完璧主義にご用心…?

前回見ていた瞑想記事に、「練習すれば完璧になるとは限りませんが…」という文があり、そこになぜかリンクが張られていました。

 

リンクを開いてみたら、またまた同じクリーブランド・クリニックのhealth essentialブログ記事でしたが、ズバリこちら…

 

health.clevelandclinic.org

 

…パーフェクショニストに関する記事で、これは説明不要でしょう、「パーフェクト」と「~主義者」を意味する「~イスト」(ロマンチストやリアリスト(リアル+イスト=現実主義者)など)とで、当然、完璧主義者ということですね。

 

僕はどうでしょうねぇ、そこそこ完璧主義者…というか、少なくとも「完璧でありたい」と思うタイプの人間ではありますけど、まぁでも「人間は絶対に完璧にはなれない」という謙虚さと柔軟さも幸い持ち合わせているため、完璧主義者が陥りがちな「完璧にできないならやらんどこ」からの、全く何もできなくなってしまう「完璧何もしないマン」にならずには、なんとか済んでいるような気がします(笑)。

 

まぁこの手の記事は、今回に限らず全然なるほどと思えすらしない、あまりにも当ったり前すぎることがウダウダ述べられている本当に無意味な記事が多く、今回も正直そんな予感がプンプンしますけど(笑)、「あなたが完璧主義者かもしれない5つのサイン」という、まあまあ興味深くはある記事ですし、今回はこちらを参考にさせていただくといたしましょう。

 

ひょっとしたら完璧主義者かもしれない5つのサイン―そしてバランスの取り方(5 Signs That You Might Be a Perfectionist — and How To Find Balance)

完璧主義は必ずしも悪いことばかりではありませんが、毒にならないようにする方法を、以下で見て行きましょう

 


自分のことを完璧主義者だと思いますか?果てしない探求の中に、完璧を望む方も中にはいらっしゃいます。その頂点においては、特に自分の追求が前進しているのを目の当たりにできて、気高く感じられることもあるかもしれません。しかし、底にいる時にはズッシリとした無力さを感じ、不安感や自尊心の低下にもつながることがあるかもしれません。

では、完璧主義に煽られた達成欲と、セルフケアや優しさの必要性とのバランスとは、どう取ればよいのでしょうか?

心理学者のスーザン・アルバース心理学博士が、自分の中に潜む完璧主義のサインを見分ける方法と、それが自分自身に害を与えないようにする方法を説明してくださいます。

 

完璧主義とは何?

完璧主義とは、完全無欠性を追求することです―そして、その人の生き方や、仕事や課題への取り組み方を表すものとして使われることもある言葉です。

正式な医学的診断名ではありませんが、多くの方が発症し得る一般的な性格特性になっています。「完璧主義者であるということは、非常に高いレベルの、また正確な予期や基準を持ち合わせているということです」とアルバース博士が説明します。「物事が正しく、あるいはそうあるように、働くことや努力することだと言えます。」

多くの方々にとって、完璧主義は子供時代に始まります。多くの場合、親や教師といった権威ある人物は、私たちの自己価値観の捉え方に影響を与えます。完璧主義下では、もしかしたらいつも「自分は十分なことをしていない」と感じさせられていたかもしれません。あるいは、親から(たとえ善意であっても)常にベストを尽くせと押し付けられていたかもしれません。

その結果、良い自制心や向上心が生まれることもあり得ますが、完璧を求めるあまり、自分の価値が自分の成果によって決まると考えるようになってしまうと、行き過ぎた欲求は害になる可能性もあるのです。

 

完璧主義者かもしれないサイン

改めて、完璧主義に明確な診断はないかもしれませんが、ご自身がこのカテゴリーに当てはまるかどうかを判断するのに役立ち得る一般的なサインがあることは確かです。

以下が、完璧主義者である方によく見られる特性です:

 

非常に高い基準を持っている

何事にも100%どころか150%の成功を目指すようでしたら、それは完璧主義者であるサインかもしれません。それだけでなく、その高い基準を満たすよう自分にプレッシャーをかけている可能性もあり得ます。

言い換えれば、その人にとっての基準というのは多くの場合、その人にとっての羅針盤なのです。物事が期待や計画通りに進まないと、不快に感じたり、物事を調整あるいはひねっていく必要性があると感じたりすることもあることでしょう。

 

整理整頓と構造化を好む

完璧主義のもうひとつのサインは、コンスタントに構造化され、また組織化されている状態を望むことがあります。これは、机の上をすっきりさせたり、毎朝ベッドメイキングをするなど、清潔さや整理整頓に大いに気を配るという形で現れます。

ただ整理整頓されているだけの状態を超えて、完璧主義者はその構造が常に自分の基準を満たすように努力することでしょう。

 

目標に対して非常に野心的

高い基準を持つことにはメリットがあります。たとえ(あえて言うなら?)、実際に完璧になる人はいないとしても、スキルを磨く上では役に立ち得るものです。

「完璧主義のせめてもの救いは、多くの場合、人を一生懸命にさせ、非常にやる気を起こさせることです」とアルバース博士が指摘します。「そういった方々は粘り強いのです。物事をどんどん良くしようと努力し続けるんですね」。

例えば、音楽家、スポーツ選手、さらには医者でさえも、完璧主義の傾向があることはよくあります。この種の職業は、ある程度の自己鍛錬とコミットメントを必要とすることが多いので、それを目指す人が常に向上しようと努力するのは理解できるものだと言えましょう。

 

小さなミスを乗り越えるのが難しい

自分が犯したあらゆるミスをいつも強烈に意識している場合―特に、周りの人よりも意識している場合―それは、完璧主義のもう一つのサインである可能性があります。そして改めて、ミスを意識することはプラスになることもあり得るものです。しかし、それが極端すぎると、ストレスの原因になってしまうことでしょう。

 

先延ばしにしがち

先延ばしは完璧主義の一般的な結果です。完璧主義者というと、常に自分のタスクを上手くこなしていると思えるかもしれないため、これは意外に聞こえるかもしれません―がしかし、実は完璧主義というのは多くの場合、物事を先送りにすることにつながり得るのです。

これは、プロセスではなく、行っていることの結果に執着してしまうからだと言えます。将来の最終結果にこだわりすぎると、不安になり、目の前の仕事を避けるようになってしまうことさえあるのです。

「完璧主義のレベルが極端になると、そのタスクが本当に大変なものに感じられ、多くの不安やストレスが生じ、それがまた始めることへの恐怖を踏み出しますから、ドミノ倒しのように、それを避けることにつながってしまうのです」とアルバース博士は説明します。「そして、そのタスクをやり遂げることが実現不可能だと感じるようになってしまうわけですね。」

 

完璧主義が有害になるとき

中には、完璧主義がさらに悲惨な結果をもたらすこともあります。しかし、自分の完璧主義が一線を超えているかどうか、どうすれば分かるのでしょうか?鍵となるのは、自分自身を知り、物事にどう反応しているかに気付くことになります。

「一つ悪い点としては、完璧主義のせいでしばしば物事が決して十分でないように感じたり、常に不満があったり、十分でないと感じたり、さらには達成したことに対して満足したり喜んだりすることがないことが挙げられます」とアルバース博士が語ります。

以下が、極端な完璧主義が悪影響を及ぼす可能性のあるいくつかの行く先です:

  • 自己価値の低下。完璧主義が、よりポジティブな意味―もっと上手くやろうと自分をそっと後押ししたり、高い目標を設定したり―で現れているのであれば、心配する必要はまずないでしょう。しかし、重要なのは、自分自身を知り、いつ完璧主義的な傾向がネガティブな自己対話の道へと方向転換してしまい、自尊心の低下を引き起こしてしまうかを認識することです。
  • メンタルヘルスの問題。多くの場合、完璧主義的な傾向は、強迫性障害摂食障害、および社会不安障害といったメンタルヘルスの状態と重なる(あるいは引き起こしさえする)可能性があります。この文脈では、有害な完璧主義が火に油を注ぐことになり、メンタルヘルス症状を悪化させる可能性があることでしょう。
  • 人間関係。それに加えて、人間関係にも常に不可能な基準を要求してしまう可能性があるため、人生の中での人との付き合い方にも影響を及ぼしかねません。人間関係に負担を感じ始めたら、完璧主義が有害になっている赤信号の可能性があります。「他人や自分自身に完璧さを求めると、継続的に失望し続けることになってしまいます」とアルバース博士が警告しています。
  • 極端なタスク回避。あちこちで仕事を先延ばしにするのは、ある程度までは普通のことです。しかし、完璧主義が、人生において一歩踏み始めた所から更にその先に前進していくることを妨げているのであれば、これはもうひとつの赤信号になり得てしまいます。また、完璧主義であることが日常的な仕事をする上で立ち塞がってきたり、何事にも不足感しか感じない精神性を育ててしまったりしているようでしたら、それはやる気を起こさせるどころか、足かせになっているサインだと言えましょう。

 

完璧主義への対処法

完璧主義が重荷のように感じられ、モチベーションが下がっていることにお気付きになられたら、バランスをとるための対処戦略を見出してみるのがいいかもしれません。

達成志向が強い方は、意欲的(かつ生産的)でありながら、自分を苦しめることはない最高の場所を見つけることが肝心です。

  1. 謙虚さを受け入れる。最初の一歩としては―初めは簡単にはいきませんが―完璧とは、不可能な目標であるということを受け入れることです。時には失敗したり、挫折したり、恥をかいたりすることもあるでしょう―ちょうど他の人と同じように、です。この概念を受け入れることで、強烈な解放感を得ることが可能となりましょう。
  2. 現実的な期限を設定するアルバース博士は、自分を失望させてしまうような、無理な目標を自分に課さないことの重要性を強調しています。学校関係の課題であれ、仕事のプロジェクトであれ、あるいは個人的な目標であれ、現実的な期限を設定することは、よりリラックスしたペースで物事を達成する手助けとなるものです。こうした期限を設けることはまた、常に完璧を求めるのではなく、最終的には「これで十分」と思える役にも立ってくれるものです。
  3. 自分を笑える心のゆとりを育む。仕事や学校など、人生における義務に真剣に取り組むことは大切ですが、それが自分の感情をネガティブな方向に支配してしまってはいけません。自分自身を休ませてあげ、常に深刻に考えすぎてしまうことがないようにすることを、どうか忘れないでください。
  4. 失敗を乗り越える能力に気付く。恐らくどんな人でも、自分が犯した重大な失態をいくつか思い浮かべることができることでしょう(誰にでもあることです!)。当時は苦しかったかもしれませんが、しかし、あなたはそれを乗り越えてきたのです。実際、何かを学んだとさえ言えるかもしれませんよね。
  5. 完璧を目指すことのコストとメリットを天秤にかける。そのコストは、自分が思っている以上に大きいことに気付かれるかもしれません: 例えば、常に自分を責める、リラックスできない、新しいことに挑戦したがらない、自己評価が低い、などが挙げられます。時には自分が雑で不完全な何者でしかないということを受け入れてみるのは、驚くほど自由になれることなのです。
  6. わざと物事を完璧でない状態にしてみる。少しくらい散らかっていても、時にはそれがいいこともありましょう。自発性や意外性を許容するために、自分自身に余裕を与えること―家の装飾であれ、日常の雑務であれ―を忘れないようにしてください。こういった比較的些細な不完全さを許容する練習をしていけば、有害な完璧主義の牙城を崩すことになっていきますよ。

 

助けを求めるべき時

完璧主義が自己評価や睡眠パターン、あるいは日常生活に影響を与え始めている場合、その完璧主義は良いことよりも悪いことを引き起こしている可能性があるかもしれません。例えば、完璧主義が原因で外出や新しい体験ができなくなったり、気分に影響を与えたりすると、メンタルヘルスに被害を与えている可能性があります。

中には、専門家の助けが必要な方もいらっしゃいます。完璧主義的な傾向が人生に大きな影響を与えている場合、セラピストに相談すれば、自分自身に投げかけてしまっている否定的なメッセージを認識しながら、ありのままの自分を受け入れてもらえると感じることのお手伝いをしてくれます。最終的には、自分自身にもっと優しくなることが可能となりますよ。

 

…うーん、これを読んで、「そうだったんだ!全然気付かなかった!!その考え方はなかった、新しい!!!」なんて思うヤツ、いるわけなくない…?と思えてしまいますが…(笑)。

 

こんなもん、「分かっちゃいるけどやめられない」の典型で、当たり前すぎることをしたり顔で並べているだけの記事なんて、やっぱり何とも浅い解説であった気もしてしまうものの……

…でもまぁ、あんまり偉そうに書くのも上から目線の極みで気が引けますが、世の中を見回してみると、案外「え、こんなことすら言われなきゃ分かんないの…?」と思えることで感心していたり感銘を受けていたりする人も結構多い気がするので、一見当然すぎるような内容でも、こういう感じで改めてじっくり気付きを与えてくれる形のお話は、大事というか意義があるものなのかもしれませんね。

 

まぁ偉そうついでに僕なりのアドバイスを書いてみますと、自分で言うのも本当に何ですが(笑)、僕は幼い頃から尋常じゃなく優秀な神童タイプだったんですけど、そんな僕でさえも、ミスなんて当たり前のように、息をするかのようにしまくってますからね(笑)。

 

↑の5000字ぐらいの文章ですら、軽く流しチェックしただけで「ですす」とか「みるのが¥いいかも」とか、「一体なぜそんなミスを?!」というものが無限に目に付きました(笑)。

 

特に最近は、時間がなさすぎて推敲もかなり流れ作業でやっているので、もう二度と読み直して見つけることもないミスがそのままになっていることも大いにあると思います。

 

でもまぁ、それでいいじゃんと言いますか、「うは、何やねんそのミスワロタ(笑)」と笑い流すといいますか、むしろ「お茶目な一面を見せてやってんだよ(笑)」みたいな、開き直るというと言い方が悪いかもしれませんけど、完璧さを取り繕うよりも不完全さを楽しむ方が絶対にいい、少なくとも僕自身はそういう人の方が好きだなぁと思える……といった感じで、意図しないアクシデントはポジティブに捉えた方が確実にメリットが大きいと、別に普段からそんなこと考えて生きてるわけでもないですが、完璧主義に苦しむ方にかける言葉をあえて繕うなら、そういう風に思うかなぁ、という感じでしょうか。

 

まぁ人の命に関わるとか、業務で周りに迷惑がかかるとかならやっぱり完璧を目指したい所ですけど、そうじゃないどうでも良すぎる場面なんて、「マジ適当でいいって、誰も気にしてねぇし、細かいこと気にしすぎるとキモいしハゲるよ(笑)」ぐらい楽天的にいくのがいいんじゃないかな~、と思う次第ですね…!

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