命は自然に発生するのか…?

何かを食べたとき、分子レベルではどうなるのか?…みたいな話を、まぁタンパク質に限った話でしたが、前回チラッと触れることで、「陽子は食べてもなくならない!」ということを書いていました。


(もちろん、糖も別の酵素が、脂質も別の酵素が消化することで、それぞれ糖代謝や脂質代謝が行われる感じですね。

 いずれにせよ、分子レベルにまで分解されることはあっても、原子が崩壊して陽子が雲散霧消するみたいなことが我々の体内で行われることはないと思われます。)

 

それでは、前回も既に貼り付け済みであった、アンさんよりいただいていたご質問コメントに改めて戻って参りましょう。

 

『今日僕が食べた納豆を構成していた陽子の1つは、1億年前恐竜が食べた陽子と、同じものだったかもしれない…』というお話、、

「仮に辿ることができとしたら」という前提なのはまぁ置いといて、素朴な疑問なんですけど、食べちゃった陽子は陽子として残るんですか?

現実的に、恐竜が食べた陽子が納豆の陽子になるということは、恐竜が食べた草が消化されて…ああなって…こうなって…ということですか?その陽子が、ああなってこうなって、紺助さんが食べるということ??(マジで?笑)

ということは、陽子は消滅することはない?(陽子に限らず、電子中性子も?飛んでいった電子もまたどこかで何かとくっつくといった話でしたよね、確か。)

逆に、生産されることはありますよね?人の体もそうなら、植物も、この世になかったものが現れるわけですし。

うーん…何か、どんどん違う方向へ向かっているような気もします

 

⇒前回の話を踏まえて、続いての「陽子は消滅することはない?」「逆に、生産されることはありますよね?」というナイスコメントについてですが……

 

まず、分かりやすい所からいくと、「生産は流石にされるやろ?」という部分から、「人の体もそうなら、植物も、この世になかったものが現れるわけですし」という点……


これは、一見そんな風にも思えるのですが、実は完全に違うんですね…!

人の体も、植物も、何もないところから爆誕してきたように見えて、何気に1つの細胞、配偶子から発生しているのです。


人の場合は、精子と卵というオス由来・メス由来の配偶子が受精することで…

一方植物の場合は、まぁ植物の生活環は複雑なので一概には言えませんが、まぁ種子であれば、これもオスメスの配偶子が受精することによってできるものですけど、いずれにせよ種みたいな物質が、栄養を取り込んで、細胞を分裂させながら大きくなって人間の個体や植物本体になっていくということで、実は形あるものが、形を変えて大きくなっていくだけで、無から発生するというわけでは決してないんですね!

 

「いやでも目に見えないレベルの小っさいものが、いつの間にか大きくなっとるやん、これは無から有が生まれたのとちゃいますのん?」と思われるかもしれませんが、これもやっぱり完全にちゃいますねん、って話になります。


全て、外界から得た栄養……まぁ人間の赤ちゃん(受精卵)の場合、お母さんの胎盤を通してお母さんから分けてもらったものですけど、お母さんが食べて、胃腸で消化されて分子レベルにまで小さくなった栄養が、少しずつせっせと赤ちゃんに運ばれて、その分子レベルの栄養をまたせっせと組み立てなおしてちょっとずつ大きくなっていくだけであり、完全に、周りからもらった分子(栄養)を使わせてもろとるだけでしかないんですね。


まぁ赤ちゃんや植物の種の場合は、一応目に見えるもの(まぁ種子はともかく、人間の配偶子は小さすぎて目には見えないものの、少なくとも名前は聞いたことがある物質)から発生するので理解はできるものの、しかし、例えば生肉を放置して発生するウジとか、どう見てもそれっぽいものは何もなかったものから、ある日突然いきなり形あるものとして発生してくるとしか思えないものも、あるっちゃあるとはいえるかもしれません。


実際、昔の人は、そういう「無から生命体が発生する」という、いわゆる自然発生説を信じていました。

ja.wikipedia.org

上記ウィ記事にある通り、天下のアリストテレス大先生ですら、「ミツバチやホタルは(親の体から以外に)草の露からも生まれ、ウナギ・エビ・タコ・イカなどは海底の泥から産まれる」と記述しているんですね!


実際、この世の現象を肉眼で観察している限り、どう考えてもそうとしか思えないのは間違いないことで、むしろこの世の中をくまなく観察し尽くしたアリテレさんだからこそ、「そう考えないとつじつまが合わない」と結論付けたのでしょう。


しかし、後年、また別の偉い人たちの手によって、この自然発生説は否定されることになります。


色々な人が工夫を凝らした実験をしているのですが、最も有名なのはやはり、我らがルイ・パスツール大先生による、「スワンネック(白鳥の首)フラスコ」を用いた実験でしょう。

英語版のSwan neck flaskというウィキP記事に、図付きで紹介されていました。


Wikipediaにしては珍しく、拡大してみたら手書きのかなり下手っぴな絵で笑えましたが、文句言うならお前が描けよ、って話ですし、ありがたく引用紹介させていただきましょう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Swan_neck_flaskより

まず、栄養タップリの肉汁を入れたフラスコを3つ用意します。


これらを全て、沸騰するまで全力で加熱することで、内部にいる微生物を殺してやります(図左側)。


次に、ここから先は3パターンに分かれる処理をしてやり、最初のフラスコ(一番上)では、そのままフラスコを静置させます。

2番目のグループは、白鳥の首の部分を切り取って、外界の空気が直接肉汁に接触できる状態にしてやります。

3番目のグループは、フラスコを傾けて肉汁を口の入口付近まで移動させてやり、ある程度外界の空気と接触させてから戻してやり、そのまま静置します。


で、結果としてはまさに図にあるように、一番上のフラスコからは全く何の生命も新たに発生せず、一方、外界の空気が直接肉汁に接触した2番目3番目の例では、新しい生命が発生してくるんですね!


(説明が遅れましたが、このスワンネック・フラスコでは、途中の長い首のおかげで(加熱した結果、内部に水滴がつき、それが微生物の侵入をトラップしてくれる、という効果もあって)、空気は通れるけれど、空気に含まれる微生物は入って来れない、という上手い仕組みになっています。)


僕が高校生物で学んだのは2番目のやつ(首を切って、空気がダイレクトに肉汁に接触可能)だけだったので、3番目のやつは何を示したいのか迷いましたが(2番目のやつだけでも、一応「生物は、空気のみから自然発生することはない」という主張は可能に思えるので)、まぁ3番目の実験を足すことで、「長い首が、空気に含まれる『生命のおおもと』みたいなのをブロックしただけなのではないか?」という疑問を論破できるという感じですかね。

(まぁそうすると2番目のやつはなくてもいい気はしますけれども(笑)、逆に、3番目のみだと、「長い首という通路を通過させることで、『命のもと』が復活するのではなかろうか」みたいな主張が出てくる可能性もなくはないので、結局やはり2番目と3番目の合わせ技が、実験として完璧といえるのかもしれませんね。)


「本当にそんな上手くいくのぉ~?」と思われるかもしれませんが、パスツール以来培われた滅菌手法・微生物のコンタミ(混入)を防ぐ技術というのは本当に偉大で、「Pasteurized」というパスツールさん由来の単語で「(低温)殺菌する」という意味にもなっている通り、これはマジでこういう結果になりますし、結論としては、空気と肉汁が直接接触して、空気中に含まれる微生物が肉汁に進入してこない限り、生命が無から発生することは決してない、というものだといえる感じですね。

これは1861年に発表された実験で、「命が無(非生物)から自然に生まれることは、決してないと思われる」ということが分かってから、まだせいぜい150年ぐらいしか経っていなかったんですね。

今のところ、これは正しいように思われます。

もしかしたら、いつか人工的に創り出すことは可能になるのかもしれませんが……。


…と、今回も脱線ネタのみで終わってしまう感じになりますが、またちょっと限界突破レベルで1秒も時間がなかったため(いや1秒もないわけはねーだろ)、極めて中途半端ですが、続きの、ご質問の本題部分はまた次回とさせていただこうと思います。

生命ではなく、陽子といった素粒子についての点ですね。

にほんブログ村 恋愛ブログ 婚活・結婚活動(本人)へ
にほんブログ村