コメ返信や補足その1-31-3:ご質問回答・やっぱり仮定法は難しい?!

それでは今回は、仮定法の補足として、前回・前々回の記事にいただいていたコメントの方を見ていく形といたしましょう。

ご質問を含むこちらのコメントは、例によってアンさんからのものになります。

ちょうど補足しておきたかった点ばかりで、大変にGood questionsな内容、改めて心より感謝の限りです!


では段落ごとに触れていきましょう。

まずは、前々回・唐突に仮定法に触れ始めた記事(↓)からですね。

con-cats.hatenablog.com

なんと!仮定法?!

いやこれ、全くピンときませんでした笑

付加疑問文と同じで、というか、それよりもっとかもですが、「英語の勉強」以来、頭の中に浮かんだこともないかもですねぇ…。

実際に使うことって、ありますか?


⇒実際我々の受けてきた英語教育的には、仮定法なんてマジで受験生への嫌がらせとしか思えない、その言葉を聞くだけでムカムカしてくるクズのような単元に思えるわけですけど(笑)、実は、実際の英語ではあまりにも標準的極まりない用法であり、こないだ引用紹介していたマーク・ピーターセンさんの本の次の段落で、

「日本では高校に入るまで仮定法を教えない=中学の教科書等では決して使ってはいけないようだが、どう考えてもそれでは自然な英語にするのは無理筋だと思われる」

…という感じで、実際におかしいあるいは無理のある表現になっている例を解説してくれていましたが、相変わらずとても興味深い内容になっていたので、気になる方はぜひ書籍をお手に取っていただきたい限りです。


そんなわけで、仮定法というのはあまりにも日常に根ざしている表現であるため、実は、意識していないだけで何気に誰でも使っているともいえるように思います。

具体的には、丁寧な表現である「Could you~?」、ぶっちゃけこいつも前回書いていた通り仮定法の一種ですし、同じ感じでこちらも中学で学ぶ「I'd like to~(wantの丁寧形)」なんかもまさに仮定法的な表現といえますから、その意味で気づかぬ内に、英語初心者でも絶対に使っているものだといえましょう(まぁ、中学校では「丁寧になる」だけで、仮定法うんぬんの話には全く触れないわけですが)。


まぁそれは「意識してないけど仮定法」の例であって、お尋ねになってるのは「意識して仮定法を使うことがあるか?」ということだと思いますが、会話ではともかく、メールやテキスト系の文章=書き言葉であれば、普通に使ってますね。

完全に正しく使いこなせているとは言い切れないまでも、実現可能性・確率の低さを意識して仮定法を使うようには、一応している感じです。

それでも会話で口をついて出るほど身近なものには全然なってないですけどね(仮定法に限らず、あらゆる英語表現がそうではありますが。)

 

ではコメントの続きに参りましょう。

 

仮定法…なんだっけ?って思いながら読んで、法はムードか…、、で?…となって、

鳥の話は有名な例文ということですが(確かに聞き覚えあります)、面白くてわかりやすかったですねぇ。

『英語では心のどこかに「俺ってマジで鳥かもしれないんだけどさ…」という雰囲気が出てくる…』

これはヤバいですね笑

wasではなくwereっていうのも、あぁ、そんなこともあったな、くらいですが…

普通に「もし私が鳥だったら」と英語で言おうと思って「If I was a bird.」と言ってしまったとしたら、やっぱり鳥かもしれないって思ってると思われちゃうんですか?

一応文章としては成り立つ(?)過去形ではあっても、「If I am a bird.」よりもヤバい感じの雰囲気になりますかね?


⇒実はこれ、いつの時代も言葉というのは変わるもののようで、どうやら最近の人は、「If I were...」と言うべき所で普通に「If I was...」と言う人も増えてきているとのことです(当然、インフォーマルな響きにはなるものの)。

(検索したらの手の情報はいくつもそありましたが、例えばこのQuoraの記事の回答の1つなんかでも言及されていましたね。)


ということで、「If I was a bird, ...」と言ってしまっても、やや崩れた表現に聞こえはするものの、ちゃんと仮定法のムードは出せるようにはなっている形ですね。

もちろん、鳥の場合は常識的に考えて仮定法に確定しますが、内容的にどっちとも取れる場合は、(まぁ僕はそこまでのネイティブ感覚をもっているわけではないので、あくまで理論上の推測にはなりますけど)仮定法ならwereにするのが標準だし、パッと見普通に受け取った場合、「仮定法ではない、普通の過去形のif」だとみなされることの方が多いと思いますけど、それは文脈と発言者の実際の意図次第だといえましょう。

例によって、「必ずそういう風になる」という決まりみたいなものではなく、あくまでムードに過ぎない、ってのがポイントですね(あくまで「文脈次第でそういうムードを漂わせられる」だけであり、仮定法っぽく受け取れる場合もあれば、非現実だとは別に思っていない普通の表現に取れる場合もある、ということ)。

 

投票日のお話は、結局「もし今日が投票日なら」という場合に、その人が今日が投票日だと思っているか、思ってないかによって、isになるかwereになるかなので、日本語では「もし今日が投票日なら」にどう思っているかは表れてないけれど、英語では投票日だと思っていればisとしか言えないし、思っていなければwereとしか言えない、どっちであるかによってその人の考えも表れているということが言いたい感じですか?

(自分で理解するために書いてみただけ笑)

いやでも、これもよくわかります!


⇒まさにその通りですが、「~としか言えない」というよりも、「~と思っていたら、自然とそういう表現になる」という考えの方が、何て言うんでしょうね、より現実に即しているというか、無理のない考え方じゃないかな、って気がします。

まぁそれだと単に意識というか考え方の問題で本質的には大差ない話なんですけど、他にも個人的に持っている捉え方としては、ムードムードくどいですが(笑)改めて、「いやそういう決まりとかがあるわけじゃなくってさ、そう言ったらネイティブの耳にはそういうムード=響きに聞こえるわけよ」とでもいいますか、「そういう決まりがあるから、そう使うとそう意味が定まっちゃうのか!気をつけなくちゃ」というより「ムードでしかないから、適当にその場の雰囲気で捉え方も変幻自在に変わるわけよ」みたいな、そういう適当さというか柔軟さを意識した方が恐らく会話も楽に、楽しくなるのではないかな、ってお話ですね。

  

っていうか、なぜwereなんですかね?(それがルールということは理解しています。)

wasでよくないですか?


⇒これは、「何でareの過去形がwereなんですか?」とか「doの過去形はなぜdid?goの過去形はなぜwent?」と同じく、語源学的にはきっと何かネタはあるのでしょうが、 最早理屈ではなく、もう「そうなってるから」としかいえないやつでしょう。

そして、上述の通り、最近はwasでもよくない?と思ってそう使う人も増えている、という話のようですね。

 

wasではなくwereであることがありがたいと書いてありましたが、過去形の時点で「そうは思っていない仮定」になるというわけではないということでしょうか?

(「If I was a bird.」だと、やっぱり別の意味になる?)

これって、主語が私だからで、あなたが主語ならどっちにしてもwereなわけで、現在形か過去形かで判断するんですよね?


あぁ、、「私だったら」とかいうのも、それですか?「私があなたなら」だとあり得ないですが、「私があなたの立場だったら」ならあり得なくないし…それも雰囲気ってことでしょうか?

いやでも、私があなたになることはないので、やっぱり仮定になるのかな…?

わからんくなってきた笑


⇒こちらは、上の方でも書いていましたが、過去形にしても仮定の意味になるとは全く限りません。

「I were」なら仮定法に確定しますが、「I was」や「you were」であれば(まぁ前者は、正式な使い方であれば普通の過去形がほとんどですけど)、どっちなのかは完全に文脈・流れ次第であり、会話であれば話し方なんかにもよるものだといえましょう。

なので、本当にくどいですけど「仮定法はムードでしかない」という話であり、カチッと決まるものではなく、そん時の会話に漂う雰囲気でしかないんだよ…という意識をもつのは仮定法に親しむ上で結構重要ではないかなと思う……ということを最初の記事の冒頭で書いていた感じですね。


もちろん、ちょうど前回の記事で触れていたニューヨークのcouldを使った例文のように、単独の文章だけを見て「これは仮定法にしか読めない」と思う文も存在するわけですが、これはもう、ネイティブの持つ経験とセンスから「そうとしかいえない」という話であり、ある意味これも「文脈でそうなっている」という形に思います。

ちょうど、次の記事で関連コメントをいただいていたので、また以下で改めて触れましょう。

 

コメント後半の「私だったら」というのも、まぁ日本語と英語の仮定法は完全対応しないので日本語で書くと中々難しいわけですけど、「If I were you, ....」ってのも典型的な仮定法の表現ですね。

自分が「あなた」自身になることはあり得ないので英語だとここは仮定法の登場ですけど、「あなたの立場」なんかが目的語だったら、これは話者の意識で使い分けされる形に過ぎない、って話になると思います(投票の結果次第で、自分もその人の立場になった可能性も十分にあった、みたいな場面なら)。


いずれにせよ、あくまでムード=意識の問題ってことですね!

(この流れだと、「雰囲気」というより「意識の問題」がピタリですが、どちらも「ムード」といえますし、やはりムードというのはキーワードに思えます(まぁキーワードっていうか、「法」という語の元々の英単語ズバリなわけですけどね(笑)。)

 

では続いて、前回の記事(↓)にいただいていたコメントを見ていきましょう。

 

con-cats.hatenablog.com

 

まずですねぇ、、『Will you...? は「依頼」よりも「命令」に近い』とデカデカと書いてありましたが、willを依頼の意味で使ったことなんてなかったので、「命令」と言われて、いつも言ってる、ただの未来のことを聞くためだけの(例えば)「Will you  be back?」とかが命令的な意味にとられるのか?!っていう、わけわからん感じになっちゃいましたが…まぁそんなわけないですね笑

え、でも、日本人って、恐らくwillで依頼なんてしようと思わないと思うんですけど…依頼の時はwouldって習ったのか勝手にそう思ったのかわかりませんけど、多分そんな感じだと思います。

って、個人的にはマジでそう思っていたのですが、、よく考えたら“Will you marry me?” とか聞くような気も…?!

まぁ、使うな!と言っているわけなので、使わないなら何の問題もないですね笑


⇒「Will you~? 」は、一応教科書的には、

「『~してくれませんか?』という意味で、Will you / Can you / Would you / Could you~? で表せます。WouldとCouldはより丁寧な表現になります」

…というふうに、習うことは習うように思えますね。

その辺は教えてくれる先生次第かと思いますが、多くの場合、「WouldとCouldは丁寧」というのは確実に教わるものの、Willがそこまでヤベェやつというのはそんなに強調されないと思いますから、「そう大した違いでもあるまい。言いやすいWillで言ったろ」と思う人が案外多くいるのは、個人的には想像できる気もしちゃいます。


「Will you marry me?」は、まさに、「結婚してくれないか!」と、ぶっちゃけ依頼を通り越して最早命令的に迫っている雰囲気のある表現ともいえそうです。

「Will you give me~?」であれば、中学英語知識だと「~をくれませんか?」みたいに、「『くださいませんか』という丁寧さではないにせよ、多分そんなぐらいの意味だろう」と思う人も多い気がするものの、これはミントン先生が書かれていた通り、あえて日本語で書けば「~をくれや」(あるいは言い方によっては下手したら「~を寄越せや」ぐらい)のぶっきらぼうな響きに聞こえてしまうので、やっぱり注意はした方がいいかもしれませんね。

 

それは置いといて、、

次の『I could meet him in New York.』は、びっくりですねぇ…!

この文のどこが仮定法?って思ってしまいますよね。(仮定法わかってないですけど笑)

これって、過去形のcouldだからそうなるっていうことなんですか?っていうか、ifの条件節を省略してあるからcouldになるということでしょうか?

「ニューヨークにいたら会えたのに」ではなく、絶対に「ニューヨークに行けば会えるはず」なんですか?

うーん…やっぱり難しいです。


⇒これは、「よろしければ」と言われたときに、「よろしければどうなのか?」は完全に聞き手の判断に依存しているのと全く同じで、別に絶対「行けば会えるはず」という意味が隠れているってわけではないと思います。

どんな条件節かは聞き手の自由というか聞き手次第ですが、いずれにせよ、「まだ会っていない」ってことだけは確定しているわけですね。

(「よろしければ」と言われた時点で、何か自分がやる許可をもらっている/何かをもらえることが確定しているのと同じで)


ただ、ここは前回全く触れ忘れていた点ですけど、couldが仮定法に確定するのは改めて文脈というか文章次第であり、例えば過去の時間を意味する言葉が同じ文中に存在すれば、逆に「過去、canであった」という普通の過去用法であることが確定します(改めて、「なぜ?」と問われても、「ネイティブにはそういう風に読めるから」としか言いようがない話なのが悩ましいですが…)。


例えば、本で出されていた例文をまた引用させていただくと、

Yesterday, I could eat her lasagna (, but today, for some reason, I can't).

昨日、僕は彼女の(作った)ラザニアが食べられた(が、なぜか、今日は食べられない)。

まぁこの文であれば一応理由は明らかで、もし仮定法で表したいのであれば、「元々過去形の話を仮定法に変えると、そいつは過去完了で表すようにする」という仮定法のルールに基づき(いわゆる、仮定法過去完了ってやつですね。ただ、この言い方や「仮定法過去」という呼び方、個人的には「過去じゃないのに『仮定法過去』ってややこしくない?」と思えて若干微妙な用語に思えますが…)、could eatの部分はcould have eatenにしないと仮定法のニュアンスが出てこないから、という理論付けは可能ですね。

(ただ改めて、「なぜ過去完了にすると、『過去の出来事の仮定法』になるの?」というのは、ネイティブにはそう聞こえるようになってるから、としかいえない話でしょう。)


他にも、例のニューヨークの例文であっても、あれが否定文であれば、「仮定法」なのか「canの過去形」なのかは、あの文だけをパッと見せられても確定しなくなるとありました。

これはもう、我々にはちょっとその理由を推し量るのは不可能な話に思えますけど、改めて、「ネイティブの目(耳)にはなぜかそう映る」という話なんですね。


例えば、肯定文の「I could eat her lasagna.」であれば、前回のニューヨークの例文同様、普通ネイティブはifの条件節が隠れている仮定法と読んで、「(食べようと思えば)僕は彼女のラザニアを食べられるはずだ」と自動的に解釈する一方、「I couldn't eat her lasagna.」であれば、単純にcanの過去形である「食べることができなかった」と、仮定法である「(仮にどう頑張っても)食べることはできないであろう」のどちらである可能性も等しく出てくるとのことです。


ハッキリ言って、理解不能!…ですが(笑)、現実的にこの否定文が単独で用いられることはほぼあり得ず、普段の会話ならその前後の話も語られるので、意味はどちらかに確定することがほとんどである、という結論で段落が〆られていました。

でも、かな~りムズいですね!!

なので、ここはもう「ムードなんだよ、ムード」で乗り切るのが一番な気が、個人的にはする、って話といえましょう(笑)。

 

コメントでは最後、機械翻訳の結果をスクショ付きでご紹介していただけていました。

LINE英語通訳は、アカンですね笑

(スクショ省略;couldのニューヨークの例文を和訳すると「会えた」になり、それを再翻訳にかけたらwas able toに変わった、という結果でした)


私はニューヨークで彼に会えたと言いたい時は、couldは使わずにbe able toを使うというのはわかっているようですが、条件節の省略は当たり前に見抜けなかったようです笑

(Google翻訳も同じでした。)


⇒これはやっぱり、「よろしければ」と機械翻訳にかけて「自由に食べてください」という意味の英語になるわけがないのと似たような感じで、そこはまだ機械翻訳が自然に汲み取ることは難しい話なのかもしれませんね。 

 

やはり、仮定法は難しいというのが結論になってしまうかもしれませんが、僕自身完璧に使いこなせてなど全くいないものの、「雰囲気だよ雰囲気、逆にムードでしかないんだから、適当言っても相手がそれっぽい解釈を勝手にしてくれると思えばラクショーよ」と気楽に構えるのがベストな気がしちゃいますね…!


アイキャッチ画像は、当初、記事タイトルもそうしましたし「難しくて混乱しているイラスト」を貼ろうかと思ったのですが、やっぱりこの辺は本当に雰囲気への慣れ次第かなと思います…というポジティブな感じで〆る方がいいかな、と思ったので、「慣れ」で検索したら出てきた、英語に慣れてきた女性のいらすとをお借りしてペタリとしておこうと思います。

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