Amazon、GJだぜっ!

前回で『そっち系のひと』に関するお話は一通り終わったかと思っていたのですが、まだ触れてなかった話をかき集めてみたら意外と一記事ぐらいこさえられそうな感じだったので、予定を変更して、今回を正真正銘最後の翻訳本ネタの回にしようと思います。


まず、記事タイトルにした「Amazon、GJ(グッジョブ)!」は、僕の台詞ではなくFrankさんの台詞でして、ちょうどFrankさんが、

「アマゾンは大変に良い仕事(a really good job)をしてくれて、『プリント・オン・デマンド』で作った製本版の本書だが、表紙はとても素晴らしいし、文章もとてもエレガントで読みやすい」

…というメッセージとともに、現物の写真を添付して送ってくださっていました。


せっかくなので、プロモーションの一環として、最後にその写真も紹介させていただくといたしましょう。

Frankさんよりいただいた翻訳版ペーパーバックの表紙画像

 

本文ページ

なお、こちらは個人的にメールで送っていただいた写真であるので、ブログに掲載しても問題ないかを確認してみた所、「許可するよ。せっかくだから、裏表紙の方も送っておくので、必要なら使ってくれたまえ」というメッセージとともに、更にもう一枚受け取りました。

裏表紙も大変素晴らしいです

もちろん写真だけでは伝わらない部分も多くあるとは思えますが、日本語を読めないFrankさんが「読みやすい」とおっしゃられていただけあって(実際は「legible」という、「可読性が高い」といった意味合いの単語が使われていましたが)、大変にしっかりした製本で、見栄えも非常に美しいことが伝わってきますね…!

寸法としては15.24 x 2.01 x 22.86 cm」とのことなので、案外大きいサイズだといえそうです。これは中々、お手に取っていただけたら、満足感のある作りになっているのではないでしょうか。


やはり我らがアマゾンは世界最大手企業の一角だけあって、クオリティは納得のものであったようです。

改めて、「Amazon、GJだぜっ!」と言いたくなる感じですね…!

 

それからもう一点だけ、この辺は別にあえて触れる必要もないかなと思ったんですが、最後に……

例の、こないだ一部だけ触れていたAmazonへ出版の申請をする際に送信する入力フィールドの話の中で、Frankさんから、

Amazonに、私が出版をする権利を有していることを示すために、『私が本の著作権を持っている』ということを伝える必要があった。実際私はCCライセンスに基づき、出版する権利を持ってはいるわけだが、厳密には私は日本語翻訳版の著作権を持っているわけではない:日本語翻訳版の著作権は、君が保有している。
 これに関して、AmazonがOKであれば良いのだが、もし何か問題があった場合は、Amazonがハッピーでいられるように、対処しようと思う。」

…といったメッセージをいただいていました。


正直僕はその辺マジでなあなあなタイプなので、実際に今改めてメッセージを確認するまで「著作権保有者は、君だ」と言われている部分を読み落としていたぐらいだったんですけど、これは本当に趣味で楽しくやらさせてもらったことなので、Frankさんには、

「本当に、いかなる権利もロイヤリティーも不要なので、権利関係は全て一切放棄してお任せするから、好きなように表記なりをしていただければと思うよ。
 もちろん、権利関係は不要だけど、Amazonから何か言われたとかで何らかの対処する義務が発生したような場合には、喜んで手を貸そうと思ってるけどね…!」

…といった旨の返事を送っておいたので、とりあえず収益うんぬんに関しては、僕の方には一切入らない形になっている、という感じですね。


そもそもその手の話すらここでは出したくなかったぐらいに、お金どうこうはマジでどうでもいいというか、むしろお金とは一切つながっていない関係・作業でありたかった…という、やや勝手なワガママ感もあるかもしれませんけど、一応最後にその旨だけ簡単に触れさせていただいた形です。


改めて、お金などではなく、その他の形で既に十分以上のものを得ていたということに尽きる感じですね。

例えば、こないだからの電話対応英語に関する話でFrankさんにまた質問をしていたのですが、「全く関係ないネタなのに、すまぬ…すまぬ……」という勢いで質問を送ったところ、Frankさんからは、

「全く問題ないよ。特に、あれだけの助力をしてくれたわけだし、こうして質問に答えることは、恩返しの一環になるといえよう」

というメッセージもいただいていましたし(こう書くとやや恩着せがましく映るかもしれませんが、実際は本当に温かい歓迎の言葉をいただいています)、本当に、非常に面白い経験をさせていただけたそのこと自体が一番の財産といえましょう。


(なお、もちろん、その辺の権利状況や収益配分みたいな状況がもし今後変わることがあれば、また改めてアナウンスさせていただこうと思います。)

 

あと最後の最後、内容に関して前回ふと気が付いた点があったので、記事ボリュームアップの意図を込めて、それだけちょろっと触れておしまいにしましょう。

前回、「一部段落に、若干文字間が空き空き状態になってる部分があります…」ということを示すべくスクショ画像を貼っていたのですが、その画像の中身であった「舞台設定」の章の最後の文に関して……

「…、あきらにも愛する人が現れることを願わんばかりだ。」

という翻訳文をこしらえていたわけですけど、この「願わんばかり」という表現、これ、意味は伝わってくれることを期待したいですが、厳密に言ったら、ちょっと文法的にはやや正道からは外れてる表現になってしまっているかもしれませんでしたね。


僕はつい癖でしばしばこの言い回しを使っちゃうのですが、これは、正式には「願うばかり」であるべきで、古語として「願わんとす」みたいな表現はあるものの、「願わん」と「ばかり」の組み合わせは、厳密に言うと、多分国文法警察に逮捕されてしまう案件だったかもしれません…。

…まぁこの期に及んで「だったかもしれない」とか無責任スタイル過ぎかもしれず、「いやどう考えてもおかしな表現でしょ。そんな言い方しないよ(笑)」とは自分でも思えるものの、ここはもう、「うるせー、俺の辞書では言うんだよ」というジャイアンスタイル(ジョージ・ルーカススタイル(笑))を貫かせていただこうかと思います(笑)。

(「じゃあ『新しい』は、本来の日本語では『あらたし』が正しいわけだが、『あたらしい』と言ってる人はみんな間違ってるとでも言うのか?!言葉は時代とともに変遷するのだ、何らかの言葉遣いを『間違い』だと断じる行為こそ、まさしく間違いだといえよう」みたいな手垢が付いた話も一瞬書こうと思いましたけど、「いや今は君の表現の方が多数派じゃないことが問題なのに、『言葉は時代とともに変わる』とか、未来永劫そんな風には変わんねーから(笑)」とも思えたので、やめておきましょう(…って、結局書いちゃってますけど(笑))。)

 

では、『そっち系のひと』に関しては、これで本当に一区切りという形ですね。

(とはいえ『放浪息子』の英語版を見ていくシリーズは、一連の志村さん作品シリーズということで、ブログのタグ・カテゴリーとしてはまた「青い花・同人誌翻訳」を使っていく予定ですが……。
 そもそもブログのカテゴリーとか、マジで意味のない代物に成り果ててるんですけどね(笑))


次回はまた、途中になっていた電話英語シリーズに戻りましょう。

にほんブログ村 恋愛ブログ 婚活・結婚活動(本人)へ
にほんブログ村