBF 2:93, 2:96 )。この設定は、明治時代のもう一つの重要な発展である、欧米の思想、特に欧米の宗教の流入を象徴している。この宗教は、宗教そのものとしてというよりむしろ、宗教的なルーツから切り離されたイメージ(白百合を含む)や伝統(クリスマスを祝うことなど)を日本の大衆文化に取り入れる源として、影響力を持ったのである。

 京子と康の結婚式では、宗教的な象徴は消えている:彼らの結婚式も藤が谷で行われたと思われるが(学校を囲む森を示すシーンへの移行に注目すると)、結婚式を挙げた建物の外観および披露宴の部屋の中には、キリスト教の気配はない(『青い花』(8) pp. 155-7、159-60、168/SBF, 4:335–37, 4:339–40, 4:348)。

 和佐と各務先生の結婚式とは異なり、京子の父(と康の父)の姿は見えないので、家父長制の象徴も不在である。(京子と康の母の話は、結婚式が始まる前にだけ聞くことができる。※訳注:先述の通り、英語版では「康の母」と特定されているが、日本語版原文では「おばさまたち」であり、必ずしも康の母に特定されているわけではない)。その代わりに、京子と康は、友人たちに囲まれながら、自分たちだけでバージンロードを歩くのだ(『青い花』(8) pp. 152-3、169/SBF, 4:332–33, 4:349)。

 『青い花』で描かれる四つ目にして最後の結婚式は、春花による「お姉ちゃんたちも結婚式あげたいって思う?」という問いかけに日向子と織江が答える際の、想像上のものでしかない。二人は、京子や和佐よりもさらに西洋的で「おしゃれな」ウエディングドレスを着ている姿を思い描く(『青い花』(8) pp. 170-1/SBF, 4:350–51) 。

 しかし、結婚そのものについては曖昧で(「お式どうこうはそれほど重要じゃないかな―」)、そのために何かする程ではないぐらいに受身の姿勢である(「まーあげさせてくれるならあげてみたいけど」)(『青い花』(8) p. 170/SBF, 4:350)。他の多くの百合漫画の登場人物が自分たち自身の結婚式やウェディングドレスについて想像するように、織江と日向子は、自分たちが共通の利益を持ち、共通の政治的目標を達成するために働きかけることができる共同体の一員であるとは、(まだ?)認識していない。

 しかし、『不可解なぼくのすべてを』という、ふんわりした絵と萌えキャラが特徴の漫画作品では、この省略の例外を目にできる。第三巻では、レズビアンの女性が、Xジェンダーの友人とその同僚のトランスの少女とともに、「Cafe Question」で互いに作り上げたコミュニティを離れ、「にじいろフェスタ」でより大きなLGBTQコミュニティに参加することになる。人、イベント、ブースの間をさまよいながら、彼女の仲間は結婚の平等を求める署名活動のために立ち止まる*6

 それは最もシンプルでありながら、同時に最も重要な政治的行為である。その手書きの署名は、内なる考えや個人的な会話から、自分たちや友人たちの心に近い大義を公に支持することへの移行という、重大な決断を自ら果たすことに成功したことを意味しているのだ。将来、彼らはもしかしたら、請願書へ署名する側から自分たち自身への署名が集まる側になり、パレードを見る側から自分たち自身が行進する、あるいはさらにパレードを組織し、先導し、鼓舞する側の立場になるかもしれない。

 この『青い花』の登場人物の中で、いつかその道を歩むかもしれないのは誰だろうか?候補の一人は、春花である:大胆で、積極的で、すぐに友達を作ることができる春花は、姉への心配りが高じて、活動家になるモチベーションを持つかもしれない―とはいえ、春花はまだ、姉の織江の日向子との関係に折り合いを付けている最中であるように見受けられるが。

 もう一人はあきらである。演劇部の部長を務めあげるなど、あきらにはまとめ役としての才能があるのだ。作品全体を通しての彼女の行動からは、少なくとも他人が不安がるような部分には恐れを見せず、正義感も強いことが窺える。そして、ふみへの愛を認めた今、その愛が彼女をどんな行動に駆り立てていくのか、それはまだ誰にも分からない…。

 とはいえそんなことはひとまず置いておいて、『青い花』のラストシーンに注目していこう。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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憧れの結婚式について、改めてまた実にしっかりした社会学的見地からの考察が繰り広げられていました。

大変興味深いですね。

白無垢の和式ドレスについて書かれていましたが、トップ画像で響子さんの白無垢姿の画像を使わせていただいてアレなんですけど、僕は、比べるなら断然ウェディングドレスの方が好きっすねぇ~。


めぞんの作中では、響子さんの一回目はウェディングドレスだったわけですけど、年齢の差うんぬん抜きに、圧倒的に洋ドレス響子さんの方が魅力的のような気が…。

郁子ちゃんが白無垢響子さんを見て「おばさまキレイ…」と感嘆の声を上げるシーンがありますが、「いや、管理人さんの本気はこんなもんちゃうんだけど……。ってか正直ぶっちゃけ、白無垢姿に魅力を感じない僕としては、普段の響子さんの方が断然美しいまであるような…」という、「それは言わなくていいです」というゴミカス感想を読むたび毎度覚えてしまい、ついつい郁子ちゃんに突っ込みたくてならない日々が続いた結果、こんな場であけすけと語ってしまった感じですね(笑)。
(もちろん、リアルでは、似たような場面で仮にそう思うことがあったとしても、口に出すことはしませんが。)


まぁそもそも着飾ることにあんまり魅力を感じないとでもいいますか、結婚式も、上では「憧れの」とか書きましたけど、もちろん「絶っっ対にイヤ!」ってこたぁまぁないんですけれども、ぶっちゃけやる意味ある?百歩譲って知り合いとかにちゃんと知らせる必要があるなら、もう今時Zoomとかでよくない?…と思えてしまうのが、正直な意見かもしれません(いやZoomは流石にふざけすぎかもですが(笑))。

とはいえこれはあんまり声高に主張すると「うわ…そういうヤツか…」と思われてしまうフシもありますし、実際別にそんなに強くは思っていない(お相手の方がやりたいなら積極的に協力するよ、的な)ので、まぁその辺にしておきましょう。

 

婚活ブログであることにかこつけて、好きあらば自分語りしてしまい誠に恐縮でした(笑)。

次回で本編パートもおしまいですね。

じっくり楽しませていただきましょう。

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*1:Ofra Goldstein-Gidoni, Packaged Japaneseness: Weddings, Business, and Brides (Honolulu: University of Hawai‘i Press, 1997), 3–4.

*2:Teresa A. Hiener, “Shinto Wedding, Samurai Bride: Inventing Tradition and Fashioning Identity in the Rituals of Bridal Dress in Japan,” PhD diss., University of Pittsburgh, 1997, 3, 12–13, 144–55.

*3:Hiener, “Shinto Wedding, Samurai Bride,” 56–57.

*4:Goldstein-Gidoni, Packaged Japaneseness, 34–39. Hiener, “Shinto Wedding, Samurai Bride,” 139–41.

*5:Hiener, “Shinto Wedding, Samurai Bride,” 17.

*6:Kata Konayama, Love Me for Who I Am, vol. 3, trans. Amber Tamosaitis (Los Angeles: Seven Seas Entertainment, 2021), 97–101.