続いて日本語版7巻で目についたポイントですが、とうとう英語版青い花・Sweet Blue Flowers(SBF)でいうと、最終巻に入る感じですね。
順に見ていきましょう。
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(7) p. 13:"DO YOU DO BALLET?"(「バレエやってる?」)
オモロいミスというか違いで笑っちゃったけど、ふみの背の高さを見て質問した新クラスメイトのこの台詞、日本語のこの部分は、「バレエ」ではなく「バレーボール」なんだ(日本語だと、両者はほぼ同じ発音だからね。※注:英語だとballetとvolleyballで、ほぼ全く違いますが)。
なお、日本では、背が高い人はバスケットボールかバレーボールをやってる(と見なされる)ことが多いよ。
A. 面白いね。
アメリカだとバレーボールは、バスケットボールとは違って、背の高い人を連想することはあまりないかな。
そういう理由で、翻訳者は別の言葉を選んだのかもしれないね。
⇒(追加メッセージ:)へぇそうなんだ、大変面白いね。
とはいえバレエは姿勢が良くないとできないので、アメリカでもこの「背が高いね。○○やってる?」の場面で使われたのかな?
(あぁ、でもこれは単なるバレーとバレエの混同で、特に姿勢や身長との相関性によるものではないか。)
日本では、バレエに身長のイメージは全くないよ。むしろ柔軟性の象徴だけど、それは恐らくどこの国でも同じだろうね。
⇒(追加回答:)アメリカ人も、バレエダンサーを背が高いとは思わないね。
背の高い女性といえば、バスケットボール選手かモデル(見た目も魅力的であれば)と考えるのが一般的だよ。
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(7) p. 23:"...AND I ALWAYS HAVE."(「そして私はいつも…」)
「いつも」何なん?(単なる英語の質問)
日本語版では、このコマは単に、 "from a long time ago"(「昔から」)と言っているだけだね。
(前のコマで語ってる内容、「好きだから必死なんだ」というのは全く同じ。)
A. "...and I always have"の意味を聞いているということかい?
これは、"...and I have always liked you"の短縮形かつ並べ替えだね。
このフレーズを短縮して"and I have always"とすると英語としては不自然に聞こえるので、一般的には短縮したフレーズを"and I always have"と並べ替えるわけだ。
つまり、根本的な意味は、"from a long time ago"と同じである:康は子供の頃から京子が好きだった、ということだ。
⇒(追加メッセージ:)そう、それが聞きたかったことだよ。
なるほど明快!でも、それはあくまでこの文脈での話であって、必ずしも"I always have"がどんな状況でも"I have always liked you"という意味になるわけではないよね?
個人的には、"I always have love"(名詞のloveで、「この先もいつも愛を持ち続けている」的な意味)とかなのかなと思ったんだけど、いただいた説明の方が(当たり前だけど)自然な英語・流れっぽく思えるね(※今や未来について語っているのではなく、現在完了で今までのことを言っている)。
⇒(追加の回答:)その通り。他の文脈でも別の意味で使えるよ。
例えば: "Have you lived in Tokyo since you were born?"(「生まれたときから東京に住んでいるの?」)"Yes, I always have."(「えぇ、ずっとです」)
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(7) p. 29:"SHE SAID KANAKO HAD..."(「かなこちゃんは~だって」)
より正確には、日本語版だと幼い京子はここで、"...ONLY Kanako (in their relatives) had..."(「(親戚の中で)かなこちゃんだけ~なんだって」)と、「可奈子だけが唯一」という意味合いを込めて語っているね。
⇒(次の場面と一つながりということもあってか、この項目は特に返信なし。)
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(7) p. 30:一番下のコマ、面白いことに、英語版だと京子が言っているように見えるけど、実は日本語版では間違いなく可奈子が言っている言葉になっているよ。
可奈子いわく、 "I'm so happy to be celebrated by the future bride and gloom!"(原文:「未来の花嫁と花婿に祝われて しあわせよ」)とのこと。
(※注:なお、英語版では、「私は、自分たちが将来花嫁と花婿になれることを考えて、幸せだった」と、完全に京子目線の台詞になっています。)
A. これは面白いね。
日本語版では、幼い京子の内心は、例えば7巻31-2ページだと、軽いゴシック体の書体で表現されているように見える。
しかし、このp. 30の引用文では、軽い明朝体で書かれているように見える。
この内省が実は京子ではなく、可奈子によるものだったとしても、筋は通っているね。(ただ、p. 30の1-3コマ目のように、話し言葉は重めの明朝体なので、これは内心の気持ちであって、実際に話している言葉ではないと思う。)
しかし、英語版では、4巻p. 32(日本語版p. 30に相当)の内心の書体は、続く英語版4巻33-34ページの内心の書体と全く同じ体裁になっているのである。
つまり、訳者が7巻p. 30の言葉を京子のものと解釈すると決めたとき、(何らかの理由で)京子の他の内心と同じ書体で表示させたのだろう。
⇒(追加メッセージ:)ああ、最初の説明の「言う」は自分の英語が下手だっただけで、「内心の気持ちを述べている」的なことを書きたかったんだけど、とにかくその通りで、可奈子の言葉を京子が思い出して……って、ちょっと待った、改めて整理してみると、自分の考えはちょっと違う気がしちゃうかな。
これは京子による回想の場面ではあるんだけど、実際には可奈子が京子たち本人に、本当に語ったものだと思うよ。
軽めの明朝体なのは単純に、吹き出しの中ではなく、背景に入っているからだと思う。
例えば日本語版8巻86-7ページ(※注:例の「違うよ あーちゃん」のコマ)を参照してもらうと、まぁここは吹き出しの中でも軽い明朝体だし、今の場面と完全に同一な条件ではないけど、「実際に語られた台詞」なのに軽いフォントになってるね。
とにかく、確定的なものではないけれど、個人的には、幼い京子の笑顔からも、これは京子が聞いた(可奈子が語りかけた)本当の言葉だと思ったし、それ以上に、この場面で、いきなり超脇役でしかない可奈子の内心を示すのはナンセンスに思えるかな。
(最後、もらったメッセージの、結論段落に向けて)そう、これは翻訳者による大きな変換だね。
大したことではないけど、明らかに違うってやっちゃな。
⇒(追加の回答:)おっしゃることはよく分かった。
8巻p. 86では、あきらは自分と恭己が話した言葉を思い出しているので、書体は薄めの明朝体になっている。また、吹き出しも背景も同じ書体を使っているのは、どちらも覚えている台詞を回想しているからだね。
7巻p. 30は、同じ例であろう:京子が可奈子の話した言葉を思い出しているわけだ。
これはぜひ誤植の章への掲載を検討したいね(ちゃんと説明できれば、だが :-) 。)
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(7) p. 42:"Why have I started... to think like this?"(「なぜ私はこう思い始めたんだろうか?」)
日本語版の台詞では、", too"(「~も」)の意味を含んでいるので(※原文:「なんでかな 近ごろ わたしも そう思うの」)、京子はここで、「他の人も同じように考えている」(最近は、自分もそう思うようになった)ことを暗示しているね。
⇒(こちらも特にコメントはなしでした。)
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(7) p. 45:面白いことに、スペースの都合か、本のタイトルが入れ替わっているね。
(日本語では、右が三銃士、左がハムレット(表紙に書かれてる絵は変わっていないけど)になってるよ)。
A. 確かに、右下のコマに"The Three Musketeers"と入れてしまうと、吹き出しで残りのタイトルが切れてしまうので、"The Three..."としか読めなくなってしまうしね。
でも、確かにその指摘は正しい、ここで"Hamlet"の表紙に三銃士がいるのは馬鹿げているといえよう。
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(7) p. 75:あぁ、多分翻訳が難しいから全面改訂したんだと思うけど、原文だと、最後のコマの会話は、以下のような感じだね。
"Is D'artagnan pronounced as 'Da-ru-ta-ni-an' or 'Da-ru-ta-nyan'?" (原文:「ダルタニヤンなんですか ダルタニャンなんですか」)(後者は猫の鳴き声のようで、日本人には可愛く聞こえる)
"Hmm? Well... I don't know"(原文:「えっ えっ どうだろう」)
"Da-ru-ta-nyan sounds prettier!!"(原文:「ダルタニャンの方がかわいくないですか」)
(そして、次のページで、部員たちは猫になったつもりで「ニャーン ダルタニャーン」と叫んでふざける)
A. そう、これは翻訳不可能なダジャレが含まれるという典型的な状況だね。
(ちなみに、"Da-ru-ta-nyan"の方がフランス語の実際の発音に近いと思う。)
⇒(追加メッセージ:)あぁ、そうだろうね。
ちなみに、繰り返しだけど、nyanは英語でいうmeowと同じで、猫の文脈以外では出てこないから、彼女たちは大喜びなんだ。
この三銃士、元がフランス語の話なら、カタカナは音をそのまま真似ることができるので発音を近付けられるのは当然ともいえるし、フランス語の読みはかなり厳密にアルファベット表記通りの読み方ルールに従っているから、比較的、より真似しやすい音だったということなのかもしれないね(といっても、日本人のカタカナ英語は酷いけど、ハハハ)。
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(7) p. 90:"SHE'S TOO EMBARRASSED TO CALL HIM SHINOBU, SO SHE CALLS HIM OKUDAIRA"(「こいつ、SHINOBUって呼ぶのテレてOKUDAIRAって呼んでんの」)
実際の状況は、モギーが「忍くん」でも「忍さん」でもなく「先輩」と呼んでおり、やっさんがそれをからかっているというものだ。
A. 間違いなく、敬称を外したために翻訳に手間がかかっている状況だね。
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…という所で、まだいくつか7巻のポイントは残っていますが、結構いい分量になっているので次回へ続くとさせていただきましょう。
恒例の「青い花で学ぶ英語」コーナーですが、前回「残り7-8巻は、案外取り上げるほどの面白い英語がそんなになかった」と書きましたが、こないだもっと前に「またいずれ…」と書いたままになっていたネタ、"heck"という語についてがありましたけど(「"what the heck"(※英語で、最低最悪のFワードである「ファッキン!」をマイルドにした表現)は、やや古臭くてあまり使われないと思う」という話→「あれ?heckって、青い花の別のシーンで見た気がするけど…」というネタ)、7巻の中にも出てきていたので、改めて今回はそちらに触れてみようと思います。
まずは、当初、このネタのすぐ後に見つけていた、日本語版3巻で登場するシーンからです。
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【青い花で学ぶ英語】
(3) p. 63:このページのあきらの台詞に、"what the heck"が使われていたね。
…とはいえこちらはフレーズ単独使用ではなく、続いてつながる言葉があるわけだけど("WHAT THE HECK'S GOOD ABOUT HIM?!" ※原文:「あんなののどこがいーんでしょうか……」)、これだと例の「古臭くて若い人は誰も使わない」とはちょっと違う感じなのかな?
A. そうだね、これはちょっと違う英熟語になる。
根本的な意味としては、単純に、"What's good about him"(「彼のどこがいいんだ」)というものだね。"what the heck"というフレーズは、その質問をより強調するために使われていて、基本的には話し手の懐疑的な気持ちを表現しているといえよう。
翻訳者は、ティーンエイジャーを対象とした物語で、より不適な言葉を使うことを避けるために、ここで「heck」を使ったと思われる。
"What the hell's good about him? "と言った方がより自然だったんじゃないかな、と個人的には思えるかもしれない。
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そし7巻にも、what the heckではないけれど、またまたあーちゃんの台詞でしたが、heckが出て来ました。
(7) p. 137:"OH HECK NO!"(「やだよ!」)
これも、"What the heck"とはちょっと違う感じなのかな?
A. そうだね。ここでは、"heck"(正しくは"oh heck")を使って、文の基本意味である"no!"をさらに強調しているわけだ。
ここでも、この言葉はあまり冒涜的ではなく、より自然な表現としては、"Oh hell no!"があるだろう。
⇒(追加メッセージ:)なるほど。
しかし聞いた話では、hell/fuckはあまりにも悪い言葉なので、アメリカではheckで代用したがると習ったんだけど、これはもうちょっと古いのかな?
⇒(追加回答:)そう、"heck"は少し古いね。というのも、主にアメリカ人は公共の場やフィクションの中で、人々が不適切な言葉を使うことに対して抵抗がなくなってきているからだ。
必ずしも良いことではないけれど、それが現実だね。
⇒(追加の独り言:)というわけで、実は実際にこちらの年配の教授が、学生があまりにも謎すぎる実験結果を発表したようなとき、独り言で「What the heck's going on...」と呟いているのをよく見かけていたので(僕自身も最初の頃、クソ結果を出して、しかも適当になあなあにし続けていたら、よくディスカッション中に呟かれました(笑))、今の時代でも結構聞く気がするけどな…と思っていたんですけど、その教授も実際年配で古風な人ともいえますし、やはり、若い学生なんかは使っていないのかもしれませんね。
よく考えたら、Heckerさんにheckという単語が古めかしいのか、良くない表現なのか、などと聞くのももしかしたらあんまりアレだったかもしれないですが(笑)、まぁいずれにせよ、(特に今時は)あえて真似して使うような表現でもない、ってのが間違いなさそうだといえましょう。
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