青い花・英語版で気になった所を挙げていこう:5巻その1

SBF(英語版『青い花』)の気になった点シリーズ、早速続きに参りましょう。

日本語版5巻に当たる所からですね。

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(5) p. 9:"IT'S NOT WHAT YOU'RE THINKING!"(「あなたが考えていることではない」)

ここでの「YOU'RE THINKING」の意味がイマイチ完全には判然としないんだけど(「not your business」(あなたには関係ないでしょ)に近い?)、文字通り読むなら、日本語オリジナル版では、あきらは"It's not what I was told!"(「私が言われたわけじゃないよ」)と言っているので、ちょっと違う感じがするね。

 

A. "It's not what you're thinking"は通常、"I know that you think I am talking about X, but I actually am talking about something else"(「あなたは、私がXについて話していると思ってるっぽいけど、実は私は違うことを言ってるんだよ」)というような意味となる。

ここで上田は、"Who said that to you?"(「誰がそれを言ったの?」)と言っている。つまり上田は、誰かがあきらに「そういうこと」(性行為)について何か言ったと思っているわけだ。

これは実際にその通りなのだが(ふみがあきらにその話をした)、あきらはふみの話を避けようとしているのである。

だから日本語では、(英語で)"It's nothing that I was told"(「私が言われたことでは全くない」)とか、"Nobody said anything to me about it"(「誰も私にそんなことは言っていない」)というようなことを言っている、ってことだね。

英訳の"It's not what you're thinking"は、これと同等の意味を持つ:上田は、誰かがあきらにセックスの話をしたと思っているが、あきらはそれを否定している。なのでこの訳でいいと思えるよ。


⇒(追加の独り言:)
冷静に考えたら「君が考えていることではないよ」で、そのまま普通に意味も通る感じでしたね。
(言い訳としては、元々のここのあーちゃんの日本語台詞、「あたしが言われたってわけじゃあ…」に引っ張られて、この英文も「『あなたが考えているってわけじゃあ』…?どゆこと??」と錯乱してしまっていた、という形です。)

主語と目的語が入れ替わっているだけで、特に全く何も問題ない(難しいことはない)所でした。

(ただ、英語だと、(上田)「誰が言ったの?」→ (あきら)「あなたが考えてるようなことじゃないよ!」の方が(多分)自然な流れなんだと思いますが(英語の場合、会話では、youを主語にして、「あなたに関すること」を中心に語ることの方が多い印象……何となくで、絶対ではないですけど)、日本語原文の場合(上田さんの質問自体の文構造が少し違うということもあって)、(上田)「で 誰にそういうことを言われたの?」→ (あきら)「いやあ あたしが言われたってわけじゃあ…」という受け答えの方が会話の流れとして遥かに自然である…という違いはありそうですね。)

 

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(5) p. 11 :"I WONDER HOW SUGIMITO IS DOING."(「杉本さんは元気でしょうか」)

この京子の発言、同じ杉本家のメンバーである和佐との会話なのに、恭己のことを「杉本」と呼んでるよね?

これって変な感じはしないの?

同じSugimotoに向けて違う人をSugimotoと呼ぶのも何か笑えるね。

…いや待った、でもよく考えたら、日本語でも、友達のお母さんとかに、友達のことを指して「杉本くんいますか」とか「杉本さんの忘れものです」と言うことも普通にあるから、別に全然自然ともいえるのか。


A. 京子が他の文脈で恭己のことを"Yasuko"と呼んでいたとしても、教師である/であった和佐との会話では、もっとフォーマルな表現になるのではないかと思う。

むしろ気になるのは、日本語版だと、京子は「杉本さん」や「杉本先輩」と呼んでいるのだろうか?

京子が恭己のことを「杉本先輩」と呼ぶのは、恭己の姉妹と話すときであっても、全く珍しくないことであろう。


⇒(追加メッセージ:)
ここでのポイントは、フォーマルどうこうというより、和佐だって同じ「SUGIMOTO」なのに、恭己のことを「SUGIMOTO」と呼んだらまるで和佐本人のことを言っているみたいで変・面白い状況になってるんじゃなかろうか……?

…ってことだったんだけど、さっきも書いた通り、別に日本語でも同じ状況は発生し得て、それは全く変ではないから、改めて考えると何も問題ではなかったね。

ちなみに日本語版だと、京子はここでは「杉本先輩」と言っており、ここのみならず作中一度も「杉本さん」と語ったことはなく、常に「杉本先輩」または「先輩」のみの呼び方を使っているよ。


⇒(追加の返信:)ここでは、敬称を使わないという翻訳者の判断が曖昧さを生んでいるのだと思う。

京子が「杉本先輩」といえば、恭己のことであることは明らかだが、「杉本」とだけ言えば、そうとは限らないからね。

 

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(5) p. 12:"BUT SOME GIRLS TREAT OTHERS LIKE A PRIZE TO CLAIM."(「でも他の女の子たちは、他人のことを、見せびらかす賞品みたいに扱っているわ」)

これは日本語原文とかなり違うね。

元の文章はこんな感じ:"For some girls, maybe I am convenient for them."(「女の子たちにとっては、私は都合のいい存在なのかもしれない」)とか、"I might be the kind of person to whom some girls just throw their own desires."(「私は、誰か女の子が、その子の欲望を丸投げしてくるような存在なのかもしれない」)…とか、そんな感じの意味合いかな。
(※注:原文は「みんなにとっては 私の方が都合のいい存在なんじゃない?」)

原文の「都合のいい存在」というフレーズは、日本語ではごく普通の表現なんだけど、恐らく英語にはそれにドンピシャで相当する表現がないため、SBFの翻訳はちょっと違った形になってるのかもしれないね。

 

A. 実はこの部分は英訳が明確でないとずっと思っていて、この台詞の意味がよく分からなかったんだ。今は理解できた気がする。問題は、この英文には曖昧さがあるということだね。

意味1:"Some girls"は女の子一般を指し、"others"は姿子を指す(これが、日本語本来の意味のように思える):"Some girls treat others [including me, Shinako] as a prize to claim"(「一部の女の子は、他人(私、姿子を含む)を賞品として扱っている」)。
 
意味2:「一部の女の子」とは、恭己(と、京子?)を指している:"[Yasuko/Kyoko] treats others like a prize to claim."(「(恭己/京子は)他人を、誰かに主張するための賞品のように扱う」)。

私は当初、この文を2番目の意味で解釈し、姿子が恭己を批判している(だけ)と見ていた。しかし、今は、意味1が主な含意である見方のほうが、より理に適っているように思う:姿子が批判しているのは、姿子に対して権利を主張している「女友達」なのだ。これは、姿子の性格と一致している:誰とも深い付き合いや真剣な付き合いをしようとしない、というものだね。

しかし、これは、各務先生に対する恭己の行動、あるいは恭己に対する京子の行動を指した、間接的な批判でもあるだろう。間違いなく、京子は、姿子が言いたいのはこういうことかもしれない、と思ったわけだしね。

全体として、公式英訳は問題ないと思うが、一読して誤解する人(私のような)には混乱を生じるかもしれないね。


⇒(追加メッセージ:)
まさにそういうことだね。

そう、これは日本語の原文でも実は結構曖昧な台詞(というか複数の解釈ができそうで、面白い文章)といえるよ。

そして、いただいた説明はかなり分かりやすかったけれど、やはり、発言が意味している細かい所は、日本語の原文とちょっと違う気がする(いや、でもよく考えたら結構というか大分似ているかも?)けれど、とにかく訳はそのままでもどうやら良さそうだという感じではありそうだね。

 

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(5) p. 25:"I'M TIRED OF THINGS BEING UNCLEAR."(「はっきりしない状態にうんざり」)

これは多分言語構造の違いによるものだと思うけど(直訳すると、英語だと多分不自然になる)、ここで康は"I'm tired"とは言っておらず、"Being unclear is not a good situation."(原文:「いつまでも曖昧なままってのもよくないよな」)と言っているんだ。

もしかしたら"he's tired"の意味合いも含まれてるといえるかもしれないけど、少なくとも直接そうは言っていない形だね。

A. ここで言う"I'm tired"は、康が疲れているとか、眠たいとかいう意味ではない。物事がはっきりしないのが嫌で、この状態が長く続いていることにイライラしているという意味である。

これは良い訳だと思う。


⇒(追加メッセージ:)
あぁ、そのニュアンスは分かっているんだけど、日本語原文の構造は、「私は」という形ではなく、主語が自分ではない(=自分の意見を強く主張しているのではなく、一般的なことに言及しているように聞こえる)ということを指摘したかった、ってこっちゃね。

単なる言語構造の違いの一種で、定義するのも難しいけど、日本語でも、主語が違えば(ちょうど今、↑の段落で書いたように)文の意図が少し違って聞こえてくる感じだね。

毎度繰り返しだけど、全くもってそれほど大きな(決定的な)違いではないやね。

⇒(追加のFrankさんからの返信:)あぁ、それならおっしゃることが理解できたよ。

 

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(5) p. 99:"It was Dad's fault, but I couldn't stop him either."(「お父さんのせいなのに、私はお父さんも止めない」)

またもや日本語だと主語(と下手したら目的語も)が省略されてるんだけど、日本語原文だとここは「お父さんのせいなのに  お父さんも(お母さんを)止めない」という意味(原文から、( )の部分を独自に追加)になっているように思う。

……と思ったけど、でもよく考えてみたら、これはかなり曖昧な表現なんだけどね。

自然に考えたら、↑の解釈かなと思うんだけど(少なくとも自分は最初そう思った。けど、正直な所これも、「父は、母が壊れていくのを止めない」「父は、自分の不貞行為を止めない」のどちらも可能性があって、決定的ではない気もする)、しかし、SBFの「お父さんのせいなのに、私はお父さんのことも止めない」という解釈も、必ずしも間違ってないのかもしれないね。

A. 英訳はそれ自身意味をなしており、日本語の文章の曖昧さを考えると、翻訳者ができる最善の方法なのであろう。

 

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…という所で、今回も、この辺で日本語版5巻で気になったポイントの半分ぐらいですが、結構いい分量なので、続きは次回にまわすといたしましょう。


内容よりも、より英語ネタメインの「青い花で学ぶ英語」コーナー、今回は、同じ5巻で目に付いたものに触れていこうと思います。

 

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青い花で学ぶ英語】

(5) p. 14:"LADY KYOKO!" "LADY KYOKO!"(\京子様/ \京子様/)

英語で「Kyoko-sama」(大いなる敬意と親愛の意を込めた呼び方)をどう表現するのか気になっていたんだけど、”LADY KYOKO!"になるんだね。大変面白い。

そこで更に気になったこととして、同じように呼ばれる(褒められる)のが男性だったらどうなのか、ということがある。

ちょうど、p. 99の鹿鳴館の台詞に、"LORD KIYOHARA"というものが目に付いたんだけど、これは日本語原文だと「~様」で、全く同じ意味(言葉)なんだ。

でも、同じ状況でも、LORDの場合は"LADY XX!"みたいな使い方はしないのかな??

A. 質問の意図がよく分からなかったのだが、現代を舞台にした漫画やアニメの英訳では"Lady X"を使うのに、なぜ"Lord X"を同じように使わないのか、ということだろうか?

それは、"Lady"よりも"Lord"の方が、過去の時代や伝統的な貴族制度と密接に関係しているからではないかと思う。

清原は明治時代の日本の貴族であったと推測されるので、"Lord Kiyohara"を使うことは問題ない。しかし、現代社会で"Lord X"と呼ぶのは、英国貴族でなく、その称号を与えられているのでもなければ、おかしい。

一方、"Lady "という言葉は、貴族階級にのみ関係する言葉ではない。例えば、現代でも、「レディー・ガガ」がいる。過去には「レディ・バード」(リンドン・ジョンソン元米国大統領夫人)や「レディ・デイ」(歌手ビリー・ホリデイの妻の愛称)などの例があった。なので、京子のことを"Lady Kyoko"と呼ぶのは、完全に自然な英語ではないものの、全く不自然というわけでもない。


⇒(追加メッセージ:)
なるほど、大変面白く、ためになったよ。

しかし、質問のポイントは、喝采の言葉(京子を褒め讃える)として、生徒たちは"LADY KYOKO!"を使うんだけど、もしそのキャラクターが男性だった場合、何と言うのか?…ということだったんだ。

たまたま"LORD KIYOHARA"(少なくとも日本語版原文では同じ言葉で、どちらも「~様」で終わる、敬意を伴う呼びかけ)というフレーズを見かけたんだけど、これは実際古すぎて適さないのではと思っていた。

男性スターに拍手喝采を送るのに適した言葉は、何かある?(単なる興味本位なだけだけどね。)

(例えば、康が大人気で劇中で活躍した場合、学生ファンは"LADY KYOKO!"と同じような感覚で、"XXX KO!"と言える表現はあるのか…?もしかしたら、英語ではいい表現がないのかもしれないね。

 日本語では、どちらも「〇〇様!」でいけるんだけど、LADYは確実に女性を指す言葉だし、男性向けの言葉がないのかがちょっと気になった、ってこっちゃね。)


⇒(追加回答:)少なくともフォーマルや準フォーマルなものでは、男性に相当するその呼びかけの英語は存在しないね。

フォーマルではない使い方としては、ファンが "Ko, my man!"と叫んだり、"Ko!"と彼の名前を単独で叫んだりすることはあるといえる。

もしかしたら、いつか"~sama"も、外来借用語として英語に入ってくるかもしれないね :-)

 

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(5) p. 58:"SOMEONE TAKE OVER FOR ME AT RECEPTION!"(「受付こーたーい」)

単なる英文法の質問。

これ、主語がSomeoneなのに、「take」は正しいの?(「takes」ではなくて?)

この表現には何か意図的な理由があるんかな?

仮にミスであったとしても、(誤植の章にリストアップされていなかったので)ネイティブスピーカーには違和感を覚えるほどではなく、それほど大きな問題ではないってことだよね?

A. これは英語の面白い癖で、「someone」という単語は、文の種類によって単数形の動詞(「someone takes over」)も複数形の動詞(「someone take over」)も引き連れ得るんだ。

この場合、話し手は指令を発している(命令形)ので、"someone take over for me!"が正しい使い方となる。

しかし、他のケースでは単数形の動詞が使われる。例えば:"I'll stay here until someone takes over me"(「誰かが引き継ぐまで、ここにいる」)。

正直な所、なぜこの2つのケースが違うのか、上手く説明ができない。ネイティブスピーカーが、何となしに身に付けていることなのだ。


⇒(追加メッセージ:)
なるほど、とても面白いね。つまり、単に複数形としてsomeoneを使っていたということで、全くエラーではなかったってこったね。


(追加の独り言:)
…と、Frankさんにはよく読まず適当に返事を返してしまいましたが(笑)、「someoneが複数の誰かを指している」というより、これはむしろ「命令形を意図しているので、動詞が原型になった」という方がより正しい解釈な気がしますね、いただいた説明をきちんと読むと。

(パッと見、「anotherという単語は、『an+other』だから、続く名詞は必ず単数形が使われる」と習ったのに、実際は結構複数形にかかっていることも多い…みたいな話と同じで、someoneは一見単数形だけど、気持ちの中では複数人をイメージしていて、複数形で使うこともある…的な話なのかな?…と思ったんですが(いやよく考えたらanotherの例とはまたちょっとというか全然違うかもしれませんが(笑))、そうではなく、やはり「命令形が念頭にある」ってのが一番納得いく説明かもしれませんね("Someone! Take over for me at reception!"(「誰か (=呼びかけ)!受付け代わって!」)みたいな)。)

 

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5巻後半、次回へ続く…!

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